5. Dirty Juliet
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アーネストは、あっさり許可を出してくれた。
「まだエレンが本調子じゃないから、もうちょっとここに留まるつもりだったしな。お前が良いなら、協力してやったらどうだ?」
「了解。兄さんも一緒にどう?」
「――結構だ」
オーウェンは、フェリックスの誘いを一蹴していた。
(兄さんて、前にも増してフェリックスを嫌いになったみたいね)
ルースは首を傾げて、心の中で呟いた。
どうしてか知らないが、それもどこか引け目を感じているような嫌い方だった。
「僕、やりたい!」
オーウェンの代わりにジョナサンが挙手したが、フェリックスが答える前にルースが怒鳴った。
「ジョナサン、何言ってるのよ!」
「だって僕も、保安官バッジ付けたいもん」
「バッジ一つのために、命を投げ出す気? 絶対にだめよ」
ぽんぽん言い放つと、ジョナサンは気を悪くしてそっぽを向いた。
「お姉ちゃん、嫌い」
「まあまあ、ジョナサン。ルースは、お前を心配してるんだから」
アーネストが、慌てて取りなしている。
その光景を見て、ルースは自分に嫌気が差してしまった。
(どうしてあたしってば、こんなにきつい言い方ばっかりしちゃうのかしら)
謝ろうとしたとき、フェリックスが明るい調子で声をあげた。
「じゃあ俺は、保安官事務所に行ってくるので。オーウェン兄さん、留守番よろしくっ」
ジョナサンは連れていってほしそうにしていたが、フェリックスがさっさと出ていってしまったので意気消沈して肩を落としていた。
「僕もバッジ欲しいなあ」
(ジョナサンみたいにバッジが欲しいわけじゃないけど、今回の事件は気になるわね……。またフェリックスが捕まったら大変だし、様子を見にいってみようかしら。何か手伝えるかもしれないし)
もちろん反対されることはわかっていたので、ルースは二階に上がる振りをして、こっそり家を出た。
保安官事務所に、フェリックスはもういなかった。副保安官に聞くと、彼は保安官と一緒に事件現場に向かったと教えてくれた。
フェリックスはフィービーに捕まってはいないようで、安堵する。臨時保安官助手になったおかげだろう。
「そう」と返事をしたところで、いきなり誰かに腕をつかまれた。
「おやおや、わざわざ戻ってきたのですか。ご苦労なことですね」
エウスタシオの存在を、すっかり忘れていた。
無表情だが、内心は怒っているのだろう。つかまれた腕が痛かった。
「放して! あたしは、フェリックスの様子を見にきただけよ。フィービーは、どうしたの?」
「現場にいますよ」
エウスタシオは、少し苛立っているようだった。
フェリックスが臨時保安官助手になったものだから、捕まえて尋問というのができず、機嫌が悪いのだろう。
「私も現場に向かいます」
エウスタシオはルースの手を放してから副保安官に言い残し、走り去ってしまった。
「あんた、連邦保安官補とも知り合いなのかい?」
不思議そうに、副保安官はルースに尋ねた。
「――まあ、そうね」
知り合いには違いなかった。会ったのは、今日が初めてだったが。
どうやら、副保安官はルースを連邦保安官の関係者と勘違いしたらしい。
「では、我々も現場に向かおうか」
と誘われたので、ルースは副保安官の後についていくことにした。
事件現場は、町外れの荒野だという。現場に行くと、険悪な空気のフェリックスとフィービーが立っていた。
そんな二人をよそに、現場を熱心に調べる男性がこの町の保安官だろう。
「保安官、首尾はどうですか」
「ああ……今、遺体を運ばせたところだ。全く、無惨で見てられんかったよ」
副保安官の問いに答え、立ち上がった保安官はルースを見て、目を丸くした。
「お嬢さん、こんなところに来ちゃいかんよ」
その発言で振り返り、フェリックスぎょっとしていた。
「ここで何やってんだ? ルース」
「あたしも手伝おうと思って」
「手伝いは要らない。帰りなさい」
幼子に言い聞かせるような口調に、ルースはむっとして口を尖らせた。
「あれ? この女の子、連邦保安官の関係者じゃないのかい? 関係者だと思ったから、連れてきたんだが……」
副保安官の呟きを耳にして、エウスタシオは肩をすくめていた。
「彼女は、ただの一般人ですよ」
「あちゃあ……。しまった」
副保安官が頬をかいたところで、フェリックスがルースに一歩近づく。
「ルース。好奇心で、こういうところに来るな。遺体はもう運ばれたが、血痕が残ってるんだぞ」
それを聞いて、ルースは冷や汗をかいて自身の軽率な行為を恥じた。
「何を言い合っているんだ?」
フィービーが顔をしかめて、問い詰めてきた。
「こっちの話。ところでフィービー。あんたもこの事件を捜査するなら、友好的な態度取ってくれよな」
フィービーはフェリックスの頼みには答えず、背中を向けた。
「保安官、この男を雇って後悔しても知らんぞ」
「連邦保安官? もしや、この事件から手を引くんですか?」
「まさか。ただ、別行動するだけだ。エウ、行くぞ」
フィービーはエウスタシオを引き連れ、さっさと行ってしまった。
保安官は帽子を取り、ルースに会釈した。
「やあ。私はウィルソンだ」
「ルースといいます。よろしく、保安官」
ルースは差し出された手を取り、強く握った。
「保安官。悪いけど、この子を家まで送っていくから、少し抜けるよ」
フェリックスが、ウィルソン保安官に声をかける。
「良いわ。あんたは捜査を続けてよ。あたし一人で帰れるわ」
「そういうわけには、いかないだろ」
「私が、このお嬢さんを送り届けてきましょう。シュトーゲルさんは、捜査の続行をお願い致します」
「……そういうことなら、その子を頼んだ」
保安官が申し出たので、フェリックスは引き下がった。
(シュトーゲルって誰のことかと思ったら、フェリックスのことね)
そういえば、名字がシュトーゲルだった。すっかり忘れていたが。
「それではレディ、参りましょう」
保安官の後ろをとぼとぼ付いていくことにしたルースは、一度だけ後ろを振り返った。
フェリックスは既に、こちらに背を向けていた。
歩いている間ずっと黙りこくっているのも気詰まりで、ルースは話題を捜した。
「あの、保安官さん。この町に普段、こんな事件は……?」
「ないですね。普段は平和なものなんですが。お飾り保安官と呼ばれるほどね」
ウィルソン保安官は朗らかに笑った。確かに悪党と渡り合うよりも、孫の世話をしていそうな男である。
「幽霊屋敷の件では、ウィンドワード一家にはご迷惑を」
「え? ああ、あれ……」
ルースが気づかない内に幽霊退治がされたらしく、いつのまにか幽霊は出なくなっていた。
「グリー町長は、少し強引なところがありましてな」
「そのようね」
若くて自信に満ちたあの町長が、実のところ少し苦手だった。
「でも、あたしたちも助かってるわ」
思わぬ長逗留になっているが、ここの人たちは音楽が好きなようで、数を重ねた公演にも足を延ばしてくれる。
「それなら良かった」
保安官は柔らかな笑みを浮かべ、歯を見せた。
「ですが、町長も今度ばかりは余裕がないでしょうな」
「――どういうこと?」
ルースが問うと、保安官は不思議そうに目を丸くした。
「おや、お聞きでないのですか。殺されたのは町長の娘、オーレリアとその護衛たちだったんですよ」
ルースは思わず、息を呑んだ。
詳しい事情はわからなかったが、町長の娘が亡くなった旨は帰って家族に伝えておいた。
「そいつは大変だ。あの、えらく別嬪な嬢ちゃんのことだろ。参ったなあ」
話を聞いたアーネストは驚き、嘆息していた。
知り合いが死ぬことと、知らない人が死ぬこととは同じ事実でも感じ方は全く違う。近しいとは言えなかったにしても、衝撃は衝撃だった。
「フェリックスもショックだろうね。仲良かったし」
ジョナサンが、ぽつりと呟く。
「そんなに仲良かったの?」
しかし、あの用心棒は行く先々で女の子たちと仲良くなっている気がする。オーレリアもその一人だろう。
「オーレリアのお姉ちゃん、僕も少し話したことあるんだ。僕のフィドルを褒めてくれた」
そこでルースはムッとする。
(あたしの歌には、ケチつけたくせにね――)
毒づきかけて、ルースは首を振った。
(やめやめ。あたしってば、自尊心ばかり高くて嫌になっちゃう。自分が褒められなかったからって、こんな風に思うのは止めよう)
そのとき、ノックの音が響いた。
「俺が出る」
オーウェンが玄関に向かい、しばらくしてからオーウェンは一人の男を連れて戻ってきた。
「グリー町長――」
思わず呼んだルースに向かって、町長は弱々しく笑いかけた。
「やあ、ルース。実はお願いがあるんだ。私の家に、来てもらっても?」
ルースは自覚もなしに、自然と頷いていた。
居心地は良くなかった。オーレリアの遺体がこの家のどこかにあると思うと、得体の知れない恐怖が心に満ちる。
通された部屋で紅茶を飲みながら、ルースは落ち着かない気持ちで待っていた。
どのくらい待ったかも忘れた頃、ようやく町長が部屋に入ってきた。
「待たせてすまない」
「いえ……。でも、どのような御用向きなんでしょうか」
呼ばれる理由が、さっぱりわからなかった。
「オーレリアは、君の歌を気に入っていた。葬儀の後、彼女に歌を捧げてくれないだろうか」
びっくりするような、申し出だった。ルースは思わず冷めた紅茶を零しそうになり、慌ててカップをソーサーの上に置いた。
(彼女が、あたしの歌を気に入っていた?)
思い出すのは、彼女の辛辣な批評。
あんなことを言われたから、にわかに信じ難い話だった。
「あの、それは勘違いじゃないでしょうか」
ルースは正直に、オーレリアから受けた批評を町長に伝えた。もし町長の思い違いなら、ルースが彼女に歌を捧げることはむしろ失礼に当たるだろう。
しかし、グリー町長は思い直すどころか自信を持ったように、笑みを深めた。
「ああ、あの子はそういう子なんだよ。素直には褒めない。でも、声をかけるのは必ず気に入った相手だけだ。素直じゃないから、誤解もされやすいんだけどね」
「……そう、なんですか」
あれで、褒められていたのか。そういえばジョナサンに、どう褒められたかは聞いていなかった。
「私には、君の歌が好きだと言っていたよ」
ルースは途端に気恥ずかしくなってしまい、うつむいた。
「できれば、新曲を残してくれないか。オーレリアのための歌が欲しい。もちろん、ただでとは言わない」
「――わかりました。父に相談してみます」
ルースに、作曲はできない。たまにあるオリジナル曲は全て、父アーネストの作曲だった。
「良い返事を、期待しているよ」
あの威風堂々たる町長と同一人物とは思えぬほど、彼は憔悴し切っていた。