6. Loss

6


 逃げた者たちや、一旦宿の外に出ていた者たちは教会に立てこもった。牧師が怪訝そうに、扉を閉めて息をつく者たちに近づいてくる。
「何かありましたか」
「牧師様、大変なんだ! セシルがいきなり暴走するわ、ブラッディ・レズリーが現れるわ……」
 息も絶え絶えに一人が説明すると、牧師は不安そうな面持ちで指を組んだ。
「よりによって皆が留守のときに……。ともかく誰か、町の外に行った者たちを呼び戻してきてください」
「わかった!」
 牧師の指示に、三人ほどの男が頷き、立ち上がった。
「――セシルは、説得に応じるでしょうか」
 牧師が嘆くと、宿の支配人が応じた。
「絶対、無理です。聞いたことがあります。悪魔憑きって、あんな感じなんでしょう?」
 “悪魔憑き”という言葉にルースは反応したが、それがなぜかはわからなかった。
「悪魔……。参りました。私は牧師になったばかりだし、悪魔祓いのことはよく知りません」
 そのとき、ジョナサンが何か言おうとして慌てて口をふさいでいた。
「ジョナサン?」
「う、ううん。ね、牧師さん。ちょっと来て」
 ジョナサンに手を引かれ、牧師は戸惑いながらジョナサンに付いて奥に行ってしまった。
 少し経って、牧師が一人で戻ってくる。
「そこの二人、ちょっとお願いが」
 牧師に手招かれ、屈強そうな男が二人呼ばれていった。また奥に行き、しばらくして戻ってくる。
「それでは、この二人を……」
 牧師が説明を始めた途端、ジョナサンがルースの腕を引っ張った。
「ジョナサン、何よ。あたしも、説明を……」
「良いから! こっち来てーっ」
 強く引っ張られ、ルースは仕方なしにジョナサンの指示通りに付いていった。だが、すぐに腕の力は弱まる。そしてルースが振り向いたときにはもう、説明は終わっていた。
「もう、聞き損ねちゃったじゃない」
 さっきの男二人が、恐る恐る教会から出ていこうとしているところだった。
 ルースはつかつかと牧師に歩み寄って、彼を見上げた。
「どうして、あの二人は外に出たの?」
「それは……外の仲間を呼びにいったのです」
 牧師は歯切れ悪く答えて、ルースから目を逸らした。目を逸らす前に明らかにジョナサンの方を見やっていたことを、ルースは見逃さなかった。
 大体、その前にも仲間を呼びに三人の男が行ったはずだった。
「ジョナサン。あんた、何か隠してない?」
「何にも?」
 ジョナサンはルースの追及を、空々しくかわす。
 ルースが椅子に座ると、ジョナサンが隣に腰かけてちらっと様子をうかがってきた。他の人々も不安を隠しきれない様子で、各々教会の椅子に腰かける。
 どのくらい待ったのか、じりじりと手持無沙汰な時間を過ごしていると、教会の扉が開く音がした。
 入ってきたのは、なんとフェリックスとジェーンだった。
「おお、あんたが悪魔祓いか!」
「頼むぜ!」
 人々が口々に声をかける――フェリックスに向かって。
(悪魔、祓い……?)
 隣で、ジョナサンが頭を抱えている。
 フェリックスは牧師に近づいて、何事かを素早く囁いた。牧師は慌てて奥から、何やら大きな瓶を取ってくる。
 その瓶を携え、フェリックスは行ってしまおうとした。
「待って、フェリックス」
 だがフェリックスはルースの声に足を止めることなく、駆けていってしまった。その後にジェーンが続く。
「フェリックス!」
 ルースも教会から出て叫ぶが、声は届かない。もう、後ろ姿が小さい。
(あんた一体……何なのよ)
 そのとき、いきなり腕を引かれて悲鳴をあげる。――赤い、瞳孔が見えた。
 セシルが、ルースの腕を強い力でつかんでいたのだ。
「お姉ちゃん!」
 追ってきたジョナサンが、セシルの腕に噛みつく。セシルが手を緩めた隙に、ルースは飛びずさって尻餅をついた。凄まじい力で引かれたためか、腕がじんじんと痺れている。
 しかし、セシルは代わりにジョナサンの首をつかんでしまった。
「ジョナサン……!」
 自分がつかまれたときよりも慌ててルースは身を起こし、片手に銃を握り締めた。
「その子を放して!」
 ルースは銃を構えて脅しを口にした。セシルは銃など見えていないかのように、ジョナサンの首をつかんだままこっちに近づいてくる。
「放してぇっ!」
 銃を持つ手が、がたがたと震える。その間にも、ジョナサンの顔は青くなっていく。
(――もう、誰もいなくならないで――!)
 心の底から叫びがほとばしる。意識の外から溢れた、心の絶叫だった。
 ルースは渾身の力をこめて引き金を引こうとしたが、どうしてもセシルを撃てず、空に向かって一発撃った。
 耐え切れない衝撃で、銃が手から滑り落ちる。そこに、聞き覚えのある声と風を切る音が響く。
「セシル! あんた何やってんのよ!」
 ナイフは見事にセシルの腕に刺さったが、痛みを感じないのかセシルはジョナサンから手を放さない。
「退いて、ジェーン」
 フェリックスが手にした瓶を思い切りセシルの頭に叩きつけた。瓶が割れた瞬間悲鳴があがり、シュウシュウとセシルの肌に染みていく。
 悲鳴をあげて転げ回るセシルの傍らに放り出されたジョナサンをジェーンが抱き留める。
 セシルは呻きながらも、ルースに手を伸ばした。
「ルース!」
 駆け寄り、セシルから離すようにルースを抱き上げたフェリックスは、焦って尋ねてきた。
「このこだわりは異常だ。何か持ってないか?」
「何か? ――あ」
 ルースは慌ててずっと握り締めていたブレスレットをフェリックスに渡した。フェリックスはすぐに悟ったようにルースを降ろしてから、さまようセシルの手にブレスレットを握らせた。
「それ、ベティの形見だわ」
 ジェーンがブレスレットを見て、呟いていた。
 セシルがようやく安堵したように、手を下ろす。
「フェリックス! 他のウィンドワード一家は、私が先導するわ。先にお嬢ちゃんと、この子を連れていって」
「ああ。……ジョナサン、立てるか」
「うん」
 フェリックスが優しく尋ねると、ジョナサンは未だ青い顔をしながらもジェーンの腕から降りた。
 呻き声に、ハッとする。セシルが起き上がったところだった。
「僕は、一体……?」
「悪魔に憑かれてたんだよ。あんた、何をしたんだ? 悪魔が憑くにしても、早すぎる」
 フェリックスが尋ねると、セシルはいぶかしみながらも「薬を飲んだ」と話した。ベティが持っていた薬で、家にあったのだという。
「……見えてきたな。ブラッディ・レズリーは、薬を賞金稼ぎに奪われた。その賞金稼ぎがベティだったんだ。だから、女の賞金稼ぎを殺していった。実際にベティも殺されたが、ベティは薬を持ち歩かずに家に仕舞っていた。だから、こうして町を襲いにきたんだ。目的は薬の捜索だ。どうやら、かなり大切な薬らしいな。保安官に渡るのを恐れているのかもしれない……。ジェーン、賞金稼ぎたちに伝えろ。“ブラッディ・レズリーの薬”は、もう持っていない、と言え……ってな。それを知れば、いずれ引きあげる。どうせ、ほとんどがブラッディ・レズリーの一員じゃなくて雇われ者だろう」
「わかったわ。でも、悪魔憑きにさせる薬なんて、本当にあるの?」
「どうやら、あるらしいな。ブラッディ・レズリーが取引している、という“エデン”も酒じゃなくてその薬なのかもしれない。ブラッディ・レズリーと取引した町長の娘は、悪魔になって亡くなった。彼女も“エデン”を飲んだ可能性がある」
「“エデン”は酒って触れ込みでしょ? あんたの話では、ブラッディ・レズリーと取引した町長の家から、麻薬が見つかったらしいじゃない。“エデン”が酒に偽装した悪魔憑きの薬なら、つじつまが合わないわ」
 ジェーンのもっともな意見に、フェリックスは顎に手を当てて考え込み、しばらくしてから口を開いた。
「“エデン”は、きっと三つのものを示しているんだ。市場に出回らない酒、麻薬、そして悪魔憑きの薬。ブラッディ・レズリーは、酒か麻薬に混ぜて悪魔憑きの薬を売る。……それがなぜか、はまだわからないが。実験なのかもしれないな」
「ベティはどうして、そんな薬を手に入れたのかしら? セシル、知らない?」
 ジェーンに問われたセシルは、ふらふらしながら立ち上がって「僕は知らない」と答えた。
「おそらく、賞金首からだろうな……。ベティは賞金稼ぎだ。賞金首をつかまえたときに、薬も手に入れたんだろう。その賞金首がブラッディ・レズリーから、薬を買っていたんだ」
 フェリックスが推理を口にすると、ジェーンはため息をついた。
「賞金首の引き渡しのときに、薬は保安官に渡さなかったのね……。馬鹿な子」
「だろうな。それで、その獄中の賞金首にブラッディ・レズリーの手の者が薬の行方を尋ねた。賞金首はベティの名前を知らなかったんだろう。女の賞金稼ぎとだけ、話した。女の賞金稼ぎは少ないから、ブラッディ・レズリーはしらみつぶしに殺していった。……これが連続殺人の真相ってところだろう」
 フェリックスがそこまで話したところで、ルースはまたも鋭い痛みが頭を走るのを感じた。足元がふらつく。フェリックスが素早くルースの背中に腕を伸ばして、倒れるのを防いでくれた。
「……っと、もう時間がないな。ジョナサン、俺に付いてくるんだ」
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「気絶したみたいだな」
 フェリックスの呟きは、聞こえてはいた。でも、どんどん遠くなる。
(あんた一体、何者なのよ……)
 聞きたかったのに、聞けないままだった。

 パチパチと火の爆ぜる音がして、誰かの囁きにも似た話し声が聞こえる。
「セシルに悪魔が……?」
「あまりにも憑くのが早かったのは、妙な薬のせいだろう。初期症状で良かったが」
「初期だと聖水だけで治せるんだね」
「初期で、下級の悪魔ならな。上級なら、もうちょっと手間がかかる」
 ジョナサンと、フェリックスだ。いつかも、よく似たことをこういう状態で聞いたのではなかったか?
 ルースが目を開いたことに、気づいたらしい。フェリックスは苦笑した。
「おはよう、ルース。つっても、夜だけどな」
 ルースは身を起こし、毛布が敷かれていているものの大地の上に寝ていたのだと知って驚く。見上げると、満天の星が輝いていた。
「パパとママと兄さんは……?」
「まだ、来てない。大丈夫、あの三人はジェーンが護衛して別ルートで出たはずだ。合流場所は、ジェーンと決めてある。ここから、しばらく行ったところにある町だ」
「そう……。ねえ、教えて。一体、あの町はどうなったの。賞金稼ぎたちは……」
「ブラッディ・レズリーが町に入り込んで来たから、みんな一旦引きあげて応戦に入った。ま、心配はないだろ。あそこに住むのは、とびっきりの荒くれ者たちだ。お前たちを出したのは、一般人を巻き込むわけにはいかないからさ」
「なら、良かった」
 あのときは色々なことが重なりすぎて、状況を把握している暇もなかった。フェリックスやジェーンが早く帰ってきたのも、本来は応戦するためだったのだろう。
 しかしその時機だから良かったものの、もしフェリックスが遠くに行っているときだったら――セシルに殺されていたかもしれない。
(そう……この、悪魔祓いが来なかったら……)
 ルースはためらった後、もう一つ質問を口にした。
「フェリックス、あんた……悪魔祓いって本当?」
 フェリックスはしばらく黙って、ルースを見つめた。まるで、ルースの表情から何かを透かし見るかのように。
「そうだよ。用心棒は副業」
 あっさりと、フェリックスは肯定した。
「……そう」
 頭が、また痛い。
「ルース、頭が痛いのか」
「ええ」
 近頃、頻繁に感じる痛み。今は引き裂かれそうなぐらい、鋭い痛みになっている。
「まだ夜は長い。もう寝ろ。寝れば、頭痛もましになるさ」
 そっと髪に触れられ、促される。ルースは素直に横になったが、フェリックスから視線を外さなかった。
 何かあるのはわかっているのに、思い出せない。目が潤み、涙が零れそうになる。こちらを見返すフェリックスの表情は、哀しげだった。
 涙を封じるように、ルースはゆっくりと目を閉じた。

To be Continued...