6.  Thousand Crosses Hill

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 ルースは一際大きな建物の前で立ち止まり、看板を見上げた。
「サルーン……」
 おずおずと中に入るも、誰もいない。
 だが急に地震が起こって、ルースが堅くつむった目を開けたときには――目の前に四人の男女が現れていた。
「お、お嬢さん。どこから来たんだい?」
「あなたたちこそ!」
 初老の男に聞かれて、ルースは怒鳴るようにして聞き返した。
「あなたも、ここに迷い込んできたのね。記憶はある?」
 今度は、若い女が進み出る。
「記憶ですって? もちろん、あるわ。あたしは、兄さんを捜しにきたのよ」
 ルースの主張に、四人は顔を見合わせていた。
「兄さんは、オーウェンって言うの。ここにいる?」
「オーウェンのことか! ああ、いるよ。そろそろここに来る頃だと思うんだけど」
 純朴そうな青年が、にっこり笑って答えた。
「あ、あなたかしらね。失踪した牧場の人って……」
 ルースは彼を見てそう言い、次に荒々しい感じのする若い男を見やった。
「あなたは、保安官ね?」
 バッジは付いていないが、雰囲気が今まで会った保安官とよく似ている。
「俺が――保安官だって?」
 呟き、男は額に手を当てた。
「多分ね。そしてあなたは、靴屋のおじさん。あなたは農家の奥さん――だと思うんだけど?」
 ルースは初老の男と女にも当てはまりそうな失踪者の稼業を述べて、頷いた。
「兄さん以外の失踪者はちょうど四人だったから、当たってるはずよ。――って違うわね。エウスタシオさんもいるはずだわ。エウスタシオさんには会ってない?」
「エウ……何だって? そんな長い名前の奴には、会ってないぞ」
 保安官と思しき男が、顔をしかめる。
「本当? 連邦保安官補で、すっごく綺麗な顔で……褐色の肌をした男の人なんだけど――知らないようね」
 エウスタシオの名前は皆、初めて聞いたようだった。
(どうなってるのかしら。兄さんはここにいるけど、エウスタシオさんはいないってこと?)
 ふう、とルースは息をついた。
 もしかすると、エウスタシオは全く違う事情で消えたのかもしれない。フィービーに、一刻も早く知らせるべきだろう。
「兄さんは、ここに来るのね?」
「そのはずだよ。もう夕食の時間だしね。夕食は、みんなここで取ることにしているんだ」
 牧場の働き手と思しき青年が答えてくれた。
「わかったわ。仲間を連れて、また来るわね」
 ルースは戸惑う四人を残して、サルーンから飛び出した。そこでまた、大地が揺れた。
「きゃあっ!」
 階段から転げ落ちそうになってルースは慌てたが、覚悟した痛みは襲ってこなかった。
「おい小娘。大丈夫か」
 フィービーが、抱きとめてくれたらしい。
「あ、ありがとう……」
 顔を上げ、姿勢を直しながらルースはフィービーの顔を見上げた。
「お前、どこから来たんだ? いきなり何もない空間から落ちてきたから、驚いたぞ」
「何もない空間ですって? ――まさか!」
 ルースは慌てて、サルーンに取って返した。そしてそこで見た光景は、がらんどうの室内だった。
「どうしたんだ?」
 フィービーを振り返り、ルースは眉をひそめた。
「さっきまで、ここに人がいたのよ。でも、消えちゃった。ううん、消えたんじゃないわね、多分。違う空間があるんだわ」
 ルースの言葉がわかったのかわからなかったのか、フィービーは眉を上げただけだった。
「あ、そうだわ。悪い知らせよ。さっき、四人の失踪者に会ったの。あたしの兄さんはここにいるみたいなんだけど、エウスタシオさんは来てないみたい」
「何だと?」
 フィービーは、あからさまに顔をしかめた。
「エウスタシオさんが消えたのは今日だったらしいし、まだ会ってないって可能性も高いけど……」
 ルースの楽観的な推測にもフィービーは心を楽にした様子はなく、難しい顔で腕を組んでいた。



 ティナに連れられ、オーウェンはサルーンへと入った。
「あ、オーウェン! あんた、妹が捜しにきたよ!」
 アンバーの言葉に、オーウェンは目を見開いた。
「いもう、と……?」
 妹など、自分にいただろうか。
「あんたまさか、記憶を失くしたのかい!」
「そう……みたいだ。本当に俺の妹か?」
「あんたの名前を言ってた。名前を聞くのを忘れちまったんだけどね――。金茶色の髪に、灰色の目をしていた。なかなか、かわいい子だったよ。まだ幼いね。十三歳ぐらいかい?」
 アンバーの説明で、脳裏に姿がちらりと浮かぶ。
(ルー……)
「オーウェン」
 ティナに名前を呼ばれて、蘇りかけていた記憶が霧散する。
「無理することないわ。思い出せないものは、思い出せないものよ」
 優しく微笑まれ、オーウェンは何か違和感を感じた。
 そういえば、自分が記憶を失くしたのは……ティナといたときだ。
「オーウェン、ちょっとこっち来い。あんた顔が青いぞ。気つけに、テキーラ飲ませてやる」
 ニールに手招きされ、オーウェンはニールの背を追ってカウンターへと歩いた。
 どぼどぼとグラスに注がれた無色の酒を飲み干すと、喉が焼けるようだった。
「そのまま、黙って聞け」
 ニールは自分の分を注ぎながら、小さな声で言った。
「さっき、お前の妹が来たと言ったろう。そこで、失踪者の職業を言ってくれたんだ。一人は保安官、一人は農場の働き手、一人は農家の主婦、一人は靴屋の店主――。そして失踪者は、お前を除くと四人だとも。あと一人知らないか、と聞いてきたがそいつは連邦保安官補で褐色肌の男だと言っていたから……それはまあ、ここには来ていない奴だろう」
 ニールが何を言いたいかを理解し、オーウェンは息を呑んだ。後ろが怖くて、振り返ることができない。
「わかったようだな。どう考えても、当てはまらない奴が一人いるだろ」
「ああ……」
「そもそも、あいつが最初にここに来たんだろう。何がなんだかわからないが、あいつが――俺たちを呼んだと考えれば、どうだ。謎が解けるんじゃないか」
 ニールは一気にテキーラをあおり、音を立ててグラスを置いた。
「それで、どうするつもりだ?」
「決まってる。真相を、聞くのさ」
 ニールはカウンターから出て、皆と同じテーブルに着くティナへと近づき――銃を抜いて彼女のこめかみに当てた。
「動くな」
「な、何するのよニール!」
「黙れ。お前が、俺たちを閉じ込めたんだな?」
 ティナ以外の者は席から離れ、各々が銃を構えてティナへと向けた。
 オーウェンは、なんとひどい光景かと思わずにはいられなかった。だが、庇うわけにもいかない。
「ひどいわね、みんな。私たち、家族じゃないの?」
 ティナのか細い声の訴えにも、誰も反応しなかった。
「……ひどいわ」
 ティナは怒りを燃え上がらせた目で、皆を睨んだ。
 その瞬間、大地が揺れる。
「うわっ!」
 バランスを崩したニールは、すぐに銃を構え直す。だが、地鳴りは止まなかった。
「ここは、私の町よ。私の思い通りなの」
 揺れは大きくなり、棚から酒瓶が全て床に落ちて硝子が砕ける。
 オーウェンが膝をついたとき、傍に温かな息吹を感じた。
「オーウェン。あなただけよ、私を責めないのは。一緒に行きましょう」
 いつの間にか、ティナが傍にいた。
 ニールも他の皆も、地震がひどすぎて立っていられずに銃も手放してしまったようだ。
「俺だって、今……お前を疑っている」
「でも、あなたは銃を構えなかった」
 それは持っていなかったからだ、と答える余裕もない。
「やっぱり、あなたしかいないわ。私の夫は」
 ティナは微笑んだ。
 そして一際大きな揺れが来て、オーウェンは頭を床にしたたかに打ちつけて、そのまま意識を失ってしまったのだった。



「派手に壊れてるなあ。階層が分かれていたようだが、これで一つになるかもな」
 ロビンは丘の上から町を見下ろし、呟いた。
 隣の男――ヴラドもまた、景色を凝視している。
「おいヴラド。あの女の望みって、何だっけ?」
「家族だ。ハリケーンで壊された町の生き残りだったティナは、ずっと家族に飢えていた。たまたま別の町の親戚に預けられていたから、ティナは難を逃れたんだ。家族構成は両親と、兄二人だったようだ」
「ちょっと待て。それ、おかしくね? 招かれたのは、五人だ」
「ああ。最後のあいつは――違う役割だろうな」
 何もかも見透かした表情で、ヴラドは首を振った。
「しかし、こんな上級初めてだぜ。使う力が半端ねえ。エデンの未来は明るいねえ。上級悪魔召喚実験、無事完了だな。あとは、悪魔祓いが殺すだろ。――さて、壁もなくなった頃だろうし、そろそろ行くか? ここにいたら、巻き込まれるぜ」
「私はもう少し、ここで見届ける。お前は先に帰って、首領に報告しろ」
「へいへい。物好きだな、お前」
「彼女を捕まえなくても良いのか?」
「巻き込まれちゃたまんねえし、ここでは止めとくぜ。あとで手を打つ」
 ロビンは皮肉気に笑って、ヴラドを残して一人で荒野へと歩いていった。
 ロビンを見送ることもなく、ヴラドは眼下で崩れ落ちる町を見守る。
 悪魔の誘いに乗った少女の行く末を、最後まで見届けたいと思っていた。



 頭が、ずきずきと痛む。
 オーウェンはふらふらする頭を振って体を起こし、今の状況を把握しようとした。
「どこだ……」
 見覚えがある。そうだ、ここは――自分の家――自分の家と定めた家だ。
 そして今、自分はベッドの上にいた。
「ティナ?」
 オーウェンはベッドから降りて、扉へと近づいた。そして扉を開いて息を呑む。
 家は、闇の中に浮かんでいたのだ。
「ここは……どこだ。ティナ! どこにいるんだ!」
 悲鳴にも似た叫びをあげても、ティナは来なかった。



 フェリックスは、突然背後から凄まじい邪気を感じて銃を抜いた。
 久しく相対していなかったほどの、上級だ。油断をすれば、こちらがやられるだろう。
 フェリックスは振り向きざまに、銃を撃った。
 悪魔は避けもせず、弾丸を手で受けた。貫通はせず、僅かな血を飛ばして弾丸が手の平に埋まる。
「あら、何だ。あんたは妹じゃあ、ないわね」
「俺のどこを見たら、妹に見えるってんだ?」
「余計なことを言いにきた、妹を殺しにきたのよ。どこにいるの?」
「妹って――」
 ルースのことか、と気づいたフェリックスは目の前の悪魔を凝視した。
 長い三つ編みに、素朴な容姿。目に立ち上るのは、激しい怒りだ。
「オーウェンは、私の夫よ」
「えっ。兄さんてば、俺たちが必死に捜してる間に、君とそんな仲に?」
 思わずふざけてしまったが、少女は全く笑っていなかった。
「私が捜しているのは、あなたじゃないわ」
 そして地面が揺らぐ。フェリックスは引き金を引いたが、重心が揺らいでいる状態で弾が当たるわけもなく、弾丸はティナの肩をかすめただけだった。
「くそっ、ルースのところに行く気か……!」
 フェリックスは幾度もつまずきそうになりながらも、地震などないように先を歩くティナを追った。



 ぞわりと寒気を感じたルースは、腕をさすった。
「どうした?」
 フィービーに問われ、ルースは首を振る。
「いえ、何か寒気が――」
 そして振り返ったルースは、床に人が倒れていることに気づいて悲鳴をあげた。
「えっ!? どうなっているの!?」
「落ち着け、小娘。こいつらは今いきなり現れただけだ」
「だから、それで驚いているんじゃない!」
 ルースは寒気の正体を、すぐ知ることとなる。
「伏せろ!」
 フィービーに突き飛ばされ、ルースは床に転がる。その上を、鋭利な刃物がかすめた。
「女。手を上げろ! 私は連邦保安官だ!」
 フィービーが両手に銃を構えて警告した先には、一人の少女が立っていた。
(姉さん……? いえ、違うわ。全然違う人だわ)
 昔の姉を彷彿とさせる少女は、手にナイフを構えていた。そして警告に従うこともなく、少女はフィービーに向かってナイフを投げつける。
 舌打ちして、フィービーが身をひるがえしてナイフを避ける。
「話が通じる相手では、ないようだな。小娘、起きろ。テーブルの向こうに隠れろ」
「え、ええ」
「逃がさない。あなたが、妹ね――」
 少女は人間離れした動作で、壁に張りつき天井を這った。
 絶句するルースとフィービーの傍らに、彼女が降り立つ。
「死んでしまえ!」
 ルースに少女がナイフを振り下ろさんとしたとき――銃声がとどろいて、弾丸が少女の腕を貫いた。
 入口に、銃を構えたフェリックスが立っていた。
「ルース、逃げろ! フィービー、連れてきてくれ!」
「ああ! 行くぞ小娘!」
 フィービーはルースを引きずるようにして、フェリックスの立つ入口へと走った。
 その間、呆然としていた少女はようやっと三人を振り返る。
「私の腕、動かなくなっちゃった」
 血まみれの腕から、ナイフが滑り落ちる。
「二人で逃げてくれ。後から追う」
 フェリックスは銃を構えたまま、二人に告げた。
「でも、フェリックス!」
「大丈夫だから! フィービー、ルースを頼んだぞ!」
「任せろ」
 フィービーは抵抗するルースを肩に担いで、サルーンから出た。
「待って! 兄さんも見つかってないのよ!」
「黙れ。お前がいては、庇って戦わなくてはならない。安全なところに逃げるのが先だ」
 フィービーの叱責に言い返すこともできず、ルースは唇を噛んだ。