2.  A Redheaded Girl

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 隠れ家に戻ってきたウィリアム――ルビィを見て、酒瓶で直接酒を飲んでいたロビンが振り返った。
「始末したか」
「――いや」
 そこまで言ったとき、首をつかまれ壁に叩きつけられた。
「もう一度、言ってみろ。まさか、殺してないのか?」
 けほ、と咳き込んで下を向きそうになるルビィの顎を、ロビンはもう片方の手で持ち上げた。
「言えよ」
「――殺してない。しくじった」
「てめえ!」
 一際力が入り、首が締まる。空気を求めてルビィは喘ぐ。
「どういう了見だ!」
 手を放されると、ルビィは床に尻餅をついた。一息をつく間もなく頬を殴られて横に倒れ、腹を蹴り上げられる。
 痛みと吐き気をこらえて咳き込んでいると、髪をつかまれて顔を上げさせられた。
「アーサーに言うぞ。いや、あいつも通さず、直接首領に報告してやろうか?」
「好きにすれば良い」
「死んでも良いってんだな?」
 こめかみに、冷たい銃口が押し当てられる。覚悟をして目をつむったが、弾丸はルビィの頭を貫かなかった。
「――もう一度、チャンスをやる。今度は狙撃して殺せ。わかったな。期限は明日の夜だ」
 ルビィがのろのろと首を縦に振ると、手を放された。
 ロビンは肩を怒らせて出ていってしまい、がらんどうの隠れ家の中、傷を負ったルビィだけが残された。
(どうしてあたしは、殺さなかったんだろう)
 簡単だったはずだ。あのまま細い首を絞めても良かった。弾丸を撃ち込んでも良かった。
 あんな小さな少年、すぐに殺せたはずなのに。
『怖い? へへ、僕も怖いよ。――死ぬのかな』
 死を恐れた言葉を聞いた途端、殺意が萎えてしまった。
 殺さなくても、あの少年は近いうちに死ぬだろう。ルビィは職業柄、死の影に敏感だった。
 命を永らえさせることが彼の幸せだったかどうか、わからない。
 それに今度こそ仕留めなければ、ルビィ自身が危ない。命令を逆らった咎で、粛清されるかもしれない。
「アーサー……」
 こんなときにどうしていないの、と舌打ちをする。
 あの人の命令なら、拒むことなく従っただろう。あの優しくも冷徹な声で、命じて欲しかった。
 ロビンを舐めているわけではない。自分より彼の方が立場が上であることも、よくわかっている。
 けれど、ロビンはアーサーではない。ロビンはルビィの弱い心を、氷に変えてくれない。
(アーサーが、あたしを殺す……?)
 それも良いかもしれない、とルビィはため息をついた。
 数えきれない命を奪ってきた。おびただしい血で手を朱に染めてきた。
 これまで同様、これからも殺し続けるのだろう。自分はクルーエル・キッドから見込まれた、ブラッディ・レズリーきってのスナイパーだ。ブラッディ・レズリーから出ては生きられない。
 正直、疲れたのも確かだ。もしアーサーがルビィの死を望むなら、喜んで受け入れよう。
 しかし銃を構えたら、わからない。今は殺したくないと願っているけれども、狙撃であの少年を殺してしまうのだろうか。
 ライフルを構えれば、ルビィは心まで冷酷無慈悲なスナイパーに変わってしまうのだから。



 翌朝、起きてすぐジョナサンの様子を見にきたルースは、フェリックスがベッドの傍らの椅子に座って、小さな黒い本を読んでいる光景を目にして、首を傾げた。
「フェリックス?」
「おはよう、ルース」
「おはよう――あれ? 今日は朝まで、パパが付いてるって聞いたんだけど……」
「それがさ……妙なことがあったんだ」
 フェリックスは立ち上がりながら本を懐に仕舞い、ルースに昨夜あったことを説明してくれた。
「パパが倒れてたですって?」
「そうだ。ジョナサンは、親父さんが倒れていたこと以外は特に変わった様子はなかった、って言ってたんだ。調べたところ、外傷もなかったんだけど――親父さんが、起きたら聞いてみようと思ってさ」
「ええ、それは気になるわ。昨日の今日だし……あのね、実は……」
 ルースはフェリックスに、昨日ジョナサンが誰かを庇っていたことを話した。
「ブラッディ・レズリーだった可能性も、あるって?」
「ええ。タイミング的にそうとも考えられるんだけど……ジェーンさん曰く、ブラッディ・レズリーだったら、ジョナサンは無事で済んでないって」
 フェリックスはそれを聞いて、深く頷いた。
「それもそうだ。フィービーたちには言ったのか?」
「それが、あの子が連邦保安官には言わないで欲しいって言ったのよ。聞いたら、すぐ捕まえに行きそうでしょ? それが心配みたいで」
「まあ、そりゃ捕まえに行くだろうな。“疑わしきは、とりあえず捕まえろ”な二人だ」
 フェリックスは肩をすくめ、嫌なことを思い出したかのように首を振った。
「じゃあ行くか」
「叩き起こして聞きましょう」
 ルースは勇んだが、ジョナサンのことを思い出してきょろきょろした。
「ちょっと待って。兄さんに付いててもらう」
 ルースはすぐに廊下に飛び出し、オーウェンの部屋の扉を叩いた。
「……何なんだ、朝から」
 オーウェンは眠いのか、不機嫌そうだった。
「あたし、用事あるからジョナサンに付き添ってあげて。兄さん、頼むわよ!」
「わかったわかった」
 眠いのか、オーウェンにしてはおざなりな返事をして、寝間着のままジョナサンの部屋に向かっていた。
 彼が部屋に入るのを確認してから、ルースとフェリックスはアーネストの元へと急いだ。

 ルースはノックをしたあと、返事も聞かずに扉を開ける。
「パパ、入るわよ。ママは?」
 アーネストは既に起きており、ベッドの上に座っていた。
「さあ。起きたらいなかった」
 妙に気だるそうな様子で、アーネストは答えを返す。
「親父さん。あんたは昨日、ジョナサンの部屋で倒れてたんだ。覚えてるか?」
「――そういえば。ジョナサンの傍にいたことまでは覚えてるんだが、いつの間に眠ってしまったのやら……」
「異常なぐらい、ぐっすり眠ってたぜ。何か盛られたんじゃないか?」
「怪しいものは、口にしておらんがなあ。ジョナサンの部屋にあったウィスキーを、ちょっと飲んだが」
 アーネストの一言に、ルースとフェリックスは顔を見合わせ――
「それよ!」
「それだ!」
 と同時に叫んだ。
「ジョナサンの部屋にウィスキーがあるの、おかしいでしょ」
 ルースが指摘すると、アーネストはばつが悪そうに頬をかいた。
「それもそうか。オーウェンが気を利かせて置いたのかと思って、飲んじまった。ほんの一口だけだ」
「俺が行ったときにはもう、そんな瓶なかったぜ」
 フェリックスが口を挟むと、アーネストはきょとんとした。そうしていると本当に熊に見えてきて、ルースはこんなときなのに笑いそうになってしまった。
「誰かが、眠り薬でも入れたウィスキーを置いたんだな。だけど、何のために? ジョナサンは異常はなかったと言ってたし、実際に無事だった」
「わけが、わからないわね……。保安官に話す?」
「そうしよう。あっちは専門家だ」
 ぽかんとしているアーネストを置いてきぼりにして、ルースとフェリックスは意見を一致させた。
「お、おおい! ちょっと待て」
 出ていきかけた二人を、アーネストが呼び止める。
「エレンとはもう話し合ったし、オーウェンにも言ったんだが……これからのことで話がある。まあ座れ」
 ルースとフェリックスは戸惑いを隠せないまま、椅子に座った。
「ジョナサンのことだが……医者もお手上げだ。しばらく滞在して療養させてやりたいんだが、ここだと宿代がかかる。その分を節約して、治療費に回してやりたい。――というわけで、一旦レイノルズのところに身を寄せたいと思うんだ」
「叔父さんのところ?」
 レイノルズはアーネストの弟であり、その一家もウィンドワード一座の者だった。ただ、叔父一家は途中で定住を望んだため、離れることになったのだ。
「実は昨日、手紙を出した。ここからそう遠くはないし、すぐにでも出発したい」
「――わかったわ。うん、その方が良いと思う」
 叔父一家とは望む暮らしが違ったために別れただけで、仲が悪くなったわけではなかった。きっと、助けてくれるだろう。

 アーネストとの話を終え、ルースとフェリックスは階下に行った。食堂にいないか、と思って見渡すと、案の定フィービーとエウスタシオとジェーンが同じテーブルに座っていた。しかし、何やら雰囲気が険悪だ。
「今日の夕方でどうだ」
「良いわよ。得物はどうする?」
「二人共、止めてくださいってば!」
 フィービーとジェーンが挑戦的に睨み合い、エウスタシオが必死に止めようとしている。
 エウスタシオはルースとフェリックスの姿を認めるなり、席から立ってつかつかと近づいてきた。
「よう、エウスタシオ。あの二人、何やってんだ?」
「決闘を始める気なんですよ。この、死ぬほど忙しいときに!」
 苛々した様子で、エウスタシオは頬にかかった髪を耳にかけた。
「あなたは、あの賞金稼ぎを止めなさい。私はフィービー様を止めます。わかりましたか。今回、私たちに大恩ができたでしょうから、ここで少しでも返しなさい」
「そんな高圧的に頼まれてもなあ。――って、ごめんなさい。そんな怖い顔しないで。ジェーンを止めるよ」
 慇懃無礼な頼み方に文句をつけそうになったフェリックスだったが、エウスタシオの氷のような視線を受けて、あっさり意見を変えていた。
 二人はエウスタシオに連れられ、火花を散らす保安官と賞金稼ぎの元に向かった。
「あら、フェリックスにお嬢ちゃん。おはよう」
 ジェーンのにこやかな挨拶にそれぞれ応答し、フェリックスは早速ジェーンの腕をつかんだ。
「ジェーン。決闘は止めておけよ。今、そんな場合じゃないだろ」
「あら。あんたも釈放されたんだし、問題ないんじゃない? 大体、私は元々どっちでも良いのよ。ど・う・せ、私が勝つんだから」
 ジェーンが鼻で笑うと、フィービーの眉が険呑に吊り上がった。
「挑発するなって。ここはジェーン、退いてくれよ」
「そうそう。フィービー様、私たちは時間がないんですよ。決闘して怪我でもしたら、どうするんです」
「私はしない。こいつが戦闘不能になるだけだ」
 今度はフィービーから放たれた挑発に、ジェーンの唇の片端が優美に吊り上がった。
「あらまあ大言壮語ね。じゃあ、試してみましょうか」
「望むところだ」
「ちょっと待った!!」
 立ち上がりかけた二人を、フェリックスとエウスタシオが同時に制する。
「フィービー様、何度も言いますが……それどころじゃないんですよ?」
「決闘なんか一瞬で終わる」
「ならせめて、溜まりに溜まった報告書を書いてからにしてください! あと、本部への定期報告もまだですよ! それに、この町でブラッディ・レズリーの痕跡調査もしないとならないんです!」
 爆発したようにエウスタシオが大声でまくしたてると、ジェーンが哄笑した。
「坊や、大変ねえ。でも、そんなに時間かからないわよ」
「おいおい、ジェーン。止めておこうぜ。またの機会で良いじゃないか。それより、今日は俺と良いことしようぜ」
 片目をつむってジェーンの肩をつかむと、ジェーンはふふっと笑った。
「イイコト?」
「そう、良いこと」
 そこで、ばん、と小気味良い音が響いた。ルースが、フェリックスの背中を殴ったのだった。
「痛たた……。ルース、何するんだよ」
「うるさいわね。むかついたからよ」
 顔を背けたルースの手には、新聞を丸めたものが握られていた。
「――かわいい男の子二人にこうして頼まれちゃ、仕方ないわね。フィービー、勝負はまたの機会にしましょうか」
「何だと。逃げるのか」
「逃げないわよ。延期よ、延期。今度は邪魔が入らないところで、思い切り叩きのめしてあげる」
「黙れ。叩きのめされるのは、そっちだ」
 またもや火花が散りそうになったところで、エウスタシオがフィービーの腕を引いた。
「挑発に乗らないでくださいよ。朝食にしましょう」
「ふん」
 そこでルースは、保安官二人に相談があったことを思い出した。
「あの、聞きたいことがあるんだけど」
「何だ? 話なら食べながら聞いてやろう」
 偉そうに告げて、フィービーはウェイターを呼んだ。
 それぞれ朝食の注文を済ませた後に、ルースはジョナサンの部屋であったことを語った。
「――変な話ねえ」
 それまで黙って話を聞いていたジェーンが、首を傾げた。
「可能性としては、二つですね。そもそもウィスキーを飲んだ記憶自体が、父親の勘違いだった場合。ただ、眠りが深かったというだけで」
 エウスタシオは推理を続けた。
「もう一つは、少年が嘘をついている場合です。この場合、ウィスキーの瓶は誰かが故意に置いたものです」
 途端に、張りつめたような空気に変わる。
「ジョナサンが何もなかった、って言ったのが嘘……って場合ね」
「そう。眠っていて気づかなかったという可能性も、あるにはありますが……」
 そこで朝食が運ばれてきたので、話は一旦保留になった。
 ウェイターが去り、エウスタシオはコーヒーを一口飲んで話を再開した。
「その場合は、疑問が出てきますね。なぜ嘘をついているのか――という、ね」
「もし、の話だけどさ。その侵入者がブラッディ・レズリーって場合は? ジョナサンを脅している場合だ」
 フェリックスの質問には、エウスタシオではなくフィービーが答えた。
「何かの口封じということか? それはないだろう。ブラッディ・レズリーの口封じは、殺人とほぼイコールだ。脅しで済ませるような、優しいブラッディ・レズリーはいない」
「優しい、ブラッディ・レズリーね……」
 ルースは独り言を口にしながら、ジョナサンが庇った“子供”のことを思い返した。
(――もしも、本当にブラッディ・レズリーなら?)
 もう一度ジョナサンに聞いてみようと決意して、ルースは保安官二人に礼を述べた。