6.  Thousand Crosses Hill

3


 フィービーに連れられ、ルースはサルーンから遠く離れた家屋に入った。
「あなたは、加勢には行かないの?」
「私が離れては、あの男と交わした約束が果たせんだろう」
「あ……」
 納得がいくと同時に、自分が情けなくなる。
 しばし、気まずい沈黙が降りる。
「あの、あなたは怖くないの?」
 突然とも言える質問に、フィービーは眉をひそめる。
「だって……異常な状況だもの」
 フィービーは悪魔のことを知らないはずだ。それなのにこのような状況に放り込まれても、全く動じていないのが不思議だった。
「確かに異常だが――だからといって、混乱して怯えていては何にもならない。私は、切り抜けるだけだ」
「……そう」
「それに、異常な事態はブラッディ・レズリーの事件にはつきものだ。慣れた。今回のことにも、あいつらが絡んでいないとは言えまい」
「ブラッディ・レズリーが絡んでる!?」
「可能性の話だ」
 言葉とは裏腹に、フィービーは半ば確信しているような表情で虚空を睨んでいた。

 フェリックスは弾を補充しながら、縦横無尽に跳び回る悪魔を睨みつけた。
 乗り移っているのが少女だからなのか、嫌になるほど敏捷だ。
「悪魔を見る男よ。お前の弾は当たらぬぞ」
 少女の喉から出ているとは思えぬほど深みのある声で語りかけ、悪魔はカウンターの上に軽やかに降り立った。
 必殺の早撃ち――“西部の伝説”を使ってすら、当たらない。
(これは、ただ早いだけじゃないな……。そうか、自分の周りの空間を歪めているのか?)
 目を凝らすと、悪魔の輪郭が微かにぼやけていることに気づいた。
「さすが上級悪魔だな。戦い甲斐がある!」
 大口を叩き、フェリックスはジーンズのポケットを探った。
(聖水……よし、あるな)
 小さな硝子瓶ごと悪魔に向かって投げつけると、悪魔は悲鳴をあげた。
 さすがに、効いたようだ。
 だがフェリックスの弾丸が捕らえる前に、その姿は虚空に消えた。
 舌打ちをした後、フェリックスは銃を下ろす。
「おい、あんた……」
 声をかけられ、振り返るとカウボーイハットをかぶった男がテーブルの陰から様子をうかがっていた。
「ああ……あんたは、失踪者か?」
「そうだ。どうやら、俺は保安官らしい。記憶はないけどな」
「記憶はない?」
「ここにいるみんな、そうだよ。オーウェンは初め記憶があったが、消えたと言っていた」
 男は立ち上がり、フェリックスに手を差し出した。
「あんた一人じゃ大変だろ。手伝うよ」
「それは助かる」
 有り難く、フェリックスは男の手を握った。
「ニールだ。さっきも言ったように、どうやら保安官」
「俺はフェリックス。悪魔祓いだ」
 ニールはフェリックスの職業に驚いたようだったが、すぐに納得したように頷いた。
「なるほど、悪魔か。あの人間離れした動き……それだと、説明がつくな」
「ああ。しかも、上級だ。――他の失踪者たちは、どこにいるんだ?」
「まだ気絶してるよ」
 ニールが顎で示した通り、三人の男女が床に横たわっていた。
「俺も今さっき、気がついたところだ。ティナは疑った途端に、恐慌状態になってな……」
 ニールは、先ほどティナを問い詰めた話を語った。
「あの悪魔――いや少女は、ティナって言うんだな」
「そうだ。そのときオーウェンもいたはずなんだが、いなくなっている。ティナが連れていったんだな。ティナは、妙にオーウェンのことを気に入ってたからか」
「何だって? ったく、兄さんてば悪魔に好かれやすいんだからっ!」
 やきもちを焼く女のような口調で毒づいた後、フェリックスは、はたと思い出した。
『オーウェンは、私の夫よ』
 ティナは、そんなことも言っていた。
「とにかく――悪魔を捜そうと思う。協力してもらえるか」
「ああ」
「この人たちは、悪いけどこのままでいてもらおう」
「そうだな……」
 フェリックスとニールは、会話を交わしながら外に出た。
 町は静まり返っている。
 二人は警戒して銃を構えながら、速足で町を歩いた。
(ルースとフィービーは、どこかに隠れているはずだ……)
 フィービーが付いているなら、とりあえず心配はないはずだ。いくら滅茶苦茶でも、フィービーは連邦保安官だ。ルースを守ってくれるだろう。
「だけど、悪魔にしても――どうして、こんなことをしたんだか」
 フェリックスの独り言に、ニールが反応した。
「それなんだよな。――っていうか記憶失くしたって言ってたけど、ちょっと思い出してきたぞ」
「本当か?」
「ああ――断片的に、だが。この町の記事を見たことがある」
 ニールは眉間に皺を寄せて、ゆっくりと語った。
「元々、この町はウィンディ・ヒルっていう町だったんだ。その名の通り、風が強く吹く丘があったんだとさ」
「――で。ハリケーンで町が全壊したんだな」
「何だ、あんた知ってるのか。ああ、そうだ。最近、新聞にその記事が載ったんだよな。回顧録って形で。生き残りの少女に、インタビューをしてたんだ」
「生き残り?」
「それが――ティナという名前だった」
 ニールもそれをたった今思い出したとばかりに、首を振った。
「そうだ、あの子だったんだ。違う町の親戚の家にたまたま預けられていたから、難を逃れたんだよ」
「なるほど。で、その記事には何が書いてあった?」
「“本当の家族が欲しい”、“町に戻りたい”と――」
 それだけで、ティナがどんな思いをして育ったのかがわかってしまう気がした。
「親戚の家じゃ、上手くいってなかったのかな」
「だろうな。もしかすると、アンバーやライナスが連れてこられたのは、父親と母親に……ってことだったのかもしれない」
「なるほど。あんたと、もう一人は?」
「兄、じゃないだろうか。その記事では、兄二人も失ったと書かれていた。俺は……そうだ。失踪者が出たから捜査に向かったんだった」
 ニールはどんどん、記憶を取り戻しているようだった。
「そうか! あんたの記憶が戻っているのは、悪魔の力が削がれているからだ」
「何だって……?」
「あんたは最初しばらく、記憶があったって言ったな? それって、あんたが最近来たからじゃないのか?」
「ああ、そういえば――オーウェンに次いで俺が二番目に新しいな」
 ニールは、そこでハッとしたようだった。
「オーウェンも記憶を失くしてなかった。失ったのは、ついさっきだ」
「そうか、それなら兄さんは……あの血筋だから、気に入られやすいのか……?」
「何だって?」
「いや、こっちの話だ」
 フェリックスは何でもないように話を打ち切ったが、その顔は若干青ざめていた。



 オーウェンはじっとベッドの上に座っていたが、気配を感じて振り向いた。
 いつの間にか、ティナが背中にもたれかかっている。
「ティナ……。何をしている?」
「こうしてると、楽になるの」
 呼吸が荒い。オーウェンは心配になって、振り向いた。
「お前……怪我してるじゃないか」
「何てことないわ。オーウェンは、やっぱり優しいわね」
「俺は……別に、優しくない。なあ、ティナ。俺をここに閉じ込めたのは、お前なのか? 出してくれないか――。俺には、やることがあるんだ」
 オーウェンの記憶は、先ほど戻ったばかりだった。
「それって、あの妹のこと?」
「いや、違う。俺には弟が――」
 そこまで言ったところで背中に爪を立てられ、オーウェンは歯を食いしばった。
「だめよ、オーウェン。あなたは、私とずーっと一緒にいなくちゃあ。それが、あなたの大切な人への――罪滅ぼしなんじゃないの?」
 顔を上げたティナは、変身する前の素朴なキャスリーンの顔へと成り変わっていた。
「キャスリーン?」
「それが、償いでしょう」
 絶句するオーウェンに抱きつき、キャスリーンの姿をした女は呪詛のように「一緒にいて」と繰り返した。



 フェリックスとニールはひたすら、町を走っていた。
「変形の悪魔だって?」
「ああ。そういうのがいるんだよ。自分の姿だけじゃなくて、こういう風に空間をも変えるのは――俺も初めて出くわすけどな。記憶も、“消してる”んじゃない。真っ白な状態に“変えてる”だけなんだ」
「なるほどな……」
 ニールに説明しながら、フェリックスはとある家屋の異変に気づいた。
「あの家、輪郭が滲んでるな」
 フェリックスはポケットからもう一本、聖水の入った小瓶を取り出した。
 振りかぶって投げると、水と硝子が霧散すると同時に地震が起きた。
「うわっ!」
「おっと――当たりだな」
 すぐ傍の大地が、何もない真っ黒な空間に変わっている。その闇に抱かれるようにして、家が一軒浮かんでいた。
「あそこに、どうやって行くんだ?」
「行く必要はない。ここからなら、届く」
 フェリックスは担いでいた荷物を下ろし、組み立て式のライフルを素早く組み立てた。
 窓に映る、少女の影。
「ちょっと待てよ。兄さん、近くにいないだろうな? ――兄さん! 兄さん、聞こえるかー!?」
 フェリックスが怒鳴ったのを見て、ニールも加わった。
「オーウェン! 返事をしろ!」



 聞き覚えのある声がして、オーウェンは背後の窓を振り返った。
「――用心棒……ニール……」
 遠く離れてはいるが、光溢れるところから二人がこちらを見ている。
 もやに包まれていた意識が、覚醒する。
「だめよ、オーウェン。行ってはだめ」
「放せっ!」
 オーウェンは初めて、ティナに対して強く出た。彼女の手を振りほどき、ベッドから降りて睨みつける。
「お前は、キャスリーンじゃない! あの子は、死んだ!」
 口に出して、改めて実感する。
 優しく聡い義理の妹は、もうこの世にはいないのだと。
「キャスリーンの姿を騙るな! それこそが冒涜だ!」
 ここから出なくてはならない。出て、ルースと用心棒と共にジョナサンの治療法を見つけなくてはならない。そうでなくては、キャスリーンに顔向けができない。
「オーウェン……」
 青ざめたティナの表情が、一瞬で豹変した。
「――せっかく、お前の心にいた女の姿で捕らえてやろうと思ったのに」
 低い、男のような声にオーウェンは息を呑む。
 オーウェンはとっさに、扉を開けて飛び出そうとした。
「馬鹿っ! 兄さん、落ちるぞ!」
 フェリックスが叫んだ通り、オーウェンの体は奈落の底へと落ちようとしていた。
「オーウェン、つかまれ!」
 ニールが投げた縄に、オーウェンは間一髪捕まる。
「すまない……ニール」
「へっ。良いってことよ」
 ニールが軽口を叩いたとき、扉の向こうから悪魔が姿を現した。
 フェリックスは聖水の小瓶を投げ、すぐにその後からライフルを放った。
 硝子が砕けて聖水が歪んだ空間を解き、弾丸が正確に心臓を貫く。
 断末魔の声と共に、悪魔は砂へと変わった。
「空間が崩れるぞ!」
 フェリックスの叫んですぐ、また地震が起こった。
 フェリックスもライフルを置いて、ニールの加勢に入る。しかし二人がオーウェンの体を引っ張り上げる前に、崩壊が起きた。



 大地が揺れ、家屋が揺れた。
 ルースとフィービーが慌てて外に出たときにはもう、大半の家が崩れていた。
「そんな……」
「小娘、退け!」
 フィービーに突き飛ばされ、ルースは大地に転倒する。先ほどまでルースがいた場所に看板が落ちて、ゾッとする。
「くそっ、まだ続くようだな!」
 フィービーはルースの手を取り、庇うようにしてルースの頭を抱えこんだ。
 一層大きな地響きが轟き、ルースは悲鳴をこらえて目をつむった。

 目を開けると、横になった無数の十字架が目に入った。
 ルースは自分が横倒しになっているのだと気づき、大地に手をついて起き上がる。
 数多の十字架から、黒く長い影が伸びている。夕焼けの光とあいまって、その光景は神聖というよりも不気味に映った。
 無数の十字架が立ち並ぶこの丘は――話に聞いていた、サウザンド・クロスの丘だろう。
「……あの町は、どうなったの……?」
 かすれた声で呟いて、辺りを見渡す。隣にフィービーが、少し離れたところにフェリックスと保安官が、そしてもっと離れたところにサルーンで出会った三人が倒れていた。
 だが、オーウェンはどこにも見当たらなかった。



 オーウェンは頭痛と共に、目を覚ました。
「…………ここ、は」
 どこだろう、と考えながらベッドから起き上がる。
 知らない部屋だった。
「起きたか」
 傍らで、男の声が響いた。オーウェンは驚き、声のした方を見た。
 既視感に襲われたが、そこに座っていたのはティナではなかった。
 すぐ傍の椅子に座る壮年の男の顔は少々浅黒く、彫の深い顔立ちをしていた。
「あんた、誰だ?」
「ご挨拶だな。助けてやったんだから、先に礼を言ったらどうだ?」
 皮肉気な微笑みに、誰かを思い出す。そう、誰か――鏡でよく顔を合わせる、誰かに……。
「私は、お前の父親だよ」
 にわかには信じられない言葉を、肉親でしか有り得ない顔立ちの相似が証明していた――。

To be Continued...