7. True Eyes

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 いつまで経っても出てこないルースとジョナサンを心配して、フェリックスは苛々と腕を組んだ。
「遅すぎる!」
「――何か、あったのかもしれないな」
 トゥルー・アイズの視線は家の中まで見通すかのように、屋敷へと向けられていた。
「もう一度、忍びこんでみる」
 痺れを切らせたフェリックスが歩き出したとき、玄関の扉が開いて少年が出てきた。
「ジョナサン」
「フェ、フェリックス……たたた、大変だよ」
 ジョナサンは動揺のあまり何度もつっかえながら、こちらに走ってきた。
「どうしたんだ」
「――お姉ちゃんが、ゴードンに捕まっちゃった。秘密を知ったからって……もし僕が秘密を言ったら、姉の命はないぞって言われて……」
 そしてジョナサンは「うわああん」と泣き出してしまった。トゥルー・アイズが屈みこんで、ジョナサンの頭を優しく撫でる。
「泣くな、少年。秘密とは、さっきフェリックスの言っていた腕輪のことか?」
「う、うん。どうしよう。聞かれてるなんて」
「――参ったな」
 フェリックスは悔しげに唇を噛んだ。
「ポーカー勝負しかないのではないか?」
「あっちに暴食の腕輪がある以上、ポーカーでは負かせない」
 トゥルー・アイズの思いつきを、フェリックスは一蹴した。
「ポーカー以外の勝負は受けないって話だから、ポーカーで絶対負けないように願ってでもいるんだろう。もし俺がいかさまをしても、ばれるような展開になるだろう」
 フェリックスは考え込み、しくしく泣いているジョナサンを困ったように見やった。
「泣くんじゃない、ジョナサン。ルースを取り戻しに行くから」
「取り戻しにって――力づくか」
「それしかないだろ?」
 フェリックスはホルスターに収まった銃に触れて、悪役さながらに微笑んだ。

 フェリックスは先ほど出てきたばかりの窓から、もう一度屋敷内に侵入した。今度はトゥルー・アイズも一緒だ。
 ジョナサンも付いていきたいと喚いたが、どうにか説得して宿での留守番を頼んだ。
「見つかれば、私たちは逮捕されるだろうな」
「嫌なこと言うなよ。大体、ルースを誘拐したのはあっちだろ」
 ひそひそ話をしながら、だだっ広い廊下を足音を殺しながら歩く。
「――隠れろ」
 トゥルー・アイズが、とっさにフェリックスの腕を引っ張る。二人は共に柱の影に隠れた。
 部屋から、ゴードンとルースが出てきたところだった。ルースは固い表情で、気丈にも顔を上げていた。
 二人は息を殺して、向こうに歩いていく二人を一旦見送った。
「腕輪はゴードンが着けているんだったな? 先に、それを奪わないと……」
「ああ。もし契約を変えたら、ルースを取り返せなくなるかもしれない」
 二人が扉の向こうに消えてから放たれたトゥルー・アイズの質問に、フェリックスは真剣な面持ちで答えた。
 ゴードンの腕からどうやって腕輪を取るか、しばしフェリックスは思案して手を打った。
「風呂に入るときぐらいは外すだろう」
「わからないぞ。そもそも、その腕輪は外れるものなのか?」
 トゥルー・アイズの指摘に、フェリックスはふと考え込む。
「それもそうか。…………そうだ。おそらく、契約不履行なら外れる。腕輪に食べさせなかったら良いんだ」
「だが、どうやって?」
 ここでもまた、考え込んでしまって、うつむいたが――
「食べ物を奪ってしまえば良いんじゃないか?」
 フェリックスはにっこり笑って、顔を上げた。

 ゴードンは捕らえた少女と共に、食事の席に着いた。
「おや、食事の支度がまだだな。おーい、まだか!」
 すると、シェフが走ってきた。
「すみません、ゴードン様。さっきまで仕込んであったものが、全て消えたのです。新たに作ろうにも、食材まで消えていて……」
「何だとお!? 一体、どうしてだ」
「わかりません。もう一度、捜してきます!」
 会話を聞きながら、ルースはひょっとしてと首を巡らせた。
(フェリックスたちかしら……)
「おい、小娘。何か心当たりがあるのか」
 じろりと睨まれてルースは首を横に振った。
「いえ、何も」
「お前も一緒に捜せ。腹が減ってたまらん」
 大きな腹をゆさゆさと揺らし、ゴードンはルースの腕をつかんだ。せっかく逃げる良い機会だと思ったのに、これでは逃げられない。
 しかし、あの昼食の量が通常だったのだとしたら、相当な食事の量だろう。そんなにも大量の食物をフェリックスたちだけで隠せるか、大いに疑問だった。
 ゴードンに連れられて屋敷中を回ったが、料理はどこにも見つからなかった。
「畜生! こうなったら、店で買ってこい! ――おい、誰かいないのか!」
 使用人もどこへ行ってしまったのか、わんわんとゴードンの声が広い屋敷にいやに響き渡る。
「どうなっているんだ。おい、娘。行くぞ」
「ど、どこへ?」
「外に決まってるだろう!」
 そこで耳障りな音が響いた。腕輪の蛇が鳴いているのだと気づき、ルースはぞっとした。
「おお、すまんすまん。もうすぐ何か食わせてやるからな」
 まるでペットに語りかけるような猫なで声で、ゴードンは腕輪を撫でた。

 交易所の店は、どこも閉まっていた。
「畜生!」
 乱暴に店の扉を叩くが、返事はない。
「そうだ。宿なら食事があるな」
 ゴードンと彼に腕をつかまれたルースは、宿屋に走る。その間も、腕輪は不快な音を立て続けていた。
 宿に入った途端に、ゴードンは声を荒らげた。
「主人! 金なら払うから、何か食い物を持ってこい!」
 だが、カウンター越しの主人はゆっくりと首を振った。
「何も、ありませんよ」
「何だと!?」
「食べ物は消えました」
「ふざけるな! チョコレートのひとかけらもない、っていうのか!」
 ゴードンが胸倉をつかんで主人を脅し始めたので、ルースは慌てて叫んだ。
「止めなさいよ!」
「黙れ小娘――」
 腕輪の鳴き声が、無視できないほどに大きく反響している。
「……そうだ」
 ふと、ゴードンはルースに目を留めた。
「食料なら、ここにあるじゃないか!」
 そして、にいっと笑ってゴードンは腕輪をはめた腕をルースに近づけた。
 痩せ細った蛇の頭が、こちらに牙を向く。
 ルースが悲鳴をあげると同時に、銃声が響いた。
「なっ……」
 手首を掠った熱さにゴードンが振り向くと、銃を構えた男が立っていた。
「フェリックス!」
 ルースは助かった、と一気に安堵を覚えた。
「ゴードン。その腕輪との契約はもう止めておけよ」
 ハッとして下を見ると、すっかり針金のように細くなってしまった腕輪が落ちており――横から伸びた手がそれを奪ってしまった。
「悪霊の持ち物を所持することは、寿命を縮めるぞ」
 一部が焼き切れた腕輪をひっくり返して眺めながら、トゥルー・アイズは「見事なものだ」と呟いた。
「あんたは契約と同時に、暴食の業を負った。人間、食べなくても死ぬけどな――食べ過ぎても死ぬんだぞ? 俺に感謝してくれよ」
 フェリックスが微笑むと、ゴードンは必死に喚いた。
「それは、わしの腕輪だ! 返さないと窃盗罪で訴えるぞ!」
「返してやるさ。教会で浄化してもらったらな。――それと、そっちが訴えるなら俺もあんたがルースを軟禁したこと訴えるけど、良いのか?」
 フェリックスの問いかけに、ゴードンは顔をひきつらせた。
「わ、わかった。必ず返せよ。高かったんだからな!」
 そしてほうぼうの体で、ゴードンは逃げ出していった。
 手に入れた腕輪を眺めて、フェリックスは微笑む。
「これであいつから、異常な幸運はなくなった。普通にポーカーをしても、勝てるはずだ」
「ふむ。それでは、フランクリンがもう一度勝負を挑めば良いんだな」
 トゥルー・アイズは呟き、フェリックスの手に収まった腕輪をちらりと見やった。既に焼き切れた部分も、元に戻っている。
「――大丈夫か」
 呆然としているルースに気づき、トゥルー・アイズが目の前で手を振ってきた。ハッとしてルースは目を瞬かせる。
「だ、大丈夫。……食べ物を隠したのって、あなたたちの仕業?」
 質問を浴びせると、フェリックスとトゥルー・アイズは、ほとんど同時に肩をすくめた。
「俺の提案だけど、使用人たちがみんな協力してくれたんだ。元々あそこはフランクリンの屋敷で、ゴードンに主人が変わって使用人も不満を覚えていたらしいな」
「ああ、それであんな短時間に隠せたのね」
 やっと納得がいって、ルースは息をついた。
「ルース、無事か?」
 今更のように尋ねられ、こくりと頷く。
「見ての通り、元気よ。どうなることかと思ったけど……」
「良かった良かった。ジョナサンが大泣きしてたから、早く行ってやれ。部屋にいるよ」
「ええ、わかったわ」
 ルースは弟に会いにいくべく、階段を駆け上がった。

 ジョナサンはルースの顔を見るなり、飛びついてきた。
「ごめんね、お姉ちゃん」
「あんたのせいじゃないわよ」
 体を離して見下ろすと、ジョナサンはにっこり笑った。
「フェリックスが、倒してくれたの?」
「ええ。倒したというか……腕輪を奪ったんだけど。下に行きましょう。あたしだけじゃ説明できないわ」
 笑いながらジョナサンの手を引こうとして、ルースはふと動きを止めた。
「ねえ、ジョナサン」
 少しだけ間を空けてから、続く言葉を口にする。
「どうしてあんたは、フェリックスが悪魔祓いだってことをあたしに隠したの? 何で、あんたは知っていたの?」
 ジョナサンは散々ためらった後に、ようやく口を開いた。
「僕は偶然……悪魔祓いするところを見たんだ。それでフェリックスに口止めされた。特に、お姉ちゃんには内緒だって。なぜかは、教えてくれなかった」
「そう、なの」
 ルースは肩の力を抜き、うつむいた。
(ジョナサンは、よく知らないのね。昔のあたしなら、知っていたんでしょうね)
 ルースは、とうとう決意した。フェリックスに、どうして自分が忘れたがったのか聞いてみようと。
 そこでルースはふと、ジョナサンが右腕をさすっていることに気づいた。
「ジョナサン? 腕、痛いの?」
「ううん。別に。行こう」
 一瞬ぎくりとした様子を見せながらも、ジョナサンはルースの手を握った。

 勝負は、翌日の夕方に行われた。
 この交易所唯一のサルーンは、いつも以上の賑わいを見せていた。久々にゴードンへの挑戦者が現れたということで、興味津々で人々が集まったのだ。
 といっても今回の挑戦者は、つい先日までの王者――フランクリンだった。
 無論、賭けるものはゴードンがフランクリンから奪った全て――出資者の権利、財産と屋敷である。
 ゴードンは明らかに青ざめながら、配られたカードを眺めていた。
(本当に、勝つんでしょうね……)
「ビッド」
「俺もビッドだ」
 どちらも、最初の一手で勝負することにしたらしい。
 先手はゴードンだった。
 カードを開くと、噂に聞いていたロイヤルストレートフラッシュは――現れなかった。
 ルールをよく知らないルースが戸惑いながらフェリックスを見上げると、フェリックスはこっそり耳打ちしてくれた。
「あれはフルハウスだ。そこまで悪い手じゃないから……フランクリンの手次第だな」
 観衆は息を飲んで、フランクリンがカードを明かす瞬間を待った。そしてフランクリンの手は――
「……ストレートフラッシュ! 挑戦者の勝ちだ!」
 人々は奇声や歓声を上げ、一斉にフランクリンにと祝いの酒を注文する。
 ゴードンは真っ青な顔を隠しもせず、逃げるようにして出ていってしまった。
「フェリックスにトゥルー・アイズ! お前たちのおかげだ!」
 フランクリンは二人に駆け寄り、観衆から渡されたビールのジョッキを押しつけた。
「ロイヤルストレートフラッシュが出なかったとき、心の中で拍手したよ! 一体、どうやったんだ?」
「そんなに、特別なことはしてないさ。ただ――まやかしの幸運を見抜いただけさ」
 フェリックスの遠まわしな言い方に、フランクリンは「はあ?」と間抜けな声を出した。
「まあ良いじゃないか。それより、いくら強いからって、ポーカーで出資者の権利を賭けたりするなよ。みんな困るんだからな」
「わかっているとも。以前のように、平等な取引が行われるように努力するよ」
 フェリックスにたしなめられ、フランクリンは真面目な顔になって頷いていた。