Chapter 7. Forever and For Always

いつも、いつまでも


「お姉ちゃん、早く起きてよ!」
 ジョナサンの声で、ルースは重いまぶたを開く。
 ベッドの傍には、ジョナサンがふくれっ面で立っていた。
「……ジョナサン。今、何時」
「七時。僕、学校に行かないといけないんだから。早く、朝ご飯食べちゃってよ」
「はいはい」
 あくび交じりに答えると、ジョナサンは背を向けてさっさと扉に向かう。
 ジョナサンの髪は背中ぐらいまで伸びて、今は一つに束ねていた。ルースのように色変わりすることがなかった、自然な金髪が相変わらず羨ましい。
 もっとも、ジョナサンが伸びたのは髪だけではない。背も伸びて、ルースをとっくに追い越していた。
(もう、十四だものね……)
 扉の閉まる音を聞いてから、布団から思い切って飛び出す。
 ふと、ベッドの横にある窓を見やると、青空が広がっていた。
 同じ空なのに、西部の空と違うように見えるのは、どうしてだろう。
(東部に来て、もう四年か……)
 たまに、無性にあの荒野と広い空が恋しくなった。

 寝間着にカーディガンを羽織っただけの格好で居間に行くと、ジョナサンは既にパンを食べ始めていた。
「あれ、パパは?」
「昨日、遅くまで曲書いてたから起きられないってさ。お姉ちゃんが用意してあげてよ」
「はいはい」
 ルースは自分で、テーブルに置かれたオレンジジュースをグラスに注いでぐっと飲み干した。
「今日、お姉ちゃん何時に終わるの?」
「夜十時ぐらいね。悪いけど、来てくれる?」
「うん、いいよ」
 劇場公演が終わるのは、どうしても遅くなってしまうので、最近はジョナサンに迎えに来てもらっていた。昔はアーネストが送迎役だったのだが、最近ルース以外の歌手からも作曲を頼まれるようになって、多忙を極めているのだ。
 ルースがのんびり食べている間にジョナサンは食べ終わり、席を立った。
「じゃあ僕、行くね」
「いってらっしゃい。……ねえ、ジョナサン。あんた、西部に帰りたいと思う?」
 突然の問いに、ジョナサンは眉をひそめていた。
「急にどうしたわけ? まあ、僕は西部に行くつもりだよ。学校卒業したらね。どうせ卒業までは、東部から離れること許さないでしょ?」
「当たり前よ。結構な学費、かかってるんだから。卒業までは頑張りなさい。でも……西部に行くこと決めてるの? 東部じゃだめなの?」
「まあね。西部は悪魔祓い不足してるっていうし。僕も悪魔祓いになろうかな、って考え中! ま、考えてるだけだけどね」
 ジョナサンは明るく笑って、自分の分の食器を持っていった。
(悪魔祓いに……ねえ)
 ふと、ルースは東部に来たばかりのことを思い出した。

 ルースがやって来たのは、東部でも――いや、連邦でも最大の都市で、音楽と芸能の街でもある。
 当然、初めは大変だった。片っ端からオーディションを受けたが、受かったのは小さな劇場だけだった。そこでの収入と家賃は、とても釣り合わなかった。
 持ってきた金が尽きない内に、とルースは場末のバーでも歌うことになった。アーネストは渋い顔をしたが、歌うルースの護衛も兼ねて彼もギタリストとして雇ってもらった。
 たまに柄の悪い客がいて、「歌声が気に入らない」と言われてグラスをぶつけられたこともあった。
 だが、昔のように怯えたりはせずに、にっこり笑って割れたグラスを足で蹴って、歌い続けた。酔っ払いは興が削がれたようで、マスターはルースの度胸に感心していた。
 その日、最後にマスターは「これで新しいドレスを買いなさい」とまとまった金をくれた。
 ルースはためらったが、それを受け取ることにした。
 そのお金を使って洒落た店で青いドレスを仕立て、それを着て大きな劇場のオーディションに行った。そのドレスが幸運を呼んだのかどうかはわからないが、ルースはそのオーディションに受かった。
 初めは、前座として歌った。それでも、今までとは桁違いの大きさの劇場に、足が震えた。
 ルースの歌とアーネストの作る曲は、徐々に人気を会得していった。
 そして、最近ようやく――劇場の看板歌姫として最後に歌う「トリ」になれたのだ。

 ハッとして、ルースは意識を戻す。少し、眠っていたらしい。オレンジジュースを口に含んで、酸味で目を覚ます。
 どうしても夜は遅くなるので、この時間に起きるのは少し辛い。
(まあ、二度寝すればいい話なんだけど……)
 今、ルースの評判は、遠くにまで届いていると支配人が言っていた。実際、遠くの町からここにルース目当てでやってくる客もいて、悪い気はしなかった。
 最初はオーディションに落ちてばかりで、もう自分には才能がないと諦めかけた。だが、父が励ましてくれたのと……
『ルースには、才能があるよ』
 彼の言葉を信じていたから、涙を堪えながらも踏ん張ることができたのだ。
 大きな劇場に移ってからは収入が安定し、アーネストへの作曲依頼も増えてきたので、どうせならとジョナサンを呼んだ。さすがは最大の町だけあって、ここにはいい学校がたくさんあったのだ。
 卒業資格があれば、ジョナサンの将来も広がる、そう考えて、ジョナサンを学校に通わせている。本人はそこまで嬉しそうではないが、ルースと父の意図を汲み取っているのか、文句ひとつ言わずに通っている。
 ジョナサンが家事を手伝ってくれるので、二人きりの時より負担も随分減った。
 ルースは後片付けをしてから、机の片隅に置いてある箱に手紙の束が入っていることに気づいた。ジョナサンが朝、取ってきてくれたのだろう。
 ルースはそれらをざっと見て、リッキーからの手紙に気づく。ルースはそれだけ取って、自室に戻った。
 ジョナサンが先に開けなかったのは、時間がなかったからだろう。
「ごめんね、ジョナサン。先に読ませてもらうわ」
 本人がいないとわかっていながら呟いて、ルースは手紙の封を破ってベッドに座る。
『ジョナサンに、ルースに、ついでに親父さんへ!』
 リッキーの元気な字が躍っていて、ルースはくすりと笑う。
『元気にしてるかー? ルースの評判は、こっちでもよく聞くようになったよ。いよっ、歌姫! オレもルースのところ行きたいなあ、って父さんに言ったら、苦笑された。“お前、ジョナサンと同じ学校に通いたいのか?”って聞かれた。考えてみたけど……無理! ジョナサンの行ってるところって、かなり授業詰まってる上に難しいんだろ? そうじゃなくて、音楽やりにいきたいんだよな。そうだ、ルース。ルースはもう有名な歌姫なんだから、オレをコーラスかギターで雇ってくれよ。みんなにそれを相談したら、オーウェンがオレの分まで働くから行ってくればいいんじゃないか、って言ってくれたんだ。ギターならオーウェンの方が上手いけど、オーウェンは行く気ないみたいだな。まあ、それは仕方ないか』
 そこまで読んで、ルースは四年前に別れた兄を思い浮かべた。
 オーウェンは、フェリックスを庇い続けるルースと、届け出をしないアーネストに激しく憤った。ルースたちが東部に行くまで、最低限の用事以外は口を利かなかったぐらいだ。
 今も彼は、手紙をくれることもない。こうしてリッキーからの便りで、オーウェンがどうしているか知ることしかできない。
(ごめんね、兄さん。でも、曲げられないわ)
 心の中で謝った後、手紙の続きに目を落とす。
『そして、お待ちかねのフェリックス情報!』
 どきん、と胸が鳴る。鼓動が早くなる。
『……といっても、伝聞情報だけどさ。この前、オーウェンと買い物のために町に行ったんだ。その時、どっかで見た人いるなーと思ったら、連邦保安官のフィービー・アレクサンドラって人でさ。でも、連れてた保安官補は、あのやたら美形な人じゃなかったな。保安官補、変わったのかな』
「あら。フィービーに会ったのね。ふふ。そうよ、変わったのよ」
 思わず口に出して、返事をしてしまう。そういえば、リッキーにはまだ伝えていなかった。
 少し前のことだった。ルースが歌い終えると支配人が「保安官が楽屋で待ってる」と言ってきて、ルースは「何か悪いことしたからしら」と震えたのだ。
 しかし、待っていたのはドレスアップしたフィービーと、スーツ姿のエウスタシオだった。
 何でも、ルースの評判を知って聴きにきてくれたそうだ。
 あんな形で別れたエウスタシオが元気そうだったので、ルースは素直に喜んだ。
 何でも、あの後エウスタシオはすぐ南大陸に渡って故郷の村で過ごしていたらしい。一年後にフィービーが見当をつけて、エウスタシオを連れて戻ったのだという。
 今、エウスタシオは大統領秘書の一人になっており、保安官補はさすがにもうできないと苦く笑っていた。
 エウスタシオは官邸勤めで、フィービーの実家もその町にある。同じ東部といえど官邸のある首都は、この町からはかなり距離がある。二人がルースの歌を聴くために、遙々ここまでやって来てくれたのだと思うと、苦手だったフィービーまでもがドレスも相まって女神のように見えた。
(しかもあの二人、婚約したとか言ってたわね)
 聞いた時は、びっくりして叫んだものだ。エウスタシオは艶やかに微笑んで、フィービーはむすっとしていた。もしかすると、あれはフィービーの照れ隠しだったのだろうか。
 フィービーはまた西部に帰ると言っていたから、あの後にリッキーが会ったことになるのだろう。
「ああ、そうだわ。続き、続き」
 フィービーはまた手紙に集中した。
『それで、保安官に聞いたんだ。フェリックスを知らないか、って。そしたら、半年ぐらい前に会ったらしい。相変わらず飄々とした奴だった、とだけ言ってた。フェリックスを見た町は、地図で見たらずっと西の方だった。今度会ったら、ルースが捜してるって伝えてくれとは言っておいた。保安官も西部を巡回してるみたいだから、いつかまた会うと思う。……というわけで、フェリックス情報でした。そっちの状況はどうなんだ? ま、ルースの評判は本当によく聞くよ。オーウェンとサルーンに行った時、誰かが歌ってた。あれ、ルースの歌だと思うんだ。歌詞、手紙で教えてくれただろ? とりあえずオレも少しの間だけでいいからそっちに行きたいから、大陸横断鉄道のチケット送ってくれよな! 頼むよ歌姫!  ――リッキー』
 何気に図々しいことを言って、リッキーは手紙を締めくくっていた。
(まあ、いいけど……)
 チケットを送れば、叔父夫婦も許可を出すだろうし、リッキーは意気揚々と来られるだろうし。
 しかし、リッキー一人では危険ではなかろうか。列車に乗れば一本で来られるから、平気だろうか。
 思案しながら、ルースは手紙を畳んで封筒に入れた。
「といっても、兄さんに同行してもらうのも無理よね……」
 農場が人手不足になって困るだろうし、何よりオーウェンは来たがらないに違いない。
 ルースは手紙の封筒をベッドテーブルに置いて、立ち上がった。
「もう、四年も経つのね」
 部屋の片隅に置いてある姿見に、全身を映す。
 十五の時より、少し伸びた背丈。髪は腰までの長さを保っているので、同じぐらいだ。顔つきは変わったと、アーネストに言われている。
 自分では、どう変わったかよくわからない。だが、以前のような幼さはもうなかった。輪郭は前よりほっそりとして、よく化粧映えすると化粧担当に褒められることもある。
 息をついて、ベッドに腰かけてまた空を眺めてしまう。
(フェリックスは、どうしてるのかしら)
 フィービーが会って「相変わらず」と言っていた、なら元気にはしているのだろう。
 彼のことを、考えない日はなかった。ここに来てから何人かに口説かれたけれど、ルースはきっぱり「心に決めた人がいる」と断っていた。
(片想い、なんだけどね……)
 改めて彼のことを考えながら、ルースは寝転がって目を閉じた。
 フェリックスは今、二十三歳ぐらいだろう。それなら、あまり変化はないのかもしれない。少なくとも、ジョナサンのような劇的な変化は、ないはずだ。だから会えば、きっとわかるだろう。
 そのままルースは、眠りに身を委ねた。