2. A Redheaded Girl
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翌日の明け方、宿の前で荷物を幌馬車に載せているときに、ルースはフェリックスの姿が消えていることに気づいた。
「この忙しいときに、どこ行ったのよ! もう!」
ルースが大きな声を出すと、オーウェンがぎょっとしていた。
「どうしたんだ」
「フェリックスが、いないのよ」
「あいつなら、さっき賞金稼ぎと話してたぞ。中だ」
「そう。呼んでくるわ!」
すぐにでも出発しないといけないのに、と息巻きながらルースは宿の中に一度戻った。中に入って見渡すと、フェリックスとジェーンが立ち話をしている光景が目に飛び込んできた。
「――そういうこと。別に私は良いけどね」
「本当か? その間、ブラッディ・レズリーは追えなくなるけど……」
「そこは惜しいけどね。あんたからの頼みじゃ、断れないわよ。今からじゃ、他を捜すのも大変でしょ。まあこれで、貸し一個ね」
フェリックスの首に腕を回して、ジェーンはくすくすと囁いた。
「じゃあ頼んだぜ。着くまでは、俺もいるから」
「はいはい」
そこで二人は離れ、フェリックスがルースに気づいた。
「あれ、ルース。どうしたんだ」
「どうしたんだ、じゃないわよ。準備があるから……」
文句を言うつもりだったのに、いつもの覇気が出てこない。
「ああ、ごめんごめん。すぐ行くよ」
フェリックスは笑顔で応じて外に向かった。彼の背を追わんとしたルースの肩に、ジェーンの手が置かれる。
「あらあら、お嬢ちゃん。むすっとして、どうしたの?」
「べ、別に……」
「私とフェリックスの仲良しなところを見て、動揺しちゃったのかしらー?」
ジェーンは、この上なく意地悪そうに笑った。
「そんなことないわよ!」
思わず手を振り払ってしまい、ルースは慌てた。
「ご、ごめんなさい」
「ふふ、良いわね良いわねー」
何がおかしいのか、ジェーンは気を悪くするどころか御機嫌になっていた。
「でも気をつけてね、お嬢ちゃん。あの子は見た目ほど優しくはないわよ」
言葉の真意を質す暇もなく、ジェーンもさっさと外に行ってしまった。
しばらく呆けていたルースは少ししてから我に返り、扉に手をかけた。
出発前に、フェリックスがジェーンの同行をアーネストに申し出た。
「またブラッディ・レズリーが出たし、ジェーンにもレイノルズさんの家に行くまで付いてきてもらおうと思って」
「そりゃあ、こっちは問題ないどころか助かるが――良いのかい、ジェーンさんは」
アーネストの質問に、ジェーンはにっこり微笑んだ。
「ご心配なく? 用心棒もやったことあるから、勝手はわかるわ。報酬も要らないから、ご心配なく」
「悪いなあ。それじゃあ、お願いするよ。改めて、よろしく」
アーネストとジェーンが握手を交わす傍らで、ルースは首を傾げた。
(さっきは、これを頼んでたのね。それにしても、どうしていきなり……?)
フェリックスの真意はわからなかったが、今まで一人で用心棒をこなしていた彼がジェーンに協力を頼むぐらいなのだから、何か事情があるのだろう。
「さて、出発といきますか」
アーネストの一言で、フェリックスとジェーンは馬に跨った。オーウェンとアーネストは御者席に、残りのウィンドワード一家は幌馬車の後ろに乗り込む。
ジョナサンは比較的体調が良さそうで自分で歩いていたが、乗り込むとぐったりしたように毛布に包まって寝転んでしまった。
「ジョナサン、大丈夫?」
「うん。眠いだけ」
「――あっちに行ったら、ゆっくりできるからね。移動は疲れると思うけど、頑張ってね。リッキーに久しぶりに会えるわよ、楽しみ?」
ルースが久しく会っていない従兄《いとこ》の名前を出すと、ジョナサンの顔がぱっと明るくなった。
「うん! へへ、リッキーに話したいことたくさんあるなあ。えーと、別れてからいっぱいあったもんね……」
むにゃむにゃ呟きながら、ジョナサンはいつしか眠ってしまった。
ガタガタと響く車輪の音に耳を傾けながら、ルースは膝を引き寄せた。
そして、心の中で祈りを捧げる。
(神様、ジョナサンを治してください。そのためなら、あたしは何でも差し出します)
家族をまた失うことだけは、耐えられなかった。
「夜明けに旅立った、だと?」
宿の受付の男から聞いて、フィービーは眉を吊り上げた。
「出発は明日だって、言ってなかったか!?」
振り向くと、背後に立っていたエウスタシオが大きなため息をついた。
「一杯、食わされましたか。あの男を信用した私たちが、馬鹿でしたね」
苛立つ二人に、受付の男はおずおずと声をかけた。
「そのバッジは連邦保安官……ですね。シュトーゲル様から手紙を預かっております」
受付の男から差し出された手紙を、フィービーは顔をしかめて受け取った。すぐさま封を切り、中を見る。
“親愛なる(?)フィービーとエウスタシオ
これを読んでいる頃には、俺はいないと思う。
実はさ――今日の昼から取り調べに応じるって言っちゃったんだけど――ごめんごめん! 俺、ちょっと予定勘違いしてたみたい!
取り調べに協力したいのは山々だったんだけど、ウィンドワード一家の護衛をおろそかにするわけにもいかなくてさ!
……というわけで、取り調べは今度また会ったときに!
ほんとにごめんね!
P.S.今回はありがとう! 超感謝してる! あんたたち、割と良い奴だったんだな!
フェリックス・E・シュトーゲル”
保安官二人から立ち上る殺気に気づき、受付の男は何かを捜すふりをして背を向けた。
「……どう思う」
「ふざけてますね」
「――助けてやるんじゃなかった。侮辱罪で即刻逮捕だ。追いかけて、ぶちのめす」
「まあまあ、フィービー様。今から追いかけるのも、面倒ですよ。あの一家が行った場所はわかっているし、先にこの町での調査を済ませてしまいましょう」
エウスタシオの発言に、フィービーは目を丸くした。
「行き先、わかってるのか?」
「ええ。親戚の農場に行くと言ってました。父親から、さりげなく場所も聞き出しておきましたよ」
「よくやった」
エウスタシオは褒められると、微笑んで一礼した。
「あの少年の病気療養のためということですから、しばらくはそこに滞在するでしょう。急ぐことはない。それに、一度本部に帰らないといけないでしょう」
「……忘れてた。そうか、もうそんな時期か」
フィービーは心底面倒臭そうに、大きな息をついた。
「では、この町で一通り調査してから東部に行くか」
「ええ」
二人は話を終え、とりあえず昼食を取るためにサルーンへと向かった。
注文を済ませ、フィービーはまじまじとエウスタシオの顔を見た。
「お前、大丈夫か?」
「え?」
「あの刑務所以来、調子悪そうだったからな」
エウスタシオは息を呑み、首を振った。
「いえ、大丈夫です。多少は動揺しましたが」
「なら、良いが。もう“シエテ”の奴には近づくなよ」
「……ええ」
懐かしく、憎らしい名称に体が震えそうになる。
(大丈夫……)
もう自分は、あそこにはいない。
どうしてお前だけなんだ、という呪詛にも似た恨みの声には耳をふさげば良い。
(それは、私が何度も思っていたことだった)
どうして私なのですか。どうして僕なんだ。
何度叫んでも、誰も助けてくれなかった。笑って、蹂躙した。
「エウ――? エウ!」
名前を呼ばれて、暗い意識から自分を取り戻す。
「どうした」
「いえ、何でも……ないです」
「また、その台詞か。思い出していたんだろう?」
真実を突かれて、エウスタシオはうつむいた。
「悪い。――名前を出すべきじゃなかったな」
フィービーは後悔混じりの謝罪を呟いてから、顔を上げた。
「調査は、今日と明日は休みとする! 好きに過ごせ。わかったな?」
「――はい?」
面食らって、応答する。
「大抵のことなら目をつむってやるから、有効に使え」
そこでやっと昼食が運ばれてきたので、二人はしばらく互いに黙った。
「フィービー様は、今日と明日はどうやって過ごすのですか?」
「私か? 私は――寝る」
予想外の答えに、エウスタシオは思わず噴き出してしまった。
「報告書、書いたらどうです?」
エウスタシオは助言したが、フィービーは聞こえない振りをしてそっぽを向いてしまったのだった。
To be Continued...