5. Dirty Juliet
6
そこは、町を見下ろせる丘だった。フェリックスは佇む美女の背に向かって、名前を呼んだ。
「オーレリア」
彼女は、ゆっくりと振り向く。
どうして殺されたはずのオーレリアがここにいるのかを疑うこともせずに、フェリックスは彼女に一歩近づいた。
「マイルズは、どこだ?」
「――私も知らないの」
夕闇に、しんと冷えたような空気が漂う。
フェリックスは微かに目を伏せ、銃をホルスターから抜いた。
「誰を殺したんだ、オーレリア」
「……不思議な人ね。どうして、私がなぜ生きてるかって先に聞かないの」
「君に会ったとき、微かに悪魔の気配を感じたからさ。悪魔に憑かれた人間は、簡単には死なない。悪魔に殺される前に、死んだりしない。悪魔が、依り代を守るから」
オーレリアは静かな目で、会って間もない男を見つめた。
「悪魔?」
「そう、悪魔。だからこうして、気配を追ってこれた。君は、あの子を殺してしまったんだろう。――マイルズのために?」
オーレリアの形相が変わり、その背から突き出るものがあった。黒い、翼だった。
「殺すつもりなんて、なかったのよ。ただ、マイルズと――恋人になったっていうその子を見て、頭が真っ白になっただけ」
「君は、疑いもしなかったんだな。マイルズが、自分を愛しているということを」
たちまち、オーレリアの白い顔が、不健康な赤さに染まった。
「マイルズは、私に間違いなく心酔していたわ」
「だが、女としては見ていなかったのかもしれない。とにかく、君は怒り狂ったんだ。本当は、マイルズを愛していたんだろう」
愛されていると信じていた。疑いもしなかった。だからこそ、「裏切られた」と思って憤怒を自分でも止められなかったのだろう。
「信じられないわ。気がついたときにはマイルズの銃を奪って、私はその子と止めに入った護衛たちを殺していた。初めは決して、ブラッディ・レズリーの手口を真似したつもりはなかったのよ」
ただ、その女の顔を滅多刺しにしてしまっただけだった――と、オーレリアは主張する。
「怯えて逃げたマイルズを追う前に、私はブラッディ・レズリーのせいにしようと考えた。ちょうど、近々取引に来るってお父様から聞いていたからよ」
オーレリアは顔を上げ、首を振った。
「町長が、“エデン”を買おうとしていたんだな」
だがオーレリアがブラッディ・レズリーに殺されたと勘違いし、町長は取引を断ったのだろう。そして激昂したブラッディ・レズリーは代わりに、サルーンの店主に売ろうとした……。
「ええ、そうよ。知ってる? この町の副保安官は、ブラッディ・レズリーに通じているの。あの人も、私に心酔していた……。サンプルだといって、秘密の酒“エデン”をこっそり私にくれたの。ちょうどあのとき、私は気が塞ぎがちだったから……。せがんだら、すぐにくれたわ」
微笑み、オーレリアは話題を変えた。
「マイルズの恋人は背格好も似てたし、私の服を着せてあげたからみんな気づかなかったのね」
オーレリアは艶然と笑ったが、フェリックスは表情を動かさなかった。
「娘の不在を、心の底から心配している親がいるだろうに。なぜ、君は笑える?」
「笑えるわよ――」
ずるり、背中から翼が重そうにまだ抜け出してくる。赤黒い血が、ぽたぽた大地に落ちる。
「良い気味よ、本当に……」
低級の悪魔は人間の体に上手く同化できないため、体に変化を起こさせる。オーレリアに憑いている悪魔も、低級のようだった。
今喋っているのは、オーレリアなのか悪魔なのか。
オーレリアは大地に手と膝をついて、苦しそうに喘いだ。全身から血が流れている。同化が上手くいかず、苦しんでいるのだ。
「哀れなオーレリア。その魂までもが歪められてしまう前に、終わらせてやるよ」
真っ直ぐに構えた銃の銃口が、火を噴いた。
弾丸はオーレリアの腕に払われてしまい、フェリックスは息を呑む。顔を上げたオーレリアの目は、血走っていた。
フェリックスが後ずさると同時に、オーレリアはゆらりと立ち上がる。全身から血を流してもなお、彼女は美しかった。たとえ白目が血走り、青かった目が赤く光っていても。
口が裂けるほど大きく開けて、その白い牙を見せてフェリックスに飛びかかろうとしたが――彼女は戸惑って自分の足を見下ろす。上半身はもがくのに、足が動かないようだ。
フェリックスは哀しい気持ちになって、告げた。
「そうか、オーレリア。少し……意識が残っているんだな。かわいそうに。痛いだろう」
オーレリアは獰猛に唸ったが、下半身は頑なに動かなかった。
「マイルズを…………私は愛していたの。上手く、伝えられなかった。愛されることには慣れていても、愛することには慣れていなかった。マイルズも、取り巻きと同じように扱ってしまった……。だからマイルズは、他に恋人を作ったのね……」
彼女の目から、涙が伝った。
「痛くて苦しいわ。私はもう、助からないんでしょう? ……終わらせて、フェリックス」
「……望み通りに」
今度こそ、フェリックスの放った弾丸はオーレリアの胸を貫いた。苦悶の声が漏れ出て、オーレリアはぐったりと首を垂れる。――そうして、砂になって消えてしまった。
フェリックスは苦い気持ちを押し込めるように、乱雑にホルスターに銃を仕舞う。
(オーレリアは、“エデン”を飲んだのか……。悪魔に憑かれたときと、時期は近かったはずだ。何か関係があるのか?)
考えこんでいると足音がして、フェリックスは振り返る。
フィービーとエウスタシオが、厳しい顔をして立っていた。
「先ほど、銃声がしたようだが?」
「ああ……物音がしたから、ブラッディ・レズリーかと思って、撃っちまったんだ。誰にも当ててない」
「ふむ? ――おい、あの小娘が心配していたぞ。戻ってやらないのか」
「ルースが? それは大変!」
フィービーの話を聞いて、フェリックスはこれ幸いとばかりに走り出し、フィービーたちの横を通り過ぎた。背中に刺さる視線が痛かったが、気にしないようにした。
マイルズは隣町で見つかり、捕獲後に父親でもあるウィルソン保安官にじっくりと絞られることとなった。
「そもそも、殺されたのはオーレリアじゃない! オーレリアが、シンシアを殺したんだ!」
わっと泣き出すマイルズに呆れたウィルソン保安官は、シンシアという娘が最近、息子とよく出かけていたことを思い出した。
背格好がオーレリアにそっくりだったので勘違いしたこともあるぐらい、彼女たちは体型や後ろ姿が似ていたのだ。
「父さんがオーレリアはだめって言うから、あの子を選んだんだ! そしたらオーレリアに殺されそうになって……散々だよ!」
「そんな理由で……。お前は、オーレリアが好きだったんじゃないのか」
「ああ。でもオーレリアは決して俺を愛してくれなかったし、優しくしてくれなかった! シンシアは、俺を愛してくれたんだ。父さん、何でそんな顔するんだよ。あんたの思い通りに、オーレリアじゃない娘を選んだのに!」
ウィルソン保安官はぐっと拳を握り締めて一旦、保安官事務所を出た。
ふと気がつくと、フィービーが隣に立っていた。
「なんという馬鹿な息子だ」
「……申し訳ない」
「だが、言っていることは本当のようだ。シンシアという娘は行方不明中らしい。先ほど親が届けにきていたぞ」
フィービーから失踪届を渡された瞬間、ウィルソン保安官は哀しげなため息をついた。
「愚息は確かに馬鹿です。しかし……私も同じぐらい、馬鹿に違いないですな」
老保安官の独り言めいた呟きに、フィービーは眉を上げただけで何も言葉を返さなかった。
町は大騒ぎとなった。両親が遺体を見たところ、やはりオーレリアではなくシンシアだったことが発覚したのだ。
ならば、オーレリアはどこに行ったのだろうか。町長の指揮下で大規模な捜索が行われたが、ついぞ彼女は見つからないままだった。
その代わりのように、町外れで町の副保安官の遺体が見つかった。ブラッディ・レズリーと取引先の仲介をしようとしたが、上手くできず失敗したと思った彼は逃げようとして、ブラッディ・レズリーに消されたのだろう――というのが連邦保安官の見解だった。
夜、保安官事務所で報告書を書き殴っていたフィービーは、ふと差した影に気づいて顔を上げた。
「お前、何の用だ」
「――耳よりな情報を持ってきた」
フェリックスが腕を組んで、戸口のところに立っている。月あかりが逆光になって、彼の表情はうかがい知れない。
「タダか?」
「金は取らない。だけど条件がある。情報の出所を聞かないことだ」
「――ふむ」
フィービーはペンを置き、首を傾げて考え込む素振りを見せた。
「よかろう。ろくな情報じゃなかったら、信じなければ良い話だ。話せ」
傲然とせがまれ、フェリックスは苦笑しながら情報を口にする。
「“エデン”の取引をしようとしたのは、町長だ」
「何だと?」
「締めあげれば、何か出るかもしれないぞ。じゃあな」
ひらひら手を振って行ってしまうフェリックスの背を見送り、フィービーは傍らに座っていたエウスタシオに尋ねる。
「どう思う?」
「締めあげてみましょう」
エウスタシオは、まるでお茶に誘われたときの返事のごとく軽やかな調子で答えた。
エレンの体調も完全に回復したので、ウィンドワード一家は、この町を発つことにした。
「居心地は良かったがなあ。やけにトラブルの多い町だった」
父の呟きを聞いて、ルースはふと思う。
(今まで行った町で、トラブルがなかったことなんて、あったかしらね)
大体、何らかの事件に巻き込まれている気がしてならない。
「あ、あたし……ちょっと、買い物してきて良い?」
「良いけど、どうかしたのかい」
「服を買おうと思って。今日も安売りやってる、って貼り紙見たから」
遠慮がちにエレンに答えると、彼女はふっと笑った。
「行っておいで。気をつけるんだよ」
「ええ!」
みんな幌馬車で出立の準備をしているため、ルースは一人で服屋に向かった。
幸い、今度はそれほど混み合っていなかった。
(色々あったから、みんな外出を控えてるのかもね)
ルースが服屋に入ろうとしたとき、入れ替わりに出てきた男がいた。金色の髪に、幼い顔立ち。背の低さもあいまって少年に見えたが、表情は妙に老成している。
肩が当たり、彼は軽く「失礼」と言って去っていった。
ルースは彼の声をどこかで聞いた気がして、その背をつい凝視してしまった。視線を感じたのか、男が振り向く。
目が、合った。
先に目を逸らしたのは、ルースの方だった。気まずさを振り払うためにも慌てて店内に飛び込み、めぼしい服を捜す。
しかし安売りの割に値が張るものばかりで、諦めるしかなかった。代わりに、あたたかそうなストールを一つ買うことにする。
(何かしら。嫌な予感がするわね)
会計を終えて、恐る恐る店を出る。さっきの男は、既に姿を消していた。
「ルース、ここにいたのか」
フェリックスが息を弾ませて、こちらに向かって走ってきた。
「うん。ママには言っておいたわよ」
「声をかけてくれたら、付いていったのに」
「さすがに真昼間だから大丈夫よ」
「しかしなあ。仮にも、ブラッディ・レズリーの襲撃に遭った町だぞ?」
そう言われて、ルースは苦笑した。
「もう、いないんでしょう? ブラッディ・レズリーって、あっという間に消えたわね。何だったのかしら」
忽然と姿を消してしまったので、一人も捕らえられなかったようだ。
連邦保安官補が気絶させた男も、突入後に消えていたという。誰かが連れていったのだろう。
「必要がなければ長居をせず去る。頭の良い連中さ。だから、ずっと西部を脅かし続けられる」
「ふうん。本当に、怖いわね」
サルーンでのことを思い出すと、肝が冷える。そしてルースは、そこでハッとした。
「ルース?」
「いえ、何でもないわ」
ルースは笑顔を浮かべて、紙袋を抱きしめるように抱え直す。
(あのブラッディ・レズリーの男に……声が似ていなかったかしら?)
されど、ルースは「失礼」の一言しか聞いていない。いくら耳が良い方だとはいえ、あれだけで声が判断できるのかと問われれば、自信がない。
「ねえ、フィービーってまだいるの?」
「フィービーは護送に同行したから、もういないぞ」
町長はブラッディ・レズリーと取引をした証拠――大量の麻薬――が見つかり、お縄頂戴となったのだった。もっとも、秘密の酒“エデン”は町長の家では見つからなかったらしいが。
「何か用だったのか?」
「ううん、聞いてみただけよ」
今度会ったときにでも言ってみようか、とルースは考えた。フィービー相手ではまともな話になりそうにないので、あの保安官補に言った方が良いかもしれないが。
「また、会えるわよね?」
「俺は会いたくないけどな。――まあ、ブラッディ・レズリー担当だし嫌でも会うだろ」
心底嫌そうなフェリックスが面白くて、ルースは声を立てて笑ってしまう。
フェリックスの後ろを歩きながら、ルースはふと旅立とうとしている町を振り返る。
結局、オーレリアの歌は完成しなかった。依頼人が捕まってしまったのでは、仕方ない。
(でも、最後に彼女に捧げたかったわ……)
ことの顛末《てんまつ》は、フェリックスから聞いて知った。
オーレリアはマイルズを愛していたのに、マイルズが彼女を作ったので怒り狂って、マイルズの彼女や護衛たちを殺してしまったのだと……。
誤解されがちだった、というオーレリア。本当はマイルズを愛していたのに、上手に伝えられなかったせいで二人の関係は悲劇に陥ったのかもしれない……。
「ちょっと」
男は先ほど買った甘ったるいキャンディを舐めながら町の外に向かっていたが、ふと呼び止められて足を止めた。
赤い髪の子供を目にして、男はにやりと笑う。
「よう、ルビィ。もう帰るぜ。用事終わったし」
「せっかく誘き寄せたのに、さらえなかったの? 大失態だね」
簡潔に、子供は毒を吐く。
「まあ良いじゃないか。さらおうと思ったら、いつでもさらえる。今回は、分が悪かった」
「のんきで良いね。あんた、声を聞かれたんじゃないのか? 大丈夫なのか?」
「だーいじょうぶ。本当だったら、皆殺しにしたいところだけどな。声だけで、俺様を突き止められるわけないって」
ただ、と男は町の方を振り返る。
まだ舐め終わってない飴を吐き出し、不敵な笑みを浮かべる。
「あの子の目、気になったなあ」
そうして彼は、子供と並んで町を後にしたのだった。
To be Continued...