6. Thousand Crosses Hill
千十字架の丘
フィービーの地図を頼りに、三人は失踪地点へと辿り着いた。
「こ、ここが……?」
ルースは戸惑い、辺りを見渡した。何も、ないのだ。
「何もないのはおかしい。千の十字架は、どこに行ったって言うんだ?」
フェリックスの指摘は、もっともだった。
「待て。何やら、変だぞ。前が若干、歪んでいるような……」
フィービーが一歩踏み出し、手をかざす。手は、ずぶりと沈んだ。手の先からが、消えている。
ひっ、と悲鳴をあげそうになって、ルースはフェリックスを見上げる。フェリックスはさほど動じた様子もなく、フィービーに様子を尋ねた。
「どんな感じだ、フィービー」
「水の中に手を入れたときのようだな。――だが、向こう側は水中ではないらしい。入るぞ」
「ちょ、ちょっと待って!」
「安全かどうか確かめたら、また出てきてお前たちにも来てもらうさ」
不敵な笑みを浮かべて、フィービーは完全に向こう側に行ってしまった。それから数分経っても、フィービーは出てこない。
「どうなってるの……?」
「もしかしたら、こっちからは入れても向こうからは出られないのかもしれない。だから、失踪者は戻ってこないんじゃないか?」
フェリックスの推理に、ルースは「なるほど」と頷く。
「参ったな。ルースは外で待っておくか?」
「冗談じゃないわ。こんな荒野の真っ只中、一人ぼっちになる方が不安よ。あたしも連れていって」
「わかった」
フェリックスはルースの手を取った。
「行くぞ」
「――ええ」
覚悟を決めてルースは目をつむり、フェリックスと共に前に進む。
ぐにゃりと不思議な感触がして、ルースが目を開けるとフィービーの怒った顔が目に飛び込んできた。
「何度も呼んだのに、どうして来ないんだ」
「勘弁してくれよ。外からじゃ、声も聞こえないし見えないんだよ」
「――出ようと思ったが出られなかったから、呼んでやったのに」
フィービーの言い分に、フェリックスは肩をすくめた。
「フィービーさん、人の話聞いてる?」
聞いてはいたらしく、フィービーは踵を返して改めて見えない壁の内側を見渡した。
「……町ね」
ルースもまた、視線をあちこちにやりながら人気のない町に不気味さを覚えた。
この町は十数年前に壊れたはずで、本当ならば存在しない町である。
「二手に分かれよう、フィービー。俺とルースは左へ。あんたは右へ。――どうだ?」
「ふん。良いだろう」
フィービーがちょうど同意したとき、大地が揺らいだ。
「何だ!?」
「きゃあっ!」
バランスを崩したルースは、近くの誰かに思い切りしがみついてしまった。
ようやく振動が止み、ルースは堅くつむっていた目を開けた。
「あ、ごめん。フェリックス――」
顔を上げ、自分が捕まったのがフェリックスではなかったことを知る。
「小娘。あいつなら、いないようだぞ」
フィービーが顎で示した先を、恐る恐る振り返る。確かに、フェリックスは忽然と姿を消していた。――というより、ルースたちはさっきのところとは、全く違う場所に立っていたのだ。
さっきは町の端にいたはずなのに、周りがどう見ても中心部と思しき開けた場所になっている。
「はぐれたのかしら?」
ルースはフィービーから離れて、不安げに呟いた。
「だろうな。ちょうど二手に分かれようと言っていたところだし、問題ない。失踪者を捜すついでで、あいつも見つかるだろう。行くぞ小娘」
「ま、待ってよ!」
さっさと歩き出したフィービーの背を、ルースは小走りで追った。
ルースとフィービーは、当て所なく町を歩いた。
不思議なことに、どんなに歩いても誰にも会わなかった。
「フェリックスー!」
「――気配自体がない。呼んでも無駄だ」
フィービーに指摘されて、ルースは声を張り上げるのを止めた。
喉も渇いてきたので、水筒の水を一口だけ口に含んで嚥下した。ぬるい水が、渇いた喉に染みいる。
「小娘。休むぞ」
「え、ええ」
フィービーは眼前に現れた建物を蹴り開け、さっさと入っていった。
ルースもおずおずと続いたが、中には誰もいなかった。
「入ったことが間違いだったのかしらね。変なところだわ」
「全くだな」
フィービーはがらんどうの屋内の壁によりかかるようにして座り、軽く目を閉じていた。
(あ、やっぱり)
薄々勘づいてはいたが、フィービーは体調が良くないのだろう。保安官補が消えて動揺しているせいだと思ったが、それだけではないらしい。
「あなた、どこか具合悪いの?」
質問に、フィービーは薄目を開けて答えた。
「まあな。もう治ったはずだが――本調子じゃないらしい」
「怪我でもしたの? それとも、風邪?」
ルースの問いがおかしかったのか、フィービーはフッと笑った。
元々男性的な顔立ちなので、そういう笑い方は妙に様になった。
「毒を盛られたんだ」
「――嘘」
「本当だ」
フィービーは懐から水筒を出し、水を飲んでいた。
「それほど深刻な毒ではなかった」
「ど、毒に深刻も何もあるの……?」
ルースには理解できなかったが、フィービーはそれ以上答えずに軽く目を閉じていた。
「あの。聞いても良い?」
「何だ?」
一瞬、眠ってしまったのかと思ったが、返事はあった。
「どうしてあなたたちは、執拗にフェリックスを疑うの?」
「怪しいからだ」
「だから、何で……」
「やれやれ。聞きたいのか?」
フィービーは目を開けて、挑戦的な笑みを浮かべた。
「――ええ」
覚悟を決めて、ルースは頷く。フェリックスはとても隠し事が多い。知ることができるものは、何でも知りたかった。
何がそんな衝動を駆りたてるのかは、自分ではわからなかったが――。
「フェリックス・E・シュトーゲルとは、私たちがブラッディ・レズリーと思しき窃盗犯を追っているときに出くわしたんだ――」
そうしてフィービーは、語り始めた。
怒号が飛び交う中、連邦保安官であるフィービーと保安官補のエウスタシオは町の保安官と協力して、ブラッディ・レズリーの男を宿屋に追い詰めた。
だが、全員で押し入ったときには、中のどこにもいなかった。
そして、唯一保安官の誰もが回らなかった、とある裏口扉の中側に、あのひょうひょうとした男が立っていたのだ。
「あいつの証言は、“誰も見ていない”だった。そんなわけはない。あそこしか、出口はなかったんだからな。他はみんな固めていた」
「窓は?」
「窓から誰か出たら撃つように、四方に狙撃主を頼んでいた。窓からは、誰も出ていないんだ」
「何で裏口扉だけ、疎かになったの?」
「そこは隠された扉だったからだ。宿の従業員ぐらいしか知らない。ともかく、あいつが誰も見ていないわけはないんだ。その後、そこにも見張りを頼んだ後に宿屋中を捜し回った。だが、どこにもいなかった」
フィービーはそこまで喋って、怒りを思い出したのか、大きなため息をついた。
「フェリックスが、ずっとそこにいたって証拠はないんじゃないの?」
「いや――宿の宿泊客や従業員には、押し入ったときに部屋に引っ込むように指示した。あそこをうろついていたあいつは、絶対に出くわしているはずだ。または、逃がしたか。ともかく、姿を間違いなく見たはずだ。だが、あいつは誰も見ていないと言う」
フィービーに「どうだ」とばかりに視線を向けられ、ルースは腕を組んで考え込んでしまった。
確かに、怪しい。だが逮捕には至らない。疑惑を向けられても、少し仕方がない気がしてしまった。
(目撃したなら、何で見たって言わなかったのかしら……)
ブラッディ・レズリーの報復を恐れて? フェリックスの性格で、それはないだろう。
考えてもまとまらない上、目の前の問題を思い出してルースはすっくと立ち上がった。
「あ、ねえ。あたし、もうちょっと様子見てくるわ。ここに戻ってくるから、待ってて」
ルースの提案に、フィービーは抗議しなかった。お世辞にも体力があるとは言い難いルースより先にフィービーが休憩を欲したのは、それだけ休息を必要としているからに違いない。
ルースはあまり離れないように背後の家を気に留めながら、そのあたりをぐるぐると回った。
「兄さん……? フェリックス……?」
いなくなった二人の名前を、そっと呼んでみる。
だけどもちろん、返事はなかった。
ハッとして、オーウェンは目を開いた。
(ルースの声が……聴こえた?)
体を起こした後にティナに顔を覗きこまれ、今までどんな体勢だったかを思い出して少し赤くなる。
「す、すまない。眠っていたみたいだ」
「いいえ。良いのよ」
「俺はどのくらい、眠っていたんだ?」
「ほんの、数時間よ。夕食まで、まだまだ時間はあるわ」
「そうか」
しかしオーウェンは何かに惹かれるように立ち上がり、家の外へと出た。
渇いた風が、頬を撫でる。
「ルース……」
義理の妹を呼んでも、無論声は返ってこなかった。
「オーウェン。ルースってだあれ?」
後ろからやって来たティナが、オーウェンの手を取りながら尋ねる。
「ルースは――」
そしてオーウェンは愕然とした。“ルース”が誰か、わからなくなっている。
「誰……だった?」
記憶が揺らいでいることに気づき、オーウェンは頭を抱え込むようにして呻いた。
「くそっ、一体何なんだ」
「無理しないで、オーウェン。ここからは出られないのよ。忘れても別に、良いじゃない」
ティナに諭され、何かがおかしいと感じながらもオーウェンは零れ落ちるようにして消えていく記憶を留められずに嘆き、その場にうずくまってしまう。
「かわいそうなオーウェン。静かなところに行きましょうね」
地面が揺らぎ、オーウェンは目を丸くしたが――見渡しても建物は崩れていなかった。
一方、フェリックスは一人で町中を歩き回っていた。
「――何層にもなっている、空間か。こりゃ、合流するのも大変だ」
現状を把握するためにも、独り言を言って情報を整理する。
「だけど、何でこんなことが? よっぽどの上級か――」
そこでフェリックスは先ほどの地震のことを思い出し、故意に複雑な構造にしたわけではなくて空間が不安定なだけなのだろうと察する。
ふと、フェリックスは砂利を踏む音に気づいた。
とっさに建物の影に隠れ、様子をうかがう。
すぐ傍を、二人組の男が通り抜けた。
二人共、帽子とスカーフで顔を隠していたが、背の低い男には見覚えがある気がした。
オーレリアのいた町で出くわした、強盗ではなかろうか。
(まさか、ブラッディ・レズリーか?)
どうしてブラッディ・レズリーがこんなところに、と考えながらフェリックスはもう片方の男を注視する。
少し浅黒い肌に、高い背丈。見たところ壮年で、それほど若くはなさそうだ。
二人が大分遠のいたと判断してから、フェリックスは全身の力を抜いた。
ルースとフィービーが同じところにいないことは確かだ。空間がつながるまで、待つしかない。
フェリックスは近くの家の中に入り、待機することにした。