5. Dirty Juliet
4
フェリックスの帰宅は、夜が更けてからだった。軽やかな調子で、ルースに話しかけてくる。
「ルース、あの後ちゃんと帰ったか」
「ええ。で、どうなの。収穫はあったの」
「それがちっとも。――ていうか、みんな勢揃いでどうしたんだ?」
リビングにウィンドワード一家が揃って、全員が紙を片手に考え込んでいるのを見て、フェリックスは首を傾げた。
「歌作りだ。お前も一緒に考えるか?」
アーネストに誘われ、フェリックスは目を丸くした。
「歌?」
「それがね……」
ルースは町長から頼まれたことを、フェリックスにも説明した。町長の依頼を父に話すと「引き受けずにいられるか」と言われたので、承諾の返事をしたはいいが、肝心の歌作りは難航を極めていた。
「曲は良いとしても、歌詞が問題だ。俺たちは町長の娘のことを、よく知らない」
アーネストが盛大なため息をついてソファに倒れ込むと、隣に座っていたジョナサンが衝撃で若干跳ね上がっていた。
「そうだわ、フェリックス――あんた、オーレリアと面識あったみたいじゃない」
ルースの発言に、フェリックスは苦笑した。
「面識って言っても、サルーンで会って話しただけだぜ」
「サルーンで?」
意外な答えに、ルースは首を傾げた。
「オーレリアみたいなお嬢様が、サルーンに行くものかしら?」
「男の連れがいたから、そいつの付き添いじゃないか?」
「ふうん……」
ルースはがっくりと肩を落としたが、同時に少しホッとしてしまった。
「歌詞を作るためにも、オーレリアのことをよく知る人に話を聞いた方が良いわね。――といっても、町長に聞くのもね……」
傷を抉ることになりかねないし、何より彼は葬儀を控えて多忙に違いない。
「どうしたら良いのかしら。そうだわ、フェリックス。オーレリアと一緒にいた男性の顔って、覚えてないの?」
恋人か、友人かもしれない。
オーレリアは公演に来たとき、いつも誰かと一緒だった。たくさんの同年代の男性や女性を引き連れていたが、友達というよりもむしろ取り巻きに見えた。
「パッとしない奴だったから、あんまりよく覚えてないんだけどな。――待てよ。マイルズって呼ばれてたな」
「マイルズね――。明日、サルーンに行って聞いてみるわ」
いつも通りフェリックスに同行を頼もうと思ったが、ふとフェリックスの付けたバッジに目を留めてしまった。
彼は、今は臨時の保安官助手なのだ。昼間は捜査に駆り出されるだろう。
「俺が付いていこう」
「ありがとう、兄さん」
オーウェンの申し出に、ルースはにっこり笑って礼を言った。
翌日、ルースはオーウェンと共にサルーンへ向かった。
中に入ると、昼間から酒をあおる柄の良くなさそうな男たちが目に入った。
ルースはカウンター向こうのマスターに近づき、背伸びをしながら尋ねる。
「マスター。ちょっと聞きたいことがあるの。オーレリアさんがよく連れていた、マイルズという男性を知っている?」
「ああ……マイルズのことか。聞いてどうするんだ?」
マスターは警戒心も露わにルースを見下ろした。
「町長にオーレリアに捧げる歌を作るよう、頼まれたのよ。でも、あたしたちはオーレリアのことをよく知らないから――よく知ってる人に話を聞いてみたいと思って」
ルースの事情を聞き、マスターは肩をすくめて口を開いた。
「マイルズが今どこにいるかは俺も知らないから、保安官に聞いたらどうだ」
「保安官?」
「マイルズは、ウィルソン保安官の息子だよ」
思いがけない情報に、ルースとオーウェンは思わず顔を見合わせた。
マスターから仕入れたマイルズのもう一つの情報は、「とりあえずろくでなし」だった。
保安官の息子とは思えぬほどの、ろくでなしらしい。
二人が保安官事務所を覗くと、ちょうど保安官も副保安官も臨時保安官助手――つまりフェリックス――も、揃っているところだった。
「ちょうど良かった」
ルースが足を踏み入れた途端に、冷たい声が飛んでくる。
「おや。性懲りもなく、また来たんですか。今度は何の用です?」
ドアの影に隠れていて気づかなかったが、エウスタシオもいたらしい。小馬鹿にされつつ、艶然と微笑まれてしまった。
「ルースに兄さん。何でここに?」
「えっと、保安官に聞きたいことがあって」
フェリックスの質問を受け、ルースは咳払いしてからウィルソン保安官に向き直った。
「マイルズさんと、話したいんです」
途端に、穏やかな保安官の表情が強張った。
「あいつと話して、何をする気だ?」
そこでルースは、オーレリアの歌を引き受けたことを語った。
「ご期待には添えそうにないよ、お嬢ちゃん。情けないことに、私もあいつが今どこにいるか知らんのだ」
保安官は軋む椅子に体をもたせかけながら、絞り出すようにして告げた。
「オーレリアのことを、あいつに聞くのも筋違いだ。あいつはただの、オーレリアの信望者だ。あいつが語っても、オーレリアの真の姿は浮かんで来ない」
苦さの滲む、台詞であった。
呆然とするルースを見かね、副保安官がそっと耳打ちしてくれた。
「マイルズは、オーレリアにぞっこんだったんですよ。今、姿を消してるのも、そのせいですかね」
「――そうなの」
とにかく、これ以上保安官に話を聞くのは諦めるしかなかった。
マイルズこと保安官の息子の評判は、お世辞にも良いとは言えなかった。
サルーンのマスターだけではなく、町中の人が口をそろえて「ろくでなし」だと言った。
「父親が立派だと大成するか堕落するかのどっちかだって言うけど、マイルズは定型的な後者のタイプだったよ。そう、オーレリアぐらいのもんだな。あいつに付き合ってたのは。オーレリア自身、そんなに良い娘だったとは思えないがね」
中でもお喋りだったのは、ガンショップの店主だった。
「そもそも、グリー町長とウィルソン保安官は犬猿の仲だって知ってたかい?」
初耳だったので素直に首を横に振ると、店主はニヤリと笑った。
「グリー町長はあくどいことも結構やって、あの地位についたそうだ。対してウィルソン保安官はグリー町長の悪事を突き止めようとして、何度も失敗している。オーレリアとマイルズが仲良くなって、もちろん二人は面白くなかっただろうよ。仇敵の子供なんだからな」
(仇敵の家の子同士が、恋に落ちるって……そういう劇があったわね)
ルースはそんなことを考えたが、オーレリアはジュリエットにしては艶《あで》やかすぎる……と思い直した。
二人が話に聴き入っていることを確認し、店主は気を良くして益々、饒舌《じょうぜつ》になった。
「ここだけの話、犯人はマイルズだったんじゃないかって話だ。あいつなら、ブラッディ・レズリーに加入してても不思議じゃないからな。それに……」
ここで店主は言葉を濁す。
「それに、何?」
「いや、なんでもない。あんたらは一般人だもんな」
しかし、店主の顔に明らかに書いているようだった。『聞いてくれ。語りたい』と。
「教えてくれないか?」
オーウェンが素早く頼むと、店主はしめたとばかりに、にんまり笑った。
「そう請われちゃ仕方ない。俺はなに、野次馬してるときに気づいたんだよ。落ちてた薬夾が、マイルズに売った銃のものだと」
「偶然同じ銃だった、ってだけじゃないか?」
オーウェンの当然ともいえる指摘を受け、店主は「待ってました」とばかりに語った。
「あの銃は、珍しい銃なんだ。あんまり性能が良くないから、生産中止になってね。マイルズは見目がよければ良いとか言って、安値で買い叩いていったんだ。こっちも売れない銃を置いておくよりは、はした金でも売った方が良いからね。とにかく、あの銃を使っているのはマイルズぐらいのもんだよ」
店主は得意気に、胸を反らしてみせる。
「それ、保安官には言ったの?」
「もちろん。保安官にも連邦保安官にも語ったさ」
つまり、これで三度目になるわけである。いや、ほかの人たちにも語ってる可能性も大いに有り得た。
(じゃあ、もう犯人はわかったようなものだわ。あとは、捜し出すだけね)
とにかく、マイルズから話を聞くどころではなさそうだ。ルースは諦め、店主にオーレリアについても聞くことにした。
オーレリアの評判はマイルズほど悪くはなかったが、娘たちは辛辣に彼女を批判した。
「オーレリアはとにかく美人で金持ちであることを、鼻にかけてたわ」
「そうそう。男もすぐ騙されちゃって。マイルズなんか、そのせいで堕落したようなものよ」
「でも、それは元々かもしれないわよ?」
かしましい井戸端会議に発展しそうだったので、ルースとオーウェンは礼を言ってその場を後にした。
「……全然、参考にならないわ」
オーレリアに捧げる歌など、作れそうもない。
「いくら嫌な女だからって、死んだら同情ぐらい寄せられそうだけどな。よっぽどだったんだな」
そこでルースは、オーレリアのことを思い出す。確かに、はっきり言うタイプだとは思ったが――。
「もう良いじゃないか。家に帰って、後は父さんに任せることにしよう」
オーウェンがそっとルースの肩を叩くと、ルースは苦笑を浮かべた。
「きっとパパ、苦労するわね」
そう呟いた瞬間、銃撃の音が耳を掠めた。
子供の悲鳴が聞こえ、ルースはとっさに駆け出した。
「ルース!? 止めろ!」
追いすがるオーウェンの声にも足を止めず、音の元へ辿り着く。
そこには、赤い髪の子供が倒れていた。
「大丈夫? 撃たれた?」
彼を助け起こし尋ねると、少年は呆然とした表情のまま壁を指さした。
壁には血のごとく赤いインキでBloddy Laisleyと文字が描かれていた――。
「ブラッディ・レズリー!」
ルースは震撼し、兄を振り返る。オーウェンは堅い声で告げた。
「急ぐぞ、ルース!」
「ええ。あなた、立てる?」
呆けたような少年を立たせ、ルースとオーウェンは走る。いつの間にか、通りから人が消えていた。
そこかしこから、散発的な銃声が響く。
少年が一人飛び出し、サルーンの中に飛び込んだ。少年を追いかけて中に入り、彼らは自分たちの選択が大間違いだったことを悟る。
そこには、銃を携えた覆面の男たちが佇んでいたのだった。
ルースもオーウェンも、サルーンの客や店主と同じように後ろ手に縛られ、床に転がされた。
男たちは、不気味なまでに何も喋らない。顔の下半分をスカーフで隠し、帽子を目深にかぶっているので表情すらわからない。
「兄さん……どうしよう」
「どうしようもないな。大人しくしておこう。向こうの目的は一体、何なんだ?」
「こういうときに、フェ……フィービーが、来てくれたら助かるのに」
フェリックスと言いかけて、慌てて響きの近い連邦保安官の名前に直す。
「――ああ。連邦保安官なら、心強いのにな」
オーウェンがルースの言い直しに気づいた様子がないのに安堵し、ルースは息をつく。
(最近の兄さんのフェリックスの嫌いようは、異常だものね。危ない危ない)
ただでさえ危機的な状況だ。これ以上の、ぎすぎすした雰囲気は避けたかった。
(ああもう、どうしたら良いのかしら)
そこでルースは、さっきの少年がいなくなっていることに気づいた。
一方、話題に上っているとも知らないフィービーは、保安官事務所に送りつけられた脅迫状を眺めていた。
「なるほど。自分たちの仕業ではないのに勝手に犯人が一味の人間だと思われ、憤っているらしいな」
冷静なフィービーの呟きに、エウスタシオがため息をつく。
「あーあ。間違いなく、ちょっかいかけてきますね」
「ふん、上等だ。いつでも来い」
自信だけはいつでも欠かさないのが、フィービーという人間である。
「威勢の良いこった」
フィービーの強気に呆れていたフェリックスは、ふと保安官事務所の入り口から外を覗いた。
「――今、銃声が聞こえなかったか?」
遠かったが、乾いた音が確かに聞こえた。
今は、保安官と副保安官が見回りに出ているはずだ。
「何かあったみたいだな。行こう」
「私に指示するな。エウ、お前はそこで待機していろ。三十分経っても私たちが帰ってこなかったら、お前も来るんだ」
「わかりました」
フィービーはフェリックスに文句を言った後、エウスタシオに向かって指示を残して保安官事務所を飛び出した。