3. New Departure

4


 夕方、フェリックスはジョナサンの部屋を覗いた。
「おう、起きてたか」
「起きてるよう」
 口を尖らせてから、ジョナサンは笑った。
「お姉ちゃんから聞いたよ。――行くんだ?」
「ああ。特殊な例だからな……。でも、探せばきっと治療法は見つかるだろう。良いか、聖水は毎日塗るんだぞ」
 フェリックスはジョナサンに真剣に言い聞かせた。
「うん」
「もし自分で塗るのが難しかったら、ジェーンかリッキーに頼め。ジェーンには、俺からも言っておくから」
「うん……」
 声が震えたことに気づき、フェリックスは身を屈めてジョナサンの顔を覗き込んだ。
「僕……死ぬの?」
 ほろりと、透明な涙が滑り落ちる。
「死なないさ。大丈夫だ。ちゃんと治療法を見つけてくる、って言ってるだろ?」
 頭をがしがし撫でると、ジョナサンはこくこく頷きながら拳で涙を拭った。
「どうしたんだ。不安なのか? 聖水は利いているだろう?」
「でも……治らないよ。症状が進んではいないけど、治ったりはしてないよ……」
 ジョナサンは自分の腕を見下ろした。緑の痣は全く引いていない。
「――そうだな。聖水は症状を止めることしか……してくれてないな」
 正直に、フェリックスはジョナサンの意見に同調した。
「だけど、効果がないわけじゃないんだ。ジョナサン、俺を信じてくれ。必ず、治療法を見つけてくるから」
 フェリックスがきっぱりと告げると、ジョナサンは涙の溜まった目でまばたきを繰り返した。
「わかった。信じるよ。フェリックスは西部で最高の、悪魔祓いだもんね」
 心が痛み、フェリックスはぽんぽんとジョナサンの頭を叩いた。



 フェリックスが行ってしまった後、入れ替わりのようにリッキーが入ってきた。
「ジョナサン。もうすぐ夕食だぞ」
「うん……。ねえ、リッキー」
 気だるげに見上げると、リッキーは首を傾げた。
「何だ?」
「何だか、頭から離れない人とかいる?」
 ジョナサンの質問に面食らったように、リッキーは眉を寄せた。
「はああ? ……待てよ、ははーん!」
 リッキーは、きらりと目を輝かせる。
「何だ、そういうことか。お前も、お年頃だなー」
「お年頃?」
「人生の先輩として、話を聞いてやろう。なんだ、どんな女の子だ」
「女の子……うーん」
 考え込むジョナサンを見て、リッキーは慌てた。
「えっ、まさか男!? フェリックスとか言うなよ! 懐きすぎにも程があるぞ!」 
「違うよ。でも、何て言うか……うーん」
 男の振りをしていたので、言って良いのかわからない。それに、会ったことは誰にも秘密だと約束したのだった。
 あの、血のように赤い髪が目に焼きついている。
「ジョナサン」
 するとそこで兄のオーウェンも部屋に入ってきて、ジョナサンはハッとする。
「お兄ちゃん。お兄ちゃんも……行くんだよね」
「ああ」
 オーウェンは表情を和らげた。
「お前は、何も心配しなくて良いからな。リッキー、頼んだぞ」
「イエッサー! ……てか、どうせ出発は明日の朝なんだろ? 今から、こんなしんみりすることないんじゃね?」
「――それもそうだな」
 兄はリッキーの指摘に笑っていたが、ジョナサンにはわかっていた。
 いつ容態が急変するかわからないし、ジョナサンが起きている時間が少ないので、三人は出発直前ではなくそれぞれ時間を見計らって会いにきたのだと。
 それがわかってしまう自分が、少し哀しかった。



 ジョナサンの部屋から自室に帰る途中、オーウェンは窓からフェリックスが馬の世話をしている光景を目に留めた。
 迷ってから、外に出る。
 フェリックスはすぐに足音に気づいて、こちらに首を巡らせた。
「やあ、兄さん。どうかした?」
「――別に」
 何か言おうと思っていたはずだったが、いざフェリックスを前にすると言葉が出てこなかった。
「兄さん、ルースと俺を二人旅させるの嫌だったんだろ?」
 からかうように指摘されて、顔に熱を覚える。
「――当たり前だ。お前は信用できない」
「はいはい。まあ正論だね。俺がルースを連れて、ばっくれないとも限らないし?」
 くすくす笑って、フェリックスはオーウェンを真っ向から見据えた。
「そういうつもりなのか?」
「まっさか。でも、兄さんは疑うだろ? ――そういうとこ、俺は別に良いと思うよ。兄さん一人ぐらい、疑い深い人がいても。それで一家が上手くいってたんだろう」
 まさか褒められると思わなかったオーウェンは、呆然とした。
 ただ、わかることがある。
 フェリックスは、人から疑われることにさして不快感を示さないのだ。それは、ひるがえって言えば――彼こそ、誰も信じていないのかもしれない。
「どうしたんだ?」
 まだ無言のオーウェンを不審に思ったらしく、フェリックスは眉を寄せた。
「何でもない。――もう夕食らしいぞ」
 踵を返しがてら告げると、フェリックスは「はいはい」と呑気な返事を寄越した。



 翌朝、フェリックスとルースとオーウェンはウィンドワード家とジェーンに見送られ、農場を後にした。残念ながらジョナサンは深く眠っていたので、起こさずそのまま行くことになった。
 ルースはまだ乗馬に慣れているとは言い難かったが、練習も兼ねて一人で乗ることにした。
「大丈夫か、ルース」
「大丈夫よ! 早く進むわよ!」
 フェリックスの問いかけに元気に答えられたのも初めの方だけで、段々と蓄積する疲れと痛みを避けることはできなかった。
「いったああ……」
 休憩のために一旦馬を下りると、全身に痛みが響いた。
「変なところに力入れてるんじゃないのか?」
「そう、かも……」
「その内、慣れるさ」
「だと良いわね……」
 ルースはフェリックスに相槌を打ちながら、よろよろと河原に横たわった。
「ところでフェリックス、どこに行くかは決まってるの?」
「ん? ああ。一応、見当はつけてる」
 フェリックスは川から水筒に水を汲み、ルースに渡した。有り難く飲み干すと、生き返る心地がした。
 もちろんこんなに必死なのはルースだけで、フェリックスもオーウェンも疲れた様子は見せていなかった。
(これは、だめだわ。もっと練習しておけば良かった)
 乗れないわけではないが、これでは進む距離にも影響してしまうだろう。
 昔に習った乗馬のコツを思い出しながら、ルースは手足を伸ばした。
「今日は野宿になる確率が高いんだけど……二人共、大丈夫か?」
 フェリックスの問いに、ルースもオーウェンもためらいなく頷いた。
 旅芸人だからか、野宿に抵抗を覚えたことはなかった。天幕はかさばるので、持ってきてはいないが。
「さて、そろそろ出発するか。休めたか?」
 フェリックスに笑顔と共に手を差し出され、ルースはその手を取って立ち上がった。
「もちろんよ」
 一刻も早く進みたかった。ジョナサンが、前のような元気を取り戻せる日が来るために。



 ウィンドワード一行がとっくに旅立った町に、フィービーとエウスタシオはまだ逗留していた。――というのも、フィービーが動かないからだ。
「フィービー様、一通りの調査はとうに終わりましたよ。いい加減、諦めたらどうです。どうせ帰らないといけないんです。一旦は合意したでしょう?」
 何回目になるかわからないエウスタシオの説得を聞き流しながら、フィービーは呑気にサルーンで新聞を広げる。
「ああ。だが今戻っても、お偉方の説教を喰らうだけだと気づいてな。何も成果が上がってないんだし」
 一瞬だけ新聞から顔を上げたフィービーは、それだけ言ってまた新聞に視線を戻してしまった。
「仕方ないでしょう。このままここにいても、成果があるとは……。それに、グリー町長は捕まえたじゃないですか」
「しかしブラッディ・レズリーには直接つながらん。チッ、ウィンドワード一家を逃がしたのは残念だったな」
「あの家族を捕まえる証拠は、ありませんでしたよ。せいぜい、あの少年が何か見たかどうか……ぐらいですね」
「やはりあの用心棒の行くところに事件あり、だな。何とかして吐かせたいところだ」
 フィービーは懐からフェリックスの手配書を取り出し、顔をしかめた。
「なら、その報告も交えれば――お偉方も納得するのではないですか? きっとフェリックス・E・シュトーゲルはブラッディ・レズリーとつながっている。彼を追えば、組織の正体もつかめると――」
「なるほど。無視できない回数分、会ったのは確かだしな……」
「そうですよ。町長の逮捕と今回の確信――の報告でよしとしましょう。どうせ、私たち以外の連邦保安官も捕まえられてないんですから」
 開き直ったように言い切って、エウスタシオは立ち上がった。
「さあ行きましょう」
「チッ……面倒だな。列車は嫌いだ」
 フィービーが嫌がるのは、報告が嫌なせいだけではない。大陸横断鉄道に乗るのが面倒臭い、という理由もあった。
「どうして西部にも本部を作らないんだ。東部の奴らは良いだろうが、面倒すぎる。この頃、凶悪犯罪はブラッディ・レズリーのせいで、東部より西部で多発してるんだぞ。西部にも本部を作るべきだろうが」
「……その珍しくまともな論理は是非、お偉方の前で披露してください」
「どうせ却下されるから嫌だ」
 エウスタシオの返答が気に食わなかったフィービーは、新聞を乱暴に置いて立ち上がった。
「ところで今日出発なら、もう出発しないとまずいですよ」
 エウスタシオが時刻表を見せ、フィービーは目を丸くした。
「それなら、明日にしたらどうだ」
「明日出発の列車はありません。次に出るのは、一週間後です」
 二人は顔を見合わせ、急いでサルーンから飛び出した。

 全速力で馬を走らせ、なんとか出発時刻前に駅に到着した。
 列車に乗り込み、コンパートメントに腰かけると、ようやく人心地着く。
「死ぬかと思った……」
 暑さのあまりにロングコートを脱ぎ、フィービーは肩で息を繰り返した。
「私、飲み物でも買ってきますね」
 エウスタシオも荒い呼吸をしていたが、フィービーよりは早く立ち直って行ってしまった。
 するすると、列車が動き出す。
 窓の外で動く景色を眺めていると、フィービーはふと視線を感じた。
「ん?」
 だが視線は気のせいだったのか、こちらを見ている者はいなかった。
「何だ、落ち着かないな」
 独り言を口にして、大分涼しくなってきたこともあり、フィービーはロングコートを着込んだ。
(そういえば、ブラッディ・レズリーは列車強盗もお得意だったな)
 どうも不穏な視線だった――。
「フィービー様」
 エウスタシオの声に顔を上げると、瓶を差し出された。
「酒じゃないのか」
「残念ながら、ジンジャーエールです。昼間に飲んでたから、我慢してくださいよ」
「まあ……そうだな」
 あっさり引き下がったフィービーを見てエウスタシオは眉をひそめながら、フィービーの正面に座った。
 フィービーは、さっきの視線が気になっていた。
 どうも、嫌な予感がしてたまらなかった。
「フィービー様、大丈夫ですか?」
「ああ。――耳を貸せ、エウ」
 手招きをするとエウスタシオは怪訝な表情は崩さないまま、顔を近づけてきた。
「列車強盗が出る予感がする」
「……予感? 何か見ましたか?」
「変な視線を感じた。それだけだ」
 すると急にエウスタシオは興味を失くしたように、背もたれに背を預けて窓の外に視線を向けてしまった。
「フィービー様……それは単なる勘でしょう」
「ああ、勘だが?」
 なぜそんなことを聞くんだ、と続けそうになったがエウスタシオが頭を抱える光景を見て、さすがのフィービーも口をつぐむ。
「だが待て、エウ。私も連邦保安官になって長……くはないが、それなりに経つ。私の勘は確かだ」
「ですがフィービー様。私が強盗なら、あなたの制服を見て止めると思いますよ」
「ふむ。だが、こちらはたった二人だ。強行するかもしれない」
「そうですかね……」
 エウスタシオは呆れが限界値を越えてしまったらしく、帽子をくいっと下げて顔を隠してしまった。
「寝ます。余程でない限りは起こさないでください」
「あ、ああ」
 何なんだ冷たい奴め、と思いながらフィービーは瓶に口をつけた。ひんやりとした硬質な感触に心地良さを覚え、ぐいっと中身をあおった。



 呻き声が聞こえ、少し眠りかけていたエウスタシオは帽子を上げた。
「……フィービー様?」
 正面のフィービーが、苦しそうに咳き込んでいる。
「どうしたんですか!?」
 エウスタシオが慌てて立ち上がった瞬間、フィービーは真っ青な顔をして座席から落ち、倒れてしまった。
「フィービー様!」
 悲痛な叫び声が、車内に響き渡った。

To be Continued...