雪のみた夢

第四話



 馬車が向かったのは、都の郊外だった。
 随分と中心部から離れた場所だ。どこかの貴族の別荘というところだろう。
 馬車が停まるなり、私はエーリの腕を掴んで馬車から飛び出した。
 屋敷の扉を蹴破るようにして開けると、執事らしき老年の男性が私達に歩み寄って来た。
「失礼ですが……御招待客ですかな?」
「ああ」
 私は、先ほどバーテンダーから買い上げた偽の招待状を突き付けた。
「そうですか……。おかしいな、もう聞いていた人数は入ったというのに。――こちらへ、どうぞ」
 ぶつぶつ呟きながら、執事は私達を案内した。
 執事が会場の扉を開けるなり、凄まじい喧騒に圧倒された。
 ――なんという、人数だ。
 世界中から貴族が集まった、というのは大言ではなかったようだ。
 異種を買おうとする人間がこんなに居るのか、と思うだけで反吐が出た。
 私はエーリの手を握り締め、一歩ずつ中へと進んだ。
 客達は皆、立っている。闇オークションだからなのか、誰もがヴェールをかぶっていた。実に不気味な光景だ。
 そして私は客達が視線を注ぐ舞台を見て、ハッとした。
 巨大な鳥籠に入れられた、雪のごとく白い肌の女が……同じく白い肌の少女を抱きかかえている。二人共、髪は青みを帯びた銀だった。
 間違いなく、エーリの血縁だ。
「それでは、本日の目玉! 異種の母と娘です!」
 わっと会場が湧いて、次々と値段を告げる声が飛び交った。
 呆然としている場合ではない。
 私は剣をそっと抜き放ち、ゆっくりと舞台に進んだ。
 しかしその時、私は異常に気付いた。
 舞台上の母親が、急に青ざめ騒ぎ出したのだ。客達も、何事かといぶかしんだようで一旦競りが止まる。
 悲痛な声と、嗚咽で――私は気付いた。
 エーリの妹が……亡くなってしまったのではないかと。
 当然、予想されることだった。一カ月も山から離れてしまったのだ。
 隣のエーリを見やると、愕然とした顔で口を開け――叫んだ。
 私は咄嗟に、耳を抑えた。高音の叫び声は、耳をつんざきそうだった。そう感じたのは、私だけではないらしく周りの客達も耳を抑えて呻いている。
「エーリ……! 止めろ……!」
 おそらく異種の、不思議な力とやらだろう。これではエーリが異種と気付かれてしまう。
 しかもエーリは、開けた口から昏々と血を流していた。
 ――この行為は、エーリにとって凄まじい負担なのだ。
 気付いた私は、血を流しそうなほどの耳の痛みを堪えてエーリを揺さぶった。
 ようやく、エーリは声を止める。
「エーリ……」
「ごめん、なさい」
 そしてエーリは我に返ったらしく、周りの視線に気付いたようだ。
 じりじりと、客達が私達を取り囲む。
「退け。その喉、かっ切るぞ」
 私が剣を一人の喉に当てたが、彼は慌てる様子もなかった。
 それはそうだろう。こっちの方が、何倍も不利だ。
 その時、先ほどエーリが発したものと同じような声が響いた。
 空をつんざくような、高い声。だが、それは私には効かなかった。エーリも、同様だ。
 私達は、取り囲んでいた貴族達が頭や耳を抑えて倒れる光景に戸惑った。そして開けた視界で、鳥籠の中の女性が口から血を流していることに気付いた。
 私はエーリの腕を引き、舞台へと走った。
 舞台の司会者と思しき男も倒れており、この時、平然としていたのは私達だけだった。
「助けに来た! その娘は――」
 私は鳥籠の南京錠を壊そうと剣で叩きながら、改めて娘の方を見た。
「もう、だめです。この子は死んでしまった……」
 涙を流し、エーリの母親は嘆いた。
「くそっ!」
 悪態を吐いたと同時に、鍵がようやく壊れてくれた。
 娘を抱いて鳥籠から出て来る母親に手を貸し、私はまじまじと彼女を見た。
 口から流れる血は、まだ止まっていない。
「あなたは、大丈夫か?」
「……大丈夫、ではないわね。あの声は強力だけど、命を縮めるから。エーリ……あなたはもう二度と、使っちゃだめよ」
 母親に諭され、エーリはこくりと頷いた。
「あなたがまだ、子供で良かった。作用する力が少ない分、削られるものも少ないわ」
 そこで私は気付いた。
「まさか、あなたはさっきので……。いや、待ってくれ。話している暇はない。彼らが倒れている内に、行こう!」
 私は母親から娘の亡骸を受け取り、舞台から飛び降りて先頭を走った。その後ろを、エーリと彼に手を引かれた母親が続く。
 どうか、私達が出るまで誰も目覚めないでくれ――。
 だが祈りは空しく、私達が会場の真ん中に来たところで一斉に皆が起き上がった。
 そうして、エーリの母はまたあの声を発した。
 また倒れる人々の中、エーリの母はどくどくと血を吐く。
「ジュールさん。お母さんを運んであげて! 僕がミシアを運ぶから!」
 エーリの言うことに従って、私はミシアという名前だと今知った少女をエーリに渡し、代わりに母親を抱きかかえた。大人の体重とは思えないぐらい、軽かった。
「ごめんなさいね……」
「気にしないでくれ。行くぞ!」
 私は檄を飛ばしてもう一度走り出した。今度は馬車に乗り込むまで、誰も追って来なかった。

 一刻も早くリディスに帰りたいところだったが、異種とばれては列車には乗れない。
 私はエーリと母親と妹を、一旦宿屋に隠した。そして近くの店で適当に服などを買う。
 母親にフード付きのローブを着て、その髪と顔を隠すように告げた。
 シャリアと名乗ったエーリの母親は、私の言うことに文句ひとつ言わずに従ってくれた。
「医者に見せるわけにもいかないしな……。辛抱出来るか?」
「大丈夫。リディスに帰れば――この身は、癒されるでしょう。故郷の自然が一番、効きますから」
「わかった。じゃあ、行こう」
「うん。ミシアは、僕が運ぶね」
 エーリは先ほど買った毛布で妹の体を包み込み、「間に合わなくてごめんね」と囁き――抱き上げた。

 駅にて列車の切符を買ったは良いが、ホームで駅員が待ちうけていた。
「悪いけど、一人一人検査させてもらうよ。先ほど使者が知らせに来たんだが、貴族様の使用人が逃げたそうだ。かなり時間が掛かるだろうから、もうすぐ発車するこの列車は諦めて、次のに乗ってくれ」
 不満そうな人々に混じり、私は青ざめた。
 貴族の使用人が逃げただけで、駅員に捜索させるはずがない。本当は、異種を見付けろという指示が出ているはずだ。
 帽子やフードを外せば、エーリもシャリアも簡単に異種だとばれてしまう。
 どうすれば良いのか、と考えたところでシャリアが一歩進み出た。
「だめだ、止めろ! また命が削れるぞ」
「構いません。どうせもう、僅かです……。それよりも、このままではエーリまで捕まってしまうでしょう」
 そしてシャリアは顔を上げ、その美しさに驚く人々の耳を切り裂くような声をあげた。
 人々がばたばたと倒れる。発車ベルが鳴り響く中、私は崩れ落ちるシャリアを抱きかかえて列車に乗り込んだ。
 すぐに個室席に入って、シャリアを下のベッドに寝かせる。口から流れる血は止まることなく、枕を濡らしている。
「……ミシアを、抱かせて」
 母親の願いに従い、エーリは彼女の上に命を失くした少女を横たえた。彼女はしっかりと、娘を胸に抱く。
「……気分は」
 問うと、シャリアは薄青い目を開いた。
「そろそろ、限界のようです……」
 堪え切れず、エーリが泣き出した。しがみつく息子の頭を撫でながら、シャリアは私を見上げた。
「ありがとう。ウェンさんのご友人……」
「いや。かえって、すまないことをした……」
 いくら急いでいたからといって、無計画すぎた。結果、こうしてシャリアの命を削ることになってしまった――。
「謝らないで。良いのです、これで。私は貴族に買われずに済んだ……。リディスの山に帰れる」
 うわごとのように呟いて、シャリアは尚も続けた。
「ウェンさんのことは……本当に、申し訳ありません」
「それこそ、あなたが謝ることじゃないだろう」
「いえ。私があの時、“死の声”を使うことが出来ればウェンさんは助かったかもしれない……。サルヴィスの領主は、異種の“死の声”を知っていたようです。エーリはウェンさんのおかげで逃げられましたが、襲撃の際に私と娘は真っ先に昏倒させられたのです。あまりにも突然で、気が付いた時にはもう……領主に捕らわれていました。口元は固く、猿ぐつわを噛まされて手も足も縛られていました」
「領主が知っていた? いや待てよ。それはそうだろうな。何せ、あなた方が地下牢に捕らわれていた時……その声が使えたならば逃げだせたかもしれない」
「はい――。異種の恐るべき能力として、一部の貴族間に知られていたそうなのです。かつて異種が、抵抗として使った証でしょう……」
「しかしそれならどうして、オークションの時は外されていたんだ?」
「サルヴィス領主は知っていても、あのオークションの主催者は知らなかったのでしょう。見栄えが悪いと言って、縄などは全て外され鳥籠に入れられました。しばらくは憔悴のあまり、何も出来ませんでした。そして――気が付けば舞台に居て……娘が死んだのです」
 シャリアは苦しげに顔を歪め、変わり果てた娘の背中を何度も何度もさすっていた。
 しかし“死の声”とは言いえて妙である。あの声を浴びた人は死なずに気絶するだけのようだが、使った本人はこうして――死に近付く。“死の声”の死とはすなわち、異種の死を表すのだ。
 怒りも憎しみも覚えず、強力な力は自らの命を削る。――なんと儚い、種族であろうか。
「エーリは、子供なので力の使い方はよくわからなかったはずです。だから、あなたにも作用してしまいましたね……申し訳ありません。使い方をちゃんと覚えれば、意識して特定の人に作用させないようにすることも出来るのですが――」
「謝るのは止めてくれ」
 私が首を振った時、シャリアはごほごほと咳き込んだ。
「お母さん!」
「……エーリ。ごめんなさいね。一人きりに、させてしまうわね……」
 涙を流すシャリアは、エーリの頬に手を当て哀しげに囁いた。
「一人きりには、ならない」
 私は力強く告げた。
「ウェンの友人として、彼に代わってエーリの面倒を見よう。だから安心してほしい」
 エーリの面倒を見ること――それは、ウェンに対しての弔いにもなるだろう。
 ウェンはきっと、心痛めたはずだ。自分が訪れるようになったため、領主に露見してしまったのだから。
「ウェンのことは、どうか恨まないでやってくれ」
 私の懇願にも似た願いに、シャリアは微笑んだ。
「いいえ――恨むものですか。ウェンさんは、たくさんの幸せをくれましたもの」
 シャリアは己の血で濡れた、真っ赤な唇を笑みの形にした。
「エーリを、お願いします……」
「ああ、もちろんだ」
「あり、がとう……。ウェンさんとミシアとは、天の国でまた会えるでしょう……」
 ふっ、と灯が消えるようにシャリアの目から光が失われた。
 母の亡骸にすがって、いっそうひどく泣き叫ぶエーリが見ていられなくて。私は目を閉じ、涙を堪えた。

 シャリアとミシアの体を毛布で包みこみ、私達は彼女達を抱いてリディスの駅に降り立った。
 そして休むこともなく、暮れゆく日の中、リディス山に登った。
 シャリアとミシアの遺体は、異種の伝統に従って雪に埋めた。
 異種の遺体は骨も肉も、自然――大地や雪に解けるようにして消えていくのだという。
 本当に雪ような種族だ、と思いながら私はエーリと共に母と娘を弔った。

 七日後。私はようやくリディスを発ち、故郷の領地へと舞い戻った。
 そして迎えた老執事は、帰った私を見るなりかんかんに怒って来た。
「お嬢様――! 何ですか、あの電報は! 山を買うなんて正気ですか!? しかも異国の!」
「私はいたって正気だ。ところでディン。私はもう“お嬢様”ではないぞ」
「これは失礼致しました。つい昔の癖で――。って、そんなことはどうでも良いのです! どうして山など買ったのですか!」
「話すには長くてな」
「しかも山の管理のために、幾人か雇ったとか……」
「それも話すには……」
「領主様!」
 怒鳴られ、私は肩をすくめた。
「わかったわかった。あとでゆっくり話すから、とりあえず家に入れてくれ。私は疲れているんだ」
 ディンの横をすり抜け、私は追いすがる「お嬢様! ……いや領主様!」という声を無視して自室にまで直行する。
 懐かしい書斎の内側に入り、ようやく人心地つく。
「さて、どう説明するかな」
 嘘は止めておいた方が良いだろう。青くなったり赤くなったりはするだろうが、ディンも認めてくれるはずだ。
 そう。私はリディス山を、サルヴィス領主から買い上げたのだ。
 闇オークションのことを王に進言されたくなければとっとと売れ、と半ば脅して――しかしもちろん少なくはない金をもって、リディス山はフィス領の飛び地となったのだった。アーシェル王やルーデン王の許可も、ちゃんと取り付けてある。
 理由はもちろん、あそこでしか暮らせない少年が居るからである。あのままでは、サルヴィス領主はエーリをもさらうだろう。
 私の屋敷で保護したいところだったが、エーリは子供で長くは故郷の山から離れられない。
 そこで思いついた妙案が――山の買い取りだったわけだ。
 それだけでは不安なので傭兵を雇い、山の入り口の警備を頼んだ。表立っては私の離れ領地だから兵士を置いているとでも、町人は思ってくれるはずだ。
 もちろんまた、リディスを近々訪れる予定だった。
 私はずっと懐に忍ばせていた、ウェンの形見でもある黒い手記を取り出した。
「……お前の研究は、私が引き継いでみせる……」
 友人が為し得なかった夢を、叶えてみせる。彼が命懸けで守ろうとした家族の、たった一人の生き残りと共に。
 だからウェンよ、見守っておくれ。
 あの厳しい雪山に一人ぼっちになってしまった、あの少年を――。
 彼は母を想い、妹を想い、友人を想い、泣いているのだろうか。
 胸が締め付けられる思いで、私は目を伏せた。
 だが、私はすぐに顔を上げる。
 感傷に浸っている暇はない。やるべきことはたくさんある。
 早く終わらせて、リディス山を訪れなくては。そしてその時には、土産にたくさんの飴玉を持っていってやろう。

(了)


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