5. Dirty Juliet
5
散発的な銃声が響く。町の中心地からだ。
覆面の男を認め、フィービーが二丁拳銃を構えた。
「止まれ! 貴様、ブラッディ・レズリーの一味だな!」
「止まるのはそっちだ。こちらには人質がいる。そこのサルーンにな」
男の言葉に、フィービーもフェリックスも足を止めた。
「何が目的だ」
「馬鹿な噂を止めてもらいたい。俺たちは悪党だが、意味のない殺人はしない。金も絡まないのに、無駄なことはしない」
淡々と告げられ、フィービーは唇を噛み締める。
「今回のは、模倣犯か?」
「そうだ」
「そのためだけに、人質を取ったと?」
布と帽子で隠された男の表情はうかがい知れないが、どことなく彼が笑ったようにフェリックスは感じた。
「他にも目的がある。だが、それをお前に教える義理はないな」
「――取引か」
フィービーの呟きに、フェリックスは思わず彼女の横顔を見た。
「教える、義理はない」
男は吐き捨て、銃を撃った。とっさに二人は転がり、それぞれ近くにあった樽に身を隠した。
「チッ。あいつが見張りだな」
フィービーが舌打ちし、フェリックスは頷く。
「ああ。しかしあいつを突破したとして、サルーンに立てこもってるんじゃな……」
サルーンの中は狭い。突入しても、こちらが集中砲撃されては、お終いだ。人質が中にいるというのも問題だ。皆殺しにされかねない。
「もう一つのサルーンで、撃ち合ったからな。取引場所をこちらに変えたか」
フィービーは口惜しそうに言いながら、銃を握り締めた。
「取引って言ったな。そういえば、あんたがここに来たのは――もしかして、その取引現場を押さえるためか」
ようやく、フィービーたちがここに来た理由が紐解けた。
「ああ。この西部で、禁断の酒が出回っている。知っているか?」
「……いいや」
フェリックスは、ゆるりと首を振った。禁断の酒など、聞くのは初めてだった。
「その名も“エデン”。飲むと最高の気分を味わえるらしいが、同時に狂暴化するらしい。何せ、まだ情報が少ないから、よくわかっていない。だがとにかく、その酒の元はブラッディ・レズリーだ」
「買い手の見当は付いているのか?」
「誰でも欲しがるから、一番先にサルーンの店主が買おうとする」
「なるほどな」
他の酒に混じり、その禁断の酒をサルーンの客に売るという寸法だろう。西部の荒くれ者たちは酒を愛する。珍しい酒が入ったと知ったら、多少高くてもそれを買うはずだ。
「でも立てこもって売ろうとするなんて、おかしくないか?」
「交渉が決裂したんだろう。前のサルーンでも、おそらくそうなったのだろう。……ついでに、今回の事件は冤罪だと主張したい」
「なるほどー。フィービーって、案外頭良いんだな」
「黙れ。頭ぶち抜くぞ」
褒めたのに何で脅されないといけないんだ、とフェリックスは思わず不満を漏らす。
「しかし、交渉が連続で決裂するのは妙だ。本来の取引先は、別だったのかもしれんな……。そこがだめになったから、サルーンに持ち込んだのだろう」
フィービーの推理に、フェリックスは「本来の取引先、ねえ」と首を傾げた。
「人質のためにも、とにかく突入したいが……二人では、きつい。せめて、エウが来るまでは動けないな」
フィービーは見張りの男から目を逸らさなかった。
「そんな悠長なことしてられるか。あいつらの流儀は、“顔を目撃した奴は皆殺し”だぞ。サルーンの中は、どうなっていることやら……」
「――それもそうだな」
フェリックスに同意したフィービーはふと後ろを見て、にやりと笑った。
「三十分には、まだ早いが……あいつがせっかちで、助かったな」
エウスタシオが、走ってきたのだ。
彼の姿を認めた見張りが弾丸を放とうとしたが、それより先にエウスタシオの銃が火を噴いていた。
男の手が銃ごと吹っ飛び、悲鳴が上がる。エウスタシオは顔色一つ変えずに手を下ろした。
「相変わらず、恐ろしい銃を使ってやがる。よう、エウ。助かったぜ」
「あなたに愛称で呼ばれたくないのですが」
エウスタシオは冷たくフェリックスを睥睨してから、気を失った男に目をやった。
「捕らえますか、それとも放っておきますか」
「今は放っておく。サルーンに立てこもっているらしいからな。一刻も早く、突入だ。私とエウは正面から。お前は裏口からだ」
「はいはいっと」
フィービーの指示を受け、フェリックスはおざなりな返事をして走り出した。
一方、サルーンの中は恐慌状態だった。
「助けてくれ!」
喚く客はブラッディ・レズリーの一員と思しき男に蹴られ、黙りこむより他なかった。
「ほらほら、マスター。みんな怯えてるぜ? あんたが『うん』と言えば、みんな解放されるのにな?」
「だ、だが! そんな法外な値段払えるか!」
サルーンの店主が必死に言い募ると、男は痺れを切らしたように拳でカウンターを叩いた。
「だーから、待ってやるって言ってんだろ。売りつけりゃ相当な金になるから、それを俺たちに渡してくれりゃ良いの。理解できる?」
小柄な男だったが、口調も行動も随分と乱暴だ。
(まだ若そうね。だから血の気も多いんだわ)
ルースは同情して店主の方を見た。サルーンの主は、すっかり青ざめている。
「だが、そんな……売れなかったらどうするんだ」
「絶対売れるから心配すんな。で、イエスかノーか? ノーの場合は……」
男は近くにいた女の手をつかんだ。こめかみに銃口を当てられ、絹を裂くような悲鳴が女の喉から漏れる。
「この人、あんたの奥さんだよね。彼女から一人ずつ、殺していくけど?」
「――止めてくれ!」
店主は絶叫し、壊れた人形のように何度も頷いた。
「買う! 買うから止めろ!」
「――おっと、やっとわかってくれたか。それじゃあ、このことは皆様ご内密に――って言っても無理だよね? 俺の声を聞いてしまった親愛なる、皆様」
男は大袈裟な様子で一礼した。
「死んでもらうよ」
ルースは身を震わせ兄にしがみつきそうになったが、その前に後ろから誰かに肩を叩かれた。
「フェリ……」
「しーっ。裏口から逃げるんだ、ルース。兄さん、ルースを頼んだ。俺は他の人たちを誘導する」
そしてフェリックスは男たちに見つからないように姿勢を屈め、客たちにこっそり話しかける。
しかし、気づかれないはずもなかった。
「誰だ!」
向けられた銃口に反応してフェリックスも銃を抜いたが、彼らのどちらかが発砲する前に正面の扉から銃声が飛びこんできた。
「チッ。保安官のお出ましか!」
舌打ちして、男たちが応戦する。飛び交う弾丸と銃声で、サルーン内は大混乱に陥った。
「あいつらはフィービーたちに任せて、みんなこっちに!」
フェリックスの先導で、何とか客たちは脱出に成功した。
サルーンの裏口から、客たちは一斉に飛び出した。それぞれ好き勝手に逃げる中、フェリックスはルースとオーウェンを民家の影に誘導した。
「追撃の危険性があるから、ここに隠れてろ」
「あ、あんたはどうすんのよ」
「俺は――仮にも臨時保安官助手だし。ちょっと手伝ってくる。それに、これだけじゃ終わらないだろう」
「……終わらないって?」
「まあ、良いから。じゃあな」
フェリックスはあくまで軽い調子で言って、二人を残して行ってしまった。
「あいつ、何か勘づいているな」
オーウェンが、ぽつりと呟いた。
「兄さん、どういうこと」
「あいつは、オーレリアを殺した犯人がわかったのかもしれない」
「――え? ……本当に?」
サルーンで、この町の殺人事件にブラッディ・レズリーは無関係だと男は主張していた。
それならば、ブラッディ・レズリーは犯人ではない。嘘をつく理由もないだろう。
「一体、誰が彼女を殺したのかしら」
「さあな……」
二人はどちらともなく顔を見合わせてから、フェリックスが消えていった方向を不安そうに見やった。
比類なく美しき、オーレリア。
ひざまずいた青年に向かって、彼女は告げる。
「私のためなら、何でもしてくれる?」
もちろん、と彼は答える。それこそ悪魔に魂を売ってでも、と――。
老いた保安官は、いつしか見た息子と豪奢な女のやり取りを思い出す。
『あれは、悪い女だ』
息子に向かって告げた言葉を思い出す。
どんなに聖女のように振る舞っても、あの女に潜む悪は明らかだった。
ずっと、保安官として働いてきた。だからこそ、わかることがある。見えるものがある。
皆は「マイルズは、あなたに似ずに悪さばかりする」と嫌味をぶつけてきたが、彼らはわかっていない。
マイルズが、悪さばかりしているのではない。あの女が、悪さばかりさせているのだ。
「ウィルソン保安官!」
甲高い女の声で覚醒した。
「大丈夫ですか?」
「ああ……君は」
旅芸人の少女だ。可憐な顔が、今は青ざめている。
「あなたが倒れているのを見つけて、びっくりしたわ。見回り中だったんじゃないの?」
彼女の隣にいる青年は、公演で見たことがあった。彼女の兄だろう。
「ああ――確か、見回りをしていたんだ」
頭に走る鋭い痛みで、全てを思い出す。
副保安官と共に見回っていたら突如、後ろから殴られたのだった。
「保安官。外にいたら危険よ。ブラッディ・レズリーが現れたの」
「何だと!?」
ウィルソン保安官は起き上がろうとしたが、激痛に呻いてまた倒れ伏す。
「無理はしない方が良い。診療所に行った方が」
「いや、大丈夫だ。それよりも、気になることがある」
ウィルソン保安官は後頭部を撫で、ぬるりとしたものが指を濡らしたことに気づく。――血だ。
「あのとき、私は副保安官と二人きりだったんだ」
「つまり……」
「あいつが殴ったとしか、考えられない」
ウィルソン保安官は、信じられない思いで唇を噛み締める。何が、彼をそんな行動に走らせたのかが皆目見当がつかず、歯痒かった。
立ち上がるも、すぐにふらついてしまった。
「その怪我じゃ無理よ! 幸い銃撃戦は落ち着いたみたいだし、連邦保安官に任せましょうよ」
頷くのは悔しかった。この町を守ってきたのは、町の保安官である自分だ。決して連邦保安官ではない。
だが、少女の言う通り、今は無理のできる体ではなかった。
保安官事務所に入ると、既に連邦保安官が戻っていた。
「小娘、こんなところに来て良いのか」
「かえって、ここの方が安全でしょ。フィービー、ブラッディ・レズリーはみんな逃げたの?」
「姿は消した。だが、どこに潜んでいるかわからんぞ。ただ取引をしに来ただけならさっさと引き上げるだろうが、今回は取引に失敗しているから報復に出る可能性もある」
フィービーは大袈裟にため息をついてから、椅子にどっかと座った。傍らのエウスタシオが眉を上げ、オーウェンに肩を貸されている保安官をじっと見た。
「どうしたんですか?」
「部下に殴られたらしいのよ」
「部下? まさか、あの副保安官?」
エウスタシオは信じ難いといった表情で、肩をすくめた。
「何で殴るんだ。ボイコットか?」
フィービーが、とんちんかんな質問をしてきたので、ルースは思わず肩を落とした。
「あのね、もうちょっと考えてよ」
「ふむ」
連邦保安官はエリートなのだからフィービーも頭は悪くないのだろうが、どうにもそうは思えない。
「タイミング的には、取引絡みですかね……」
エウスタシオの発言に、誰もが神妙に頷いた。
(フィービーの代わりにこの人が考えるから、フィービーがどんどん考えなくなっていったのかもしれないわね。どんなものも、使わなくちゃ錆びるもの)
そう考えて、ルースは自分一人で大いに納得してしまった。
「どういうことだ。取引とは、何だ」
ウィルソン保安官が、エウスタシオの言葉に反応した。
「――そもそも、あなたに私たちが来た理由を話していませんでしたね」
そうしてエウスタシオは“エデン”の存在を語った。聞く内に、保安官の顔がさっと青ざめる。
「“エデン”……まさか」
「心当たりがあるのか?」
「ああ――そんな名前かは知らないが、一時期……噂になったんだ。最高に気分を良くする薬があると。そのときは酒ではなく薬と聞いたんだ……。どこからかマイルズが手に入れたらしい」
「じゃあやっぱり、マイルズはブラッディ・レズリーの一味なんじゃない!」
ルースが噛みつくようにして言ったが、エウスタシオは冷静に首を振った。
「いいえ。違うでしょう、保安官。あなたはマイルズがそれを手に入れたという情報を、誰から聞いたのです?」
恐ろしいほどの沈黙の後、保安官は絶望したように口を開いた。
「……副保安官だ」
「息子さんは否定しなかったのですか?」
「したが――わしは、信じなかった」
保安官は打ちひしがれたように、傷ついた頭を抱えて呻いた。
「ブラッディ・レズリーの一味……または協力者は、副保安官だ。だが、あいつは失敗した。消されるのも時間の問題――。おそらく、ブラッディ・レズリーの襲撃に怯えて逃げたのだろう」
「なら、殺人犯もあいつってことなのか?」
オーウェンの質問に、フィービーは考え込んで腕を組んだ。
「いや……あいつが犯人かつブラッディ・レズリーの一味なら、なぜブラッディ・レズリーは冤罪を主張するんだ?」
「それもそうだわ」
そこでルースは、とあることに気づく。
「ねえ、フィービー。フェリックスは?」
「知るか」
にべもない返事だった。
「フェリックスは、何か勘づいたようだったわ。フェリックスは、犯人が誰かわかったのよ」
ルースは今にも駆け出しそうだったが、兄にぐっと手首を握られて驚き、顔を上げた。
「外は危険だ。お前はここにいると良い」
「その通り。様子なら私たちが見にいってやろう。行くぞ、エウ」
フィービーは恩着せがましく言って、エウスタシオを引き連れ、駆けていってしまった。
「不甲斐ない……。本当ならば、私が行くべきだろうに」
保安官は呻いて、フィービーたちが去った方向を見やった。