5. Thousand Crosses Town
2
フィービーは、日が高くなってから目覚めた。
「……エウ?」
がらんとした部屋に呼びかけるも、返事はない。今日出発のはずなのに、起こしに来なかったのか。
何やら釈然としないまま、フィービーは連邦保安官の制服を着込んで階下に向かった。
(どこにいるんだ……?)
宿屋のどこにも、エウスタシオの姿はなかった。宿の受付に伝言も残していなかった。
仕方なしに、一人で朝食を取る。
(もしや、馬を取りにいったのか)
思いついて、フィービーは朝食をさっさと平らげてから宿屋を出た。
だが、辿り着いた農場にもエウスタシオはいなかった。
「保安官補? 今日は、まだ来てませんよ。今日、取りにくるとは聞いてますけど」
馬主も、まだ彼を見ていないらしい。
「……そうか。どうも、変だな。几帳面な奴なのに」
エウスタシオの性格上、黙っていなくなるとは考えられない。
「どうかしました?」
「いや――」
「もしかして保安官補まで、いなくなったんですか?」
馬主は軽く冗談を言ったつもりだったらしいが、フィービーの眉間に皺が刻まれるところを見て口をつぐんだ。
「まさか、本当に」
「まだ町の中は捜していない。だが――妙だ」
あまりにも、突然すぎた。
「おい、お前。失踪事件には詳しいんだろう。例の地域には入っていないのに、姿を消すなんてことがあるのか」
「く、詳しいってほどじゃないんですけど……」
馬主はしばらく考え込んでから、ハッとして顔を上げた。
「ないことは、ないんじゃないですかね。だって、誰も消えたところを見たわけじゃないんですから」
「――なるほど」
あくまで、この町から隣町リングヘッドへの道中に姿を消すという噂だ。そして、その間の空白地帯が怪しいので、そこで消えるのだと見当をつけただけである。
「町から姿を消した、ってのはまだ聞いたことがないんですけどね。もしかすると、保安官補が何か目撃でもして、少し町から離れてあの地域に近づいて……」
「消えたということか」
「そういうこともある、という可能性の話ですけど」
「わかっている。まずは町中を捜す」
フィービーは踵を返し、農場から町へと戻っていった。
しかしフィービーの捜索も空しく、エウスタシオは見つからなかった。
「――どうなっている!」
通りがかった民家の壁を思わず拳で叩くと、中から盛大に赤子の泣く声がした。
じん、と痛む拳をコートのポケットに突っ込み、苛々として足を止めた。
(これだけ捜してもいないとなると……。あの馬主の言うことが正しそうだな)
はあ、とため息をついてフィービーは決意を固めて農場へと向かった。
ルースとフェリックスは、朝食を取りながら情報を整理していた。
「まず、一つ。兄さんがいなくなった」
「その二。この町リングヘッドと、隣町の間で最近人が消える噂がある」
「三つめ。兄さんはサルーンを出る前、様子が変だった。自分からサルーンを出て、町を出た確率が高い……」
「その四。悪魔の気配が残っていたから、悪魔が絡んでいるのは間違いなし」
「そして――五つめ。あたしたちは今から、兄さんを捜すべく隣町へと向かう」
二人は頷き、ほぼ同時にコーヒーのカップをテーブルに置いた。
「兄さん、失踪とか……どんなお姫様なんだよ」
「ちょっと。兄さんだって、好きで消えたわけじゃないでしょ。あんた、直前まで兄さんと一緒にいたんでしょ? 何か、思い当たることはないの? もし町の失踪事件とは関係なく自分から消えたんだとしたら、どうするのよ」
ルースの指摘に一瞬フェリックスはハッとしたようだが、すぐに首を横に振った。
「それはないよ。兄さんの責任感からして――ジョナサンのことがあるのに、そんなことはしないさ」
「……それも、そうね」
何だか自分よりもフェリックスの方が、兄のことをわかっているような気がしてくる。
「ねえ、フェリックス。悪魔が絡んでいるって言ったけど……。本当なの?」
「ああ。残されていた気配と、昨日聞いた話を考えると……」
ルースは昨夜、サルーンのマスターの息子から聞いた話を思い浮かべた。
十数年前、リングヘッドと隣町ウォーターソンのちょうど間ぐらいにあった町が消えたのだという。
『元々、風の強いところで。不幸なことに、ハリケーンがその町を直撃したんですよ。町にいた人は全員死んだって話で……たまたま出かけていて難を逃れた人たちが、帰ってきて十字架を墓標代わりに立てたそうです』
遺体はほとんど、見つからなかったらしい。
「だけど、妙よね。失踪者が出始めたのは最近。ハリケーンで町が壊滅したのは……十数年前って言うじゃない? 町に悪魔が取り憑いたとか、言わないでよ?」
「悪魔は町には憑かない。おそらく、誰かに憑いているんだろう」
「十数年前に滅びた町の、関係者?」
「そうだろうな。あと一つ、サルーンの客に昨日聞いてどうも変だと思ったのは……最近、町から色んなものがなくなってるってことだ」
ルースは首を傾げた。
そういえばフェリックスはルースを宿に帰した後も、サルーンで聞き込みを続けていたのだった。
「色んなもの?」
「ああ。食糧や家具などが、民家や店からなくなるらしい。腕利きの泥棒だという噂だけど、それにしちゃ盗るもんが変だろ」
「本当ね。何か、失踪事件に関係あるのかしら?」
「さあ。ともかく、行かないとわからない。――そろそろ行こうか、ルース」
フェリックスが立ち上がると、ルースも覚悟を決めて、口元を引き締めて立ち上がったのだった。
宿の部屋で荷物をまとめたルースは、フェリックスの泊まっている部屋に向かった。ノックすると、すぐにフェリックスが扉を開けてくれる。
「ルース、準備できたか?」
「ええ。あんたは?」
「ちょっと弾の残りが心もとないから、買ってこようと思うんだ。ここで待っててくれ」
「わかったわ」
返事をして、ルースは自分の荷物を持ってフェリックスの部屋に入った。入れ違いのようにして、フェリックスが出ていってしまう。
元々二人用のつもりで取った部屋だったので、ベッドは二つあった。その内の一つに座って、ルースはふうっとため息をつく。
そこでふと、ベッドの枕元に置かれた小さな黒い手帳のようなものに気づいた。
(フェリックスの……よね)
ふとそれを手に取り、ハッとする。
(だめだめ、あたし。人のもの勝手に見ちゃだめよ!)
好奇心と戦いながら、ルースは手帳を元の位置に戻そうとしたが――ぱさりと手帳から何かが抜け出て床に落ちてしまった。
「あっ……」
ルースは拾ったそれを、凝視してしまう。
そこに写っていたのは、子供二人と大人二人だった。
(この子って――フェリックス?)
彼に似た少年をなぞるように、ルースは写真を撫でる。
面影が確かにあるのに、疑問を抱いてしまうのは彼の表情が今とは全く違っているからだ。
自信の満ちた笑みや不敵な笑顔を浮かべることの多い用心棒は、写真の中では驚くほどに弱々しく微笑んでいた。
一方、フェリックスの右隣に立つ少年はすぐに誰かわかった。トゥルー・アイズだ。彼は今とそれほど変わらぬ、控えめな笑みを浮かべていた。
背後に立つ大人二人は、両方とも男性だったが見事に対照的だった。
一人は穏やかに微笑む、細身の若い男性だった。ゆるやかに波打つのは金髪だったが、フェリックスと全く似ていなかったので血縁ではないだろう。
その隣に立つ男性はおそらく、壮年に差しかかったぐらいの年齢だろう。左目に眼帯をしており、それががっしりした体躯と相まって、なんともいえない迫力をかもしだしていたが、豪快な笑顔は案外気が良さそうだった。
廊下に足音が響き、ルースはハッとして写真を手帳に挟んで手帳を枕元に再び戻しておいた。
だが足音はフェリックスのものではなかったらしく、部屋の前をあっさり通過していた。
(そっか。いくらなんでも早すぎるわよね)
ルースは胸を撫でおろしながら、手帳に再び目をやった。
トゥルー・アイズも写っていたのだから、あれは間違いなくフェリックスだろう。別人のような表情だが――別人だとしたら、写真を持っている意味がわからない。
写真について聞きたいのは山々だが、それを聞けばルースが勝手に見たことがばれてしまう。
(見なかったことにするわ)
ルースは窓に目をやり、フェリックスの帰りを待った。
目を覚ましたオーウェンは、ふかふかのベッドに手をつき起き上がった。
必要最低限の家具が並べられた部屋を、無感動に見渡す。
(一晩経てば戻るかと思ったが……そのままか)
手早く着替えて、オーウェンはテーブルに置かれた紙袋から昨日買って――いや、もらってきたパンと牛乳の瓶を取り出した。
パンを咀嚼し、流し込むように牛乳を飲む。
美味しくも何ともないのは、今の状況が異常だからだろうか。
また外に出て試してみようと決意し、家の外に出るとティナがすぐ傍に立っていた。
「あら、おはようオーウェン」
「……おはよう」
「よく眠れた?」
「ああ。ここで、何を?」
「昨日のあなたの様子、心配だったから見にきたのよ」
ティナはにっこり笑って、腰に手を当てた。
外見はキャスリーンを彷彿とさせるが、むしろ性格はルースに近いかもしれない。
そんなことを考えながら、オーウェンはふっと笑った。
「すまないな。今日も、試してみようと思うんだが……」
「お好きなだけどうぞ。終わったらまた、サルーンに来てくれない? みんなでお喋りしたいし」
「ああ、わかったよ」
素っ気ないとも言える返事をして、オーウェンはティナを残して町と荒野の見えない境界線の元へ向かった。
踏み出そうとする一歩。だが、今日も動かない。
「…………」
なんて、歯痒い。手を伸ばしても、ある一点で止まる。まるで、透明の壁があるようだ。
絶望して、うつむく。そしてオーウェンは、ためらいながらも一歩下がり――遠い荒野を見つめた。
舞う砂塵は肌を打つのに、どうして荒野に足を踏み入れられないのか。
サルーンには、もう全員が揃っていた。
「おはよう。よく眠れたか?」
オーウェンの姿を真っ先に認めたマイクが、歩み寄ってくる。
「……ああ。おはよう」
マイクだけにではなく皆に向かって挨拶しながら、オーウェンは皆が座るテーブル席へと近づいた。
「あんまり顔色、良くないね。眠れなかったのかい?」
心配そうな声音で、アンバーがオーウェンに尋ねる。
「あまり、寝つけなかった」
「まあ、最初の夜はそりゃそうだろうね。特にあんたには、記憶があるんだし。――ニール、あんたもそんな感じだった?」
「どうだろうな。覚えてない。ここにいると、色んなことを忘れてしまうみたいだ」
アンバーに話を振られたニールは、短くなった煙草を灰皿に押しつけた。
「今朝も試してみたが、だめだった」
オーウェンは一応、報告しておいた。
何を、とは言わなかったが、それだけで誰もが察したように重々しい空気になる。
――誰も、出られない町。
「そういえば、聞きそびれていた。ティナ。ここにはどうして、千の十字架があるんだ?」
突然とも言えるオーウェンの問いに、ティナは眉をひそめた。
「ああ、本当。言いそびれてたわね。――ハリケーンがあったそうよ。それで町が壊滅したの」
「どうして、わかったんだ?」
「新聞記事が、残っていたの。このサルーンにね」
ティナの答えに呼応するかのように、ライナスがどこからか新聞を持ってきた。随分と古びた新聞だ。
そこには、古い事件を懐古するような記録が載っていた。
記事のタイトルは、サウザンド・クロスの丘――。
十数年前に起こった悲劇が、無数の十字架が写された写真と共に描写されている。
「……この新聞、途中で破れてるな。しかも、これ一枚だけ?」
オーウェンは、思わず呟く。
新聞とは、何枚も重ねられてでき上がっているものだ。切り抜きというよりは、抜き出されたものに見える。
「変だろ?」
「ああ、変だ」
ニールに確認され、オーウェンは頷いた。
裏を返すと、血生臭い事件が載っていた。ブラッディ・レズリーの襲撃事件だ。ということは、この新聞自体は最近のものなのだろう。少なくとも、ブラッディ・レズリーが西部で暴れ始めた後だ。
「これだけぽつんと、サルーンにあったというのか?」
「そうよ」
オーウェンが確認すると、ティナが端的に答えた。
ティナが来たときから、そうだったらしい。
「ここは、妙なことばかりだな……」
大体、素直に受け入れかけているが――勝手に供給される家具や食糧、そして見えない壁も充分に不気味だ。
(それに、あのキャスリーンは……)
町が、自分をおびき出すための罠とでもいうのだろうか。
(だが、俺が町に呼ばれる理由なんてない)
オーウェンは新聞を握りつぶしたい衝動を抑え、ライナスに新聞を返した。