6. See you Again

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 いつ、眠りに落ちていたのだろう。甲高い悲鳴で、ルースは覚醒した。
 がばっと起きて指を動かし、体が動くことを確認する。
 そしてベッドから下りて、寝間着のまま室内履きをつっかけて、寝室から飛び出した。
 ルースが一階に下りたときには、イングリッド叔母がレイノルズ叔父に肩を抱かれて震えて立っていた。ジョナサンとリッキーが、ルースの後ろから下りてくる。
 アーネストやオーウェンの姿は、ない。
 それで、ルースは昨夜のことを全て思い出した。
(死体が、見つかったんだわ……)
 ジョナサンが、強張るルースの腕を引く。
「お姉ちゃん。何があったの?」
「あたしも今、起きてきたところなの。……叔父さん、何があったの?」
 勇気を出して聞いてみると、叔父ではなく叔母が口を開いた。
「エレンが……エレンが……。ああ、とても言えない」
「……落ち着くんだ、イングリッド。隠していても、どうせわかることだ。言ってしまおう」
 レイノルズはイングリッドの肩を抱いたまま、ルースたちを見据えた。
「エレンが、納屋で死んでいた。胸に銃弾の跡があったから、殺されたんだと思う。昨日、強盗が入ったのかもしれない。今、アーネストとオーウェンが確認に行っている。君たちは、行かない方がいい」
「いえ。あたしは、行くわ」
 ルースの発言に、叔父は眉をひそめていた。
「ルース、しかし」
「あたしの、育てのママだもの。……ジョナサンは、リッキーと一緒にいなさい」
 ジョナサンを振り返ると、力なく頷いていた。この年の子供にしては度胸があるジョナサンといえど、義理の母の死体を見る勇気はなかったようだ。
 ルースは一度家から出て、少し離れたところにある納屋に向かった。
 扉は開きっぱなしになっていた。ルースが足を踏み入れると、目を真っ赤にしたオーウェンと、うなだれるアーネストが目に入ってきた。
 そして……彼らが取り囲むのは、死してなお美しい遺骸だった。
「……ママ」
 呼びかけて、傍に膝をつく。本当に、胸に弾痕の跡が刻まれていた。
「誰が殺したかなんて、わかってる」
 オーウェンは、嗚咽と共に言葉を吐き出した。
「あいつだ。フェリックスだ。母さんは、あいつと一緒に行ったんだ。それで……殺されたんだ」
「だが、オーウェン」
 アーネストは渋い顔をしたが、反論が思いつかなかったのか、すぐに口をつぐんだ。
「間違いない。その証拠に、あいつは戻ってきてないじゃないか!」
 激昂するオーウェンの肩に手を置いて、ルースは首を振った。
「みんなに、話したいことがあるの。でも……ママを弔うのが先よね」
 ルースが何か事情を知っていると察したのか、オーウェンもアーネストも戸惑った表情になっていた。しかし、アーネストはすぐに決断した。
「そうだな。このままじゃ、エレンがかわいそうだ。レイノルズに頼んで、一番近いところの牧師さんを呼んできてもらおう」

 エレンの葬儀はひっそりと行われ、棺に入ったエレンは教会の墓地に埋められていった。
 そうしてウィンドワード家は、夕方には家に帰った。
 帰ってから、皆は示し合わせたわけでもなく食堂に集まってそれぞれ席に着く。
 イングリッドが、レモネードを用意してみんなに渡してくれた。
 今日のレモネードは、いつもより酸っぱい気がしたが、きっと心の問題なのだろう。
 オーウェンとアーネストの、視線を感じる。話せ、と請われている。察したルースは、思い切って口を開いた。
「みんな、聞いてちょうだい。信じられないかもしれないけど、本当の話よ」
 そしてルースは語った。ブラックマザーの存在、エレンの中にいた存在、そしてそれを消す方法、そのために――エレンの死が必要だったこと。
「何を、言ってるんだ。いくらろくでなしでも、そんな!」
 オーウェンは、震える声で叫んだ。
 そこでアーネストが、オーウェンをなだめる。
「落ち着け。……すまない、オーウェン。それは事実だ。エレンは結婚したんじゃない。手込めにされたと、語っていた」
「…………じゃあ、俺は! 悪魔を宿して何百年も生きていた女と、その女と実験のために無理矢理交わった男の息子だっていうのか!?」
 オーウェンが叫ぶと、アーネストが「子供もいるんだぞ」と厳しい声を出した。
「大体、こんな話、信じられるか! ただ、あの用心棒が悪人で人殺しだっただけだろ! 早く、保安官事務所に届け出よう!」
「兄さん、止めて! フェリックスは、あたしのために……やったのよ。届け出るなら、あたしも一緒に牢屋にぶちこんでちょうだい!」
「ルース、お前は騙されてるんだ!」
 兄妹で言い合っていると、レイノルズがそこで「そこまで」と手を挙げた。
 次いで発言したのは、アーネストだった。
「……俺は、ルースの話を信じよう。実際、俺が出逢ったときにはエレンは他のカロの者から、隠されているような状態だった。それに、エレンはずっと容姿が変わらなかった。お前たちも、それはなんとなく思っていたんじゃないか?」
 アーネストに問われて、皆はおずおずと頷いていた。
「あと、俺の部屋の前に小さな袋が置かれていた。おそらく、フェリックスだろう。俺が払った報酬の一部が、入ってた。報酬は、俺たち一家を守ってくれた分を払った。あいつが返したのは、エレンの分だろう。極悪人が、そんなことしないだろ。……俺も、届け出るのは反対だ」
「父さんは、母さんが死んでも良かったっていうのか!?」
「そうは言ってない。落ち着け、オーウェン!」
「落ち着けるか!」
 オーウェンは勢いよく立ち上がり、早足で食堂から出ていってしまった。
「しばらく、頭を冷やしてもらおう」
「だが……兄さん。本当に、いいのか? フェリックスがエレンを殺したことは、事実なんだろう?」
 レイノルズに声をかけられて、アーネストは額に手を当てていた。
「いい、とは思っていない。もう起こってしまったことだ。フェリックスは、ルースの中の悪魔を消すためにエレンを殺した。俺は、それを信じる」
 きっぱりと宣言して、アーネストはルースを見た。
 ルースはふと、腹に手を当てた。たしかに、『今までいたもの』がいなくなっている気がした。
「ジョナサン」
 ルースは隣席のジョナサンに、呼びかける。
「うん?」
「あんたなら、わかる? あたしの中に、もうブラックマザーがいないかどうか」
「……待ってて。ナサニエルに変わるから」
 ジョナサンは目を閉じて、ゆっくりと目を開いた。
 青灰色の色は変わらないのに、どこかけぶったような目でジョナサンはルースをじっと見つめた。そしてまた目を閉じ、いつものジョナサンに戻る。
「うん。もう、何もいないって」
「そう……。天使の言うことなら、たしかよね」
 改めてホッとして、ルースは兄の去った方向を見やった。
 オーウェンにとっては、許せない話だろう。もし、勝手に届け出てしまったら……と思うと心配だった。
 そんなルースの心を読んだかのように、アーネストが微笑む。
「大丈夫だ、ルース。オーウェンは、俺たちに無断で何かするような奴じゃない。もう少し、頭が冷えるまで待つしかない。本人は、かなり辛いだろうから時間はかかると思うけどな。でも、待ってやろう。それに、オーウェンなら身内だから牢獄のヴィクターにも会えるんだ。フェリックスが真実を言ってるかどうか確かめたいなら、そうしろと言おう」
 冷静なアーネストの発言に、ルースは涙をこぼしてしまった。
「おいおい、どうして泣くんだ。ルース」
「……パパがフェリックスを信じてくれて、嬉しいの」
「そうか……。まあ、俺も正直悪魔だの何だの信じがたい気持ちもあるんだ。だけど、俺も人を見る目はあるつもりだ。フェリックスは、仕方なくエレンを殺すしかなかったんだとは……信じられるんだ」
 アーネストがにっこり笑ったので、ルースも涙を流したまま笑い返した。



 エレンの死から一週間が経ち、オーウェンもようやく落ち着き始めたようだった。
 アーネストが「実父との面会」を提案したらしいが、オーウェンは曖昧に頷くだけだったという。
(兄さんも、いつかは面会に行くのかしらね……)
 そんなことを考えながら、農場の柵の上に座って、ルースは青い空を見上げる。
 空を見ていると、蒼穹の色を目に持つ悪魔祓いを思い出してしまう。
「……フェリックス。あたし、諦め悪いんだからね」
 そう呟いた瞬間、アーネストが背後から呼びかける。
「おいおい何してるんだ、ルース。イングリッドを手伝わないか」
「はあい。でも、少し歌の練習をしたくて」
「歌? ……ああ、そうか」
「あのね、パパ。前に言ってたじゃない? あの計画って、まだ実行可能かしら? もちろんあたし、死ぬ気で頑張るわ」
「東部行きの件か? ……オーディション、受けないといけないぞ」
 アーネストため息をついて、柵にもたれかかった。
「オーディション、受けたい。でも、旅費はある? ないなら、町で歌って稼いでこようかしら」
「東部への旅費なら、あるぞ。フェリックスが置いていった分で、二人分はまかなえる」
 フェリックスの名前が出た途端、ルースは表情を強張らせたが、父を心配させないようにすぐに笑顔を浮かべてみせる。
「よかった。じゃあ、パパの都合がつけばいつでも」
「了解。ま、東部に行けばオーディションは、たくさんあるさ。競争率は高いけどな。何個か、受けてみればいい。でも、いいのか? ルース」
「え?」
「お前、フェリックスに未練があるんじゃないのか」
 さすが父親というべきか、アーネストはルースの気持ちを見抜いていたようだ。
「まあね。でも、あたしが西部を回るのはダメでしょ?」
「そりゃまあ、危険すぎるな。親としては許せない」
「でしょう? だから、違う方法で――あたしは挑戦してみるの」
 ルースの言い分がわからなかったのか、アーネストは首をひねっていた。
 そしてルースはまた空を見上げて、よく通る声で歌い始めた。