7. True Eyes

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 一室に入って向かい合った途端、トゥルー・アイズは真っ向から告げてきた。
「言いたいことがあるなら、言えば良い」
 ルースはぐっと唇を噛んで、トゥルー・アイズを見上げた。
「あたし、昨夜……フェリックスとあなたの会話を聞いたわ。あたしの記憶を失くしたのは、あなた?」
 言った後に、激しい後悔が冷や汗となって背中を伝い落ちた。
「――そうだ」
 トゥルー・アイズは、ためらいなく肯定した。
「どうして」
「お前が望んだからだ」
 彼が嘘をついているとは、思えなかった。けれども自分から望んで記憶を失くしたなんて、納得できる話ではなかった。
「わからないわ……。あたしが、どうして……そんなことをしたのか」
「わかるはずもない。記憶は人間を形作るものの一つだ。つまり、それを失った後のお前と、失う前のお前は違う人間みたいなものだ」
 昨夜、立ち聞きで耳にしたことを繰り返し言われ、ルースは青ざめてうつむいた。
「あなたは、あたしの頭痛を治めてくれるのよね。また、記憶を消すの?」
 呆れたような息の音が聞こえて顔を上げると、トゥルー・アイズが顔をしかめていた。
「反対だ。フェリックスが施した術を解く」
 すっとトゥルー・アイズは近づき、ルースの額に手を当てた。
「勘違いするな。私は頼まれたから、お前の記憶を消したのだ」
「――そう」
 しかし、わからない。どうして自分が忘れたいと思ったのか。
 辛いことがあったとして、自分は記憶を消さねば生きていけないほど弱かっただろうか。
「待って、ちょっと待って。あなたはどうして、記憶を操作できたりするの?」
 ルースは身を引いて、トゥルー・アイズの手から離れた。
 頑ななルースに呆れたのか、トゥルー・アイズは肩をすくめてベッドに腰かけた。
「私はレネ族という部族だ。聞いたことはないと思うが――」
 ルースは首をひねった。先住民の主要な部族はいくつか聞いたことがあるが、レネ族という呼称は初めて聞くものだった。
「我らは隠れて生きる部族だ。おそらく、これからも聞くことはないだろう」
 ルースの怪訝な表情を気にせず、トゥルー・アイズは続けた。
「我らには、重要な通過儀礼がある。その通過儀礼の際に、一切の記憶を失くさせる。詳細は省くが、この儀礼のためにこの術が生み出された」
「……そう。あなたは、それができるのね。その、儀礼に使う術が」
「ああ。本来、これは部族以外の者に使ってはならないのだが」
 禁忌を侵してまで、ルースの記憶を消してくれたことを聞いてルースは驚いた。
「どうして、あなたたちの部族は隠れて生きるの?」
「我らは数が少なく、力弱き一族だからだ。……さあ」
 立ち上がったトゥルー・アイズに促され、ようやっとルースは大人しく目を閉じる。額に触れられた手は、温かだった。陽だまりのような温みを感じた後、ルースは目を開けた。
「フェリックスは、レネ族ではない。私の使った手法を用いても、完全には消去できなかった。だから異常として残ったのだ。今、その記憶が戻るだろう」
 トゥルー・アイズの言った通りに、映像が次々と脳裏に浮かび上がった。
 血走った目の牧師。突然現れた一番目のマリア――クレア。牧師に向かって放たれた銃弾。
 ふらついたルースを、トゥルー・アイズが腕で支えた。
「大丈夫か?」
「ああ――そうだったのね」
 一夜の記憶を取り戻したことで、牧師の失踪やクレアの怪我の原因がようやくわかって全てが腑に落ちた。
「以前も、お前の記憶を失くすため、私の元へ連れてきたのはフェリックスだ。何か聞きたいなら、あいつに聞いた方が良い」
 トゥルー・アイズはそう言い残して、一人で出ていってしまった。
 ルースはしばらくそのまま佇んでいたが、意を決して歩き出した。

 食堂に戻ると、フェリックスとジョナサンが心配そうにルースを見てきた。トゥルー・アイズは、涼しい顔でコーヒーを飲んでいる。
 ルースはフェリックスに何か言おうと開いた口を、すぐに閉じてしまった。
(――止めた)
 本当は、聞きたかった。自分が忘れたがった理由。しかし――他でもない自分が記憶を消すと望んだ、という点が気になる。フェリックスは、それを手伝っただけかもしれない。彼に聞いて答えが得られるとは限らないのに、わざわざ事を荒立てるのも嫌だった。
 それに、まだひどく混乱していた。
「気分はどうだ? まだ痛むか?」
「……いいえ」
 フェリックスの問いかけにルースはかろうじて笑って応じ、席に着いた。
「――兄弟」
 突如、トゥルー・アイズが口を開いた。
「何だ?」
「実は私からも、頼みがある。聞いてはもらえないか?」
「ああ、もちろんだ。何でも言ってくれ」
 フェリックスが気安く請け負うと、トゥルー・アイズは淡々とした様子で説明を始めた。
「ここに着いて、仲間から相談を受けたんだが――。お前も知っての通り、ここでは、おおむね平等な取引が行われている。だが最近、強欲な商人が現れたらしい。皆、迷惑している。私共の話は聞かないのだ」
「なるほど。そいつを懲らしめりゃ良いんだな? 任せろ。俺、そういうの得意だから」
 前のサルーンでの喧嘩といい、フェリックスは優男めいた風貌に似合わず荒っぽいことが得意のようだ。用心棒稼業をやっているせいも、あるのだろうが。
「場所は案内しよう。……出発が遅れてしまうだろうか」
 ふとトゥルー・アイズは、ルースとジョナサンを見やった。無表情なのでわかりにくいが、どうやら気遣ってくれているらしい。
「あ、あたしは大丈夫です。フェリックス、手伝ってあげて」
 ルースが素早く言うと、フェリックスがにこにこして頷いた。
「とまあ、俺の主人も言ってるし。気にするな」
「主人? この子が、お前の主人なのか」
「正確に言えば、この子のパパさんだけどー。ルースが主人て言う方が響きがやらし……」
 フェリックスが言い終える前に、ルースの拳が彼の鳩尾に見事炸裂した。
「何をやっている」
 フェリックスの咳き込みと、トゥルー・アイズの冷静な突っ込みが空々しく響く。
「じゃあ、そうと決まったら早速行ってこよう。ルースとジョナサンは悪いけど、ここで留守番……」
「いや、連れていった方が良いだろう。ここの治安は良いわけではないし、子供は目立ってしまう」
 トゥルー・アイズの助言を受け、それなら連れていこうとフェリックスは頷いた。

 四人は連れ立って、トゥルー・アイズの案内する店へと向かった。店内では、よく肥えた男が三人の先住民相手にまくしたてているところだった。
「馬鹿野郎。これっぽっちの毛皮で、そんな金額が出せるかよ! せめて、あと五枚だ」
 事情を察したらしいトゥルー・アイズが、すぐさま進み出る。
「相場はこのぐらいだ。むしろ、毛皮が多すぎるぐらいだろう」
「なんだあ、お前……?」
 トゥルー・アイズの堂々とした話しぶりに、男は眉をひそめた。
 先住民たちがトゥルー・アイズに向かって、助けを請うようにわあわあと何事かを訴え始めた。
 一通り聞き終えた後、トゥルー・アイズは男に向き直る。
「平等な取引ができぬというのなら、ここで商売はしない方が良い」
「ちっ。困るのはお前たちだ。誰が、ここの出資者だと思っている」
「――何?」
 鼻白んだトゥルー・アイズの前に、フェリックスが立った。
「おいおい、穏やかにいこうぜ。ここの出資者は少なくとも、あんたじゃないだろ? フランクリンだろ」
「前はな。今は、このわし……ゴードンのものだ」
 沈黙が降り、ゴードンは踵を返して店の奥に行ってしまった。
「……出資者があいつになったなら、他の店も高騰しているかもしれない。確かめてみよう」
 トゥルー・アイズは悔しげに唇を噛み、店を出ていってしまった。

 古ぼけた天幕を通り過ぎるときに、トゥルー・アイズはふと足を止めた。
「これは……」
「どうしたんだ?」
「見ろ、この店の名前を」
 “フランクリンの交換所”とあり、それを見てフェリックスも青ざめて天幕に入っていく。ルースとジョナサンも慌てて続いた。
「おや、やあ。フェリックスにトゥルー・アイズじゃないか。久しぶり」
 ひょろりとした長躯の青年は入ってきた二人を見て、目を丸くした。
「フランクリン。いつもの店はどうしたんだ」
「ああ。――取られたんだよ。ゴードンて奴に」
 二人揃って顔を見合わせる。
「外装も内装も違ってたからわからなかったけど、お前の店だったのか! 何で取られたんだ?」
「ポーカーで、こっぴどく負けてさあ」
「まさか。負けなしポーカーで有名なお前が?」
 フェリックスがあんぐり口を開け、フランクリンは大きなため息をついた。
「俺も油断してたよ。ゴードンは、元々ぼったくりで有名な商人でさ。ポーカーは、すごく弱いって噂だったんだ。でも――どこで鍛えたのやら、この俺が負かされちまったよ」
「それで出資者の座を明け渡したというのか?」
 トゥルー・アイズがつかみかからんばかりに近づくと、フランクリンは身を引いて力なく笑った。
「ああ――。情けないことだけど。全財産賭けちまったんだから、仕方ない」
「あんな男が出資者になったら……この交易所は終わりだ」
 トゥルー・アイズはうなだれたが、すぐに顔を上げた。
「フェリックス。こうなったら、お前がポーカーで取り戻せ」
「え? 俺?」
 いきなり話を振られたフェリックスは、引きつったような笑みを浮かべる。
「師に教わったと言っていただろう」
「そうだ、お前なら奴に勝てるかもしれない!」
 フランクリンも、トゥルー・アイズに加わってフェリックスを煽ろうとした。
「うーん。まあ、自慢じゃないが結構強い方だけど。ちょっと待ってくれ、二人共」
 フェリックスは興奮した二人を落ち着かせるように、手で制してから言った。
「フランクリンでも勝てなかったゴードンは、いきなり強くなったんだよな? 多分、裏があるぞ」
「裏だと?」
 トゥルー・アイズが、眉をひそめる。
「ああ。その“裏”を突き止めない限り、おそらく俺も勝てないだろう」
 フェリックスが言い切ると、沈黙が流れた。
「どうやって突き止めるか、だが……。トゥルー、あいつに何か感じなかったか?」
「そういえば……微かな違和感を」
 そこで、トゥルー・アイズはハッとする。
「悪霊《イヴル・スピリット》……」
「ああ、俺たちで言うところの……悪魔の気配だ」
 頷き合う二人を見て、ルースとジョナサンは同時に首を傾げたのだった。

 そろそろ昼食の時間だというので、簡素な作りの食堂に入って食事を取ることにした。
「トゥルー・アイズさんも、悪魔が見えるの?」
 ジョナサンの質問に、トゥルー・アイズは眉を上げた。
「だから真実の目《トゥルー・アイズ》、って名前なんだよ。トゥルー・アイズはシャーマンだ」
 添えられたフェリックスの説明に、ルースもジョナサンもきょとんとしてしまった。
「シャーマンって……」
「精霊と交信する役目を持つ、巫者だ」
 きっぱりとトゥルー・アイズが答え、ルースは納得する。
「レネ族のシャーマンは、代々この名前を継ぐ」
 ルースは改めて、言葉を交わすフェリックスとトゥルー・アイズを見つめた。共に悪魔を見抜く力を持っている二人は、互いを兄弟と呼ぶ。
(つまり……うーん、仲間ってことかしらね)
 本人たちに聞いてみればわかる話だが、問う気になれなかった。
「だが、うっすらとした気配だったな。取り憑いているのか?」
「または、悪魔の宝物《ほうもつ》を持っているか……だな。たまに、そういう悪魔の持ち物と思われるものを持ってる奴がいるんだよ。悪魔の宝物は、願いごとを叶える代わりに代償を要求する」
「ふむ」
 トゥルー・アイズは鼻を鳴らし、堅いパンを口に含んで咀嚼した。
 そこでルースは二人の交わしている会話に違和感を覚えたが、先に質問を投じたのはジョナサンだった。
「ねえねえ、フェリックスは悪魔って言ってるけど、トゥルー・アイズさんは悪霊って言ってるよね。同じものなの?」
 トゥルー・アイズは一瞬虚を突かれたようだったが、すぐに表情を緩めた。ジョナサンに接するときは普段より表情が和らぐので、どうやら子供好きらしい。
「本質的には同じだな。だが、見え方は違うのだろう」
「見え方?」
「ああ。私はレネ族のシャーマンだ。レネ族の祖先から受け継いだ考え方をし、自然をそのように感じる。だがフェリックスは違う」
 そこでフェリックスが口を開いた。
「俺は移民の末裔だからな。どうしても聖書の教えを元に、世界を見てしまうさ。お前たちと同じように」
(そっか。あたしも熱心な信徒とは言えないけど、絶対影響受けてるものね)
 だからフェリックスは“悪魔”を見て、トゥルー・アイズは“悪霊”を見る。本来形あるものではないから、そうなるのだろう。
(あたしたちが神は一柱しかいないと当然のように信じているように、トゥルー・アイズさんはレネ族特有の考え方をするのね)
 それは、精神に染み込んだものだ。
「じゃあ、本当に悪魔の宝物を使ってるのかどうか確かめるべく、聞き込みといきますか」
 フェリックスはあくまで軽い調子は崩さずに伸びをしてから、さっと立ち上がった。