2. A Redheaded Girl
3
取り調べ室にやってきたジェームズ・マッキンリーは、中で待っていたフィービーとエウスタシオを見て目を丸くしていた。
「ど、どうも。クリスティを殺した犯人は、捕まったのか?」
「悪いが、逃げられた。真実を突き止めるためにも、協力してもらいたい。まあ座れ」
フィービーの指示に従い、ジェームズはぎしぎし軋む椅子に腰かけた。
「クリスティがあの屋敷で働いていたことは、お前のせいではないんだな?」
「ああ……。“恋人だった”と言った通り、俺たちは今は付き合っている状態とは言えなかった。別れた後、あそこで働き始めたと聞いたんだ」
「それがなぜか、見当はつきますか?」
今度はエウスタシオが、質問した。
「俺と、よりを戻したかったのかもしれない……」
「あなたから振った形で、別れたんですか?」
「まあ、そうなるかな。親父の財産が乗っ取られてから、俺は荒れた。クリスティは我慢強く付き合ってくれてたけどさ、正直もう……俺はあいつと結婚できる余裕なんてのも、なかったんだ」
ジェームズは頭を抱え、ため息をついた。
「なるほど。クリスティは、お前に証書を取り返してやりたかったんだな。お前が易々と侵入できたのも、そのせいか」
「ああ。手引きもしてくれたよ。だけど証書は、なかなか見つからなかったんだ。よほど巧妙に隠していたらしい」
「だが、殺人のあった夜に見つけた?」
フィービーに確認され、ジェームズは小さく頷く。
「クリスティが渡してくれた。でも、さっき郡保安官に指摘されたんだけどさ……それは、偽物だったんだ。それも、粗悪な偽物だとさ」
室内に緊張が満ちた。
「クリスティが偽物を見つけたのか、それとも元々偽物を渡すつもりだったのか」
フィービーの発言に、ジェームズが顔を上げた。
「どういうことだ?」
「お前が手を引くように、かもしれん。ブラッディ・レズリーが関わってるかもしれないんだ。そんな中、証書を捜し続けたら殺される可能性もある。おそらくクリスティは何かを見たか、見つけたか……」
フィービーは腕を組んで、天井を仰いだ。
「だけどクリスティは、俺を庇うためだけに偽証したんだろうか?」
「そこも疑問なのですけどね。最初、ブラッディ・レズリーが罪をなすりつけるために脅して偽証させたんだと思ったのですが、それだと辻褄が合わない部分もあるのです」
エウスタシオが身を乗り出し、ジェームズに顔を近づけた。
「殺すまでが、早すぎたんですよ。クリスティは証言を翻し、保安官事務所に行くまでに殺されました。それまで、ブラッディ・レズリーらしき影は見ていません。屋敷にいたのかもしれませんが、それにしたって伝達が速すぎる」
「そ、それもそうだな」
ジェームズも納得したようだった。
「じゃあ、クリスティは初めから殺される予定だった?」
「……そう考える方が、しっくり来ます。証言者であるクリスティが死ぬ予定だったなら、偽証は一時の効果があれば良かったんでしょう。しかもクリスティは、ブラッディ・レズリーの代名詞とも言えるライフルで殺された」
「わけがわからないなあ。そんな一時的な偽証で、ブラッディ・レズリーに得があったのか? しかも、裁判の前だったってのに」
「得はないな」
フィービーがきっぱり告げた後、話題を変えた。
「ま、ブラッディ・レズリーの魂胆云々はお前には関係ない。話は変わるが、お前はクリスティから何か聞いてないのか? ブラッディ・レズリーの何かを目撃したとかなんとか」
「何も言ってなかったが……。ブラッディ・レズリーについてじゃないが、最近やたら侵入するのを止めろって言ってきたのは確かだな。クリスティが何か見たんだったら、わかる気もする」
「そうか。取り調べは、これで終わりだ。協力に感謝する。しばらくはこのまま牢屋入りだろうが、その後は落ち着くまで郡保安官に護衛の手配を頼むと良い」
フィービーがそこで話を打ち切ったので、ジェームズは頷き、ゆっくりと立ち上がった。
ジェームズが出ていき、二人きりになったところでフィービーが口を開いた。
「お前も私と同意見だな?」
「ええ。偽証強要からのクリスティ殺害――という流れの矛盾。これは、指揮系統の混乱としか思えません。ブラッディ・レズリー内に、“フェリックス・E・シュトーゲルを陥れたい勢力”と、“彼を助けたい勢力”がいるのは明らかでしょう」
エウスタシオの推理を聞いて、フィービーは満足して頷く。
「やはりあの男には、ブラッディ・レズリー内に知り合いがいるのだろう。何せ、あの男はブラッディ・レズリーの誰かを庇っている」
二人がフェリックスを疑い続ける理由は、とある事件の不審な行動に端を発していた。
「やはり、また締め上げるべきだな」
今頃くしゃみでもしていることだろう、と思いながらフィービーは吐き捨てた。
時計の針が、真夜中の十二時を示す。
ジョナサンはごとり、という不穏な音で目を覚ました。
暗がりに、誰かが立っている。床には黒々とした大きなものが横たわっていた。
明かりは、窓からわずかに差し込む月光だけ。部屋の中は薄暗かったが、まばたきを繰り返すと目が慣れてきた。
横たわっているのは父だ、と認識する前に、立っていた“誰か”がベッドに近づく。
「ウィリアム」
小さな声で名前を呼ぶと、人影は伸ばしかけていた手を止めた。
「また、包帯……?」
「違うよ」
昼間に聞いたときよりも、ずっと冷たい声だった。
「話をしに来ただけだ」
何の話だろう、といぶかしみながらも、ジョナサンは首を傾げた。
「どうしてお父さんは、倒れてるの?」
「二人きりで話したかったから、眠ってもらっただけさ」
そこで、ジョナサンは思い出したことがあった。
「そういえば、昼間は聞くの忘れてたんだけど……どうして、男の子のふりしてるの?」
空気が、凍った。ウィリアムの鋭利な視線が、ジョナサンを突き刺す。
「なぜ、わかった」
「わかった、というより気づいた。なんとなく、そうじゃないかなって」
にっこり笑いかけても、ウィリアムは笑わなかった。
「僕、何の病気かわかったよ。そうじゃないかな、とは思ってたんだけど……魔物に憑かれちゃったんだって」
反応が返ってこないことを気にもせず、淡々と話を続ける。
「治し方は、わからないんだって……」
ジョナサンが右腕を見せると、ウィリアムの表情がようやっと変化した。強張ったのだ。
「怖い? へへ、僕も怖いよ。――死ぬのかな」
ウィリアムの返答は、ない。
「フェリックスみたいな、西部の強い男になりたかったのにな……」
抗い難い眠気のせいでジョナサンがまた目を閉じてしまうと、撃鉄を起こす音が室内に響いた。
「――君、悪い人だったの?」
目を開いてあどけない質問を投げかけると、ウィリアムは少しだけ笑った。月あかりしか照明がない中でも、ウィリアムの表情はよく見える。
「そうだよ」
「そう……。君は、良い子なんだと思ってたよ。僕の勘は当たるんだよ?」
手が、銃のグリップから放れる。
「黙れ」
代わりに、手は自分の首に伸びてきた。声を上げる間もなく絞められ、力を入れられる。
息が詰まる。声が、出ない。
恐怖と共に目の前の顔を凝視すると、ウィリアムは散々ためらった後に――手を放した。
「――今夜のこと、誰にも言わないか」
戸惑いながらも、ジョナサンはこくりと頷いた。
「言わないよ」
「じゃあ――殺さないでいてやる。だけどもし言ったら、殺さないわけにはいかない。わかったか」
「うん」
ウィリアムは窓を開き、ジョナサンに微笑みかけた。
「お前の勘は外れてるよ。あたしは悪党だ。――窓を閉めておけ」
そうして、ウィリアムは窓から跳躍する。まるで羽根が生えているみたいだと思いながら、ジョナサンは窓をきっちりと閉めた。
次に床で伸びている父を揺さぶったが、ぴくりとも動かなかった。諦めてジョナサンは上着を羽織り、部屋から出た。
夜中だから誰もいないかと思ったが、一階に行くとロビーで新聞を読むフェリックスを見つけた。
「フェリックス!」
「うん? こんな夜中にどうしたんだ、ジョナサン」
「さっき起きたら、お父さんが倒れてた」
「……何だって?」
フェリックスは目を丸くして立ち上がり、新聞をテーブルに放り投げる。彼はふらついたジョナサンを見て軽々と抱き上げ、階段を上っていった。
フェリックスが足で部屋の扉を開けて、中に入る。ジョナサンは父の様子が変わっていないことを確認した。
ジョナサンをベッドに下ろし、フェリックスはアーネストを揺さぶった。
「ちっとも起きないな……。おい、親父さん。大丈夫か?」
アーネストは全く起きず、それどころかいびきがひどくなってしまった。
ぐがー、ぐがー、とやかましい。
フェリックスはアーネストの頭や体をざっと調べて、首を振った。
「怪我はないな。――そもそも親父さん、いつ兄さんと交代したんだ?」
「うーん、わからない」
ジョナサンが寝る前には、オーウェンが付いていてくれたのを覚えている。おそらく、ジョナサンが眠ってから交代したのだろう。
「部屋に戻すか」
フェリックスはアーネストを肩に担ぎ上げた。さすがに重そうに顔をしかめていたが、そこまでがっしりしているように見えないフェリックスがアーネストほどの巨躯を担ぎ上げられること自体がジョナサンにとっては驚きだった。
「ジョナサン。悪いけど、扉を開けてくれるか」
「うん」
ジョナサンは先導して、ウィンドワード夫妻の泊まっている部屋の扉を開いた。エレンは静かに眠っていたので、フェリックスは彼女を起こさないように静か足を踏み入れてアーネストを寝台の上に下ろしていた。
「靴、脱がさなくちゃ」
ジョナサンがアーネストの靴を脱がせ、フェリックスがかけ布団をかけてやる。
ぐがー、とまた何とも平和そうないびきをかいている。
二人は再び足音を殺して退室し、ジョナサンの部屋に戻った。
「……特に、変わったことはなかったのか?」
「うん。起きたら、ああなってた」
ジョナサンは敢えてフェリックスとは目を合わせず、布団に潜り込んだ。あの、青い目に見抜かれてしまいそうな気がしたからだ。
「――なら、良いけどな。今夜は俺が付いていよう」
「フェリックス、疲れてないの?」
「大丈夫だ。暇すぎて牢屋でやたら眠ってたから、目が冴えてるんだよ」
「そう」
だから起きて新聞を読んでいたのか、と納得する。
「へへー、しばらく会えなかったから嬉しいなあ」
ジョナサンがにこにこ笑うと、フェリックスは噴き出していた。
「お前なあ。そういうのは女の子に言ってやれよ」
「へ? どうして?」
「そういうものだからだ」
「ふーん」
ジョナサンはくすくす笑いつつ、目を閉じた。
「おやすみ、ジョナサン」
「おやすみ!」
目を閉じると、あの赤い髪が脳裏に蘇った。
――誰にも、言うな。
落ちかける意識の中、硝子細工のような、か細い声が木霊のように響いていた。
フェリックスは安らかな寝顔を見下ろしながら、空気の匂いを嗅いだ。
昼間来たときと、何かが違う気がする。けれども、それが何かわからない。
「あ、っと。そうだ」
フェリックスは懐に手を入れ、小さな瓶を取り出した。牧師からもらった、聖水が入っている。
そっとジョナサンの腕を布団から引き出し、聖水を振りかける。手で薄く伸ばすようにすると、痙攣するようにびくりと腕が震えた。
(効果、ないこともないみたいだな)
魔物だからか、聖なるものには弱いのかもしれない。
小さな十字架をジョナサンの腕の上に置いて、その上から包帯を巻き付ける。
少しでも、進行を遅らせたかった。
フェリックスは震えそうになる自分の手を留め、ため息をついた。
焦って、パニックを起こしそうになる。本当は叫びたかった。自分を思い切り傷つけたかった。
だけど、この小さな友人がルースに伝えた言葉を思い出し、フェリックスはこらえた。