青い鳥と黒い鳥――Ubrall sonst die Raserei. さてそのほかはみな 狂気の沙汰
藍の鳥族の男は、成年式の際に青い翼を象った紋様の刺青を施される。これこそが古来より伝わる、大人になるための通過儀礼だった。
刺青を入れる際には想像を絶する痛みを伴うという。しかし施術中に声をあげることは許されない。歯を食いしばり、耐え抜いた者だけが完全なる翼を得る。
もし途中で呻けば、翼が完成しないまま刺青は中止される。半端な翼しか持たない男は、一生人々から嘲笑される運命だ。
「理不尽だよね。男だけこんな痛い思いしてさ」
フェンは、リリオに笑い掛けた。
「その代わり、殿方は特権を得ていますよ?」
たとえば、リリオのこの口調。藍の鳥族において、女は男に敬語を使うべきとされているのだ。
「まあ、そうなんだけど」
リリオはフェンの後ろに回り、まだ刻まれて日が浅い翼の刻印に触れた。南の部族は肌が浅黒いか赤銅色の者が多いが、フェンの肌は少しだけ色が薄かった。
そんな肌に浮かぶ青い翼は、幻のように美しかった。フェンの髪の青とよく似た色合いだ。
髪に触れようとした手を、振り返ったフェンが取る。
「でもさ。天幕で二人きりの時は、敬語を使う必要はないよ。僕の奥さん?」
代わりに、フェンがリリオの長い髪にそっと触れる。リリオの髪は青よりも黒に近かったが、フェンはいつもその色を褒めてくれた。
「――でも」
戸惑って見上げると、フェンは苦い笑みを浮かべた。
「仕方ないか。僕らはまだ結婚してから日が浅い。少し堅苦しいくらいでちょうど良いかもしれない」
よくわからないことを言って、フェンはリリオの髪に口づける。
思い出されるは、祭りの夜。成年式を終えた後、少年から男へと変わる年頃の者が花嫁を選ぶ日――。
藍の鳥族では、結婚できる年になるまで女は"女の村"から一切出ない。乳離れしたと同時に女の赤子は親元から離され、女の村で皆の手によって育てられる。
皆の世話役となる老婆達以外は、皆少女だった。
少女達は年が十五を越えたら祭りに出る。そこで、女は男に花嫁として選ばれるのである。
女の村での生活は女の子ばかりでとても楽しく、友達からは離れ難かった。だからこそ、花嫁として選ばれませんようにと願いながらリリオは初めての祭りに出た。
大きな篝火の周りに、少女達は手をつないで立った。
泣いていた、と思う。突き刺さる男達や大人の女達の視線が怖くて、皆から離れるのが怖くて泣いていたように思う。
ふと影が差し、リリオは顔を上げた。目の前に立つ優しげな少年は、少し困った顔をしていた。
――どうして泣いているか、聞いても良いかな。
リリオは涙のたまった目で、少年を見上げた。
黙って首を横に振ったリリオの髪に、フェンの手が触れた。
――ならば、君を選んでも良いだろうか。
――選びの理由は。
女は、選んだ男に対して理由を問うことが出来た。その答えに納得が行かなければ、突っ張ねることも可能であった。選ぶ権利は男にもあるが、最終決定権はその実、女のものなのだ。
――君の、笑った顔が見たいと思ったから。
そうして髪に口づけられる。
自分でも意識しないまま、リリオは頷いて承諾の返事をしていたのだった。
ある日リリオは狩りへと向かうフェンを送り出した後、女の村へと向かった。
大人になって夫と暮らすようになってからも、女の村へ行くことはある。それは、月に一度の話し合いが行われる時だ。
「リリオ!」
ゆっくりと歩くリリオに、後ろから声を掛けて来たのは、昔から大の仲良しだったアーマだ。
「元気にやってる?」
「ええ。あなたは?」
「まあまあよ。旦那と喧嘩ばっかり」
アーマは昔から、喧嘩っ早い性格だった。しかし文句は言いつつも、アーマは幸せそうに見えた。
「あんたのところの旦那は優しそうだから、喧嘩なんてしないんじゃない?」
「……そうね」
結婚してからもう三月発つが、一度も口論したことはなかった。それというのも、フェンもリリオも争いごとが嫌いだからだ。自分達は似た者同士なのかもしれない、とリリオは思う。
「リリオ。ちんたら歩いてたら、遅れて婆さん達にどやされるわよ」
アーマに促され、リリオは慌てて足を速めたのだった。
話し合いの議題に、女達は一様に息を呑んだ。
「北からの異民族ですって!?」
アーマが悲鳴にも似た声をあげる。
「ああ。隣の部族――白の獅子族は既に何回か襲撃を受けているらしい。異民族は、白い肌をした獰猛な者達で戦に長けているという噂だ」
女長老である老婆の説明を聞き、女達は恐ろしげに各々顔を見合わせた。
「白の獅子族がどれだけ持ちこたえるかで、私達の運命も変わる」
白の獅子族は、藍の鳥族達よりも北方に住んでいる。彼らが敗れれば、異民族は自分達に攻め込んで来るだろう。
「もっとも、獅子達は戦いから逃げるかもしれない。そうなると我らの戦は近くなる。元々、獅子族の土地に獲物が少なくなって来たため、北へ侵入したのが北の異民族との諍いのきっかけだったらしい」
女達の間から、不満の声が漏れた。今は友好部族であったが、昔は戦いもした仲である白の獅子族のせいで異民族が動き出したと聞いては、黙っていられないのだろう。
「月一回の話し合いを、三日に一度にする。今日のところは皆、帰りなさい」
女長老に促され、女達はひそひそ喋りながら歩き出した。
リリオは残っていた。それというのも、アーマが帰ろうとしなかったからだ。
「どうしたんだい、アーマ」
女長老は真剣な顔のアーマを見て、首を傾げる。
「長様。私、聞いたんです。女も、翼を得ることが出来るって」
「……アーマ? 何を言ってるの。成年式で刺青をするのは、男だけよ?」
当然のことなのにどうして今更、と疑問に思いながらリリオはアーマの肩に手を置く。
しかし、女長老は笑い飛ばしもせずに眉をひそめた。
「一体それを、誰から聞いた? ティワか?」
ティワとは、アーマの夫の名前だった。
「ティワとその友人が話すのを聞きました。戦の際、敗色が濃厚になれば伝説の黒い鳥を起こすことも必要かもしれないと」
アーマの言っていることがさっぱりわからなくて、リリオは女長老とアーマの顔を交互に見比べた。
「――やれやれ。では、お前達が馬鹿なことをしないためにも、話しておこうか。元々私達の祖先が、藍の鳥の前は何だったか知っているか?」
「青い鳥と黒い鳥でしょう?」
リリオは何も悩むことなく口を開いた。
小さい頃からよく聞かされた神話だ。青い鳥は秩序と理性の鳥。黒い鳥は混沌と狂気の鳥。
青い鳥は黒い鳥を倒して自らの内に取り込み、深い青の――藍の鳥へと姿を変えたという。
「そうだ。私達には二つの血が流れている。青い血と黒い血だ。男は成年式の際に青い翼の刺青を刻み、青い血を起こすのだ」
女長老は、淡々と語り続けた。
「どういうわけか、一族の女には黒い血が濃く流れている。男のように翼を刻みこまなくても、黒い血は常に起きている」
青い鳥は戦いの鳥で、黒い鳥は呪術の鳥でもある。確かに女達は何もしなくても呪術が使えた。簡単な怪我を癒すことや、未来の天候を読み取ることが出来た。
「だからその意味では、刻まずとも女は黒い翼を得ているのだ。だがしかし、アーマが言ったのは……」
常に冷静沈着な女長老も、なかなか言い出せないのか何度もためらってからとうとう言った。
「完全なる、黒い鳥の覚醒だろう。これは私達女には全く知らされていないことだが――男達は、女に眠る黒い鳥を完全に起こす術を知っているらしい」
「それを戦に使うってこと?」
アーマが噛みつくように問うた。
「……そうでないと良いが。"もし世界が滅んでも良いと思ったなら、黒い鳥を起こせ"という言葉が伝えられているくらいだ。起こす時が来てはならないのだ」
世界が滅んでも良いと思った時――。
不可思議な不安に駆られ、リリオとアーマは顔を見合わせたのだった。
その日、帰って来たフェンにリリオは開口一番こう聞いた。
「あなたは、黒い鳥を起こす方法を知っているのですか?」
フェンの絶句が答えだった。
「誰に聞いたんだい?」
「女長老から」
「よく、そんなこと話してくれたね」
フェンはため息をつき、敷布の上に座った。
「アーマが聞いたの。ティワと友達の会話を盗み聞きしたからって」
言いながらも、リリオはわかっていた。ティワと話していた友達というのは、おそらくフェンのことだろうと。二人は親友だし、アーマが"友達"の名前を言わなかったのもリリオを気遣ってのことなのだ。
「そう……。確かに、大人の男ならみんな知っているよ。完全な翼を得た者ならね。青い翼を得た者ではないと、黒い鳥を目覚めさせることが出来ない」
フェンは好奇心に輝くリリオの目を見て、哀しそうに首を振った。
「聞かなかったのかい? 世界を滅ぼしても良いなら目覚めさせて構わない、と――」
「聞きました。でも、それは本当?」
恐ろしい力だと皆が言うが、そんな力が自分の中にもあるのかと思うと、ぞっとすると同時にどこか高揚するのだ。
「ティワにも言った。馬鹿なことを考えるな、と。もうこの話は終わりだ」
フェンは、普段からは想像もつかないような堅い声を出した。
――怒ったのだ。
謝ろうとしたが、彼はさっさと天幕から出て行ってしまった。
しばらく待っても帰って来ないので、とうとうリリオはのろのろと腰を上げた。
向かった先は、アーマの住居だった。
天幕の前で、腕を組んで立っている彼女の夫を目に留めると、思わずリリオは足を止めてしまった。
「ああ、リリオか。どうしたんだ?」
厳しい表情を緩め、ティワはリリオに一歩近付く。体が大きく強面だから誤解されがちだが、ティワは案外優しい性格をしている。
どうやら、フェンはここには来ていないらしい。
「アーマに会いに来たのか?」
本当は違ったが、リリオは頷いた。アーマに相談するのも手だと思ったのだ。
「あいつなら、中でへそを曲げてるよ」
「喧嘩したんですか?」
「まあな。――黒い鳥のこと、アーマと婆さんから聞いちまったんだろ?」
「はい」
ティワは予想していた答えだったろうに、大げさに顔をしかめた。
「あれは、あんな話を持ち出した俺のせいだよ。フェンにも滅茶苦茶怒られた。起こしちゃいけないから禁忌とされているんだ、ってな」
「フェンは、詳しいんですね」
「そうだな。……ほら、もう夜遅いぞ。早く帰らないと、フェンが心配する」
話題を逸らそうとするかのように、ティワはリリオに注意した。
「……はい」
そのフェンが居なくなったとは言えずに、リリオは戸惑ったように手を組んだ。
「もしかして、何かあったのか?」
「――いえ、別に」
それ以上詮索されたくなくて、リリオはアーマと話すのを諦めて自分の天幕へと戻ったのだった。
夜遅くに、フェンが帰って来た。
どこに行っていたのか聞こうとしたが、彼は早々にこちらに背を向けて眠り込んでしまった。
何故、こんなに怒るのだろう。
リリオは眠ったふりをしながら、ぐっと拳を握り締める。
自分に秘められた力があると知れば、好奇心が疼くのは当たり前ではないのだろうか?
翌日、フェンはリリオと一言も口を聞かないまま、一族の合議へと行ってしまった。
彼が行ってすぐに、天幕にアーマが息を切らせてやって来た。
「リリオ! 盗み聞きに行こう!」
アーマは返事もせずに目を白黒させるリリオの手を取り、天幕から引っ張り出してしまった。