2. Dear My Brother
我が親愛なる兄弟に
次の町に入って、すぐのことだった。
「いやー、びっくりだなあ」
「んだ。あんな保安官いるんだなあ」
のんびり話す町人たちとすれ違い、フェリックスは眉を上げる。
「なんだか様子がおかしいけど……まさか、やましいことでもあるんじゃないでしょうね?」
きょろきょろするフェリックスにルースが問うと、彼は苦笑した。
「まさか。ただ、変な保安官を一人知っててさ。ここにいたら困るな、と思っただけで」
「ふーん」
変な保安官とはいかなるものか、と考え込んだところで二人の間にオーウェンが割り込んだ。
「おい、用心棒。お前、まさか前科持ちとかじゃないだろうな?」
「いやー? 前科は持ってない。もう兄さんてば、怖い顔しないでくれよな」
「だから兄さんと呼ぶな!」
また始まったいつものやり取りに閉口しつつ、ルースは荷物を解いている父母の元に向かった。
「町長のところに行ってくるわ」
公演を断られることも残念ながらたまにあるが、今回は心配要らないだろう。前の町長に、紹介状を書いてもらったからだ。
「ああ。一人では行くなよ」
「ええ」
父の承諾をもらって元のところに帰ったが、フェリックスがいなくなっていた。
「兄さん。フェリックスは?」
「ジョナサン連れて帽子屋に行ったぞ」
「帽子屋?」
何でまた、と言いかけてルースは思い出した。この町が皮工業で有名だったこと。そしてジョナサンが、前々からカウボーイハットを欲しがっていたことを。
「全く、ジョナサンの奴。あの得体の知れない用心棒に懐きすぎだ」
「兄さんは、何でそんなに仲悪いのよ」
ルースの質問に、オーウェンは少し赤くなってそっぽを向いた。
答える気はないようだが、何かあったのかもしれない。
「ところで、何であいつを捜してるんだ?」
オーウェンに問われ、ルースは当初の用事を思い出した。
「あ、そうそう。町長のところに行かなきゃいけないんだけど、あんまり治安の良い町じゃないらしいから、付いてきてもらおうと思って」
「それなら、俺が付いていってやろう」
オーウェンはなぜ自分に頼まないのか、とでも言いたげな表情でルースを見下ろした。
二人はあっさり町長の部屋に通されたが、先客がいることに仰天してしまった。
「こ、これはすみません……」
案内してくれたメイドが頭を下げ、町長は困ったように微笑んだ。
「いや、先ほど急に来られたんだ……。お前が知らなくても仕方がない。下がりなさい」
「はい」
優しい町長さんだわ、と心の中で呟きながらルースは町長の机の前に堂々として立つ人物に目をやった。
左胸に付けられた光り輝く星型のバッジと、どこかで見たことのあるような制服――。極めつけは、バッジに刻まれた“U.S. Marshal”という文字だ。
「連邦保安官だな」
兄の呟きで確信したが、ルースは疑問を抱いた。
(この人、どう見ても女の人……よね)
背が高く、すらりとした体型だが、女性であることは見ただけでわかった。高い位置でひとつに結われた焦げ茶色の髪が、凛々しい顔立ちを強調している。
「こちらの用はもう終わった。話をしたらどうだ?」
と言いつつ保安官は部屋から出ていくつもりはないようで、我が物顔でソファに座ってしまった。
実に気になるが、聞かれて困る話でもなかったので、ルースは父から預かった紹介状を町長に渡した。
「ほほう……これは。公演を願いたい、ということですかな」
丸メガネをかけ、町長は手紙に目を通した。
「ええ、そうです」
「しかし……申し訳ないが、しばらく公演などの行事は……」
「ど、どういうことですか」
すっかり安心していたのに、とルースは身を乗り出した。
「この町に、悪党が入り込んでいるようなんでな」
質問に答えたのは、先ほどの連邦保安官だった。
「私が捜査を終えるまで、そういった行事などで町を混乱させては困るということだ」
言い方が威圧的だったせいもあり、ルースは面白くなかった。
「捜査妨害にはならないと思いますけど」
「だめだ」
取りつく島もない。
「嫌なら、お前が悪党を捕まえるんだな」
ふふん、と嘲笑われてルースは激昂した。
「あたしが捕まえたら、公演して良いってことね?」
「お、おいルース」
「お邪魔しましたっ!」
ルースは大股で部屋から出ていき、その後をオーウェンが追ってきて必死にルースを説得する。
「連邦保安官が追ってる極悪人を、俺たちが捕まえられるわけないだろう」
「やってみないと、わからないじゃない」
「しかもその悪党、って誰なんだ」
「あ」
聞いてくるのを忘れていた。
「町の保安官事務所があるでしょ。そこで聞けば良いわよ」
単に、ルースはあの連邦保安官ともう一度顔を合わせるのが嫌だったのだ。
幌馬車のもとに戻ると、既にフェリックスとジョナサンも戻っていた。
「あら、ジョナサン。帽子買ったんじゃないの?」
「気に入った帽子が、大人用しかなかったんだよ」
ジョナサンの代わりにフェリックスが答えた。
「じゃあ買わなかったの?」
「買ったけど、ピッタリになるまで置いておこうと思って」
機嫌を悪くしているかと思ったが、ジョナサンは満足しているらしくニコニコしていた。
「ところで、どうなったんだ?」
父に問われ、ルースは先ほどあったことを渋々話した。
「……お前は何でそう、“売り言葉に買い言葉”を地でいくんだ! まあ、その保安官は期待しちゃいないだろけどな……」
父は頭を抱えて首を振った。
「ひょっとして、ってことがあるじゃない。ね、こういうときこそ、あんたの出番でしょ」
フェリックスの腕を引っ張り、いつもの自信満々な大言壮語が来ることを期待したが、予想に反して彼は気乗りしない表情だった。
「フェリックス?」
「はい」
「フェーリーックス!」
「はいはいはい」
返事はするが、まるで抜け殻のようだ。
「やましいことでもあるの?」
「まっさか。でも俺は、連邦保安官ってのにちょっとトラウマがあってさ。あんまり協力したくないなー……なんて嘘ですごめんなさい」
ルースの恐ろしい形相を見て、フェリックスは慌てて後半部分を大幅修正していた。
「じゃあ行くわよ! 町の保安官事務所で、事情を聞きましょう!」
ルースはあまり乗り気でないフェリックスの腕を引き、走り出した。
保安官は、ルースの話を聞いて目を丸くしていた。
「はあ、ここに極悪人が……?」
「え、知らないんですか?」
「知りませんねえ。連邦保安官にもまだお目にかかってませんし。おい、何か聞いているか?」
保安官は副保安官の方を向いたが、副保安官は肩をすくめていた。
「さあ。そもそも私たちは、さっきまでサルーンに……」
「まあ、それは良いとして」
どうやら、先ほどまでサルーンで飲んでいたらしい。呆れた保安官だ。
(じゃあ、連邦保安官は先に町長のところに行ったのかもしれないわね。……ん? ということは……)
ルースの嫌な予感は、見事的中した。
「邪魔するぞ」
そう言って入ってきたのは、連邦保安官だった。今度は、男を従えている。彼もバッジを付けており、保安官補のようだ。
「おや、また会ったな小娘」
連邦保安官はにやりと笑って――フェリックスに気づいた。
「貴様――」
「や、やあフィービー」
フェリックスが後ずさった瞬間、連邦保安官が銃を抜いた。
「こんなところにいたのか! 今度こそ蜂の巣にしてやる!」
連邦保安官がフェリックスに銃を向けた瞬間、彼は何かを投げた。
たちまち、あたりは煙幕に包まれる。
「行くぞ、ルース!」
フェリックスに手を引かれて走り、二人は煙幕を抜けた。
「こ、ここまで来れば大丈夫だろ」
フェリックスは民家の裏に回ってから、ようやく足を止めた。ルースは肩で息をしながら、フェリックスに指を突きつける。
「あれ、何を投げたの?」
「前の町――メアリーズ・タウンでやってた、劇の小道具だよ。余ってるって言ってたから、何個かもらったんだ」
煙幕の正体がわかったところで、ルースは再びフェリックスを追求する。
「で、何なのよあの人!? 銃を向けてたわ! 撃つ五秒前だったわ!」
「連邦保安官だ」
「それは、わかってるわよ!」
叫んだルースの口を、慌ててフェリックスが塞ぐ。
「静かに。あいつに、また来られちゃ困る」
ルースは顔を真っ赤にして、フェリックスの手を引きはがした。
「わかったわよ。小さな声で話すわ。――質問を変えるわ。あんた、あの人に追われてるの?」
「答えは――イエス」
ルースがまた怒鳴りそうになったところで、フェリックスは必死になだめてきた。
「言っとくけど、俺は犯罪者じゃない」
「じゃあ何で」
「ある事件の重要参考人で手配されてるんだ」
フェリックスはポケットを探り、くしゃくしゃになった紙を取り出した。
人相書きにWANTEDの文字。フェリックスの――手配書だ。
「……随分安いわね、あんた」
何と賞金額は五ドルだ。
「全くひどい話だろ。……それは良いとして。ま、参考人で話を聞きたいだけだから、安くしてるんだろ」
「参考人として、何で呼ばれてやらないのよ?」
ルースのもっともな質問に、フェリックスは肩をすくめた。
「呼ばれてやったさ。そしたら、自分の納得のいく証言をしないってんで撃たれそうになってさ。慌てて逃げたんだ」
「それで手配されたの?」
「無茶苦茶だろ?」
確かに無茶苦茶だが、あの保安官ならやりかねないと思えるところが怖い。
「俺は素直に見たまま答えたのになあ」
「困った人ね」
大体、参考人を撃ってしまってどうするつもりなのか。
「フィービーに常識は通用しないんだ」
常識が通用しない人が連邦保安官とは、世も末だ。
(連邦保安官って、全国的な権限を持ってる保安官よね)
ルースもそこまで保安官制度に詳しいわけではなかったが、「連邦保安官はとにかく偉い」という認識があったのでショックも尚更だった。
「とんでもない連邦保安官だわ。フィービーって名前なのね……」
「フィービー・R・アレクサンドラだ」
フルネームを名乗られ、ルースとフェリックスは思わず声の聞こえた方に首を向ける。
「逃がすと思うか?」
「――ちょっと待って!」
銃を構えたフィービーの前に、ルースは進み出た。
「あなた、重要参考人のフェリックスを捕まえにここに来たわけじゃないでしょ? 悪人が町に入ったから来たんでしょう」
「まあな。だが、ついでだ」
ついでかよ、とフェリックスが肩を落とす光景を目の端に捉える。
「優先順位としては、悪人逮捕が先でしょ?」
「ああ」
「じゃあ、フェリックスに構うのは後にしてちょうだい。今、用心棒を取られるのは痛いのよ」
「ルース! 俺のために……!」
フェリックスが感激し、立ち直りかけた途端、フィービーが銃口を向けた。
「ふん、それもそうだ。残念だが、お前は後回しにしてやるか。逃げるなよ?」
「はいはい」
フェリックスは殊勝に頷いていたが、今にも逃げそうだった。
「それじゃあ、あたしたちも悪党を捜しましょ……って、そういえば悪党のこと聞いてなかったわ。誰なの?」
ルースの質問に、フィービーは黙って手配書を取り出した。
人相の悪い男が二人描かれている。賞金は二人合わせて二百ドル。
「ジャンク兄弟。クルーエル・キッドの配下だ」
「クルエール・キッドの?」
フェリックスの顔色が変わった。
「有名な人なの?」
「……ああ、ルースはまだ知らないのか。西部に暮らしてりゃ、嫌でもこいつの評判をどこかで聞くことになるよ」
フェリックスはその悪名高い悪党のことを説明した。
「“ブラッディ・レズリー”って団のトップだ。この“ブラッディ・レズリー”ってのが、とんでもない奴らでさ。殺戮に強盗に密輸に……とりあえず、悪どいことなら何でもするのさ」
「そして、リーダーのクルーエル・キッドという奴がまた厄介だ。頭が良いからか、未だに団員の誰も捕まっていないんだ。面が割れていないせいでな」
フィービーが付け加え、舌打ちした。
「クルーエル・キッド……って、もちろんあだ名よね」
「もちろん。憎しみをこめて、人々はあいつを“クルエール・キッド(残酷な坊や)”と呼ぶのさ。大体、皆殺しにするからな」
ルースは寒気を覚えた。そんなに危険な男が野放しになっているのかと。
「団員で初めて面が割れたんだ。何としても生きたまま捕まえて、キッドのことを聞き出すぞ」
フィービーは、もう勝ったような表情をしていた。
「ジャンク兄弟って奴らの顔は、どこで割れたんだ?」
「銀行強盗のときだ。他の仲間がさっさと逃げた後もお宝を漁っていたせいで、駆けつけた保安官に顔を見られたらしい。間抜けな奴らだろう?」
フェリックスの質問に答えながら、フィービーは鼻を鳴らした。
「キッドに消されないためにか、ブラッディ・レズリーにも合流せずに逃げ回っている」
「へえ。キッドに先越されないと良いな」
じゃないとせっかくの手がかりがあっという間に消されちまう、とフェリックスは肩をすくめた。
「心配無用。私が勝てないはずがない」
自信満々にフィービーは笑み、踵を返した。
「そこの小娘。せいぜいお前も頑張るんだな」
「あのね、あたしはルースよ」
小娘小娘と呼ばれ、ルースは腹を立てていた。
「私はフィービーだ」
名乗り合いたかったわけではないのに、フィービーは律義に名乗った。
「そういやフィービー。今日連れてるのは、いつもの保安官補じゃないんだな。とうとう逃げられたか?」
思い出したように放たれたフェリックスの指摘を受け、フィービーは不満そうな顔で振り返った。
「あいつは、前の町で後始末をしている。今日、連れてるのは臨時の保安官補だ」
臨時と呼ばれた男は無表情で礼をした。どう見ても、フィービーの傍にいるのが嬉しくはなさそうだ。
保安官は助手を雇うことができる。普通は常勤の正式な助手として雇うのだが、こうして一時的な助手を雇う場合もある。志願かフィービーによる指名で選ばれたかどうかはわからないが、もし志願したのだとしたら激しく後悔しているところだろう。
「後始末って……」
どんな面倒を起こしたのだろう。聞くに聞けなかった。
「じゃあな、お尋ね者に小娘。せいぜい頑張ってみろ」
フィービーは背を向け、去っていった。
(――変な人)
ルースは思わず、大きなため息をついてしまった。
「ハッ。そうだわ、あの人より先にジャック兄弟を見つけなくちゃいけないのよね」
「ジャンク兄弟だ。――関わらない方が良いと思うがなあ。よりによって、クルーエル・キッドの配下なんて……下手すりゃ命が危ないぞ」
フェリックスは、真剣な顔でルースを見た。
「わかったわよ! あたし一人でやるわよ!」
ルースがとうとう立腹してフェリックスを置いて走り出すと、彼は慌てて追ってきた。
「待て、ルース。それは危ない」
「うるさいわねっ! あんたって、ほんっとーに煮え切らない男ね!」
「ひどい! 俺、傷ついた!」
知ったことじゃない、とばかりにルースは益々足を速めたのだった。