4.  The Missing

失踪


 他の乗客が気づいたせいで車内が騒然となる中、エウスタシオは、ぐったりとしたフィービーを抱き上げた。
 ひどく、重い。
 頭が真っ白になって、何も考えられない。
「……誰か、医師は!?」
 ハッと我に返り、怒鳴ると乗客の一人が「他の車両に呼びかけてきます!」と慌てて走っていった。
 少し冷静になった頭で、これは毒に違いないと悟る。
(吐かせなくては)
 そのとき、ばたばたと足音がして初老の男が駆け寄ってきた。
「私は医師です! 退いてください!」
 すぐに医師がフィービーの傍に膝をつき、処置に取りかかる。
 離れながら、エウスタシオは自分の拳が震えていることに気づいた。

 座席に横たわったフィービーを診て、医師はエウスタシオに頷きかける。
「おそらく、もう心配はないと思いますが……次の駅で降りて、休まれた方が良いですよ」
「……やはり、毒なんですね」
「ええ。この反応から見てそうですね。すぐに吐かせたのが良かった。私も一緒に降りましょうか?」
 申し出は有り難かったが、エウスタシオは首を振った。
「いいえ。降りるまで診ていただけたら、それで充分です。本来は停車しない、ウォーターソンの駅で停めてくれるそうなので」
「そうですか。ウォーターソンは中規模の町なので、大きな病院もあると思います。それでは、しばらくはここにいましょう」
 医師は微笑み、フィービーが横たわる席の正面でごそごそと鞄を探っていた。
「私は少し離れます。彼女を、よろしくお願いします」
 まだ青ざめたフィービーの顔から目を逸らし、エウスタシオはホルスターから銃を抜いた。
 医師の返答を待たずに歩き出す。興味津々でこちらを見てくる視線を蹴散らかすように、大股で座席間の通路を横切った。
 車両を二つ通り抜け、出た先は小さな食堂車だった。
 ここで、あのジュースを買ったのだ。
「保安官補……」
 慌てたような老人がエウスタシオを見上げる。先ほど問い質したばかりなので、また何を聞かれるか不安なのかもしれない。
「私たちは、次に停まる駅で降ります。時間がないので、もう一度聞きますが――本当に、あなたは覚えがないのですね?」
「ああ、はい。そもそも、わしはあなたに売った覚えがない。さっきも言ったように、わしが席を外してるときに……」
「あなた以外の誰かが私に、ジュースを売ったということですね」
 エウスタシオは買ったときのことを思い出したが、確かにこの老人は店番をしていなかった。かといって、他にここで働いている者はいないらしい。
「途中の駅で交代するんですがねえ……。それ以外、代わることもなし……」
「あなたは、どうして持ち場を離れたんですか?」
「車両の調子が悪いから、一緒に見てくれって言われて。作業員かと思ったけど……さっき保安官補に集められたとき、面子にいなかったんですよ」
 そこでエウスタシオが眉をひそめた。
「あなた、顔を見たんですか?」
「いいやあ。帽子を目深にかぶっててね」
「……そうですか」
 帽子を目深にかぶっていたのは、エウスタシオが来たときに店番をしていた男も同じだった。
 二人、いたのだろう。
「――もう一度、捜しますか」
 エウスタシオはため息をつき、今度は車掌室に向かった。

 車掌と共に列車内を見て回る。怪しい人影はなかったが、半分まで来たところで作業員の一人が走ってきた。
「保安官補! 大変です!」
「どうしました?」
「列車後部の扉に、こじ開けられた後がありました。あそこは普段使わないので、閉鎖しているのに……」
「案内してください」
 途中で遮り、エウスタシオは案内を頼んだ。

 言われた通り、鍵が壊され、扉が少し開いていた。倉庫にもなっている車両の扉を使った可能性は、一つしか考えられない。
「飛び降りたんですね」
 これでは追跡は不可能だろう。
 もう次の駅も近い。もう少し調査を続けたいところだったが、エウスタシオは座席に戻ることにした。

 列車が止まった。
 ぐったりと横たわるフィービーの背中と椅子の間に手を入れかけたところで、フィービーが目を開いた。
「……エウ、良い。自分で歩ける」
 まだふらふらとしていたが、フィービーは自ら立ち上がった。
「大丈夫ですか?」
「ああ……」
 おぼつかない足取りだったので、エウスタシオは肩を貸すことにした。
「荷物は、私共が運びましょう」
 車掌と作業員が二人の荷物を持ち、後を追う。
 ホームに着き、一旦エウスタシオはフィービーをベンチに座らせた。
 荷物を運んでくれた二人に礼を言うと、彼らは恐縮しながら列車に乗り込んでいった。
「とりあえず、病院に向かいましょう。歩けますか?」
「ああ……。大丈夫だ」
 フィービーはあくびをして立ち上がる。外の空気を吸ったためか、さっきよりも顔色が良くなっていた。

 医師の診断は「もう大丈夫」とのことだったので、フィービーとエウスタシオは宿で休むことにした。
 フィービーは崩れ落ちるようにして、ベッドに横たわっていた。
 彼女にかけ布団をかけてやってから、エウスタシオは傍にあった椅子に座り、暗い室内を眺めた。
 もうとっくに日も暮れて夕食の時間になっていたが、食事を取る気にもなれなかった。
 布団から、白い手が出ている。その手が、エウスタシオにあのときのことを思い出させた。
『私の、手を取れ』
 暗闇から伸ばされた、白い手。
『お前の、本当の名前を私は知っているぞ』
 自分も、他人も忘却したはずの古い名前を彼女は口にしたのだった。
『エウスタシオ――』

 いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。
 窓から差し込む陽の光で覚醒したエウスタシオは、痛む体を意識しながら立ち上がった。
 覗き込むと、フィービーはすやすやと眠っていた。顔色も呼吸も問題なさそうだ。
「フィービー様、起きてください」
 揺さぶると、フィービーは重そうにまぶたを開いた。
「……うん? どこだ、ここは?」
「しっかりしてくださいよ。ここは、途中下車した駅近くの宿屋です。体の具合は、いかがですか?」
「うーむ。だるい」
 フィービーの答えに「そうですか」と相槌を打って、エウスタシオは彼女の顔を再度覗き込んだ。
「顔色は、そんなに悪くありませんね」
「そうか?」
「ええ。それでは一足先に食堂に行ってますので。ごゆっくり」
 エウスタシオは帽子を携え、さっさと出ていった。

 朝食を取りながら、エウスタシオは昨日の毒物事件の詳細をフィービーに語った。
「ふーん。やはり、私の予想通りじゃないか。列車強盗が私たちに気づいて、毒を盛ったんだ。降りたのは間違いじゃないのか?」
「倒れておいて、何を言っているんですか。それに、私たちはたった二人ですよ? 列車強盗をするなら、相当の人数で挑むはず。そこまで脅威を覚えるとは思えません」
「わからないぞ。私の評判が、とどろいているのかもしれない」
 フィービーは得意げに胸を反らし、スクランブルエッグを頬張った。
「――それはともかく。やり方が、まわりくどすぎますよ」
「確かにな……」
「列車から逃げたことも、列車強盗ではないと思う理由です。それに――あの列車の貨物部分に何が載っていたと思います?」
 エウスタシオの問いに、フィービーは首をひねった。
「さあ」
「大量の藁と肥料ですよ。あまり価値があるとは言えません。売るにしてもかさばります」
 つまり、最も強盗が狙いにくい貨物だったのだ。
「じゃあ列車強盗じゃなかったとして、何で私に毒を盛ったんだ?」
「……それが、わからないんです。恨まれる覚えは――私もフィービー様も大いにあると思いますが、あんなに用意周到なことをする必要がありますかね?」
 エウスタシオは食欲をなくし、途中にも関わらず、もうフォークを置いていた。
「お前のにも毒が入ってたのか?」
「ええ。薬屋に確かめてもらいました。つまり二人を狙ったんですね」
「……ふむ」
 フィービーは全て食べ終え、パンくずが付いた手を払っていた。
「わけがわからんな。だが、私たちはブラッディ・レズリー担当だ。ブラッディ・レズリーの奴が、ちょっかいを出したんじゃないか?」
「ブラッディ・レズリーが、連邦保安官を怖がるとも思えないんですけどね」
「それか……エウ」
 フィービーはここで声をひそめた。
「お前の存在が知られたのかもしれん」
「私の――?」
「ああ。今は、どこから情報が漏れるかわからないしな。警戒しろよ。ブラッディ・レズリー担当の連邦保安官の中でも、私たちが一番真相に近づけることは確かなんだ」
 フィービーは人差し指を立て、己の赤い唇に当てた。
「はい」
 エウスタシオは、深刻な面持ちで頷いた。

 朝食を終え、フィービーにはもう少し横になっているように諭し、エウスタシオは昨日訪れた薬屋に向かった。
「いらっしゃい――ああ、保安官補!」
 エウスタシオの姿を認めた途端、店主は新聞をカウンターに置いて立ち上がった。
「昨日、依頼した毒の選定は――もうできていますか?」
「ええ、ええ。しかし保安官補。この毒って……」
「何か、不審な点でも?」
 エウスタシオが眉を上げると、店主は首をひねった。
「不審というか……この毒は、致死ではないんですよ」
「何ですって? 致死量に満たなかった、という意味ですか?」
「いいえ。種類が、です。体の痺れと高熱を起こさせますが、ひどい症状は一日ぐらいで収まります」
 つまり、死なない毒を盛られたというわけだ。
 ブラッディ・レズリーにしては、手ぬるすぎるが……捕らえるためかもしれないと思うと、腑に落ちた。
「そうですか」
「はあ。あ、それではこの結果を書いた紙をどうぞ」
「どうも」
 エウスタシオは紙を受け取ってから、紙幣を店主の手に載せた。
「こ、これはありがとうございます!」
 思ったより多かったのか、店主はにやにやを隠しきれない表情で頭を下げていた。

 戻ってフィービーに毒の件を報告すると、フィービーはベッドに身を横たえたまま腕を組んだ。
「妙な話も、あるものだな」
「ええ。ですが、殺すつもりではなく捕らえたかっただけだとすれば、ブラッディ・レズリーの可能性もあります」
「ふむ」
 まだ本調子ではないのか、フィービーは億劫そうに体を起こした。
「これから、どうします?」
「毒を盛った奴を追うにしても、手がかりがない。とにかく一旦、予定通り東部に戻ろう」
「そうですね」
 二人は互いに釈然としない表情のまま、頷き合った。
「実は、この町の駅からは、東部直行の列車には乗れないんですよ。今回は、特別に下ろしてもらったんです」
 大陸横断鉄道は文字通り西部と東部をつなぐ鉄道であり、西部と東部を行き来するときは相当な距離を走るので、全ての駅には停まらない。
「だから、少し離れた町の駅まで馬で移動しなければいけません」
「面倒だな! 馬は預けてしまっただろう。どうするんだ」
「交渉して、借りてきます。フィービー様、明日には出発できそうですか?」
「無論だ。何なら、今すぐでも大丈夫だ」
 フィービーはベッドから降りようとしたが、エウスタシオは静かに手で制した。
「念のため、今日一日は休んでおいてください。それでは、借りてきますので」
 エウスタシオはそう言い残して、部屋を後にした。
 廊下を速足で歩いて宿の玄関から、外に出た途端――視線を感じた。
 思わずホルスターに収まった銃に手を当てたが、感じた視線は消えていた。
 しかし、先ほどまで自分を見ていた者がいることは確かだ。
 なんとも居心地が悪いと思いながらも、エウスタシオは歩を進めた。

 馬主は、気前よく承諾してくれた。
「ええ、もちろん良いですよ。お好きなのを選んでください。リングヘッドの町まで、うちの者を同行させますが、よろしいですか?」
 随分と大柄な男だ。まだ背が伸びきっておらず、男性にしては小柄なエウスタシオは、首が痛くなりそうなほど見上げなくてはならなかった。
「ええ。返しに来られませんからね」
 愛想も兼ねて微笑むと、馬主の男は、がっはっはと笑った。
「ところで、連邦保安官補――ですかね?」
「ああ、ええ」
 普段はポンチョでバッジを隠していることも多いのだが、あの不穏な視線があったので、わざと前をいつもより広げてバッジを見せていたのだった。
「ちょうど良かった。俺、実は聞きたいことがあって」
「何ですか?」
 まさかブラッディ・レズリー関係ではないかと身構えつつ、エウスタシオは男の言葉を待った。
「うちで働いてた奴が、行方不明になったんですよ。リングヘッドの町まで、買い物に行ってもらっただけなのに。リングヘッドは隣町と言っても、相当離れているんですけどね」
「行方不明……ですか」
「ええ。しかも、そいつだけじゃないんですよ。この町の住人だけでも、もう一人いなくなってます。リングヘッドからも失踪者が出たと聞きました」
「町の保安官はそのこと、もちろん知ってますよね?」
 エウスタシオの質問に、男は言いにくそうにためらった後――口を開いて衝撃的な事実を口にした。
「調査に行った保安官も、戻ってきていないんです。行方不明者の一人は、この町の保安官ですよ」