4. Ghost

3


 結果、得られた証言はどれも似たようなものだった。
「その一、見る者によって幽霊は違うってこと。その二、気が狂う人や行方不明になった人も存在するってこと。その三、最近幽霊は現れていなかったこと」
 フェリックスの説明に、ルースとジョナサンは身を震わせた。
「冗談じゃないわ。すぐに出ていきましょうよ」
「うん、賛成」
「パパとママにも言わなくちゃね」
 ルースは立ち上がりかけたが、鷹揚に構えるフェリックスを見て眉をひそめた。
「どうしたのよ、フェリックス」
「別に。ただ、明日には解決するつもりだから」
 にっこり笑ったフェリックスの横顔を、オーウェンはつい凝視してしまう。
「おい待て、用心棒」
「何?」
「もう解決したってことか?」
「まあね。確証も得たし。ところで兄さん、俺と男同士の話しない?」
「もちろん断る」
「まあそう言わずに」
 オーウェンに冷たく跳ねつけられても、フェリックスは引き下がらなかった。
「幽霊退治に関係のあることだから」
「――本当か?」
 ルースやジョナサンには聞かせられない話、ということなのだろうか。オーウェンはいぶかしみつつも、フェリックスに続いて外に出た。

 月のない、暗い夜だった。
 町外れに立つ屋敷は、町よりも荒野に近い。コヨーテの獰猛な鳴き声が、どこか遠くで響いていた。
「――兄さん、さ」
 フェリックスは家から大分遠ざかったところで、ようやく足を止めた。
 ほの暗い光の中でも、彼の表情は手に取るようにわかる。――不可思議な自信に満ちた笑みを、浮かべているのだろう。
「ルースのこと、好きなんだろ?」
 思わず、むせた。何も口にしていないのにむせるなどおかしい、と冷静に考えながらもオーウェンはフェリックスを睨みつけた。
「どうして、わかるかって? そりゃあ、家族は気づかなくても他人の俺から見たら、あからさますぎてさ」
 馬鹿にしているのかと怒りそうになったが、それにしてはフェリックスの声音はいやに優しげだった。
「ていうか、俺への嫉妬が――ね。しかし兄さんも辛いね」
「お前に、何がわかる」
 オーウェンは舌打ちした。
「さあ。俺はウィンドワード一家の一員じゃないから、外からの目しか持ってない。兄さんに比べたら、そりゃわかってないさ」
 でもさ、とフェリックスは続けた。
「中から見てもわからないことだって、あるんだぜ?」
 フェリックスは目を細め、オーウェンに一歩近づいた。
「俺以外に、そのこと誰か知ってるか? いや、知っていたか?」
 フェリックスは、過去形に言い換える。
 オーウェンは答えなかったが、フェリックスは自然な様子でその名前を口にした。
「キャスリーン?」
「……なっ」
 図星だった。もう一人の義理の妹キャスリーンは、感情に聡い女だった。指摘され、慌てるオーウェンにキャスリーンはこう言ったのだった。
『オーウェン。私でよければ相談に乗るから。そんな顔しないで』
 変身とも言える変化を遂げるまで、キャスリーンは至って地味な女だった。しかし誰よりも気がつく、優しい人でもあった。
「ああ、やっぱりな。それで附に落ちたよ」
 一体何が、と質問する前にオーウェンは目を見張った。自分の腹に、フェリックスの拳が沈み込んでいたからだ。
 ずるり、と膝が崩れる。
「安心して、兄さん。あんたは間に合うよ。気づくのが早くて良かった」
 フェリックスの笑顔を見上げるようにして、オーウェンは大地に倒れ込んだ。

 ――兄さん兄さん、大丈夫?
 うるさい用心棒の声が聞こえる。
 ――今は、夢うつつってところかな。
 その通りの状態だった。ふわふわとしていて、自分が覚醒しているのか、それとも深い眠りの中にいるのか、皆目わからない。
 ――お兄ちゃん、大丈夫?
 これはジョナサンの声だ。用心棒と違って、声を聞くと安心する。
 ――良かったね、お兄ちゃん。牧師様が悪魔を祓ってくれたんだよ。
(ジョナサン? 一体、何を言っているんだ)
 ――オーウェン。あんたは悪魔に取り憑かれてたんだ。このごろの嫉妬、異常だったろ?
(そういえば俺は――そうだ、ひどくお前に嫉妬していた。気持ちを抑えることができなかった)
 ――幸い初期だったからさ、牧師の祈祷と聖水で祓うことができた。早く気づけて良かった。
(何だと? 俺に悪魔というのは本当なのか)
 ――残念ながらね。あの屋敷の幽霊も、正体は悪魔だったんだ。悪魔は誰かに取り憑き、力を得る。そして他の人たちに幻を見せたんだ。
(何のために、そんなことを)
 ――悪魔は人間の魂が好物なんだが、同時に負の力も好きらしくてさ。あの幽霊を使い、悔恨を呼び覚ましたようだな。悔恨の悪魔ってのは珍しい種類なんだが、やることが凝ってた。
 悔恨……。
 ――人の死に関する悔恨ってのは、悔恨の中でも強力だ。エレンさんも、ヘイリーさんの死に対して何らかの悔恨を抱いていたんだろう。
(母さんが? まさか……。あの二人は仲が良かったんだ。なぜ死んだのかとは思っただろうが、自分を責めたりは……)
 ――まあ、それは兄さんの意見だよ。少なくとも、エレンさんには何らかの悔恨があったんだ。それを兄さんに取り憑いた悪魔は、喜んで摂取したってわけ。
(俺に憑いた、悪魔が……)
 ――安心してくれよ。もう悪魔はどっか行ったからさ。でも、今後は気をつけた方が良い。
 後半でフェリックスの声が、にわかに真剣味を帯びた。
 ――兄さんは、嫉妬しやすいみたいだな。相手が相手だけに。悪魔は“嫉妬”が好きなんだよ。七つの大罪の一つだからな。
(用心棒……。お前は、何者なんだ)
 ――ここまで言って、わかんないかな。兄さん。
 胸に降りた一つの呼び名があった。悪魔を見透かし、悪魔を葬る存在――その名は、悪魔祓い。
 ――信じるも信じないも、兄さん次第だけどね。不快だったら忘れても良いよ。
 オーウェンの意識はそこで、途切れた。

 目覚めると、ルースの顔が視界に飛び込んできた。
「兄さん、良かった!」
 心底嬉しそうに笑う妹を見て、オーウェンは口元を綻ばせた。
「もう、びっくりしたわよ。いきなり倒れたなんて。大丈夫なの?」
「ああ。心配かけたな」
 身を起こして周りを見回す。ルース以外は、誰もいないようだった。
「フェリックスが担いできてくれたのよ。重い重い、って悲鳴あげてたわ」
 くすくす、ルースが笑う。
 微かな嫉妬がくすぶったが、前ほどどろどろとした感情ではなかった。
(ああ、良かった)
「兄さん?」
 ルースが怪訝そうにオーウェンを見た。
「――何でもない」
 そう、何でもない。何でもなかった。
 自分に言い聞かせるようにして、オーウェンは頷く。
 自分は悪魔になど、憑かれなかった――。
 忘れて良いと言われた言葉に、すがってしまいたくなった。

 部屋を出て居間に行くと、ジョナサンとフェリックスがチェスをして遊んでいるところだった。
「あ、お兄ちゃん。目が覚めたんだ」
 ジョナサンは立ち上がり、確かめるようにしてオーウェンに近づいてきた。
「ああ……」
 オーウェンがちらりとフェリックスを見ると、フェリックスはいつも通りの食えない笑顔を浮かべた。
「やあやあ、兄さん。元気になった?」
「ああ」
 何か言われるかと思って身構えたものの、フェリックスもジョナサンも特に何も言ってはこなかった。
「チェスなんて、この家にあったのか」
 オーウェンは何気ない話題を選んだ。ジョナサンは特にいぶかしみもせず、答えてくれた。
「物置みたいなとこ探検したら、チェス盤があったんだ。それでフェリックスに教えてもらってるの」
「そうそう、そういうこと」
 二人は嬉しそうに笑い合っていた。
「――用心棒」
 オーウェンに呼ばれ、フェリックスは顔を上げる。
「ん? 何、兄さん」
「……面倒をかけたな」
 それだけ言い残し、オーウェンは背を向けた。
 何だそりゃ、というジョナサンの不満そうな声が聞こえ、次にフェリックスがなだめる声が耳を掠めた。
「兄さんは忘れたいんだ。俺は別に良いよ。悪魔に憑かれるなんて、愉快な思い出じゃない」
 その言葉がフェリックスが悪魔祓いとして過ごした長き年月を物語っているような気がして、オーウェンは首を振った。
 ふと人の気配がして顔を向けると、エレンが立っていた。
「オーウェン、元気になったかい。何事かと思ったよ。いきなり牧師さんが来るし……」
 エレンの黒い目が、自分をじっと見つめる。フェリックスもそうだが、母もこのような目をすることがよくある。
 まるで、人に見えないものが見えるかのように。
「なあ、母さん。本当に、ヘイリーさんを見たのか」
 直球の質問にエレンは戸惑った表情になったが――すぐに、笑ってみせた。
「そうだね。はっきりとくっきりと。何年ぶりに、あの子を見ただろう」
 エレンは暗い影を見せない微笑みを浮かべていたが、その心中は一体どうなっているのだろう。
 母が弱音を零したところを、見たことがなかった。
 ヘイリーの急死によって歌い手がいなくなった一座を、立て直したのはエレンだったと聞いている。ヘイリーの清涼な歌声とはまた違った、低く甘い声でエレンは歌姫になったのだった。
 オーウェンは、実の父のことを知らない。「ろくでなしさ」と吐き捨てるエレンの言う通り、ろくな男ではなかったのかもしれない。
 ヘイリーが亡くなって数年経って、エレンがアーネストと結婚すると聞いたときは非常に驚いたものだ。
 抵抗も、覚えた。幼い少年特有の、母を守りたいという想いを踏みにじられたと思ったからだ。もちろん座長アーネストのことはよく知っていた。自分にもよくしてくれた。だからこそ。
 拗ねて母の呼び声にも応じず馬車の影に隠れていると、よちよち歩く少女が近づいてきた。
『オーウェン』
『ルース。なあ、どう思う? 俺たち、兄妹になるんだって」
 信じられなかった。同じ一座で兄妹のように育ったとはいえ、本当に兄妹になるとは思ってもみなかった。なのに、ルースは言ってのけたのだ。
『いーじゃない。ルースうれしい』
『嬉しい? 俺と兄妹になって、嬉しいのか?』
『そうよ。ルース、オーウェンとかぞくになれてうれしい。オーウェンは、うれしくないの?』
 純粋な、子供らしい言葉。それが温かく響いたのを、今も覚えている。
 ルースは受け入れてくれるのだと……心から嬉しくなった。子供は正直だ。オーウェンのように家族の誰かが取られてしまうと思って拗ねてしまうように、よそ者が入ることに抵抗を感じる子供も多い。
 だけれども、ルースは違うのだ。
『――嬉しい』
 この優しい少女がいるなら、他人とだって家族になれるだろうと確信した。
「オーウェン、どうしたんだい」
 ハッと我に返ったオーウェンは、エレンが心配そうに顔を覗き込んでいたので、苦笑した。
「すまない、母さん。何でもない」
「そうかい? なんだか、呆けたような顔をしていたけど。まあ、元気なら良かったよ」
 エレンが踵を返したところで、オーウェンはふと彼女を呼び止めた。
「なあ、母さん。どうして占いを止めたんだ?」
 オーウェンがフェリックスに母が占いを止めた理由を話さなかったのは、秘密にしたかったわけではない。ただ単純に、オーウェンも知らなかったからなのだ。
「当てちまったのさ」
 ぽつり、エレンが呟きを落とす。窓から吹いた夜風にその黒髪を弄ばせながら、エレンは泣き笑いのような表情を浮かべた。
「ヘイリーが死ぬことを、占いで当てちまった。そして、その通りになった」
 知らず、息を呑んでいた。それならば、エレンが悔恨によって悪魔にヘイリーの姿を取らせたのも、頷ける――。
「嫌なことを思い出させて、すまない」
「あんたが謝ることじゃないだろう」
 オーウェンは返事をしなかった。だが胸には、深い悔恨が渦巻いていた。
(俺の嫉妬が、悪魔を惹きつけたんだ……)
 オーウェンはエレンが行ってしまった後、居間へと戻った。フェリックスとジョナサンは、まだチェスで遊んでいた。
 居間を通り抜け、洗面所へと向かう。鏡に自分を映した途端、後ろから声がかかった。
「兄さん」
「――何の用だ、用心棒」
「最後に、何によって兄さんが悪魔に取り憑かれたかだけ教えておくよ。この、鏡だ」
 オーウェンは顔を強張らせ、鏡を凝視した。
「ここに悪魔が住んでいたんだ。めぼしい奴が映ったら、取り憑いてたって寸法さ」
「――そうか」
「あと、お願いがあるんだ。俺が悪魔祓いってこと、ルースには言わないでくれ」
「ルースに? なぜだ」
「理由は言えないけど……。兄さんは、俺に借りができたろ? それとチャラってことで。頼むよ」
 なぜ、ルースに言ってはならないのだろう。いぶかしみながらも、オーウェンは「わかった」と答えた。
「よろしく。それじゃ」
 それだけ言い残し、フェリックスは行ってしまった。
 助けてもらったのに無愛想なオーウェンに怒りもしないフェリックスを見ていると、自分が恥ずかしくなってくる。一言礼だけでも言っておかないと後味の悪いことになりそうだ。
 意を決して居間に戻ると、ジョナサンがきょとんとして見上げてきた。
「お兄ちゃん、怖い顔してどうしたの?」
「用心棒は、どこに行ったんだ?」
「外に出てったよ」
 ジョナサンに教えられ、オーウェンは一旦外に出たが、フェリックスの姿は見当たらなかった。
「おーい、兄さん。ここ、ここ」
 声がした方に顔を向けると、何と屋根の上にフェリックスが座っていた。
「お前、何てところに! 危ないだろうが!」
「あっれー。兄さんてば、俺のこと心配してくれてるのかな。嬉しいな」
「黙れ!」
 いつものように調子を狂わされ、礼を言う気が完璧に失せてしまった。
「それで良いんだよ、兄さん。あんたなりの礼ならさっき聞いた」
 心を読んだような台詞にオーウェンはぎくりとしたが、フェリックスは底の知れない笑みを浮かべるばかりだった。
「お前は一体、何者なんだ?」
 あまりの不可思議さにまた、問いを放ってしまう。
「兄さんが、夢の中で聞いた通りの存在だよ」
 悪魔祓い――そんな職業がこれほど似合いそうもない男もいないのに、オーウェンは不思議と納得してしまう。
 それはきっと、彼が何もかも見透かしてしまいそうな青い目を持っているからなのだろう。

To be Continued...