2. A Redheaded Girl
5
ルースはフェリックスと共にもう一度様子を見にいったが、ジョナサンはまだ目覚めていなかった。
「ルース、ジョナサンが起きたら教会に連れていきたいんだけど、良いかな」
「教会に? どうして――あ、まさか」
「そう。昨日、聖水塗ったら少しは効果があったみたいでさ。もう一度、聖水をもらいにいくついでに、祈祷でもしてもらえないかと」
「そうね。効果がありそうなら、試して欲しいわ。でも先に聞きたいことがあるから、それが終わった後でも良い?」
「もちろんさ」
ルースの問いかけに、フェリックスは顔を傾けて微笑んだ。
昨日は寝ていないと言ったフェリックスに仮眠を取るよう諭して追い出した後、ルースはジョナサンの傍らに腰かけた。
「……ジョナサン。早く、元気になりなさいよ」
さらさらと髪を撫でてやる。細い髪の毛の感触が心地良い。
(気づいてなかったけど、あたしはジョナサンにたくさん支えられてたのね)
ジョナサンの明るさは、ウィンドワード一家にとって欠かせないものだったのだ。
いつも笑って、みんなを元気にしてくれた。
ジョナサンはあまり泣かない子だけど、ルースが泣いたらいつも慰めてくれた。
わがままばかり、と怒りすぎた自分が情けない。
明るい笑い声が、元気なフィドルの音が、聴きたい。
「……お姉ちゃん、おはよう」
いつしかうたたねをしてしまったルースは、ジョナサンの声で覚醒した。こちらを見て微笑む弟の顔は、朝日が当たってまるで絵画に描かれた天使のようだった。
「おはよう。調子はどう?」
「今日は、あんまり痛くない」
「そう、良かった。ごはん持ってくるわね。――その前に一つだけ、聞いて良い?」
ルースはジョナサンに顔を近づけた。
「うん?」
「良い? あたしは真剣よ。嘘はついちゃだめよ」
先に言い立ててから、ルースは質問を口にした。
「あんたが匿った子は、スナイパー? あと、昨夜も来たの?」
「――ううん」
ジョナサンは、すぐに首を横に振った。
「違うよ。怪我をして入ってきたのは普通の子だったし、夜は誰も来ていない」
弟の澄み切った青灰色の目を、見つめる。ジョナサンは、目を逸らさなかった。
「そう。それなら良いの。ジョナサン、ごはん食べたらフェリックスが教会に連れていってくれるからね。とりあえず、ごはん持ってくるわ」
「うん、わかった」
素直に頷いて、ジョナサンは眩しそうに青空の広がる窓に視線を向けていた。
朝食を終えた後、ジョナサンはフェリックスと共に教会に向かった。
調子が良かったので自分で歩くことにしたのだが、どうにも足がふらつく。
「背負ってやろうか?」
見かねてフェリックスが申し出たが、ジョナサンは首を振った。
「自分で歩きたい」
「……そうか。なら、手を」
今度は手を引かれて、狙撃以来すっかり人気のなくなってしまった通りを歩く。
ゆっくり歩いたせいもあり、町外れにある教会に辿り着くのに二十分ほどかかってしまった。
「こんにちは、牧師さん」
外で掃き掃除をしていた男が、フェリックスの声で顔を上げた。
「ああ、昨日の。こんにちは」
そう年寄りでもないだろうに、すっかり禿げた頭を持つ牧師が、フェリックスの姿を認めて微笑む。
「今日も聖水を、もらえるかな」
「もちろん。たくさん作っておいたよ」
「有り難い。あと、昨日話した子が……この子だ」
ジョナサンの背中を押して前に出すと、ジョナサンはぺこりと頭を下げた。
「こんにちは」
「こんにちは、坊や。さあさあ、中に入りたまえ」
促され、二人は教会の中に入った。
牧師に椅子を勧められ、ジョナサンは素直に腰を下ろす。
「腕を見せてごらん」
「はい」
腕まくりすると、牧師は絶句した。
「これは――ひどいな。魔物が寄生しているのかね」
「おそらく」
「うーむ。私もこんな事例は初めてだし、牧師仲間からもこんな話を聞いたことはないよ。君は、悪魔祓い協会には入ってないのかい?」
牧師の質問に、フェリックスが表情を失う。
ジョナサンは不思議に思って、微かに首を傾げた。
「いや……。師が、派閥を嫌ったんでね」
「そうか。まあ、あそこもややこしいと聞く。二派はまだ争ってるらしいしね。しかしこれだと、どちらの協会にも問い合わせた方が良いんじゃないかね」
「――ああ」
フェリックスの顔は、まだ無表情のままだった。
「牧師さん。一応、祈祷もしてくれないかな」
「祈祷? ああ、もちろん良いよ」
牧師はジョナサンの腕に聖水を振りかけ、聖書の一説を唱えた。
祈祷が終わっても、ジョナサンの腕から痣は消え去らなかった。
「効果なしか……。君、悪魔祓い協会の連絡先を知ってるかね。この前、紹介状をもらったからあげよう」
「それは、どうも」
フェリックスは気乗りしない様子だったが、牧師から素直に紹介状を受け取っていた。
「聖水と祈祷、ありがとうございました」
フェリックスが丁寧に礼を述べたので、ジョナサンも立ち上がって一緒にお礼を言った。
「どういたしまして。――神の御加護がありますように」
牧師に見送られ、ジョナサンとフェリックスは教会の外に出た。
外に出てすぐ。日差しの眩しさにくらりとしたジョナサンは、一旦足を止め――向かいの民家の屋根に佇む人影を認めた。赤い髪は、遠くからでも目についた。
遠くて顔はわからないけれど、人差し指を唇に当てた動作だけは見えた。
ジョナサンが呆けている内に、彼女はすぐに姿を消してしまった。
「ん? どこ見てんだ?」
フェリックスはジョナサンの視線を追ったが、そこにはもう誰もいなかった。
「……ジョナサン、どうしたんだ?」
「ううん、何でもないよ」
ウィリアムは、何かを持っていた。おそらく、銃だろう。
撃たれてしまうのかと思ったのに、彼女は何もせずに去った。ウィリアムは、約束を守ってくれたのだ。
殺されてしまうかと思った。幾度目かわからぬほど腹を蹴られ、血を吐く。
「マジで殺すぞ」
眼前の床に、銀色の刃が突き立てられた。
ロビンは恐ろしいほどに無表情だった。
「どうして殺さなかった?」
「……あの少年は、いずれ近い内に死ぬんだ。わざわざ殺すことは、ないだろう」
かすれた声で答えると、ロビンは床に腰を下ろして、ふーんと呟いた。
「いずれ死ぬなら、先に殺しても良いだろう。何考えてんだ、てめえ。いかれてんのか?」
「あなたには、俺を殺す権限がないだろう……。アーサーに、会わせて」
「どうせなら、アーサーに殺されたいってことか? チッ。今回ばかりは、あいつもお前を庇わないだろうよ。温厚な俺でも、切り刻んで殺してやるところだ」
ロビンの冷徹な視線に恐怖を怯えて、ルビィは目を逸らした。
ブラッディ・レズリーが女を惨殺することを思い出し、恐怖を覚える。その方法は、仲間に対しても同じなのだろうか。
「立て。すぐに出発するぞ」
「……ああ」
腕で体重を支えて、何とか起き上がろうとする。痛みのあまりに時間がかかったが、当然ロビンの介助があるはずもなかった。
牢屋の床を見つめながら、ジェームズは死んだ恋人――元恋人のことを想っていた。
「クリスティ……」
自分を想ってあそこで働き、何かに巻き込まれたのだとしたら――。考えるだけで、後悔の念が襲ってきた。
乗っ取られた財産などもっと早くに諦めて、新しい生活を始めるべきだった。いつまでも失ったものに執着していたのが、悪かったのだ。
幼い頃からずっと近くにいた彼女と、当然のように付き合った。そしてもう少し時が経てば、自然と結婚するのだと思っていた。
初恋は叶わないものだという迷信を、自分たちは鼻で笑った。――まさか、こんな形で砕かれるとも知らずに。
己を責めているところに、ふと影が差した。
「こんにちは、お兄さん」
金髪の美女には、見覚えがあった。高名な賞金稼ぎ、ジェーン・A・ジャストだ。
「ああ……あんたか」
「あなたには、お礼を言うわ。あと――お悔やみも」
「……どうも」
ジェームズは答えた後も、ジェーンがまだそこに立っているのを見て眉をひそめた。
「あなた、フェリックスの使った技を見たのね……?」
ぞっとするほど冷たい声音に、ジェームズは目を見張る。
色々あって忘れていた。だが、そうだ。自分は“西部の伝説”を目撃したのだ。
「そのことを他言しないように、警告しにきたの」
ジェーンは笑顔だった。なのに、声だけがひどく冷たい。
「私の名前は知っているわよね?」
「ああ。賞金稼ぎの……」
「私には合図ひとつで動いてくれる仲間が、たくさんいるの。だから、もし他言したら――命はないと思って」
立派な脅しだ。
だが、もしかするとこれは親切な助言でもあるのかもしれない。こうして脅されなければ、ジェームズは思い出した瞬間に情報を売っていただろう。そして何も知らないまま、死んでいたかもしれない。
「――わかった」
「そう。わかってくれたら良いのよ」
ブーツの音を響かせ去っていく女の背中をそのまま見送りそうになったジェームズは、ふと思い出して声を張り上げた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 一つ、頼みたいことがあるんだ!」
「あら――なあに?」
「俺の家の木に、何か手紙でも結び付けられてないか見てきてくれないか? もしかしたら、根元に埋まってるかもしれないが」
幼い頃、互いに伝言を残すときはそうしたものだった。
「何で、私がそんなことをしなくちゃいけないの? ――って言いたいところだけど、口止め料としてやってあげるわ。何か、大事な手紙?」
ジェーンは首を傾げて微笑んだ。
「いや……。ただ、クリスティから何か知らせがあったんじゃないかって思ってさ。最低でも一カ月ぐらいは、ここに勾留されるらしいから、自分じゃ見にいけなくて」
「わかったわ。見てきてあげる」
そうして、ジェーンは一旦姿を消した。
一時間ほどして、ジェーンは戻ってきた。
「あったわ。根元に埋まってた」
土に塗れ、折り畳まれた紙をジェーンは鉄格子越しにジェームズに渡した。リボンが何重にも巻かれている。
「ありがとう」
「もちろん、中身は見てないわよ。じゃあね」
ジェーンが行ってしまったことを確認してから、ジェームズは手紙を開いた。案の定、クリスティの字だ。
“親愛なるジェームズ
私はおそらく近い内に殺されるでしょう。私は、ミスター・アンダースンがブラッディ・レズリーと思しき覆面の男と話しているところを、見てしまったの。覆面の男が私に気づいたかどうかは、わからない。すぐに隠れたけど……。“
ジェームズは冒頭を読んだだけで、身を乗り出した。
“ あなたのお父さんが負けたのは、実力のせいじゃないわ。ミスター・アンダースンは、ブラッディ・レズリーから不可思議な銃を買っていたらしいの。その銃は開発段階なのか何かよくわからないけど、とにかくミスター・アンダースンは実験台となって、比較的安値でそれを手に入れたのですって。あなたの父は、その犠牲になった”
「嘘……だろ」
“この事実だけでも、知らせたかった。もしかしたら実験が終わったら私も危ないんじゃないか、って思うの。だからあなたに、真実を伝えるわ。読んだら、この手紙は処分して。あなたの危険を考えると、保安官にも言わない方が良いかもしれないわ
――あなたのクリスティ”
「……クリスティ」
涙をこらえてジェームズは、手紙を握り締めた。
ブラッディ・レズリーは、クリスティに気づいていたのだろう。どういった理由かは知らないが、彼女を利用してから――殺した。
離れることがあの子の幸せだと思って、切り捨てた。それがどうだ。この子は自分なんかを想って、巻き込まれて死んでしまったのだ。
「敵は、取る」
ジェームズは涙を零し、声を絞り出した。涙で、インクが滲む。
胸が痛くて痛くて、たまらなかった。