雪のみた夢

第一話


 蒸気機関車の煙が、鈍色の空に消えていく。
 駅に降り立った私は、手袋をしているにも関わらず氷のように冷えた手で、鞄の取っ手を握り締めた。
 リディス――ただでさえ北に位置するアーシェル王国の中でも、最北端の町である。
 鳴りそうになる歯を食いしばって、私は宿まで小走りで向かった。
「いらっしゃいませ!」
 宿の従業員と思しき娘が、箒片手に振り返る。
「ああ……。部屋は、空いているかな」
 アーシェル語はたしなんでいたものの、喋るのは久々で発音には自信がなかった。だが、無事通じたようだ。
「部屋ありますよー。何泊します?」
 娘は箒を持ったまま受付のカウンターに回り込み、帳簿を開けて私に尋ねた。
「数日間。詳しい日数は決めていない」
「それだと前金いただきますが、よろしいですか?」
「ああ。いくらだ?」
 私は娘が提示した金額を支払い、帳簿にサインを書いて手続きを終えた。
「ジュール・フィス様ね! ではでは、お部屋に案内します」
 娘は私の荷物を奪い取るようにして軽々と手に持ち、部屋へと案内してくれた。

 雪深き、北国のアーシェル。
 私はその南にある隣国、ルーデン王国の地方領主であった。
 ある時、アーシェルへ旅行に行った友人が帰って来なくなった。
 もちろんアーシェルの警察が捜索しているはずだが、一月経っても何の音沙汰もない。
 外国人失踪者の捜索はどの国もいい加減だと聞いたこともあったので、私は自分で捜すべくアーシェルへと旅立ったのだった。

 そう大きな宿でもないが、居心地の良い部屋だった。
 先ほど応対してくれた娘が夕食に呼びに来たので、私は荷物の片付けも半端なままに部屋を出た。しっかりと鍵を閉め、娘に付いて行く。
 宿泊客は私だけのようで、食堂には私しか居なかった。
 なんとも淋しいことだ、と苦笑しながらも窓の外に目をやって私は納得する。
 今の時期――冬に、アーシェルの最北端を訪れる者など酔狂以外の何者でもない。
 友人・ウェンはその“酔狂”に属していたのであるが。
 彼はいつも冬に、アーシェルを訪れていたそうだ。
 大学を出てすぐ、私は父親の領地を継ぎ、ウェンは父親の古本屋を継いだ。彼は毎年この時期になると父親に店を任せ、アーシェルへと旅立っていたのだという。
「お待たせしました」
 娘が目の前に、料理を並べてくれた。郷土料理らしく、見たことのない料理ばかりだ。海が近いせいなのか、メインは魚のようだ。
「――ありがとう。ね、君。少し聞きたいことがあるんだけど」
「はあい? 何ですかあ?」
「冬場のリディスには、有名なものがあるのかい? 観光客を引き寄せるような」
「そんなものありませんよ。この食堂見たら、わかると思いますけど」
 娘は呆れたように肩をすくめた。
「――そうか。実は、友人がこのリディスの町に毎年……冬場に訪れていたんだ。何故かな、と思ってね」
「そんなの、ご友人に聞けば良いんじゃないでしょうか」
 正直な娘だ。
「聞くことが出来れば良いんだけどね。残念ながら、彼は今行方不明なんだ。だから、来たんだけど――」
「あら、それはごめんなさい。もしかして、一カ月前に行方不明になった男性のことですか?」
「ああ、そうだ」
「警察には、もう?」
「いや、まだだ。着いたばかりだし、明日行こうと思ってね。何か知っているなら、是非教えて欲しいんだ」
 私の答えに納得したように頷き、娘は「失礼します」と断ってから椅子に座った。
「あなたのお友達は……」
「ウェン・ジットだ」
 私は若干の懐かしさを感じながら、友人の名前を口にした。
「ウェンは、この宿に泊まっていたらしいね」
 ウェンは几帳面な性格で、きちんと家族にどこに行ってどこに宿泊するかのメモを残していた。
「ええ。もしかして、荷物を引き取りに来たんですか? 荷物は警察ですよ」
「それもあるが、目的はそうじゃない。行方を知りたいんだ。ここで、何をしていたかも」
 私の質問に、娘は胡散臭そうに眉をひそめた。
 友人なのに何をしていたのかも知らないのか、という疑念が表情から伝わって来る。
「私とウェンは大学時代の友人でね。卒業してからは、なかなか会う時間が取れなくて……」
 口に出してみると、考えていたよりも言い訳めいたものにしか聞こえなかった。本当の話なのだが。
「ジットさんのご家族は?」
「年老いた両親と、体の弱い妹が一人。外国に調査に行くのは不安だと言っていた。そこで、私が買って出たわけさ」
 その回答が娘の警戒を解く鍵になったらしく、少し迷ってから彼女は小さな声で語ってくれた。
「ジットさんは、この町では有名でしたよ。毎年、何もせずに宿にこもりきりだったから。三年連続でね。四年前も来てましたけど、その時はまだ観光してましたからね……」
「――なんだって?」
 一体、ウェンはこの町で何をしていたというのだろう。
「実はですね――ウェンさんが真夜中に山に登って行くところを見たという人が居て、昨年から噂になっていたんです」
「山?」
「ええ。この町を見下ろす、リディス山です。登る人なんて滅多に居ないんですが……」
 リディス山。町と同じ名前をしたその山は、かつて一神教がこの国に広まる前の時代では、神々の一人が住まう場所の一つとされた――と、私は列車で読んだガイドブックの一文を思い出す。
 リディスは、神の名前でもあったそうだ。
「リディス山には何かあるのか?」
「何も、ないです。昔は信仰地だったから、お参りする人も居たんですけど……もう信仰は廃れたし、登るのも難しい山ですから」
「ふむ」
 ウェンには、登山の趣味はなかったはずだ。むしろ運動が苦手と言って良いあの男が、よく登る気になったものだ。
 しかも真夜中の登山とは――危険すぎはしないか。
「あ、神殿があるといえばありますけど。今じゃ誰も参らない神殿ですよ」
「神殿か――。そういえば、それもガイドブックに載っていたな」
 リディスは山自体が女神として信仰されていた。神殿は山の女神を祀るものだったという。
「もしかして、ここに訪れると毎年山に登っていた?」
「そうなんじゃないでしょうか。だって、他は宿にこもりきりでしたし。夜に活動していたのだとしたら、納得なんです。目撃証言自体が初めて出たのは、去年でしたけど……」
 私は思わず舌打ちしそうになった。
 警察が熱心に動かないはずだ。
 正直、死んだのかと覚悟していたが――案外生きているのではないだろうか。
「それが、三年続いてたと?」
「ええ。私が知っているのは、これぐらいです。あとは警察に行った方が」
「……そうだな、ありがとう」
「いえ。それでは失礼致します」
 ぺこりと頭を下げて、娘は行ってしまった。
 私は、少し冷えてしまったパイの包み焼きの表面をさくりとスプーンで割り、友を想って目を閉じたのだった。

 夢を、見た。
 まだ私達が大学に居て、食堂で談笑する――ひどく懐かしい夢を。
 穏やかな風貌をした黒髪の青年は、夢の中とは思えぬほどはっきりとした存在感をもって微笑んでいた。

 浅い夢は散じて、私は目を覚ます。
 起き上がり、私は闇を見つめた。
 そういえば、大学の食堂で――私達はよく喋っていた。学問のこと、憂うべき将来のこと、その他たわいないこと――。
 私も歴史に興味があるからこそ歴史学科に入ったのだが、ウェンは私の興味など遥かに凌駕した熱心さを持って入学した男だった。
 そして情熱のままに、ウェンは家業を継ぐのではなく歴史学者を目指していたはずだった。だがある時、教授に手酷く論文を評されて――その道を諦めたのだと聞いた。
 ふと、ウェンが気になることを言っていた時の会話を思い出し、私は回想に浸った。

 あれは卒業を間近に控えた、冬のことだった。
「……また教授に突っぱねられたって? 一体、どんな論文を書いたんだよ、ウェン」
「ははは――それは秘密だ。ああ、僕には才能がない。歴史学者になるのは諦めるよ」
 眼鏡を外して、彼は片手で目を覆う。ああ、軽い口調だが相当落ち込んでいるのだと私はその動作で悟った。だからこそ、わざと明るい声を出して励ましてやる。
「そんなことを言うな。教授の鼻を明かしてやれ」
「自信がないなあ」
「冬休み、論文執筆合宿でもするか?」
「いや――冬休みにはちょっと遠出しようと思うんだ」
 思い出したように、ウェンは言った。
「遠出? どこに行くんだ?」
「ちょっとね」
 笑顔で曖昧に濁して、ウェンは答えなかった。
 その時、私は深くは追求しなかった。言いたくない理由でもあるのだろうと察して、話題を変えたのだった。
 ウェンと私は仲が良かったし、親友だと思っていた。だが互いに言いたくないことは言わないで、追及もしないのが暗黙の了解となっていた。
 何でも言い合うのが親友だ、と父などは断言していたが私はそうは思わない。それは、人によるだろう。
 ともかく、私はその時はどこに行くのか聞かなかったのだが――

 会話の回想を終え、私は顎に手を当てて考え込む。
 そうだ。あれは……四年前だった。四年前は普通に観光していたと、宿の娘は言っていたが……そしてそこで何かを見付け、山に登り始めたのか?
 思考に没頭していた私は、ふと気配を感じて窓の方を向いた。
 静かにベッドから降り、窓に近寄る。
 ここは二階だ。人など誰も居ないだろうとは思っていたが、猫すら居なかった。
「猫も寒くてうろつけないか……」
 何せ、外は吹雪だ。ひゅおお、と風の鳴き声が窓越しにも聞こえる。雪が横殴りで降っていて、外はいかにも寒そうだった。
 きっと気のせいだろうと見当を付け、私はベッドに戻る。
 もっと考えるつもりだったのに、旅の疲れのせいか私はまた眠りの世界に引きずり込まれてしまったのだった。

 翌日、朝食後すぐに私は警察に向かった。
 リディスは決して大きな町ではない。そのせいか、警官も三人しか居なかった。
「ウェン・ジット? ああ……捜してはいるが、一向に見付からんな。おそらく山で遭難したんだろうと思うが」
 警察も、ウェンが山に登ったという情報は当然掴んでいるらしかった。
「警察は、山には登ったのか?」
「いや、あそこは今の時期立ち入り禁止でな。領主様の許可が居る。捜索のために許可を取りに行ったんだが、許可は下りなかった」
「何だと……?」
 警察といえど、領主の権力には適わないらしい。
 私の母国ではずかずかと領主の館にまで捜査に入って来るが、この国では領主の権力が強いのだろう。
 似ているようで違うところを目の当たりにして、私は異国に居るのだと改めて自覚する。
「おいっ!」
 私は思わず警官の胸倉を掴みそうになって、慌てて留まった。だがしかし、語気に滲む怒りは隠せない。
「それでは、どう考えても領主が怪しいだろう! 山で行方不明になっているのは確定なのに、領主は山に登る許可を与えない――素人の私でも、考えてわかるぞ!」
 警官三人は顔を見合わせ、肩をすくめた。
 わかっては、いるのだろう。これ以上は時間の無駄のようだ。
「ならば、ウェンの荷物を引き取ろう。家族の許可書類はこちらだ」
 ウェンの両親が書いてくれた委託書を差し出すと、警官はその委託書を一瞥してからウェンの鞄を持って来た。
「――邪魔したな」
 その黒い鞄を携え、私は扉を蹴破るようにして警察署を出た。

 一旦宿に帰って、荷物の中身を確かめる。入っていたのは着替えや旅の共に持って来たと思しき本が数冊――それにリディス語の辞書だった。あとは細々とした日用品だ。
「うん?」
 本の一冊に、アーシェル王国の伝承をまとめた本が入っていた。こんなにも重い本を持って歩くとは酔狂な奴だ。
 私はその本をめくって、リディスの項目を見付けた。
『真白き女神リディスは山に眠る。その美しき姿は人の目を焼き、心を惑わす』
 リディスに関するものは、その女神の伝説しか含まれていなかった。
「……登るしかないな」
 領主が拒んだことからしても、山に何かしらあることは確かだ。
 警察は頼りにならない。
 許可など知るか、と毒づいて私は町で山に詳しいガイドを捜すことにした。

 宿の主人に山を案内してくれるようなガイドが居るかどうか聞くと、すぐに教えてくれた。町はずれに住んでいる、ルイという老人が山に詳しいという。
 私は昼食を取った後、ルイを訪れた。
「今は登山に向かないぞ。それに、領主様の許可を取らないと」
「領主は許可を下ろさないだろうから、勝手に登る。別に番人が居るわけでもないんだろう?」
「まあ、そうなんだが……」
 渋る老人に金貨を五枚ほど渡すと、表情が変わった。
「お、おお! これ全部くれるのかい?」
「無事に戻って来たら、もう五枚やろう」
「おっしゃ! 交渉成立だ!」
 金に目のくらむ男で助かった。
「……あなたはずっと、山のガイドをしているのか?」
 ふと、私は思いついたことを尋ねた。
「ん? まあ、そうだがね。何だい?」
「いや。ウェン・ジットという男に心当たりはないかと思って」
「ああ、あの人か――。四年前に山を案内したよ。あんたと同じく、領主様の許可を取らずに登った」
「ほう。そこで何をしたんだ?」
 間違いない。四年前にウェンは何かを見付けたのだ。
「何も。少なくともわしは何も見なかった」
「――そうか」
 期待していた答えではなかったので、思わず肩を落としそうになる。ウェンはガイドに気付かれず、何かを発見したのだろうか?

 峻厳な山道と、町で買った厚手のコートでも防げない寒さに、めげそうになる。
 だが、ここで諦めるわけにはいかなかった。
「だ、大丈夫かーい!」
「ああ!」
 風が強くて、叫ばないと聞こえない。まだこれでも穏やかな日だというのだから、恐れ入る。
 しばらく登ったところで、ルイが声をあげた。
「おや、あそこは――」
 ガイドのルイが指差したのは、石造りの小さな家だった。いや、家に見えるが人の住む家ではないだろう。リディス山にある建造物は、たった一つだ。
「神殿か……」
 呟き、私は神殿に近付いた。
「お、おいあんた! そこに入っちゃだめだよ!」
「そうも言ってられない」
 ルイが止めて来たが、それでも私が進み続けると諦めたらしく「しょうがない」と呟いていた。
 私とルイは、吹き荒ぶ風から逃れるようにして神殿の扉を開いた。
 信じられないことに、ベッドがあり日用品があり――どう見ても、誰かが暮らしていそうだった。
「どうなっている? ここは神殿ではないのか……?」
「神殿だよ。わしも入るのは初めてだが……」
「暖炉まであるのか」
 私は暖炉に近付き、中を覗き込んだ。中に入っていた焼き焦げた薪に、そっと触れる。冷たかった。
 ウェンが、ここで寝泊りをした……? 宿にこもりきりだと言っていたが、もしかして宿の部屋に居なかったのではないだろうか。
 だが、疑問が残る。
 広々とした室内に並べられたベッドは三つ。絨毯の上に置かれた寝袋も在った。
 ここにウェンが来ていたのだとしても、一人ではなかったのだ。誰かを、訪れていた?
「この山に誰か暮らしているのか?」
「まさか。誰もこんな厳しいところで暮らしたがらないし、そもそも住んじゃいけない土地だ」
「だろうな」
 私は頷き、歩き回った。ベッドの下を覗きこんだり、布団をめくったりして何かないか確かめる。
 すると、寝袋を調べた時に私は小さな本が中に在ることを発見した。すぐさま取り出し、本を開く。
「……ウェンの、字だ」
 しかもルーデンの古語で書かれている。これは、一体何だ?
 そこで私は、視線を感じた。ルイではない。
 硝子の嵌めこまれた窓から、誰かが覗いたのだろうか。私は慎重に窓に近付き様子を伺ったが、誰も居なかった。
「外に誰か居ないか、確かめてくれないか?」
 ルイに頼むと、彼は扉を開いて外を見渡した。
「誰も居ないよ」
「そうか」
 杞憂だったようだ。そこで私は奥の壁に設えられた、裏口と思しき小さな扉に気付いた。
 予感が、あったのかもしれない。
 裏口から抜け出した瞬間、私は悲鳴をあげそうになった。
 雪に半ば埋もれて、男が倒れていた。
「ウェン……」
 無論、息などしていなかった。