2.  A Redheaded Girl

赤い髪の少女


 恋人のクリスティを撃ち殺されたジェームズは呆然自失の状態で、さすがの郡保安官《シェリフ》も同情を隠せない様子だった。
「わかった。彼の身柄は、一旦こちらで預かろう」
 シェリフにジェームズの身を託した後、フィービーは腕を組んで呟いた。
「解せないな。クリスティが脅されていたとして……なぜ、ブラッディ・レズリーはクリスティに偽証をするよう言ったんだ?」
「そもそもブラッディ・レズリーの男が、アンダースン氏を殺した理由もよくわからないんですよね。通常、顔を見られたり取引が決裂したときに殺すわけですが……」
「小娘が聞いた会話からして、後者の可能性が高いな。大体、顔を見られたならその時点で殺すだろう。待て。取引をしていたんだったら、あのクリスティも、噛んでいたのかもしれん」
 フィービーの意見に、エウスタシオは首を傾げた。
「そもそもジェームズの恋人が、あの家で働いていたこと自体おかしいですよね。ジェームズ自身は何も知らないと言い張ってますが、彼女はジェームズのために、あの家に行っていた気もする」
「だな。ジェームズのために証書を捜し回っていたところ、家主の秘密を知ったとか」
「有り得ます。そこから取引に関わった? 本人が死んでいるせいで、聞き出せないのが残念ですね。とにかく、彼らを送り届けたらまたジェームズを事情聴取しましょう。何か聞いているかもしれない」
 そこで二人は会話を止めた。
「何で口を開けているんだ、小娘?」
 フィービーに問われ、ルースはハッとした。そう、ちゃんとルースもジェーンもそこにいたのだが、二人の会話に入れなかっただけである。
(この人たちってちゃんと“保安官”なんだわ、って思ってびっくりしてたんだけど――そんなこと言ったら怒られそうだから、止めておこう)
「な、何でもないわ」
「ふん。では、付いてこい」
 フィービーとエウスタシオがルースの横を通り過ぎて先行したので、ルースとジェーンはその後を追った。



「ジョナサン」
 優しい声に気だるさと共に目を覚ますと、オーウェンが顔を覗き込んでいた。
「ジョナサン。調子はどうだ」
「……眠たい」
「少し起きられるか。食事を持ってきた」
 兄は食事の載ったトレイを、傍らのテーブルに置いた。
「うん」
 もそもそとパンをかじり、見守る兄にジョナサンは尋ねた。
「お兄ちゃん、お金って大丈夫なの?」
「金?」
「うん。だってここ広い部屋だし、お医者さん何度も来たし……公演できてないのに」
 ジョナサンの言葉に、オーウェンは眉を寄せて首を振った。
「お前がそんなこと、気にするな。心配しなくても、蓄えはある」
 くしゃりと弟の金髪を撫で、オーウェンは微笑む。彼の表情を見て、ジョナサンの口元は少しだけ綻んだ。
「……残りは後で食べるから、置いてても良い? また、眠たくなってきちゃった」
「ああ」
 ジョナサンは食事を半分ほど残したまま、ベッドにもう一度潜り込んだ。
 しばらくオーウェンはそのまま見守っていたが、壁時計に目をやると立ち上がって出ていってしまった。
 足音が遠ざかったことを確認してから、ジョナサンはぱっちり目を開けてベッドの下を覗き込む。
「もう良いよ」
 暗がりに潜んでいた影はびくりと肩を震わせてから、ベッドの下から姿を現した。
「よく、わかったな」
「まあね。お兄ちゃんには、見つかっちゃだめなの? ウィリアム」
 ウィリアムは乱れた赤い髪を直しながら、椅子に腰かけた。
「俺は、いきなり転がり込んできたんだ。きっと、お前の兄は怪しむだろ。――すぐに出ていくつもりだしな」
「でも、腕の傷ひどいみたいだよ」
 ジョナサンに指差され、包帯を巻いているのにシャツに血の染みが広がっているのを見て、ウィリアムは舌打ちしていた。
「お医者さんに行った方が良いんじゃない?」
「うるさい」
 一蹴されてジョナサンは面食らいつつ、もう一度ベッドに横たわった。
「僕、ごはん全部食べ切れなかったんだ」
「――後で食べるんじゃなかったのか」
「そうしようと思ったんだけど、食べられそうにないから……君が食べてよ」
 ウィリアムは立ち上がり、トレイを取った。
「小さいくせに、やけに気の付く奴だな。いくつだ?」
 りんごをかじり、ウィリアムはジョナサンを見下ろした。
「十歳だよ。君は?」
「十四」
 素っ気なく答えてから、ウィリアムはジョナサンの残したパンもスクランブルエッグもがつがつと頬張った。
「十四歳でも、声変わりしてないんだね」
 ジョナサンの何気ない一言に、ウィリアムは動きを止めた。
「何だよ。悪いか」
「ううん。でもさー、いつ声変わるんだろうって……僕、ずっと不思議なんだ」
「そんなの、人によるだろ」
「ふーん。早く声も低くなって背も高くなって、フェリックスみたいになりたいな」
 ぽつりとした呟きを耳を留め、ウィリアムは眉をひそめた。
「フェリックス?」
「僕の用心棒! 銃は百発百中で、ケンカも強いんだ。かっこいいんだよー」
「……そうか」
 ウィリアムは適当に相槌を打ってから、器を傾けて残ったスープを飲んだ。
「お前は、何の病気なんだ?」
 ウィリアムの唐突とも言える質問を受け、ジョナサンは少し間を開けてから答えた。
「わからない」
「わからない?」
「うん。お医者さんも、お手上げなんだって」
 ウィリアムは言葉を失ったように、ジョナサンを凝視してきた。視線に気づいて、ジョナサンは首をひねる。
「どうかした?」
「いや……」
 そこで廊下から話し声と複数の足音が響くと、ウィリアムはトレイを机に置いて立ち上がった。早足で部屋を突っ切り、窓に手をかける。
「危ないよ? 何してるの?」
「出ていくんだ。――お前。俺に会ったことは、誰にも言うなよ。この約束を破ったら、どうなっても知らないぞ」
 鋭い眼光と共に、ウィリアムは告げた。先ほどまでと打って変わった声音の硬質さに、ジョナサンは息を呑む。
「世話になったな」
「ウィリアム!」
 叫んだときにはもう、ウィリアムは窓の向こうに身を躍らせていた。ジョナサンは慌てて開け放された窓に近づき、顔を出した。
 屋根を走る後ろ姿は、既に小さく見えた。
 扉が開かれ、姉の声が響く。
「ジョナサン、起きてちゃだめじゃない! どうしたの?」
 肩をつかまれ、振り返る。語調とは裏腹に、ルースは目を吊り上げてはいなかった。
「うん、ちょっと……」
 誰にも言うな、と言われたことを思い出してジョナサンは口をつぐむ。そして姉の後ろに、ジェーンと二人の男女が立っていることに気づいた。
 ジョナサンの視線に気づいたらしく、ルースは苦笑いを浮かべた。
「事情を話すと長くなるんだけどね。連邦保安官たちも、お見舞いに来てくれたのよ」
「連邦保安官のフィービー・R・アレクサンドラと、連邦保安官補のエウスタシオ・D・ソルだ」
 フィービー自ら紹介され、ジョナサンはどう反応を返したものかと戸惑ったが彼女は構わず、ずかずかと近づいてきた。
「病気と聞いたが、寝てなくて良いのか」
 高圧的に見下されて、ジョナサンは慌ててベッドに飛び乗った。ジェーンの笑い声が響く。
「相手は子供なんだから、脅すんじゃないわよ」
「普通に喋っただけだが?」
 ジェーンとフィービーのやり取りを聞いて笑いそうになったジョナサンは、視線に気づいて顔を保安官補に向けた。彼は穏やかに微笑んでいる。
「誰か、いたのですか?」
 エウスタシオの指摘に、ジョナサンはぎくりとする。
「い、いなかった……」
「ふうん?」
「さっきまで、お兄ちゃんがいたけど」
「そうですか」
 誤魔化したが、エウスタシオは疑わしげに部屋を見渡していた。
「ねえ、お姉ちゃん。フェリックスは?」
 一度も見舞いに来てくれない用心棒のことが気になってジョナサンが尋ねると、ルースは困ったように目を逸らした。
「もうすぐ来るわ。フェリックスも忙しくて」
「おや。捕まったことを、まだ言ってないのか?」
 フィービーの空気を読まない発言に、空気が凍った。
「捕、まった……?」
「だ、大丈夫よ、ジョナサン。もうすぐ釈放されるの。無実の罪だったから……」
 おろおろとしてルースがまくしたてると、ジョナサンはにっこり笑って頷いた。
「そっか。フェリックスが悪いことするはず、ないもんね」
「……そうそう」
 ホッとしたようにルースは息をつき、恐れも知らずにフィービーを睨んだが、ルースの睨みなど全く応えていない様子でフィービーは平然としていた。
「病人のくせに、窓を開け放しているのは感心しないな」
 フィービーは、ベッドを通りすぎて窓に近づく。
「誰か、ここから出ていったようにも思えるな……」
 フィービーの台詞に、ジョナサンは動揺しないように拳を握りしめる。
「おい。誰か、ここにかくまっていなかっただろうな?」
「……かくまってないよ」
 いきなり詰問され、ジョナサンは端的に答える。
「ふむ。どうも挙動不審だな」
「止めて、フィービー。ジョナサンは病気なのよ。犯人扱いしないで」
「うるさいぞ、小娘。誰も、犯人扱いなんてしていないだろう。もし、こいつがブラッディ・レズリーのスナイパーをかくまっていたら、罪に問われるがな」
 そこで、意外な人物が助けを出してくれた。
「フィービー様。ブラッディ・レズリーのスナイパーなら、彼は生きてはいませんよ。ブラッディ・レズリーの掟を、忘れたのですか? 顔を見られたら、皆殺し――」
「……それもそうだな」
 フィービーは、エウスタシオの意見を聞くと、あっさり引き下がっていた。
「それより宿の主人に、話しにいきましょう。スナイパーがどこかに潜んでいることを、客に警告してもららなくては」
「そうだな」
 連邦保安官たちは、話し合いながら一旦部屋を出ていってしまった。



 ルースは気になって、ジョナサンに確認を取った。
「ジョナサン。保安官に嘘ついてないでしょうね? 嘘ついたら、しょっぴかれるわよ」
「ついてないもん」
 ジョナサンは、あくまで頑固だった。
「あのね……今、ブラッディ・レズリーのスナイパーが逃げてるの。その人は、怪我してるのよ」
 衝撃が走ったように、ジョナサンの肩がびくりと震える。
「違う」
「え?」
「あの子、子供だったし銃も持ってなかった。追われてて、かわいそうだったんだよ。ブラッディ・レズリーに、追われてたかもしれないでしょ」
 きっ、と見据えられてルースは思わず怯んでしまった。
「それを何で、連邦保安官に言わなかったの?」
「だってあの人たち、問答無用で捕まえちゃいそうなんだもの」
「……それもそうね」
 実際、フェリックスを捕まえようとしている、あの二人のことだ。疑わしいと判断したら、すぐにでも捕まえてしまいそうだ。
「わかったわ。あたしは、あんたを信じる」
「本当?」
「ええ。でもね、お姉ちゃんに隠し事はしないでね。その子がまた来たら、言って」
 子供と聞いて、サルーンに立てこもった男を思い出す。やたら背の低い男――子供かどうかはわからないが、若いことは確かだった。もしジョナサンが匿ったのが彼なら、百発百中でブラッディ・レズリーのスナイパーだ。
 しかし、銃を持っていなかった、というのが気になった。普通の拳銃ならともかく、フィービー曰くスナイパーが使っているのはライフルだ。ライフルほど大きな銃を、子供が隠し持てるのだろうか。
「うん、わかった。でも、来ないと思うけどなあ……」
 すると、それまで黙っていたジェーンが扉に耳を当て、二人に注意を促した。
「二人共。保安官が帰ってくるわよ」
 ジェーンの予告通り、ほどなくして扉が開き、フィービーとエウスタシオが入ってきた。
「私たちはもう一度、保安官事務所に行ってくる。あいつを引き取ってこよう」
「どこにスナイパーが潜んでいるかわかりませんし、他のブラッディ・レズリーの者が来ていないとは限りませんので、あなた方は外に出ないように。宿の主人にはもう勧告してありますが、もし外に出ようとしている人がいたら止めてください」
 連邦保安官および保安官補の指示を聞いて、ルースもジェーンもジョナサンも神妙な様子で首を縦に動かした。
 二人が出ていき、足音が遠ざかってからルースはジェーンに視線を向けた。
「ジェーンさん、さっきのことは……」
「ええ、わかってる。坊ちゃんを信じましょう。大体、本当にスナイパーなら、保安官補が言ってた通り――坊ちゃんが無事なわけないわよ。――でも、感心しないわよ。知らない人を部屋に招き入れちゃだめ。わかった?」
「うん」
 ジェーンにこつんと額を小突かれ、ジョナサンは笑って頷いていた。