1. Your Memory
4
カルヴィンはしばらく、牧師館で寝泊まりすることになった。
そして牧師に請われ、フェリックスに銃の扱い方を教えてくれた。
教えられたとおりに銃を構え、遠くに置かれた缶を狙う。
見事に――外した。
「へったくそ」
隣に立つカルヴィンに大笑いされ、フェリックスはむくれた。
「……難しい」
「そりゃそうだ。しかし、お前は集中できてないな。しばらくは、集中する修行をしろ」
「集中?」
「そう。余計なことを考えるな。それができたら、また撃つ練習につき合ってやる。じゃあな」
カルヴィンはフェリックスから銃を取り上げ、口笛を吹いて行ってしまった。
どうせまた、女の子でも引っ掛けにいくのだろう。強面にもかかわらず、カルヴィンは結構もてるようだ。
(あのおじさんに習ってて、本当に大丈夫なのかな)
たしかに見せてもらったお手本射撃は、見事なものではあったが。
そういえば、と疑問が湧いてくる。
父は、どうやって悪魔祓いをしていたのだろう。
フェリックスや兄が物心ついたときにはもう、父は酒浸りで悪魔祓いの依頼も受けていなかったはずだ。
父は早くに亡くなったから、フェリックスの中にある父の記憶はおぼろげだ。
父のことを聞けば母が打ち据えたせいでもある。そのときも兄は賢くじっとしているだけだった。
いつもへまをするのは、エヴァンの方だ。
母に叱られたことを思い出せば、鞭の痛みが蘇った。
そうして腕をさすったとき、気配を感じてフェリックスは振り返った。
少年が、じっとこちらを見て立っていた。
民族衣装に赤褐色の肌、黒い髪に――真っすぐな光を宿す黒い目。
先住民の少年の姿はこの村では異質で、浮いていた。
戸惑うフェリックスは、彼の後ろから牧師がやってきたことに気づいた。
「やあ、フェリックス。練習は順調ですか?」
「……うん。牧師様、この子は?」
「この子、どうも迷子みたいなんですよね。言葉が通じないので、困っているのですよ。とりあえず、牧師館で預かることになりました。この子と仲良くしてあげてくださいね、フェリックス」
「――わかった」
フェリックスは、今もなおこちらをじっと見つめ続ける少年を見て首を傾げた。
言葉が通じないものだから、フェリックスも牧師もなんとか身振り手振りでコミュニケーションを取ろうとした。しかし、それには限界がある。
どうにか言葉が通じないか、と思案したシュトーゲル牧師は数日後、先住民に伝手がある人に頼んで英語の話せる先住民の男を連れてきてもらった。
「……うーん」
少年と何やら喋ってから、壮年の男は困ったように首を傾げていた。
「こりゃあ、レネ族ですね。レネ族は少数部族なんです。レネの言葉を喋れる通訳なんて、先住民の中でもいたっけなあ」
「それほど、希少な部族なのですか?」
「ええ。だから他部族と話すときは、いずれもレネの通訳を通すはずですよ。レネ族の何人かは、他部族の言葉が喋れるようなんで。元々、滅多に見ない部族なんで、そういう機会も少ないんですが」
牧師の質問に対し、男は丁寧に解説してくれた。
「もしかすると、この子も大きな部族の言葉などはわかるかもしれませんね。ですが、私とは通じません。うちの部族も大きい方ですが、わからないみたいですね」
「うーむ。それではどうして、レネ族とわかったのです?」
「レネの族長を表す単語だけは知ってたんで。レネの族長は代々、同じ名前を受け継ぐんです。この子は、その真実の目――という名前を言ってました。これがこの子の名前ですね。レネの族長……にしては幼いから、次期族長でしょう」
「真実の目《トゥルー・アイズ》ですか。名前がわかっただけでも、よしとしますか。どうも、親切にありがとうございます。お礼に食事でもどうですか?」
「そりゃ有難い」
男は嬉しそうに相好を崩していた。
フェリックスは、隣でぼんやり佇む少年に声をかけた。
「名前、言って」
少年は、首を傾げている。
フェリックスは、少年の胸に指を突きつける。
「な・ま・え!」
それでもわからないようだったので、フェリックスは自分の胸に指を突きつけて「フェリックス」と名乗った。
それでようやく、わかったらしい。少年は
「…………」
と、呪文のような単語を口にした。
「さ、さっぱりわからない。どういう発音なんだ」
「……?」
「ああ、そういえば牧師様は、トゥルー・アイズって言ってたな。僕らの言葉で言えば、そうなるんだな」
そうしてフェリックスは、少年の胸に指をまた突きつける。
「トゥルー・アイズ!」
少年はわかったのかわからないのか、その不思議な目でフェリックスを見るばかりだった。
フェリックスとトゥルー・アイズは、すぐに仲良くなったわけではなかった。
シュトーゲル牧師は、言葉のわからないトゥルー・アイズに構ってばかりいたので、フェリックスは嫉妬にも似た感情を芽生えさせてしまった。
加えて、カルヴィンがいる内にできるだけ教われと言われてカルヴィンとの修行ばかり――。銃の修行が上手くいかないこともあって、フェリックスはとかく面白くなかった。
カルヴィンの影響か、フェリックスは以前より少し乱暴な口調になっていた。
トゥルー・アイズは、牧師の熱心な指導の甲斐あってか、少しずつ単語を覚えて簡単な会話ができるようになってきていた。
「フェリックス」
名前を呼ばれて、フェリックスは廊下を歩く足を止めた。
「何だ?」
「お前、私に……不満あるのか」
「な、何でそうなるんだよ。別に、ないって」
真実を見抜かれ、フェリックスはたじろいだ。
「いつまでいるのか、って思っている?」
正に――先ほど考えていたことを当てられ、フェリックスは唇を噛みしめた。
「ああ、そうだよ」
「……」
「ここは、俺がせっかく手に入れた居場所なんだ。いきなり現れて、奪わないでくれよ!」
言ってしまって、青ざめる。
(俺はなんて、嫌な奴なんだ)
後悔したのに謝れなくて、フェリックスはトゥルー・アイズの横を通り過ぎた。
それから、数日経った日のことだった。
久しぶりに母の夢を見て、フェリックスはうなされた。
何度も何度も鞭で打たれて、泣き叫んで。でも誰も助けてくれなくて。
「たす……けて……」
伸ばした手を、誰かが取ってくれた。
「牧師――様?」
目を開けて、確認しようとする。でも、そこにいたのは養父ではなかった。
「……トゥルー?」
月明りに、彼の赤褐色の肌が照らされる。
「何してるんだよ」
「……うなされていたので、来た」
「――うるさかったんなら、悪かった」
詫びて、フェリックスは手を放そうとした。しかし、トゥルー・アイズの手は離れなかった。
「何なんだ?」
「……お前が私に冷たい理由、わかった。居場所を守りたい理由も」
「……」
「私は、お前の居場所を奪わない。約束する」
呆れるほど、トゥルー・アイズは優しく笑ってくれた。
「もうすぐ、私はもっと上手に話せるようになる。あと少しだけ、待ってくれ。お前の養父は元通り、お前を見てくれる。……あと」
「あと?」
「私たちは、友になろう。悪い夢に苦しむお前を慰めてやることぐらい、できる」
フェリックスは思わず、泣きそうになってしまった。
「……ああ」
そうして彼らは、友になった。
初めはまだぎこちなく――だけど段々と二人は距離を縮めていった。
フェリックスは教師であった母に教わっていたので、読み書きができた。字を教えてやってくれ、とシュトーゲル牧師に頼まれてフェリックスはトゥルー・アイズに字を教えた。
昼食後、テーブルについて二人で顔をつき合わせて、文字の教科書を見ながらフェリックスは不思議な少年に文字を教える。
トゥルー・アイズは呑み込みが早かった。
アルファベットをAからゆっくり書いていくトゥルー・アイズの横顔を見て、フェリックスは目を細めた。
こうして見ると、本当に自分とは全然違う容姿だ。
真っすぐな黒い、長髪。赤褐色の、きめ細かい肌。華奢な骨格。そして――
「なんだ?」
幾分発音の怪しい疑問の声をあげ、トゥルー・アイズはフェリックスを見る。その、透徹な黒い目。素直に綺麗だ、と思う。
トゥルー・アイズもまた、フェリックスや牧師のように悪魔のような存在が見えるらしい。
なら、自分もこんな目をしているのだろうか。何もかも見透かすような。
だけど、こんな純粋に人を見ることができている気はしない。
「……何でもない。んー、これちょっと間違えてるな」
間違いを指摘してやると、トゥルー・アイズは見本の字と見比べて首を傾げていた。
彼は間違えた文字を横線で打ち消して、その上に正しく書く。
「そうそう、正解」
フェリックスが笑顔で言ってやると、トゥルー・アイズも少しだけ微笑んでくれた。彼は、笑い方も静かだ。
静謐。彼を表す言葉は、正にそれだろう。そして、彼の静謐な空気はフェリックスにとって、心地いいものになっていた。