4.  The Missing

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 フェリックスは宿屋に入るなり、ルースが受付の男と揉めている光景に出くわした。
「どうして、だめなんですか!」
「だから、子供じゃだめだってば。大人の連れを連れてきなさい」
「あたしは、もう十五です」
「サバ読むんじゃない」
 童顔を気にしているのか、ルースはみるみる内に真っ赤になってしまった。
「何ですって――」
「ルース」
 フェリックスはルースの肩に手を置き、受付に笑顔を振りまいておいた。
「どうも。連れが迷惑かけたようで」
「かーけーてーないわよっ!」
「はいはい」
 憤るルースを軽くいなして、フェリックスは受付の机に手をついた。
「で、予約お願いできるかな? 三人泊まりたいんだけど」
「良いけど、今日は盛況でね。二部屋しか無理だよ」
「それで大丈夫だ」
「じゃ、料金は前払いだよ」
 フェリックスは言われた料金をそのまま払い、まだ若干顔の赤いルースに向き直った。
「ふくれてないで、行こう」
「ふくれてないわよ。――あれ、フェリックス。兄さんは一緒じゃないの?」
「兄さんは、もうちょっと飲んでから行くってさ」
「あら珍しい。そんなに強くないのにね。――ねえ、兄さんはあんたが悪魔祓いなこと知ってるのね?」
 ルースが眉をひそめて問いかけると、フェリックスは軽く肩をすくめた。
「知ってるよ。前に、うっかり現場見られちゃってね」
「ふうん。あんた、案外うっかり者ね。でも良いわ。その方が、やりやすいでしょ。でも、そういうことは先に言いなさいよね」
「ごめんごめん。色々ややこしいんだよなあ。はい、鍵」
 ルースは呆れた顔をして、フェリックスの差し出した部屋の鍵を受け取った。
「あたし、一人部屋よね」
「俺と二人部屋が良い?」
「黙らっしゃい」
 ルースの一蹴に、「冷たいなあ」とフェリックスが嘆く。
「あたし、ちょっと疲れたから部屋で少し休んでるわ」
「わかった。夕食の時間になったら呼びにいくよ」
「あんたも、もう部屋に行くの?」
「それじゃ兄さんが迷子になっちゃうから、ここのロビーで座ってるさ」
「頼んだわよ。じゃあね」
 そう言い残して、ルースは勢いよく階段を駆け上がっていった。



 客が増えてきたためカウンター席に移動したオーウェンは、何杯目かになるかわからないウィスキーをあおった。
 ここまで飲むのは、久しぶりだ。
 ――酔うのは、好きではなかった。
 だが、今はグラスを空けねばやっていられなかった。
 ふと、目の前にグラスが滑ってきた。
「兄さん。綺麗なお姉さんからの、おごりだとよ」
 幻覚かと思ったが、マスターの言葉でグラスの存在が嘘ではないことを知る。
 礼を言おうと、首を横に向け――離れたカウンター席に立つ女性を認めて、オーウェンは絶句した。
 豊かなブロンド、白く透き通った肌、蒼穹のごとく青い目。艶めかしい曲線を描く肢体、蠱惑的な赤い唇。
 女性の理想を体現したような美女が、艶然としてこちらを見ていた。
「キャスリーン!?」
 幻覚だ。幻覚に違いなかった。
 先ほど、キャスリーンが悪魔に憑かれて亡くなったことを聞いたばかりだ。こんなことが、あるはずがない。
「嘘だ……」
 キャスリーンはゆっくりと、こちらに近づいてきた。
「オーウェン」
「キャスリーン、なのか……?」
「会いたかったわ、オーウェン」
 白い手が、頬に吸いつくように添えられた。



 フェリックスは、ハッとして目覚めた。
 ロビーのソファに座って新聞を読んでいたのだが、いつの間にか浅い眠りに落ちていたらしい。
 大きく伸びをしながら、柱時計がもう午後六時を示していることを確認する。
「変だな……」
 オーウェンを残し、フェリックスがこの宿に来たのが午後三時ぐらいだった。
 まだ、オーウェンは来ていないのだろうか。
(サルーンで、酔い潰れてるんじゃないだろな?)
 フェリックスは帽子をかぶり直し、宿から出てサルーンへと向かった。

 サルーンに、オーウェンの姿はどこにもなかった。
「マスター。ちょっと聞きたいんだけど、さっき俺と飲んでたガタイの良い兄さんがどこに行ったか知らないか?」
 サルーンのマスターは、首を傾げる。
「ああ、あの男か。しこたま飲んでたねえ。一時間ぐらい前に、出ていったよ」
「……へえ?」
 とすると、オーウェンは自分を起こさなかったのだろうか。
「そうか、ありがとう」
「あ、ちょっと待ってくれ」
 立ち去ろうとしたフェリックスを、マスターが呼び止める。
「何だ?」
「あんたの連れに無視された、と――あそこのご婦人が、お怒りなんだ」
 マスターの視線の先を辿ると、テーブル席に黒髪の美女が座っていた。やたら露出の高いドレスやどぎつい化粧を見るに、夜の商売をしているのかもしれない。
「あの兄さん、堅物だからなあ。俺がフォローしておくよ。彼女の好きな酒は?」
「ウィスキーだよ」
「じゃ、それを一杯くれ」
 フェリックスはウィスキーを注文し、それを片手に美女に近づいた。
「こんばんは」
 挨拶して隣に座ると、彼女はまんざらでもない顔で微笑んだ。
「あら。何か御用かしら?」
「俺の連れが、あなたに失礼をしたようで。――どうぞ」
 ウィスキーを差し出すと、彼女は嬉しそうに受け取って、早速グラスに口をつけた。
「あれ、あんたの連れなの?」
「まあね。俺の雇い主の兄さんだ」
「雇い主ですって?」
「俺は用心棒なんだ」
「あら素敵」
 女は笑って、煙草をくわえた。
 フェリックスはテーブルに置いてあったマッチを擦り、さっと煙草に火を灯す。
「ありがと。あんた、良い男ね」
 女はすっかり機嫌を直したように、煙を吐き出す。
「あんたの連れ、ちょっとヤバいかもよ」
「やばいって?」
「あたしが酒をおごってやったのに、何にもないところをじーっと見てぶつぶつ喋ってたのよ。無視されたのムカついたから何か言ってやろうかと思ったんだけど、気味が悪かったから止めておいたの」
 女の言い分に、フェリックスは思わず眉を上げた。
「酔ってたのかな?」
「知らないわよ。でも、ヤバそうだった」
「そうか。じゃあ、俺はこれで――」
 立ち上がったフェリックスの袖を、女はあだっぽくつかんだ。
「さっきので、お詫びに足りると思う?」
「もう一杯かい?」
「そうじゃないわ。ふふ、よそ者相手には商売しない主義なんだけど」
 そこで何が続くかわかってしまったフェリックスは、やんわりと腕を引いた。
「悪いけど、俺の雇い主は女の子なんだ」
 それだけ言い残し、フェリックスはサルーンを出た。
 本当なら、もう少しやり取りを重ねてから断った方が角が立たないのだが、そんな余裕がなかった。
 オーウェンが酔っていただけなら良いが、どうにも嫌な予感がした。

 宿に戻って受付にも聞いてみたが、オーウェンらしき人物は来ていないらしい。
 次に、ルースをドア越しに起こした。
「おひゃよう、フェリックス……」
 ルースは、寝ぼけ眼で出てきた。
「ルース。兄さんと会ってないよな?」
「兄さん? 会ってないわよ。あたし、ずっと寝てたもの。何で?」
「サルーンに、いなかったんだ。宿にも来ていないらしい」
 事情を聞き、ルースは一気に目が覚めたかのように目を見開いた。
「嘘! どうなってるの!?」
「わからない。ともかく、一緒に捜してくれるか?」
「もちろんよ! 行きましょう!」
「ああ」
 二人は日が暮れた町へと、飛び出した。

 町のどこにもオーウェンの姿はなく、目撃証言も得られなかった。
 サルーンを出た時点で、忽然と姿を消したとしか思えない。
「兄さん、どこに行ってしまったの……!?」
 ルースは呆然として呟き、町の外に広がる荒野を見つめた。

 不毛な捜索に疲れ切った二人は一旦宿に戻り、食堂で食事を取ることにした。
「兄さんの性格上、あたしたちに何も言わずにいなくなるなんてことはないわ」
「だろうな。だとすると、事件か事故か――」
 フェリックスはパンを千切ったとき、ふと思いついて手を止めた。
 フェリックスは思い出した。感じた嫌な予感。あれは、悪魔の気配の残滓だったのではないか?
「まさか、悪魔――」
「悪魔?」
「ちょっと待て」
 フェリックスはルースが目を丸くしている間に凄まじい勢いで平らげ、さっと立ち上がった。
「どこに行くの?」
「サルーンだ。気になることがある」
「あたしも行くわ!」
「まだ食べてるんじゃ――」
 とフェリックスは言いかけたが、自分と同じぐらい――いや、ひょっとするとそれ以上の勢いでルースが平らげてしまうのを見て、口をつぐんだ。
「さあ、行きましょう!」
「……ルースさあ……」
「何よ!?」
「何でもない」
 かくして二人は、オーウェンが消えた現場とも言うべきサルーンへと向かった。

 サルーンは昼間とは比べ物にならないぐらい、人がごったがえしていた。
 フェリックスは昼間座っていたテーブル席に近づいたが、額に手を当てて首を振った。
「ここじゃ、ないな」
 その席に座っていた客がうろん気にこちらを見たが、気にせずカウンターへと近づく。
 カウンターには、さきほどのマスターではなく、見知らぬ若い男が立っていた。
「あれ、さっきのおじさんと交代したのか?」
 若い男は少し戸惑った後、合点がいったように笑った。
「ああ、父のことですか。もう年なんで、夜は私が担当なんですよ。父に何か御用ですか?」
「話を聞きたいと思ったんだけど……」
「残念だけど、もう寝てると思いますよ。明日では、だめですか?」
「いや――」
 フェリックスは誰かを捜すように店内を見渡し、目当ての人物を見つけて口笛を吹いた。
「他の人に聞くよ」
 フェリックスは戸惑うルースの手を引き、店の中央へと進んだ。
「お姉さん」
 呼ぶと、男に囲まれた艶やかな女が振り返った。
「あら、夕方の。何か?」
「聞きたいことがあるんだ。あんたの見た、おれの連れは――どこに座っていた? それと、どこを見て呆然としていた?」
 奇妙な問いに、女だけではなく周りの男たちもいぶかしげに顔を見合わせた。
「どこ、ですって?」
「大事なことなの。教えて」
 ルースが横やりを入れると、女は少し不快そうになった。
「あらまあ、そのちんちくりんがあなたの雇い主だってんじゃないわよね?」
「ち、ちんちくりんですってー!?」
「落ち着け、ルース」
 羽交い締めにされ、ルースはもがく。
「なんって失礼なひとなのよ!」
「――お願いだから、教えてくれ」
 フェリックスの切実な訴えが効いたのか、女は肩をすくめて立ち上がり、カウンターへと向かった。
「あのお兄さんはカウンター席の右端に座ってて、左に顔を向けてぶつぶつ喋ってたわ」
「わかった。ありがとう。こちらのレディにウィスキーを」
 カウンターに注文してから、フェリックスは右端のカウンター席へと近づいた。
 不思議と、そこには誰も座っていなかった。
「――フェリックス?」
 ルースの問いに、フェリックスは頷いた。
「悪魔の、気配だ」
「悪魔!? 兄さんが悪魔に憑かれたってこと?」
「いや。それだといなくなる理由が……」
 フェリックスは考えながら、カウンターの若いマスターに話しかけた。
「なあなあ、このへんで奇妙な話はないか?」
「はい? 奇妙な話とは――」
「人が消える話、とか」
「ああ、そういえば」
 マスターはグラスを拭きながら、何かを思い出すように虚空を仰いだ。
「最近、ここから東の隣町――ウォーターソンへ行くとき、人が消えるんですよ」
「それだ! 詳しく聞かせてくれ!」
 フェリックスの勢いに驚きながらも、マスターは語ってくれた。



 フェリックスたちがウォーターソンの町名を耳にした数時間後、まだ夜も明けきらぬその町で一つ事件が起こった。
 エウスタシオは馬を借りるべく、宿から馬主のところへと向かっていた。
 あの後すぐに出発しても良かったのだが、フィービーが急に眠気を覚えたと言って眠りこんでしまったので、出発は今朝になってしまった。
 早朝だからか、町に人気はない。
 寒気を覚えて身震いしたところで、急に首根っこをつかまれた。
「なっ!?」
 裏道に引きずり込まれそうになり、エウスタシオは背後の人物を肘で打った。
「ぐはっ!」
 振り返って銃を引き抜き、倒れた男に銃口を向ける。
「私が連邦保安官補と知っての狼藉ですかね?」
 冷たく告げると、男は顔を上げた。
 まだ若い男で、知らない顔だった。指名手配犯でもなさそうだ。
 町のごろつき、といったところだろうか。
「ブラッディ・レズリー?」
 問うと、男は首を横に振った。そして、締まりのない笑みを浮かべる。
「……?」
 エウスタシオがハッと気づいたときには、もう遅かった。
 彼の周りを、覆面の男たちが囲んでいたのだ。人数は七人。倒れている男も合わせれば、八人だ。
「何が目的ですか?」
 どうやって切り抜けるかを必死で考えながら、エウスタシオは銃のグリップを握り締める。
「一緒に来てもらおう。抵抗しないなら、傷つけはしない」
「馬鹿なことを」
 冷笑しながらも、焦らずにはいられなかった。
 風を切る音がして、エウスタシオは首に痛みが走ったことに気づいた。――吹き矢だ。
 斜め後ろを見れば、先住民と思しき肌を覗かせた男が立っていた。
「くっ……」
 こらえ切れずに、膝から崩れ落ちる。
「安心しろよ、保安官補。痺れ薬だ」
 慰めの言葉を口にして、リーダー格であろう男は地面に這いつくばったエウスタシオに一歩近づき、その腹にブーツをめりこませる。
 そして、エウスタシオの意識は暗転した。

To be Continued...