1. The 13th Mary

3


 翌日、休憩時間の際にルースは思い切ってクレアに聞くことにした。
「ねえ、クレア。聞きたいことがあるのよ」
「あら。私でわかることなら、何なりと」
 クレアはおどけたように言ったものの、ルースの真剣な表情に気づいたのか首を傾げた。
「一体、どうしたっていうの?」
「ここじゃちょっと」
 周りを気にして囁くと、クレアは少女たちに一言断ってからルースの手を引いた。
「外に行きましょう」
「ええ」
 稽古場の外に出てから、ルースはクレアに尋ねた。
「あのね……この台本に書いてあった、名前が気になったの」
 ルースは該当のページを開いて、クレアに見せた。途端に、クレアの顔がさっと青ざめる。
「――ねえ、まさか」
 クレアはうつむき、ぐっと唇を噛み締めていた。こんな表情をさせたいわけではなかったが、隠し事をされているのはどうしても嫌だった。
「ええ。今年の十三番目のマリア役だった子よ――マルティナは」
 クレアは、か細い声で続けた。
「でもね、その子は少し前に亡くなったのよ」
「クレア……」
「使い回しの台本を渡してしまって、ごめんなさい。でも、新しい台本を刷る暇もなくて」
「そういうことじゃないでしょう!?」
 自然に、語気が荒くなる。
「あたしは、隠し事ばかりされてるわ。牧師様は最初、十三という数字のせいで人が集まらないと言ったわ。でも、あなたは去年と一昨年に死者が出たと教えてくれた。そして――今年の十三番目のマリアが死んだことは、言ってくれなかった」
「ごめんなさい、ルース。言ったら、怯えて引き受けてくれないと思ったの。今年のことは……さすがに言えなかった」
 クレアの気持ちは、よくわかった。忠告してくれただけでも、有難かったのかもしれない。
「もう良いわ、クレア。稽古に戻りましょう」
「――ええ」
 二人の間には、ぎこちない空気がはっきりと残ってしまった。

 一体、マルティナはどうして死んでしまったのだろう。クレアに死因を聞き忘れたことに気づいたルースは練習が終わってから聞くつもりだったが、クレアは用事があるとかで、声をかける間もなく退出してしまった。
「変ね、今日のクレア」
「本当に」
 三番目のマリアと七番目のマリアの会話を耳にして、ルースは二人に近づいた。
「あの、ちょっと良い?」
 二人はきょとんとしてルースを見やったが、次に続けられた名前を聞いて顔色を変えた。
「マルティナって――」
 途端に二人は踵を返して、さっさと出ていってしまう。その様子を見ていた他の子たちも同様に、退出してしまった。
 一人取り残された形になったルースは、後ろから肩を叩かれて仰天した。
「――牧師様」
「やあ、ルース。顔色が悪いようだけど大丈夫?」
「は、はい」
「他の子たちは、もう帰ってしまったのかい? 伝えたいことがあったのに、仕方ないね」
 そうだ、とルースは気づく。牧師に質問すれば良いのだと。
「あの、牧師様。今年の十三番目のマリア――マルティナという子は、どうして死んだのですか?」
 質問を口にした途端に、空気が凍りついた。牧師の顔から穏やかな表情が消え、のっぺりとした無表情になる。
「誰に聞いた? マルティナの死を」
 恐ろしいほど冷たい声だった。
「――台本に、名前があって。それで、クレアに聞いたら……」
「そうかい」
 突如、牧師はいつもの温厚さを取り戻して笑顔を見せた。
「ただの事故なんだけどね。君を怖がらせないように、言わなかったのさ。――マルティナはね、崖で誤って足を滑らせて転落死したんだよ」
 淀みない答えを聞いて安心するどころか、不安は増した。
「それではルースも、気をつけて帰っておくれ」
 牧師は去年と一昨年の事件については、一切語らなかった。聞かれるまで語らないつもりなのだろう。
「はい」
 ルースは一旦稽古場を出たが、しばらく歩いていて忘れ物をしたことに気づいた。――それも、台本だ。
 気は進まなかったが、戻ることにした。

 稽古場の戸口に近づくと、小さな声で交わされる会話が耳を打った。
「――盲点だった。マルティナが名前を書いているなんて」
「本当に。どこまでも、迷惑な子ね」
 一瞬、クレアの台詞だと理解するのに時間がかかった。ルースの中で、クレアはそんなことを言う子ではないという認識があったのかもしれない。
「牧師様。どうしたら良いのでしょう?」
「そうだな……」
「劇が中止になったらと思うと、怖いわ」
「大丈夫だクレア。それはないよ」
 二人の口調を聞いていて、ルースは奇妙な感覚を覚えた。
 牧師とただの信者にしては、どうも親密な気配がする。かといって親子でもないし――言うなれば――
 恋人。
 ルースは自分の想像に息を呑み、ゆるりと首を振った。
(まさか! いえでも、牧師様はまだ若いし、不思議じゃないわ)
「牧師様。ルースが台本を忘れたことに気づいて、戻ってくるかもしれないわ。奥でお話ししましょう」
 甘えたような口調。明らかに、クレアは牧師に甘えることに慣れていた。
 二人の気配が完全に消えたことを確認してから、ルースはそっと稽古場に入って床に置かれた台本を取った。
 そしてふと、影が差したことに気づく。
「――忘れ物? ルース」
 顔を上げると、聖女もかくやと思われるクレアの笑顔が輝いていた。
「え、ええ」
「台本は大事にしてね?」
 優しい笑顔の割に、語気が妙に威圧的だった。
「もちろん! じゃあクレア、また明日ね!」
 ルースは叫ぶように応答して、稽古場を走って出ていく。得体の知れない恐怖が、ルースを捉えていた。

 宿に帰り、自室に入ろうとしてふと足を止める。
 不安でたまらない。誰かに相談しよう、とルースは心を決めた。
 でも――誰に?
 父や母が聞けば、もちろん参加を止めさせるだろう。しかし、これが杞憂だとしたら……。
「ルース?」
 声をかけられ、顔を上げると兄のオーウェンが立っていた。
「兄さん」
「どうしたんだ?」
 短い黒髪に、黒い目を持つ彼は鋭い眼光のせいで大体の人に取っつきにくい印象を与えるらしいが、ルースやジョナサンには滅法甘かった。だからこそ、彼に相談するという選択は最初から考えていない。打ち明ければきっと、止めろと言われるに決まっている。
「ちょっとね……。フェリックス知らない?」
 フェリックスの名前を出した途端、オーウェンは不機嫌そうに顔をしかめた。
「ルース。良い機会だから言っておくが、あいつは用心棒のくせに馴れ馴れしすぎる。気をつけておけ」
「何言ってるのよ。フェリックスは、元々ああいう性格なのよ。心配することないわ」
 ルースが一笑に付すと、オーウェンは益々不機嫌そうに唇の端を下げた。
「俺がどうしたって?」
 いきなりフェリックスが現れ、ルースは飛び上がるほど驚く。
「兄さんとルースで、俺の話か?」
「兄さんと呼ぶな!」
 オーウェンはフェリックスに怒鳴り、肩を怒らせ行ってしまった。
「……あらら。何で兄さん、あんたのことあんなに嫌いなのかしら」
「さあねえ」
 フェリックスは、気楽に肩をすくめている。
「ところで、何か用か?」
 ルースが話したそうにしていることを察したらしく、フェリックスは至ってさらりと尋ねてきた。
「うん。ちょっと……良い?」
「じゃあ、そこの暗がりで」
 ルースはフェリックスの提案を完璧に無視し、誰もいないことを確認してから話を始めた。
「十三番目のマリア役ね――二年ほど、死者が出ているらしいの」
「――へえ」
 フェリックスは眉を上げ、口に手を当てて考え込んだ。
「なぜなんだ?」
「それはわからない、って」
「わからない?」
 疑問に思うのも当然だと思いながら、ルースは話を続けた。
「劇のクライマックスは、すごい狂乱状態になるんだって。それで観客も演者も、誰もその前後のことを覚えてないらしいのよ」
 クレアから聞いたことをそのまま話していると、益々奇妙な話に思えてきた。
「どういうことなのか、全然わからないけれど……裏があるような気がする」
「ああ、そう考えるのが妥当だな。そもそも話がうますぎた」
「でも、今更止めるのは嫌なのよ。杞憂かもしれないじゃない?」
「俺は、止めた方が良いと思うけどな」
 フェリックスの意見はもっともだったが、ルースは一度引き受けたのに途中で止めるということに、どうしても抵抗があった。
「その……でも、何が危ないかわからないじゃない? だから、突き止めてからでも良いかなって」
 そう。たまたま二年連続、不幸な事故が続いたというだけの話かもしれない。
「わかった。俺が調べてみる」
 フェリックスは軽い調子で請け負い、微笑を浮かべた。
「……ありがとう」
 ルースは気恥ずかしさに顔を伏せながら礼を言った。結局自分は最初からフェリックスに頼るつもりだったのだと、気づいてしまったからだ。
 ルースの一家は、この大陸に移民してからまだ日が浅い。そのせいか、ここで生まれ育ったフェリックスに普通の用心棒以上に頼ってしまっている気がする。
「あとね、それだけじゃないの。今年も十三番目のマリア役が死んでたのよ」
 更に説明をつけ加えると、フェリックスは目を見開いた。
「――それは、とことんきな臭いな」
「でしょう?」
「今年は劇の前に死んでるってわけか……。牧師が、マリア探しに躍起になってたはずだ」
 フェリックスは納得したように頷き、腕を組んだ。
 ルースの顔が強張っていることに気づいたのか、フェリックスは優しく微笑みかけた。
「ルースは何も心配せず、俺に任せなさい」
 ぽん、とルースの頭を軽く叩いて、止める間もなくフェリックスは歩いていってしまう。
「お姉ちゃん!」
 いきなりジョナサンが目の前に現れ、ルースはびっくりして飛びのきそうになった。
「ジョナサン! びっくりさせないでよ」
「ぼーっとしてるんだもん。僕が悪いんじゃないよ」
(この頃ジョナサンが少し反抗気味になっているような気がするけど、気のせいかしら。まさか誰かさんの悪影響?)
「お姉ちゃん、何かあったの?」
「ん? ううん。何でもないのよ」
 弟を心配させるようではだめだ、と反省しながらルースはジョナサンの頭を撫でた。
「お祭り、楽しみね」
「うん」
 不安を悟られぬよう、ルースはジョナサンに慈愛をこめて笑ってみせたのだった。

 その日、稽古場に入ると、予想だにしていなかった冷たい視線を浴びることになった。
(嫌な感じだわ……)
 今日は、誰もルースに目を合わせてくれない。友達だと言ってくれたはずのクレアも、最低限の会話しかしてくれない。
 何より嫌だったのは、様子を見にきたストー牧師が明らかにおかしい雰囲気に気づいたはずなのに何も言わなかったことだ。
 気まずい稽古を終えて、ルースはふらふらと稽古場を出た。今日の練習は比較的早く終わったので、まだ日も暮れていない。少し期待してしまったが、フェリックスは今日は迎えにきてくれていないようだ。
 不安と嫌な気持ちが混ざり合って、何とも不快だ。
「お姉ちゃん」
 声が聞こえた方に顔を向ける。ジョナサンが、道の向こう側から走ってきたところだった。
「ジョナサン。迎えにきてくれたの」
「うん、まあね。僕、フェリックスと崖を散歩してたんだよ」
 崖、と聞いてルースはピンと来た。
「フェリックス、何か言ってた?」
「別に何も言ってなかったけど? あ、でも、今から情報集めるためにサルーンに行くってさ」
「そう。あたし、ちょっとフェリックスに話があるから、サルーンに行ってくるわ。ママやパパに聞かれたら、そう言っておいて」
 崖というのはマルティナが落ちた現場のことだろう。何かつかめたのかもしれない。
「僕も行く!」
「だめよ。あんた子供でしょ」
「お姉ちゃんも子供でしょ」
 口調を真似されながら言い返されて詰まったが、ルースは負けじとジョナサンを睨んだ。
「あんたよりは大人よ。黙って宿に帰りなさい」
 ジョナサンは尚も不満そうだったが、ルースに背中を押されると渋々帰っていった。