2.  A Redheaded Girl

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 荒い呼吸を繰り返して、ウィリアムは転がり込むように小さな民家に入った。
「――良いザマだな」
 冷たく見下ろされて、ウィリアムは視線だけを金髪の男に向ける。
「ロビン……ごめん」
「銃は拾ってきてやったぞ」
 愛用のライフルを渡され、それを胸に抱くと、ささやかな安堵が訪れた。
「お前が外すなんて、珍しいな」
「手元が狂ったんだ。しくじった――」
 両手で顔を覆うと、ロビンはクッと笑った。
「しかもその怪我じゃ、しばらく撃てないだろう」
「問題ない。痛みはあるけど、耐えれば大丈夫だ」
 毅然として言い切ると、ロビンの笑みが消えた。
「アーサーに言うな、ってか?」
「ああ。頼む」
 ウィリアムが目を逸らさず睨み続けると、ロビンは肩をすくめた。
「わかったわかった。アーサーとは当分合流できないだろうし、それまでに傷を治せよ。気づかれたら、俺は知らない」
「それで良い。ありがとう」
 礼を言われると思っていなかったのか、ロビンは眉を寄せて怪訝そうな表情になった。
「なんとか連邦保安官はまけて良かった。早くこの町から出よう。保安官事務所に拘留されたんじゃ、あいつの暗殺は無理だ。元々、あの女のついでに、ってことだったんだし……」
「ああ、ジェームズ・マッキンリーはもう良い。だけどルビィ」
 ルビィと呼ばれたが、ウィリアムは反応しなかった。
「あ――悪い悪い。普段はウィリアムって呼ぶべきなんだっけか。面倒くせえなあ。男装なんてする必要あるのかねえ?」
 ロビンは呟いてから、ウィリアムこと――ルビィを見下ろした。
「お前、一般人に顔見られただろう」
 肩が震えた。振り返り、ロビンの目が冷えていることを確認する。
「お前が、宿屋の窓から脱出したところを見た。窓から顔を出してたあの子供――」
「あれは、俺の正体は知らない」
「後で知ったらどうするんだ。わかってるだろ、ブラッディ・レズリーの掟を。顔を知られたら殺せ、だ」
 暗がりの中で、ロビンの薄い唇の両端が吊り上がる。
「……まだ、子供だ」
「関係ない。ものを言える年だ。まさか同情するのか? 冷酷非道なスナイパーが。アーサーは、何て言うだろうな?」
 アーサーの名前を出された途端、ルビィは唇を噛んだ。
「殺せ。まだ正体を知らないなら、チャンスだ。狙撃だと目立つから、もう一度あそこに行って殺せ」
 耳に唇を近づけられて囁かれる。まるで呪文のように、刷り込みのように。
「――わかった」
 ルビィは短く答えた。



 釈放されたフェリックスは、嬉しそうに伸びをした。
「あー、やだやだ牢屋って。カビ臭いんだもの。看守は顔怖いし」
「出るなり、うるさい人ですね。出さなければ良かった」
 エウスタシオの嫌味も今は応えないらしく、フェリックスはにこにこしたままフィービーに尋ねた。
「ブラッディ・レズリーの一味が犯人だって、何でわかったんだ?」
「あの小娘が、声に聞き覚えがあると言った。しかも、お前が殺したと証言する予定だった者が、狙撃で殺されてな」
 フィービーが薬莢を見せると、フェリックスは「なるほど」と呟いた。
 クルーエル・キッドお気に入りのスナイパーは、西部に名をとどろかせる某社のライフルの中でも特殊な型のものを使う。既に製造中止になった型の銃に改造を施したもので、薬莢も特別な品だ。模倣犯でもない限り、これはブラッディ・レズリーのスナイパーが放った弾丸の薬莢に違いない。
 スナイパーによる暗殺はある意味、ブラッディ・レズリーの“名乗り”でもあるのだ。
「私たちが来なかったら、普通に裁判されていた可能性が高いぞ」
「へいへい。ありがとうフィービー、大好き」
「こっちは大嫌いだ」
「つれないなあ。あ、エウスタシオ。そんな怒った顔しないで。嫉妬?」
「今すぐ黙ってください」
 エウスタシオに冷ややかな笑顔と共にぴしゃりと言われて、さすがのフェリックスも口を閉じた。
「今回は助けた形になりましたけどね。私たちは、あなたが常々怪しいと思っているんですよ。ちっとも事情聴取に協力しないし」
「俺は見たまま答えたっつの」
「黙れ。大体、お前の行くところには事件が多すぎる」
 エウスタシオとフィービー双方から詰め寄られ、フェリックスもたじたじとなった。
「ま、待て待て。とりあえずルースやジェーンが心配してるから、先に無事な姿を見せてやりたいんだ。話は後にしてくれ」
 二人は不満そうに顔を見合わせたが、先にエウスタシオが妥協した。
「仕方ありませんね。宿に戻ったら覚悟してくださいよ」
「はは……エウってば優しいんだか怖いんだかわかんないなー」
「黙ってください。あと、あなたに略称を使うことは許していない、と前にも言いましたよね」
「わかったわかった!」
 自棄気味で喚くとようやく二人が道を開けてくれたので、フェリックスはこれ幸いとばかりに廊下を走り出したのだった。

 人気のない市街を抜けて宿に辿り着いたフェリックスは、ロビーで待っていたルースをすぐに見つけた。
「ルース!」
「フェリックス、良かった! 釈放されたのね!」
 感極まってルースは抱きつきそうになったが、我に返って身を引いていた。
「あれ? 今、抱きつきそうにならなかった?」
「なってないわよ!」
「つまらないなあ。俺は、とっても抱擁したい気分なのに。――あっ」
 こちらに近づいてくるオーウェンを認め、フェリックスは走り寄った。
「お前、釈放されたのか――」
「そうなんだ! 兄さん、祝って!」
 思い切り抱きつかれ、オーウェンは悲鳴を上げていた。
「放せええええ!」
「俺の喜びを受け止めてくれ!」
「黙れ、離れろ、いっそ牢屋に戻れ!」
「ひどいな!」
 ぱっと手を放すと、オーウェンは警戒してフェリックスから距離を取ってしまった。
 呆れながら、ルースは声をかける。
「フェリックス。ジョナサンが会いたがってるの」
「ジョナサンが?」
「あんたが捕まってるとき、余計な心配かけたくなかったから元気だって言ってたんだけど――本当は、あんまり具合良くないの」
 ルースの言葉を聞いて、フェリックスは眉間に皺を寄せた。
「わかった。会いにいってくる」
 フェリックスは笑顔を戻して、階段を上っていった。

 扉を開けると、中にいたエレンが振り返った。
「フェリックスじゃないか! 何だか久しぶりだねえ」
「本当に。エレンさんにも心配かけたな」
「とんでもない。ところでジョナサンは今、眠ってるよ」
「じゃあ起きたら話すから、交代ってことで」
 フェリックスが片目をつむってみせると、エレンはフェリックスの肩を叩いて扉に向かった。
 人の温度が残った椅子に腰を下ろし、フェリックスはジョナサンの寝顔を見下ろす。前に目にしたときよりも、顔が青白い。
「どうしちゃったんだよ、ジョナサン」
 呟いて、髪をそっと撫でてやる。
「フェリックス」
 ルースが、そっと扉から顔を覗かせた。
「ジョナサンは?」
「寝てる。起こすのも忍びないな、と思って」
「あのね、あんた……ここで生まれ育ったんでしょ。新大陸特有の伝染病とかにも詳しいの?」
「うーん、どうかな。医者には見せたんだろう?」
 ルースはこくりと頷き、ジョナサンにそっと近づいた。
「三人も別のお医者さん呼んだけど、みんな原因がわからないって……お手上げだったの」
「何だって?」
「それに、お医者様が見たときには、多分なかったんだろうと思うんだけど――不気味な痣ができてたの」
 布団に入った腕をそっとつかんで外に引き出すと、フェリックスの目が見開かれた。
「何だ……これ」
 すると、腕を引かれた感触で起きたのかジョナサンが目を開いた。
「――フェリックス!」
 ジョナサンはがばっと起き上がり、久方ぶりに会った用心棒に体当たりするかのごとく抱きついた。
「心配かけたな、ジョナサン。――どうしたんだ。泣いてるのか……」
 滅多に泣いたりしない子だというのに、とフェリックスは息を呑んだ。
「ジョナサン。どうした? どこか痛いのか?」
「……ううん。あのね、これね」
 ジョナサンは痣が走る腕を持ち上げた。
「フェリックス。あの青い薔薇があった町、覚えてる?」
「ああ。――まさか」
 フェリックスは、さっと青ざめた。
「あれが体内に入ったのか!? あのとき、俺が抜いたはずだ!」
「うん。でもちょっとだけ、残ってたみたい。たまに、“どくどく”って心臓みたいな音がしてたの」
 ジョナサンの告白に、フェリックスは頭を抱えた。
「――どうして言わなかったんだ」
「気のせいだと思ったんだ」
「ああ、どうして俺も気づかなかったんだ――。だが、お前から悪魔の気配はしなかった……いや、待て」
 フェリックスはジョナサンの目を真っ直ぐに見た。
「嘘だろ……ああそうか、根を張ったのか……」
「待って! どういうことなの!?」
 ルースが鋭い語調で口を挟むと、フェリックスは虚ろな目で首を振った。
「以前、ジョナサンは青い薔薇のような魔物に襲われて、もう少しで養分になるところだったんだ」
「もしかして、楽園から荒野に変わった町……?」
 そういえば、とフェリックスが魔物の説明をしていたことを思い出す。
「ああ。それに襲われたときに、欠片がジョナサンに入ったらしい。原因はわからないが――眠っていたそれが、急にジョナサンの体に適応してしまったんだろう。まだ微かだが、ジョナサンから悪魔に近い気配がする」
「嘘……嘘でしょう!?」
 ルースはがくがくと、フェリックスを揺さぶった。
「ジョナサンは、どうなるの!」
「わからない。わからないんだ――」
 悔しそうに歯を食いしばる彼を見てルースは手を放し、零れ落ちそうになる涙を留めた。
「俺は人に取り憑いた悪魔を殺してきたが、魔物が取り憑いた例は初めてなんだ。ちょっと――考えさせてくれ」
 フェリックスは席を立ち、部屋から出ていってしまった。



「……お姉ちゃん。ごめんね」
「どうして、あんたが謝るの」
「僕が、フェリックスに早く言えば良かったんだ。でも気のせいだ、気のせいだ、ってずっと誤魔化していたから――。フェリックスのせいじゃないよ」
「――わかってるわ。さあ、横になりなさい。ともかく原因はわかったんだから、何とかなるわよ」
 ぎこちなく笑ってみせると、ジョナサンもホッとしたように表情を緩めた。
 ジョナサンがもう一度眠ったことを確認して、ルースは部屋から出た。廊下でフェリックスが佇んでいて、ぎょっとする。
 ぶつぶつと、何事か呟いている。
「畜生――どうして肝心なところで役に立たないんだこの目は……」
 自責というよりもむしろ、呪詛のようだった。
 ルースはぞっとして、思わずフェリックスの腕を引っ張った。我に返ったように、フェリックスはルースを見下ろす。
「ああ、ルース。どうした」
「どうした、じゃないわよ。あんた大丈夫?」
「何がだ?」
 まさか自覚なしに呟いていたのだろうか、とルースは眉を上げた。
「……何でもないわ。それより、どうしたら良いのかしら。手術で、入りこんだものを取り除くことは可能なの?」
「無理だ。お前にもあれがはっきり見えたのは、ジョナサンの肌を通しているからだ。肌を裂いたら、普通の人にはきっと見えない」
 フェリックスがきっぱり言い切ると、ルースは悔しげに床を見つめて首を振った。
「でも、ジョナサンは魔物に襲われそうになったって言ってたわね。そのときは、どうして見えたの?」
「狙われて、幻惑されていたからさ。本当なら見えなかっただろう。お前には見えないだろうが――腕以外にも、達している。それこそ、内臓にも……。ぼんやりと、見えるよ。手術が無理なのは、そういう理由もある」
「……じゃあ、どうしたら良いのかしら」
 ぽたり、と床に小さな染みが広がった。
 ずっと我慢していた涙が、とうとう零れてしまった。
「ルース、泣くな。方法を捜してみる」
 フェリックスが手を伸ばして、親指でルースの涙を拭った。不可思議な既視感を覚えながら、ルースはしゃくりあげをこらえて言葉を紡いだ。
「どうやって?」
「それはまだ考えてるけど、ジョナサンは必ず助けてみせる」
「――ありがとう。……ねえ、フェリックス。気になってることがあるの」
 ルースは礼から間を置かずに、浮かんだ疑問を口にした。
「ジョナサンに憑いているのは、悪魔ではないの?」
「違う。あれは魔物であって、悪魔じゃない」
「……そう。あとね、フェリックス。ジョナサンがあんたを怒るな、って言ってたの。だから、あんたも自分を怒っちゃだめよ」
 フェリックスは虚を突かれたような表情になってから、微笑を浮かべていた。