5. Thousand Crosses Town

3



 フェリックスとルースが出発して、軽く六時間は経った。
「と、遠いわね……。どこが隣町よ」
 西部は大体、町と町の間の間隔がやたら広いのが通例なので、ここまで時間がかかってもおかしくはない。わかっていても、ルースはつい毒を吐いた。
「大丈夫か? あっちに民家が見えるな。少し、あそこで休むか。水も、もうあんまりないんだ」
「そうね」
 フェリックスとルースは馬の首を違う方向へ向けて、また走り出した。
 馬から降り、民家の扉を叩きかけたところで、フェリックスはふと聞き覚えのある声に立ち止まる。
「フェリックス?」
「しっ。なんか嫌な予感が……」
 扉に耳を当てると、ドスの効いた低い女声が聞こえてきた。
「ほう。とすると、お前は私が餓死しても良いんだな?」
「そ、そんなこと言ってないじゃないですか! ただ、祭りでもないのに山羊は殺せない……」
「金はあるぞ」
「金の問題じゃないんです! こいつは、ミルクも出してくれる貴重な家畜で――」
「ふうむ――。ん? ちょっと待ってろ」
 フェリックスが慌てて扉から離れ、ルースの手を引き一緒に伏せたところで聞き慣れた声が響いた。
「お前は――!」
「や、やっぱり!」
 フェリックスの嫌な予感は、見事に当たった。
 そこには、銃を構えた連邦保安官――フィービー・R・アレクサンドラが立っていたのだ。

「言っとくけど、撃たないでくれよフィービー」
 片手をつきながら起き上がったフェリックスは、呆然とするルースを助け起こした。
「お、おい、あんたら! この人と知り合いなのか!? 助けてくれ! うちの山羊を食わせろと、迫ってくるんだ!」
 ひょっこりフィービーの後ろから現れた老人は、必死にフェリックスとルースに助けを求めてきた。
「まーた、無茶な要求してるんだな」
「そんなに無茶か?」
 呆れたフェリックスに対し、フィービーは激昂することもなく首を傾げた。フィービーには、それほど悪気はないらしい。
「無茶だ。貴重な家畜をそう簡単に売れないだろ。――あれ、エウスタシオはいないのか?」
 フィービーは顔をしかめて「今はいない」と告げた。
「それでか。フィービーの常識を担うエウスタシオがいないから、暴走してるんだな」
「フェ、フェリックス……そろそろ黙ったら。撃たれるわよ」
 ルースの忠告にフェリックスもハッとしたが、フィービーは怒った様子を見せなかった。
「うん? 様子が変だな」
「そうよね。いつもの勢いがないわ」
 簡単に言うと、今のフィービーには元気がない。
「フィービー。食糧が欲しいんなら、分けてやるよ。干し肉が少しあるし」
「そうか――。なら、頼む」
 あっさり受け入れられ、フェリックスは青ざめた。
「何だ、この素直なフィービー。気持ち悪いぞ?」
「あ、あたしも寒気がしてきたわ」
 ルースとて、短い付き合いだがフィービーの傲岸不遜さは嫌と言うほど目にしている。
 それがどうだ、このしおらしい有様は。
 そもそも食糧が欲しいから山羊をさばけ、とはフィービーにしても無茶苦茶すぎる。ひょっとすると、どこか調子が悪いのではなかろうか。
「あんたたちは恩人だ! 山羊は無理だが、他のことなら何でも言ってくれ!」
 フェリックスに飛びついて老人が気前の良いことを言ってくれたが、食糧は余分に持っていたので水だけお願いすることにした。

 フェリックスとルース、そしてフィービーは屋外の木陰に座って一休みしていた。
 老人から振舞われたコーヒーを有り難くすすりながら、フェリックスは思い切って聞いてみた。
「フィービー。何かあったのか?」
「……まあな。……エウを見なかったか?」
 突然の質問に、フェリックスとルースは顔を見合わせた。
「見てないよ。何だ、もしかしてはぐれたのか?」
「突然、消えたんだ。ちょうど、隣町との境にある空白地帯で人が消えるという噂を調査しているときだった」
「その噂……って、ちょっと待ってくれ。隣町ってリングヘッドのことか?」
「ああ」
「じゃあ、あんたがいたのはウォーターソンか!」
 フェリックスの確認に、フィービーは眉をひそめた。
「まさか、リングヘッドにも同じ噂が?」
「ああ。実は、俺たちの連れも消えたんだ。町中で、忽然と」
 フェリックスの発言に、フィービーはハッとなったようだった。
「エウも同じだ。私は、あの地帯に近づかなければ消えないと思っていたのだが……。そうか、町中でも消える事例があったのか! なら、やはりエウもそれで消えたんだな」
 フィービーは原因がわかってホッとするどころか、余計に不機嫌になったようだった。
「エウは、いつ消えたんだ? 俺たちの連れは昨日、消えた」
「今朝だ。もう一日、町の中を捜そうと思ったが――噂が気になってな。こっちに来てみたんだ」
 そこでふと、フェリックスは考え込んだ。
「あれ? じゃあ、ウォーターソンを発ってからそこまで時間経ってないのか?」
「ああ。お前、失踪多発地域に行きたいなら、もっと南だぞ」
「えっ」
 どうやら道を間違えていたらしい。
「変だな。ちゃんと、リングヘッドからウォーターソンへの道は聞いたんだが……」
「町人に聞いたのなら、安全な道を教えてくれたんだろう。最近は、ウォーターソンとリングヘッドを行き来するときには、遠回りだが失踪地帯にかからない道を取ることにしたそうだ」
「なるほど。どうも遠いと思ったんだよな……」
「ほらー。やっぱり!」
 ルースは自分の直観が正しかったことを突き止め、少しスッキリした気分になった。
「空白地帯は、ここだ。で、ここが私たちが今いる位置だ」
 フィービーがフェリックスとルースに、地図を見せて指で示してくれた。確かに、今いるところはウォーターソンに近い。
「フィービー。協力しないか? 今回、どっちも失踪者がいることだし……。三人の方が心強いだろ」
 フェリックスの申し出にフィービーは眉を上げ、唇を歪めた。
「ふん。――いつもなら断るところだが、乗ってやろう」
 やはり今日のフィービーは、異常に素直だった。
「情報を交換しようぜ。こっちはリングヘッドで仕入れた情報だ。二カ月ほど前に靴屋やってたオッサンが消えて、一月前に農家の主婦が消えたらしい」
 フェリックスが早速情報をさらすと、フィービーも失踪者の情報を口にした。
「ウォーターソンでは農場で働いていた男が一人消えて、そいつを捜しに出た保安官も消えたそうだ。どちらも半月ほど前のことだという」
「なるほど。失踪者は合わせて四人か……それに兄さんとエウの二人が加わって、六人」
「ねえねえ、フェリックス。ちょっと、こっち来て」
 ルースがフェリックスの袖を引いてきたので、フェリックスはフィービーに「失礼」と断って彼女から離れた。
 声が届かないであろうところまで離れてから、ルースは口を開いた。
「ちょっと。今回、悪魔が絡んでるんでしょ? フィービーは、あんたが悪魔祓いなこと知ってるの?」
「知らないだろ」
「じゃあ、まずいわよ! 一緒に行動しない方が良いんじゃない?」
「あのな、ルース。どうせ目的地は一緒なんだよ。この場合、協力しない方が変だ」
 フェリックスの正論に、ルースはぐっと詰まった。
「大丈夫。どうも今日のフィービーは調子悪そうだし、捕まらないように行動するよ。心配してくれてるのか? ありがとな」
「別に、心配してるわけじゃないわよ。――あんたが良いなら、良いわ」
 ルースは首を振り、フィービーのところまで戻った。



 オーウェンは昏い目で、床を見つめていた。
「――こんなところにいたの」
 少女の声に顔を上げると、ティナがゆっくりと入ってきた。
「何も、ないところよ?」
「わかっている。……だから、ここに来た」
 自分が住み始めた家でもなく、皆が集まるサルーンでもなく、がらんどうの廃屋こそを必要としていたのだ。
 生活臭があると、どうしても苛立ってしまうから。
 こんなところにいる場合ではないと、焦りが先に立ってしまう。
「オーウェン。あなた、ずっと思い悩んでいる顔しているわ。ここから、出られないから?」
「……それも大きい。だが……」
 目を閉じれば、浮かぶ顔があった。
 心が整理できないままに、ここに来てしまった。
「何か、悩み事でもあるの? 私でよければ、聞くけど」
 ティナは優しく微笑み、オーウェンの顔を覗き込んだ。
 どうしても、昔のキャスリーンを重ねてしまう。
「――一人の、女の子がいたんだ」
 どうして語り始めてしまったのかは、自分でもわからない。だが、水が溢れるように口から自然に言葉が出ていた。
「その子は、ずっと行方不明だった。だが最近になって、亡くなったことがわかった」
 オーウェンは、そのまま語りはしなかった。妹であることも隠して、微妙な言い代えを使う。
「それで……?」
「その子は、俺のことが……」
「好きだったの?」
「かも、しれないという話だ。俺は全く気づかず、相談ごとをその子にしていた」
「まさか、恋の相談とか?」
「……」
 心が読めるのか、と疑いたくなるぐらいに的確に当てられて、オーウェンは目を見開いた。
「顔が、言ってたわ」
「……そんなに俺は、わかりやすいか」
 若干肩を落としたところで、オーウェンの手にティナが手を重ねた。
「後悔してるのね」
「ああ」
「でも、あなたが自分を責めることなの? 確かに……知っててそうしたなら、無神経だと思うわ。でも、あなたは何も知らなかったんでしょう?」
 ティナの言葉は、染みいるようにオーウェンの心を慰めてくれた。
「実は、その子に私が似てたりする?」
 またも目を見開くと、またティナは「顔が言ってたわ」といたずらっ子のように微笑んだ。
「ねえ、オーウェン。あなたは随分と疲れているみたいね」
「疲れている……?」
「悩み事、きっとそれだけじゃないでしょう」
 指摘されて、思い当たることがたくさんあった。
 ジョナサンのこと、ルースのこと、そしてもちろんキャスリーンのこと……。
 新大陸に来てから、仲間が急に少なくなったこともあって、長男のオーウェンにかかる負担も大きくなった。
「そう、だな……」
 そういえばキャスリーンはいつもこんな風に、話を聞いてくれたのだった。
「ゆっくり、休んだら? 幸い、ここは現実とは隔たった場所だわ。外に出るまで、何も考えずに過ごせば良いわ」
 それは、罪のように思えた。だが同時に、甘美な誘惑だった。
 急激な眠気を覚えて、オーウェンはがくりと首を垂らす。
 その首を優しく誘導し、ティナは己の膝に彼の頭を載せた。
「あなたが良いわ、オーウェン」
 すうすうと気持ち良さそうに眠るオーウェンの髪を撫で、ティナは妖しく微笑んだ。



 遠くに見える蜃気楼を見据えて、金髪の男――ロビンは大きなあくびをした。
「ばっちり悪魔に憑かれたみたいだな」
 ロビンが見上げたのは、全身黒ずくめの男だった。年の頃は、壮年。褐色の肌に、黒い髪と黒い目を持っていた。
「――ああ」
「エデンの効果は凄まじいもんだ」
「確かにな」
 男は素っ気なく答えた。
「ところで、エデン売るのは良いんだが……もうちょっと厳選してくれね? 今回の奴とか、遠すぎだろ。おかげで、来るのに時間がかかっちまったぜ」
「私は悪魔に憑かれる素質がある者にしか、売らない。厳選しているつもりだ」
「そうじゃなくて。場所を集中させてくれると――」
「あまりに事件が起こる地域が近すぎると、さすがに疑われるぞ」
 それもそうか、とロビンはあっさり引き下がる。
 二人は、しばし黙って佇んでいたが――ふと男が口を開いた。
「ルビィ――いや、ウィリアムは?」
「宿に置いてきた。今、あいつは不要だろ。誰も殺す必要はないんだからさ。しかし、様子見るだけってのも面倒だし退屈だよな。……あんたは違うんだろうけどな、ヴラド」
 ヴラドと呼ばれた男は、黒い帽子を少しだけ上げて前を見据えた。
 蜃気楼にしか見えぬ、歪んだ空間。あの向こうに、かつて滅んだ町があった。そして今は――仮初めの復活を遂げた町がある。
「俺は悪党だが、お前ほど悪趣味じゃねえな」
「私も、趣味でやっているわけではない。あれは完全なる偶然だ。だが――そうだな、予想すべきだった。あれは悪魔に気に入られやすいんだろう」
 ヴラドの彫の深い顔は、表情を揺るがすこともなかった。
「何で? あんた、言ってたじゃん。息子は自分の力を継がなかったって」
「完全に継がなくとも、素質はあったんだろう」
「わーけ、わかんね」
 ロビンは自分で聞いておきながらあっさり一蹴したが、ヴラドは気を悪くした様子もなかった。
「さてっと。そろそろ引き上げるか。あの悪魔祓いが来るはずだ」
「見届けなくて良いのか?」
「エデンの効果は証明された。……あ、でもあの子もそろそろ捕まえたいんだよな。悪魔祓いが来るんなら、あの子も来るだろ。近くで待機しとくか」
 ロビンは周囲を見渡したが、不毛の大地に彼らの身を隠すものはなかった。
「町、入るか」
「……冗談か?」
「俺は本気だぜ?」
 ロビンは挑戦的に笑って、一歩踏み出した。少し遅れて、ヴラドがロビンの後を追う。
 しばらく歩いて、ロビンは足を止めた。揺らいだ空間に手を突っ込むと、ぐにゃりと嫌な感触がした。
「うえー。これを通り抜けるのかよ。通る間は、息を止めるべきだな」
「――本当に、入るのか?」
「怖いなら、あんたは止めておけば? だけど、あいつらに見つかるなよ」
 ロビンはヴラドを置いて、さっさと入っていってしまう。
 ヴラドもため息をついて、不可視の壁を通り抜けるべく、歩を進めた。



 フェリックスとフィービーが共闘の意志を固めた頃、ジェーンは優雅に足を組んで本を読んでいた。
「おーい、ジェーンさん」
 すっかりジェーンに骨抜きになっているリッキーが、にこにこして近寄ってくる。
「あら、なあに?」
「ジェーンさん宛に手紙が来たぜ」
 リッキーに渡された封筒を一瞥して、ジェーンはにっこり笑う。
「ありがとう。あ、ねえリッキー。この農場に、使ってない建物ない? または、滅多に使わない倉庫とか」
「倉庫なら、あるよ。何でそんなこと聞くんだ?」
「ちょっとね。賞金稼ぎ仲間で集まろうって話が出てるのよ。でも私は、ここから動くわけにはいかないからね。どこか場所を借りられたらと思ったの。どう?」
 艶やかに微笑んでみせると、リッキーは何度も首を縦に振った。
「そりゃもちろん、どんどん使ってよ」
「ありがとう。このこと、他の人には内緒よ?」
「へ? 何で?」
「賞金稼ぎって、荒っぽい奴らばっかりなんだもの。あなたのお父さんとお母さんも、良い気はしないでしょう」
「そうかなあ……。ま、良いよ。秘密にしたいなら、俺は誰にも言わないでおくよ」
「ありがとうリッキー、良い子ね」
 手招きされたのでリッキーはもう一歩近づく。
「ご褒美ね」
 頬にキスをされて、リッキーは真っ赤になった。
「あわわわ、こんなんでご褒美もらえるならオレ……いくらだって黙ってるよ! ……あ、オレ母さんに呼ばれてるんだった。もう行くよ」
 ジェーンが苦笑している内に、リッキーはスキップせんばかりの足取りで部屋を出ていった。
 彼を見送った後、ジェーンは封筒を開けて手紙を確認した。
「手がかり確保――ね。待ってなさい、クルーエル・キッド」
 嫣然と微笑み、ジェーンは仇敵の名を呟いた。

To be Continued...