4. Ghost
2
つないでいた馬に乗る前に、オーウェンはフェリックスを問い詰めた。
「おい、お前。どういうつもりだ」
「どういうつもり、って?」
「あれでは、脅しだろうがっ」
オーウェンは思わず怒鳴りそうになったが、今が夜であることを思い出し、すんでのところで声量を抑えた。
「脅しだよ?」
悪びれた様子もなく言い切るフェリックスに、オーウェンはただただ呆れるしかなかった。
「わかってないな、兄さん。あの町長は、俺たちにすごく失礼なことをしたんだ。元から舐められていた」
「――そんなこと、わかっている」
旅芸人は流浪の民だ。芸を売って生計を立てる自分たちを低く見る者は、少なくない。
幽霊屋敷でも、旅芸人なら泊まれるだけで十分だろうと町長は判断したのだ。そのついでに幽霊退治をしてくれれば有り難い、とでも考えたのだろうか。
「だから脅すんだよ。また舐められないように」
「しかし――」
「兄さん、ここは西部だ。強い奴が生き残る、ある意味残酷で優しい世界さ」
フェリックスは、わずかに口角を上げた。月明かりが施した陰影のせいで、ぞっとするほど美しい微笑に見えた。
「それに、金はあるに越したことはないだろう?」
「まあ、な」
前回の町での収入がゼロだったので、正直苦しい状況だった。空き家の件を疑いもせず飛びついてしまったのは、そういう理由もある。
「だが、幽霊を何とかしないといけないんだぞ。そんなこと――」
オーウェンは途中で詰まったが、フェリックスがその後を引き取った。
「エレンさんには頼めない、ってか?」
正に自分が言おうとしていたことを当てられ、オーウェンは愕然とした。
「どうして、わかった」
「なに、単にあの一家の中で占いをしそうなのが、エレンさんぐらいしかいないからさ。どことなく、エキゾチックだし」
フェリックスは余裕しゃくしゃくだったが、オーウェンは面白くなかった。自分たちをまるで見透かしているかのようだ。
「だが、随分前に止めたんだ。あの町長も、どこで噂を聞いたんだか」
「何で止めたんだ?」
「……お前に、関係ないだろう」
きっぱりと教えたくない意志を提示すると、フェリックスはあっさり引き下がった。
「そうか」
「とにかく、母さんに頼むわけにはいかない。くそっ。俺がやるしかないか」
無責任な用心棒のせいで幽霊退治をする羽目になるとは、大誤算だ。
「いやいや兄さん。退治は俺に任せてくれよ」
オーウェンは一瞬、耳を疑った。
「お前に?」
「そうそう」
実に信用ならなかったが、元はといえばフェリックスが引き受けてしまったことだ。責任を取らせても問題はないだろう。
「……大口叩いたからには、ちゃんとやれよ」
「わかってますって」
フェリックスの軽い口調は、やはりどこまでも信用ならなかった。
二人が扉をくぐると、不安そうな面持ちのルースがすぐに出てきた。
「おかえり。どうだったの?」
「――この用心棒から聞け」
オーウェンはフェリックスに説明を任せることにした。自分だと、説明しながら怒ってしまいそうだったからだ。
「母さんの具合は?」
「大分、落ち着いたみたい」
「そうか。少し、様子を見にいってくる」
オーウェンは一言残して、母の部屋がある二階へと上がっていった。
エレンは“ぐったり”という表現がこの上なくふさわしい様子で眠っていた。
確かに、ヘイリーと言った。
ヘイリーのことはオーウェンも覚えている。ルースに少し似た面差しの、淡い雰囲気の女性だった。髪は、ルースのようなふわふわした金茶の髪ではなくジョナサンのように真っ直ぐな金髪だった。そう考えると、ルースよりもジョナサンの方が彼女に似ているのかもしれない。
ヘイリーはエレンと姉妹だったと聞いているが、あまりにも似ていなかった。昔、もっと大所帯だった一座では本当の姉妹でなくとも姉妹と名乗り合うこともあったらしいから、おそらく血はつながっていたものの「遠い親戚」ぐらいのつながりだったのだろう。
しかし――と、オーウェンは考え込む。
この屋敷に幽霊が出るとしても、ここから遠い地で亡くなったヘイリーの幽霊が出るなんてことが、有り得るのだろうか。
母の部屋から出たオーウェンは、腰に手を当てたルースに出くわした。
「兄さん。ママって、幽霊の影響受けやすいんだっけ?」
ずばりと聞かれ、オーウェンは戸惑いながらも頷いた。
どうやら、フェリックスから事情を聞いたらしい。
「まあ、そうだな」
かつて一座で百発百中の占いの腕を持っていた占師エレンは、どうも第六感のようなものが鋭いらしい。
「じゃあ、この家に幽霊がいるってことは、ほぼ確定よね。退治なんか――上手くいくのかしら」
ルースはまくしたて、途中で不安げに声量を落とした。
「あの用心棒は、自信満々だが……」
「ああ、フェリックスね。いつでも大きい口、叩くんだから。――でも」
ルースはふと、うつむいた。灰色の瞳が、けぶる。
「彼なら、上手くやる気がする」
「――ルース?」
「きっと大丈夫よね」
歌うように言葉を残して、ルースは足早に階段を下りていってしまった。
「何なんだ、一体……!」
オーウェンは我に返り、舌打ちをする。
とかく、面白くない。あの根拠のない信頼はおかしい。異常だ。
そもそもキャスリーンがいなくなったのも、ルースがおかしくなったのも、あの用心棒が現れて以来だ。
(味方の振りをしているが、実のところ、あいつはとんでもない悪党なんじゃないか?)
そういえば、とオーウェンは思い出す。
フェリックスが連邦保安官と険悪だったこと、指名手配されていたことを。
(なぜルースは、あんな奴を庇ったんだ……)
妹は手配書を破り捨てた。あのときの毅然とした表情を思い出すだけで、嫌な感情が湧きそうになる。
オーウェンがもやもやと考えている間、後ろの陰がうごめいていたことに彼は気づけなかった。
翌朝も、ルースは張り切って朝食を作っていた。
「あ、兄さんおはよう。一番乗りね」
「……ああ。手伝おうか?」
既に、変な色をした目玉焼きが三個ほどでき上がっている。
「大丈夫よ!」
「いや、今日は公演の日だろう? 料理の煙で喉を痛められちゃ困るからな」
「そんなこと、聞いたことないけど。ママの教え?」
「……ああ、そうだ」
これ幸いとばかりに、頷いてみせる。
「それなら――」
かくして、オーウェンはルースからフライパンを奪い取ることに成功したのだった。
あの目玉焼きは用心棒に食わせてやろう、と一つの皿に全て入れようとしたが――
「あら、だめよ。卵は貴重なのよ。みんな一つずつなんだから」
気づいたルースが、ご丁寧に目玉焼きを分ける。
どうせ父は下りてくるのが遅い。――ということは……
ジョナサンは徹底的に嫌がるだろうから、自分にも当たる可能性が非常に高い。
もっと早く起きておくべきだった、と後悔しながらオーウェンは卵を割った。
本日の朝食は好評だった――目玉焼きを除けば、だが。
「兄さん、料理上手いなあ。これから、ずっと作ってくれよ」
フェリックスはにこにこ笑って、オーウェンの料理を手放しで褒めた。
「馬鹿フェリックス! 図々しいこと、言わないでよ」
ルースは面白くないのか、頬をふくらませている。
「うん。これからは、お兄ちゃんのが良いな」
ジョナサンまで付け足すものだから、ルースは今にも噴火しそうだった。
「まあ、公演のときはな。協力しよう」
この場では無難なことを、言うしかなかった。本当ならば、自分でもずっと作ってやりたい。しかし、そんなことを言おうものなら、ルースは確実に気を悪くするだろう。
ルースは料理下手の自覚がない上に料理が嫌いでないから、厄介なのだ。
兄のひいき目かもしれないが、ルースも頭の回転も速いし、器量よしだ。だが、どんな者にでも、欠点はあるということだ……。
「ん? でも、この目玉焼きは色が悪……げほっ」
「それはあたし作よ。失礼ね」
ルース作の目玉焼きを口にしたフェリックスはせき込み、ルースの冷たい視線を浴びていたのだった。
用心棒が何やら屋敷を見回ってごそごそしている間、ウィンドワード一家はそれぞれの楽器や歌を練習していた。
「でもね、兄さん。あたしの心配は、幽霊屋敷を押しつけた人たちがあたしたちに悪意を持っていないのかどうか、ってことなの」
ルースはギターを爪弾くオーウェンに向かって、不安を口にした。
「……どうだろうな」
公演に支障が出るのは、オーウェンも怖かった。
「でも、エレンの噂を知ってたんだったら、反対に期待してる可能性の方が高いんじゃねえか?」
父が口を出してきた。
「だったら良いのだけどね」
結果としては……父の予想が、当たった。
公演には、観客がたくさん押し寄せた。大きな町であることも手伝い、今まででも一、二を争うぐらいの客の入りだった。
演奏を終えて一礼すると、町長が町人を代表して花束をルースに手渡した。
「申し訳ないことになりましたが……すみません、みんな期待していますので」
「……はあ」
拒むこともできずに、ルースは小さく頷く。それを見ていたオーウェンは、ちらりと観客を見下ろした。
熱狂的とも言える拍手が続いている。
これは演奏への純粋な拍手というわけではないのだ、と思うと実に複雑な気分だった。
家に帰ると、留守を預かっていたフェリックスが皆を出迎えた。
「よーう、みんなおかえり」
「ただいま。お母さんの具合はどう?」
ジョナサンは不安そうに、フェリックスを見上げた。
「特に変わりはないようだけど。皆さん帰ってきたところで、とりあえず俺は情報収集のためにサルーンに行ってこようかと」
「待て、用心棒」
オーウェンは今にも出発しようとしていたフェリックスの肩をつかんで、引き留めた。
「どうしたの、兄さん。怖い顔して」
「強面は元々だ。俺も連れていけ。――お前だけに任せておけん」
「まあ、俺は別に良いけど」
とは言いつつ、フェリックスは明らかに嫌そうだった。しかしオーウェンは構わず、フェリックスに付いていくことにした。
サルーンに足を踏み入れた途端、町人の視線が突き刺さった。
こういうことがあるから、オーウェンはサルーンが好きではなかった。サルーンは町の交流場でもあるため、よそ者が入ってくると嫌でも目立ってしまうのだ。
フェリックスは慣れた様子で、カウンターに近づいた。
「兄さん、あんまりきょろきょろしない。怪しいぜ?」
注意されてむかっ腹が立ったが、フェリックスの方がサルーンには詳しいだろうから、敢えて何も言い返さずに黙って従うことにする。
「兄ちゃん、見ない顔だね」
歯の欠けた老人が、フェリックスに近づいてきた。
「旅芸人の用心棒なんだ」
「あー道理で。ひひひ、そしたらあそこに住んでるんだね。ひひ」
老人は、おかしくてたまらないといった様子で、笑いをこらえていた。
何がおかしい、と胸倉をつかみそうになったところでフェリックスが口を開いた。
「じいさん、あの家のこと知ってるんだ?」
「知ってるさあ。ありゃ、何十年前のことになるかね……あのときから、あそこにはずっと幽霊が出るんだ」
「どんな幽霊か知ってるか?」
「さあてね。しかしみんな、違う幽霊を見てしまうんだ」
老人はちびちびとウィスキーを舐めながら、ぼんやり呟いた。
「みんな違う幽霊?」
「ああ。そして、気が触れる者もいる。気の毒さね」
それを聞いて、フェリックスとオーウェンは思わず顔を見合わせた。
「行方不明になる奴もいるんだ。せいぜい、気をつけるこったね」
老人はそう言い残して、席に戻っていってしまった。
「畜生。あの町長め――殴ってやらないと気が済まない」
「まあまあ、兄さん。一人だけに話を聞いたって仕方ない。他の人の意見も聞いていこうぜ」
フェリックスにたしなめられ、オーウェンは渋々頷いた。
フェリックスが動き出したのを見て、オーウェンも一人で飲んでいる客に、さりげなく話しかけてみることにした。