5. Thousand Crosses Town

千十字架の町


 からからと、渇いた音が耳を打った。
 眠りに沈んでいた感覚が、段々と目覚めていく。
 体が、痛い。
 堅い床に寝かされているのだ、と気づいてオーウェンはハッとして目を開けた。
「――ここ、は……?」
 思わず出た声は、ひどくかすれていた。
 手をつき、重い体を持ち上げるようにして起き上がる。
 西日の差し込む、がらんどうの部屋にオーウェンは一人きりだった。
「どこなんだ、ここは……」
 真正面の窓に目をやると、大きな風車が回っていた。
 部屋を見渡すと、ちょうど窓の反対側に扉が設置されていた。恐る恐る扉に近づき、外へと出る。
 かんからかん……。
 缶が目の前を、盛大な音と共に通り過ぎていった。
(さっきの音は、あれか?)
 やけに風が強いところのようだ。オーウェンは風に乱れる髪もそのままに、空を仰いだ。
(一体、どこだ!?)
 落ち着いて記憶を辿る。
 自分は、サルーンにいたはずだ。とすると、酔い潰れてどこかに運ばれたのだろうか?
「……いや……」
 意識を失くす前にキャスリーンに、会ったはずだ。ならば、彼女がここに―――
「こんにちは」
 女性の声に振り返ったオーウェンは、呆然とした。
 そこにいたのは、キャスリーンではなかった。
 二つの三つ編みにされた赤い髪、そばかすの散った顔。変容する前のキャスリーンを思い出すような容姿であるものの、彼女はキャスリーンではなかった。
 おそらく、ルースと同じぐらいの年だろう。
「……あ、ああ」
 かろうじて返事を口にして、少女を凝視する。
 長いスカートが風にはためき、少女は顔をしかめる。
「もしかして、新入りさん?」
「――新入り?」
 唐突な問いを、思わず繰り返してしまう。
「そっか、来たばかりなのね。――入って良い? 風が強いから、外で話すのもね」
 許可を求められたが、オーウェンは戸惑った。ここは、自分の家ではない。
 だが少女は、じっとオーウェンを見上げている。
「ああ」
「ありがとう」
 少女は家の中に入り、紙袋を隅に置いた。
 オーウェンも中へと戻り、扉を閉める。
「あらやだ。何にもない家ね。本当に新入りなのね?」
「待ってくれ。新入りって、何の話だ?」
 オーウェンの質問に、少女は微笑んだ。
「そっか。説明しなくちゃね。まず――ここは、サウザンド・クロスの町よ」
「サウザンド・クロス(千の十字架)? 聞いたことのない、町だな」
「それはそうでしょうね。もう、地図から消えた町なの」
「何だって?」
 オーウェンは顔をしかめた。なぜ、地図にない町に自分がいるのか皆目見当がつかなかった。
「この町は、生きているの。だから住む人がいなくなった今、住人を呼ぶようになったのよ。あなたは、新たに呼ばれた人だったわけ」
「そんな……ことが……」
 だが、ふと思い当ることがあった。あの、キャスリーンだ。あのキャスリーンは本物ではもちろんなく、幽霊ですらなく……
「町が幻影を生みだすことはあるのか?」
「ええ。幻影に招かれて来ることもあるらしいわ。あなたも、そうなの?」
 ――そうだ。
 はっきりと、記憶が蘇る。
 逃げ出してしまったキャスリーンを追って、自分は走った。町の外に出ても、走り続けた。走りすぎて膝をつきそうになったとき――空間が、ぐにゃりと歪んだのだった。
「どうやって帰れば良いんだ?」
「さあ、わからないわ。今まで、帰った人はいないの。ここは人気があまりないことを除けば、結構良い町よ? ずっと暮らすのもそう、嫌じゃないわよ」
「冗談じゃない! 俺には、やるべきことがあるんだ! 弟が――」
 怒鳴ってしまった後で、オーウェンは少女が怯えていることに気づいた。
「――すまない」
「いえ、私も……ごめんなさい。ずっとここにいるから、感覚が麻痺しちゃって」
 そこで少女は思い出したように、手を差し出した。
「名乗り忘れてたわ。私はティナ。あなたは?」
「……オーウェンだ」
 オーウェンも手を差し出し、握手を交わす。
「よろしくね。――とにかく、この家はあなたの家なんだから、色々と揃えた方が良いんじゃない? お店に行きましょう」
「そんな、余裕はないんだが……」
 食糧はともかく、家具を揃えるような金額は所持していなかった。
「大丈夫よ。全部、タダだから! お店に行けば、他の住人にも会えるわ。何か話を聞けるかもしれない」
「あ、ああ……。それじゃあ、行ってみる」
「決まりね。行きましょう」
 半ば押し切られるようにして、オーウェンは家を出ることになった。

 “何でも屋”と書いてある看板を眉をひそめて見上げてからくぐり抜け、オーウェンはティナと共に入店した。
「おや、ティナ。何か買い忘れたのかい?」
 店のカウンター向こうで目をぱちくりさせたのは、初老の男だった。
「いいえ。こちら――新入りの、オーウェンさんよ。色々と調達しにきたの」
「……ほう、なるほど。何でも、好きなのを持っていけ。家具はあっちで――食糧品はあっちだ」
「無料というのは、本当なのか?」
 オーウェンの問いに、男は頷いた。
「まあな」
「それじゃ、損だろう」
「わしが調達して来た商品じゃない。いつもどこからか、湧いてくるんだ。本当なら、わしみたいな店番も要らんのだが――退屈でな。真似ごとをさせてもらってる」
 オーウェンは驚きすぎて、二の句が告げられなかった。
 一体、この町はどうなっているのか。
「さあ、オーウェン。適当に見つくろってしまいましょう」
「ああ……」
 オーウェンは家具に近づきながらも、気乗りしなかった。暮らす気など、さらさらなかったからだ。
「おい、あんた」
 くるりと店主に向き直る。
「何だい」
「ここから、どうやって帰れば良い?」
「……わしも、何度も試したがな。出られなかった」
「そんな馬鹿なことがあるか!」
「疑うなら、試してみるが良い」
 店主は呆れたようにそう呟いたので、オーウェンは大股で店を出た。
「待って、オーウェン。どこへ行くの!」
 後から、ティナが追ってくる。
「ここから出るんだ。俺には、こんなところに留まっている暇なんてない」
 ジョナサンが苦しんでいるのだ。一刻も早く治療法を見つけなくてはならないのに、一生出られないなど冗談ではなかった。
「オーウェン!」
 ティナの声にも足を止めず、オーウェンは家の並ぶ通りを駆け抜けた。あと一歩で荒野に出る、というところでオーウェンの足が止まった。
 それ以上進もうと思っても、足が上がらないのだ。
「何だ……これは……」
 振り返ると、ティナと店主が走ってくるところだった。
「だから言っただろう。……出られないんだ」
 店主もオーウェンと並ぶ。その足は、オーウェンの足と並んだまま動かなかった。
「馬鹿な――」
 一歩後ずさると、足はちゃんと動いた。
 向こうに、広がる荒野があるのに。
 この町からは、出られないのだ――。

 割り切れない気持ちを抱きながら、オーウェンはティナに手伝ってもらって適当な家具を配置した。
(このまま、暮らしていく気もないのに。なぜ俺は、こんなことをしているんだ?)
「夕飯は、サルーンでいつもみんな一緒に食べるの。そろそろ行きましょうか」
「……ああ」
 憔悴し切った表情で返事をすると、ティナは哀しそうに微笑んだ。
「大丈夫よ。きっといつかは、帰れるわ」
 それは、本人にもわかっているのだろうが、気休めでしかなかった。
 外に出て、風の強さに舌打ちしそうになる。
「オーウェン」
 呼ばれ、顔を上げる。
「そういえばあなた、まだ町の名前の由来になった場所を見てないんじゃない? サルーンに行く前に、見せてあげるわ」
「千の十字架が、あるのか?」
「ええ。見たら、驚くわよ」
 ティナの言ったことは、本当だった。
 いざ、案内された丘に並ぶ無数の十字架を目の当たりにすると、絶句してしまった。
 真っ黒な十字架かと思ったが、単に逆光で黒く見えるだけらしい。赤い夕焼けが、毒々しい光で十字架の後ろに輝いている。
「こんなに、死人がいたってことか?」
 町の規模にしては、多すぎる墓標だ。しかもちゃんとした墓は一つもないようで、ただ十字架が大地に突き刺さっている。
「詳しい話は、後にしましょう。冷えてきたわ」
「……ああ」
 オーウェンは不気味さを覚えながらも、先に丘を下りてしまったティナの背中を追った。

「マイクだ」
「アンバーよ」
「ニールだ」
「ライナスだ」
 最後に先ほどの店主が名乗り、自己紹介は終了した。
 オーウェンを合わせて、六人。これだけが町の住人らしい。
 不思議なことに、どこから来たか――そして自分が何者だったのかは、オーウェン以外全員が知らなかった。
「記憶喪失、というやつか?」
「でしょうね。気がつけばここにいて……あたしは三番目だったかしらね?」
 オーウェンの確認に、アンバーはためらいがちに頷いた。
「俺が来たときには、ティナがいたな。他の奴らはいなかった」
 ライナスの証言で、ティナが一番の古株だということが判明した。
「なら、変だな。どうして俺は記憶があるんだ?」
「俺も初めは、あった気がする。段々と抜け落ちていってな……」
 カウボーイハットを粋にかぶった若い男、ニールは眉をひそめた。
「初めにあったなら、誰かに話していないのか?」
「それが、ニールは最初来たときは大混乱で、俺たちの誰も寄せつけなくてさ……このサルーンに姿を現したのは、彼が来て三日後かな。そのときには、何も覚えてなかったんだ」
 オーウェンの疑問には、ニールではなくマイクが答えた。マイクもまた、若い男だった。荒々しいニールとは対照的に、人がよさそうで、素朴な印象の青年である。
「つまり、三日かかって記憶を失ったということだな。あんたも、俺と同じように時間のかかるタイプなんだろう。今のうちに、自分のことを俺たちに話しちゃどうだ?」
 ニールに提案され、オーウェンは頷いた。もしも本当に忘れてしまうなら、誰かに覚えていてもらわなければならない。
「俺の名前はオーウェン・I・ウィンドワードといって、旅芸人だ。色々あって、今は妹と用心棒と一緒に旅をしている。……こんなところで、良いか?」
「はいはい。一応、書いとくわね」
 アンバーは、古びた紙に鉛筆で素早く書きとめた。
「一刻も早く、俺は外に出たい」
「みんなそうさ。さあ、オーウェン。とにかく今は、飲もうじゃないか。歓迎すべき出会い方ではないが、わしらは一蓮托生の仲間だよ。――乾杯!」
 ライナスが音頭を取り、皆はグラスを掲げた。

 オーウェンはサルーンを出た後、また町の端へと向かった。今度は、さっき足が動かなかった場所から遠く離れたところだ。
 だがしかし、やはり一歩も外には出られなかった。
「――なぜだ! なぜなんだ!」
 ほとばしるのは、焦燥とぶつけようのない怒りだ。
 こんなことをしている場合ではないのに。
 ルースも用心棒も、自分の行方を捜しているだろう。
「まあまあ、落ち着けよ」
 この場にふさわしくないような鷹揚な声と共に現れたのは、ニールだった。強い風に、帽子をおさえている。
「落ち着けるわけ、ないだろう……」
「俺も、あんたみたいにパニックになったらしい。――なあ、オーウェン。他の奴らは記憶を最初から完全に失っていたのに、どうして俺たちは途中まであったんだと思う?」
 オーウェンは突然の質問に戸惑い、歯を食いしばった。
「すまないが、わからない」
「そうか。――俺の推論は、こうだ。ここに何らかの力が働いているとして……その力が、弱まっているんじゃないか?」
 どうやらオーウェンに質問したのは話の導入のためだったらしく、ニールはあっさりと答えを口にしていた。
「それなら、ここから出られる日も近いかもしれない。焦らず、方法を捜そうぜ」
 オーウェンの肩を叩き、ニールは背を向けた。
 その姿を見送り、オーウェンは深いため息をついた。
 本当に、出られる日が来るというのだろうか。