ニライカナイの童達

第二部

第二十三話 正体



 八重山の海で浄化もしたが、ユルは良くならなかった。
 もう学校は休んでここで休んでおいたほうがいいのではないか、とククルは提案したが「二月から、春休みに入る。それまで、後悔のないように過ごしたいんだ」と、ユルは譲らなかった。
 そう言われるとククルも強くは主張できず、ユルと共に大和に戻った。
 
 ユルの霊力はますます削れていったがどうにもできず、ククルは悔しい思いをしていた。
(私になら、わかるはずって言われたけど……)
 ククルは勉強しながら考えごとをしてしまい、首を振った。
 二月に入った。試験まで、もうすぐだ。
 ククルの行っている予備校は、最近は午前で授業が終わる。あとは受験生の自習に任せる、という方針らしい。
 といっても別に予備校に行って自習室で勉強してもいいし、行って予備校の講師に質問することもできる。
 ククルは、壁時計をちらりと見た。
 午後二時だった。
(何か、温かいものでも飲もうかな)
 席を立ち、部屋を出る。
 家のなかは、しんとしている。
 相変わらず、祥子は元気がない。
 更に受験生のククルに気を遣っているのか、最近はあまり話しかけてこない。
(淋しいけど、祥子さんにも何か考えがあるのかな)
 台所に行ってポットに水を入れ、湯を沸かす。
 カップにココアの粉を入れてお湯を注いだところで、ココアなら牛乳で作ればよかったと後悔する。
「まあ、いっか」
 ひとりごとは、いやに大きく響いた。
 ユルは大学に行っている。ちょうど試験期間で、今日で終わりだと言っていた。
(私にならわかること、って何だろ)
 ココアをすすりながら、また考えてしまう。
 なぜ、ククルにならわかるのだろう。ユルにはわからないのだろうか。
 命薬のことを知っていて、ウイに化けられるものなんて、そうそういない――。
 そこまで考えたところで、ククルはカップを落としてしまった。
 幸いカップは割れずに、転がっている。
 ククルは慌てて布巾で床を拭きながら、思いついた答えを反芻した。
(いる……。でも、なんで――そんなことに? だって、ユルはちゃんと大和で魔物退治していたじゃない)
 そこでククルは手を止める。
 ユルは使命を果たしていた。
 逆に言えば、使命を果たしていない人物がいることになる。
(使命を果たしていないのは、私だ。だから、私のせいだ。――そして、あれはユルには倒せない。だから、私が行かないと)
 ククルは拭き終えた布巾を軽く洗ってから風呂場に行き、洗濯機に放り込んだ。
 そして――凄まじい勢いで、荷造りを開始した。



 物音が響いたので、祥子はリビングに顔を出した。
 ククルが大きな鞄を持って、慌てて用意をしている。
『ククルちゃん? どこに行くの?』
「あ、祥子さん。ちょっと、すぐに行かないといけないところがあるの」
 ククルは小さな鞄からパスポートを取り出し、「よし、パスポート持った」と確認していた。
『ちょっ、パスポート!? あなた、試験近いんじゃないの!? どこに行くのよ!』
「すぐに帰ってくるから! ユルにも、心配しないでって言っておいて!」
 祥子が止める暇もなく、ククルは出ていってしまった。
 一体どうしたのかしら、と祥子は首をひねる。
 そのまま、祥子はしばらくリビングに浮遊していた。
 玄関で物音がしたので駆けつけると、ユルが靴を脱いでいるところだった。
『ユルくん、おかえり』
「ああ」
『ククルちゃん、どこかに行っちゃったの』
「は?」
『ユルくんも、知らないみたいね。どこに行ったのか』
「待て、祥子。最初から話せ」
 ユルに請われて、祥子はククルが出ていったことを話した。心配しないでという伝言も添えて。
「……旅支度をしていただと? この時期に、どうして」
『不思議よね? あと、パスポートを持っていたわ。だから外国に行くってことでしょ?』
「パスポート? ……まさか」
『ユルくん、心当たりあるの?』
「多分な」
 ユルは自室に行ってしまう。しばらくして、鞄を持って出てきた。
「祥子、情報ありがとな。ククルはきっと、連れて帰る」
『ええ。いってらっしゃい、ヒーロー!』
 親指を立ててみせると、ユルは苦笑して出ていってしまった。



 ユルが羽前事務所に入ると、伽耶がちょうど所長室から出てきたところだった。
「雨見くん。来るのが見えたわ。どうかしたの?」
「所長。ククルが、多分琉球に帰ったらしい。でも、一応確認したい。見てくれないか。あいつが今、どこにいるか」
「はいはい。部屋に入って」
 伽耶に招かれ、ユルは所長室に入る。
 座るように促されて、ユルは黒いソファに座る。
 伽耶は、ガラス張りの壁に向かって目を閉じていた。
「見えたわ。ククルさんは、ナハ空港にいるわ」
「やっぱり。所長、今から航空券の手配を頼めないか? オレもナハに行く」
 ククルはおそらく、空港で当日券を買ったのだろう。
 オフシーズンなのでククルのように当日航空券を買うこともできただろうが、もし当日券が買えなかったら大きな時間のロスになる。伽耶に頼んだほうが確実だと判断した。
「わかったわ。でも、ククルさんはどうしてナハに? もうすぐ試験だって話でしょ?」
「多分、オレの力を削いでいる原因を突き止めたんだ。どうして、ひとりで行ってしまったかは、わからない」
「なるほどね。雨見くん、今から弓削くんを呼ぶから一緒に行きなさい。今のあなたは、ひとりだと危険だわ」
「……わかった」
 ここで強がれるほど、自信はなかった。



 ククルはひとりで、ナハの町を歩いていた。
 高良のおじさんに電話して、急遽ナハにいる高良家の親戚である新垣《あらがき》家に連絡を取ってもらった。
 今晩は、そこに泊まらせてもらうことになり、ククルは挨拶に行って新垣の奥さんに荷物を預かってもらった。
 トウキョウとは比べものにならないほど、気温が高い。風が冷たくないのが、不思議だった。
 ククルが一心不乱に目指していたのは、シュリ――城《ぐすく》だった。
 門の前で、ククルは声を出す。
「出てきて」
 本質をつかんだ上で呼びかけると、あらがえなかったのか白い影が現れた。
 観光客と思しき集団が、ククルをうろんげに見て門をくぐっていく。
「ウイ」
 彼女の姿は普通のひとには見えないはずだ。
 誰に向かってしゃべっているのか、と思われているのだろう。
 ウイは微笑んで、『何か用ですか?』と応じる。
「悪趣味な擬態は止めなよ。――あなたは」
 告げる前に、ウイが背を向けて駆け出す。
「待って!」
 ククルは彼女を追いかけた。
 人通りの少ない裏道で、ウイがようやく足を止める。
『……どうぞ。ここでなら、誰にも見られないでしょう。あなたが奇異の目で見られるのは、嫌でしょうから』
 ウイ――いや、ウイの偽者の意図はよくわからなかったが、ククルはウイを見すえて声を発した。
「あなたは、ユルだね」
『…………』
「正確に言えば、ユルの影だ。魂《マブイ》でもない。ユルの霊力が分離して、形を取ったもの。どうして、そうなったかはまだ思い出せない。でも、多分――私のせい。私はきっと、琉球を離れちゃいけなかったんだね」
 ウイは否定も肯定もしなかった。
 だが、その姿が解けて、違う姿になりかわっていく。
 高貴な琉装に身を包んだ青年――ユルがそこに、たたずんでいた。
 ククルの命薬のことを知っていて、当然だ。ユルだから、知っていたのだ。
「ユル。元に戻って。分離していたら、元のユルが死んじゃう。あなたも、いずれは消えるよ。あなたは影でしかないんだから」
『それが、どうしたんだよ』
 ユルの影は、酷薄な笑みを浮かべた。
『オレは今も、どこかで死にたがっている。だからこそ、オレが生まれたんだ。オレは、オレの憎しみや悪意が凝ったものだ。あいつが見ない振りをしていた、影の部分。お前に何ができる、ククル』
「私だからこそ、あなたをなんとかできるんだよ。ユルには、できないんだもの。だって、自分を自分でどうこうできないでしょう」
 ククルは一歩近づいて、ユルに手を伸ばした。
「ユル。ごめんね。私のせいだよ。私が使命を忘れているせいで、歪みが生じたんだよね。だから、あなたが生まれてしまった」
 ククルは腕を広げて、彼を抱きしめた。
「帰ろう。今のままじゃ、辛いよ。死にたいユルがいることもたしかなんだね。そんなあなたも、私は受け入れるから……」
『お前は、何もわかっていない。オレが一番憎んでいるのは誰だ?』
 その問いに違和感を覚えたとき、ククルの腹部に激痛が走った。
 ユルは刀を手にしており、その刀がククルの腹に刺さっていたのだ。
「ぐっ……ううっ……」
 口から血が零れたとき、刀が引き抜かれた。
 白刃は、真っ赤に染まっている。
 ククルが倒れたとき、彼は笑って見下ろしてきた。
『オレが一番憎いのは、オレだ。だから、一番大切にしているものを殺してやりたかったんだ』
 そのとき、声が響いた。
「ククル!」



 ユルは目の前の光景が信じられなかった。
 なぜ、琉装に身を包んだ自分がいるのか。どうして、ククルが腹から血を流して倒れているのか。
 “自分”は、刀を構えていた。その刀が血に濡れているのを見て、ユルはぎりりと歯ぎしりする。
(まさか、ショウの生まれ変わりじゃないだろうな!?)
 いや、違う。ショウはあんな顔つきはしない。
「夜! ひとまず、僕が足止めする! ククルちゃんを!」
 弓削が札を飛ばして結界を張ってくれる。
「ああ! ククル、しっかりしろ!」
 倒れた彼女を助け起こす。
 ククルの顔は真っ白だった。
「ユル、ごめん……」
「馬鹿、喋るな!」
「ううん、伝えないといけないの。私のせいで、彼が生まれたの。私が使命を果たしていなかったせいだと、思う……。あのひとは、ユルの影なの……」
「オレの、影? ――待て。弓削、救急車を頼む!」
「了解!」
 弓削が電話している間も、自分によく似た何かは動かずこちらを見てうっすらと笑うだけだった。薄気味が悪い。
 ククルはなおも、話そうとした。
「彼は、ユルには倒せないと思った。だから、私がなんとかしようと思ったの。馬鹿だよね……。私も、間違えた、の……。私だけじゃ、だめだったんだ」
「ククル、止めろ。お前は出血しすぎてる。これ以上喋ったら、危ない」
「……話させて。ユル、あのね、私の力をあげる。……だから、それで彼を倒して。……そうしたら、あなたは助かる」
 ククルはユルの胸元に手を伸ばし、弱々しい手つきで天河の首飾りの宝石を握り込んだ。
「ごめんね……」
 そう呟いて、ククルはがくりと頭を垂れる。
「ククル! おい!」
「夜、救急車がもうすぐ来る! サイレンが近づいてきた!」
「……弓削。ククルを頼む。一緒に病院に行ってやってくれ」
「もちろん、いいけど――ひとりで大丈夫か? 夜、君は弱っているのに」
「大丈夫だ。ククルが、力をくれた」
 ユルは首飾りの宝石を見下ろす。満天の星の夜空のような宝石は、半分が琉球の海のような青に染まっていた。
 ククルの海神の力が、託されたのだ。
 救急車が着いて、救急隊員がククルを運んでいき、弓削が救急車に乗り込む。
 彼らを見送ったあと、ユルは彼と向き合った。
 彼が刀を振ると、弓削の結界が壊れた。
『――さて』
 彼はユルにそっくりな顔で、優雅に微笑んだ。
『殺し合おうか、清夜《ショウヤ》』