Interlude
幕間
ブラッディ・レズリー壊滅から約一年後、南大陸の某国某山脈にて――。
焦げ茶色の長い髪を高い位置で結った女性は、息を切らしながら山を登っていた。
「大丈夫かい?」
通訳兼ガイドとして雇った男が、見下ろして尋ねてくる。
「……あんまり、大丈夫じゃない。くそっ。体力には自信があったのに。それに、何だこの寒さ」
「高度が高いからね。慣れてない人には、きつい。あんまり急いで登らなくていい。高山病になっちゃうね」
「ああ……そうだな」
「どうも、きつそうね。村に着いたら、あのお茶飲むと良い。高山病に効くって教えたやつね」
「わかった。あの、葉っぱのやつだな。コカ茶だったか?」
この国の首都に着いたときにも、フィービーは体調を崩してしまい、ガイドに薦められてコカ茶を飲んだ。
(首都で、あの高度。くわえて、更に登らないといけないって、どうなってるんだ)
もう口を利く元気もなかったので、心の中でぶつぶつと呟く。
(本当に、あいつがここにいるんだろうか)
心配になってきたが、フィービーは首を振って高峻な山を登っていった。
そして、ようやくガイドが「着いたよ」とフィービーに手を伸ばす。その手を取って引き上げられ……フィービーは、山中にいきなり現れた村に驚いた。
「さて……。ようやく、あいつを捜せる……と言いたいところだが」
「あなた、ちょっと休んだ方がいいね。私が代わりに、捜してきてあげる」
「だめだ。逃げられるかもしれないからな。悪いが、村人に聞いてきてくれないか」
フィービーはガイドの耳に、捜し人の特徴を囁いた。
「了解。この岩に座って、待っててね」
ガイドの言葉に素直に従って、フィービーは岩に腰かける。風が強い。結わえている髪が、風にもてあそばれている。
ぼうっとして、後ろを振り返る。絶景だったが、帰りはここを下りないといけないのだと思うとゾッとする話だった。
「セニョリータ! 居場所がわかりましたね。この村をずっと行って、少し上がるそうですね」
「また上がるのか!?」
思わず叫んでしまい、フィービーは肩をすくめつつも立ち上がった。
ガイドの後を追って、フィービーは村の中を進んでいく。
色鮮やかな伝統衣装に身を包んだ女性たちが、フィービーたちを不思議そうに見やる。彼女たちは高い声で、聞いたこともないような言語で喋っていた。
「あいつに関して、何か情報はあったか?」
「そうね。一年ぐらい前に戻ってきた、巫女様の息子だと言ってた。帰ってきたときは、歓迎したと。みんな、巫女様とその夫が殺された事件には心を痛めていると言ってたね。ここは閉鎖的な村。彼がすぐに歓迎されたのは、両親が愛されていた証拠ね」
「……そうか」
どうやら、彼はここでは穏やかに暮らしているようだ。
その暮らしを壊して良いか迷ったが、ここまで来たのだ。会わずに帰るのは、嫌だった。
村を抜けてから、ガイドは「あそこね」と家を示した。大きな石造りの家だったが、半壊していた。
「セニョリータ、捜してた人と話あるね? だから、私は村に戻って待っておくね」
「了解。勝手に帰らないでくれよ」
「そんなことしないね」
「……ま、よく案内してくれた。追加のチップだ」
ガイドに硬貨を握らせて、フィービーは彼に背を向けた。
しばらく進んで、扉を叩こうとして……フィービーはそのまま開いた。鍵は閉まっていなかった。
中を勝手に進む。半分崩れた家だが、半分は十分住めるようになっているらしい。そして、しばらく進むと彼を見つけた。
彼の方も闖入者に気づいたようで、読んでいた本を閉じて椅子から立ち上がった。
「フィービー様……?」
その表情は、ひたすら不思議そうだった。
身を包んでいるのは直線的な青いポンチョと、その下に白いシャツとズボンといった民族衣装で――簡素な服装はエウスタシオによく似合い、彼の美貌をいっそう引き立てていた。
髪が伸びており、この地方らしく三つ編みにしていたが、背が伸びたためか女性的な印象は受けなかった。
一年会っていなかっただけで随分変わるものだ、とフィービーは感心する。
「捕まえに来たんですか」
エウスタシオは、一歩下がってフィービーから離れようとした。
「違う。迎えに来たんだ」
「はい?」
「帰ろう、エウスタシオ」
「何を言ってるんですか。私は、連邦とあなたを裏切っていたんです。帰れるわけないでしょう」
「そうだな。エウスタシオ・D・ソルは裏切り者だ。だから、私は――エウスタシオ・イスマエル・ドン・シエロに言っている」
エウスタシオ・イスマエル・ドン・シエロ。それが、エウスタシオ本来の名前だった。
「叔父貴が、優秀な秘書を捜していてな。頭の良い奴といえば……と、思いついたわけだ」
「フィービー様。いい加減にしてください。私は、好き勝手して行方をくらませたんです。そんな私に、情けをかけないでください」
「……情けだと? ふざける……な」
そこで、フィービーの体が傾いだ。
「フィービー様!」
エウスタシオの声を遠くに聞きながら、フィービーは意識を手放した。
ベッドに横たえられている、と気づく。傍には、エウスタシオが座っていた。
「ああ、目覚めましたか。早く、コカ茶を」
エウスタシオは立ち上がって、すぐにコカ茶を持ってきてくれた。
起き上がってそれを飲み、ふうっと息をつく。
「高山病ですね。低地に下りた方がいいのですが……重症というわけでも、ないですか?」
「うーん。気分は悪くないぞ? 強行軍で来たから、疲れが出たかな」
「そうですか。そもそも、どうやってここを突き止めたんですか?」
「お前から、母国の話を聞いていたからな。それで、あの事件が記録に残っていないか、この国に問い合わせたわけだ。そしたら、普通に出てきた。そして、お前らしき人物の入国記録もな」
「……さすがですね」
「私は連邦保安官だからな」
フィービーは胸を張って、ちびちびとコカ茶を飲んでいった。
「で、どうなんだエウスタシオ。帰るのか、帰らないのか。たしかに、ここで穏やかに暮らすのもお前の選択肢としては、アリだ。だが、私はお前に戻ってきて欲しいと思っている。少しでもお前が私に悪いと思っているのなら、私の要求に応えるべきじゃないか?」
「脅しですか……」
「脅しだな」
フィービーは、悪びれた様子も見せなかった。
「大体、あの別れ際は何だ。勝手に口づけして、愛してるだと? 痺れ薬で動けなくしておいて」
「…………あれは……ごめんなさい」
思い出したのか、エウスタシオは頭を抱えてうなだれていた。
「最後だと思ったから、想いを告げました」
「ふん。……まあいい。許してやらんでもない。責任を取るならな」
「責任?」
「そうだ。もう、連邦保安官補のエウスタシオはいない。だから、エウスタシオ・イスマエル・ドン・シエロとして帰るんだ。母上も、貴族となら結婚を認めるだろう」
「け、結婚しろと言うのですか。……私で、いいのですか」
「嫌だったら、こんなところに来ると思うか?」
「思いませんね」
エウスタシオはため息をついて、フィービーが飲み終えたコカ茶のカップを受け取った。
「でも、どうして私を……」
「くどいぞ。私に愛を囁かせるつもりか? それは、お前の役目だろう?」
「……そっ、そうですね」
褐色の肌がほんのり赤く染まるのを見て、フィービーは笑う。こんなに動揺したエウスタシオを見られるなんて、思ってもみなかった。
「わかりました。フィービー様……」
「ああ、それは後でいい。まだ私は眠いんだ。寝かせろ。あと、ガイドを村で待たせている。私がここに泊まると、言ってきてくれ。ガイドは下山するはずだ。帰りは、お前がいれば何とかなるだろ」
せっかく意を決して言おうとしたのに、途中で遮られてエウスタシオは若干不満そうだった。
以前よりも感情が出るようになっているのは、前のように隠し事をしていないからだろうか。それとも、故郷で安らいだせいだろうか。何にせよ、良い変化であることは間違いなかった。
「……了解しました。それでは、行ってきますので。その前に、聞いてもいいですか?」
「うん?」
「ここまで来るのに、時間がかかったでしょう? 連邦保安官、辞めた……のですか?」
エウスタシオの声音に、懸念が滲んでいた。自分のせいで、フィービーが辞めさせられたのではないかと案じているのだろう。
「大丈夫だ、辞職はしていない。むしろ功績を挙げたから、こうして長期休暇が取れたんだ。ま、その話は後でゆっくりしよう。エウスタシオ・D・ソルは、私の仇を討つために先んじてブラッディ・レズリーの屋敷に踏み込んで行方不明。おそらく殺されたのではないか……と報告した。情報を流したことも、伏せてある。お前のためじゃない。私の保身のためだ」
「それは……本当に」
「ああ。謝罪も、あとでたーっぷり聞いてやる。連邦にも心の中で、謝っておけよ。じゃあな、私は寝るからな」
フィービーがさっさと横たわって目を閉じてしまうと、エウスタシオの小さな笑い声が聞こえてきた。
「おやすみなさい、フィービー様」
髪を撫でられて、彼が離れていく気配がする。でも、不安ではなかった。
ここに来るまで、もっと拒否されるかと思っていた。さすがのフィービーも、彼の反応が怖かったのだ。
(あいつを、無事に連れて帰れそうだ)
心の底からホッとして、忍び寄る睡魔に身を任せた。