3. New Departure
新たな出発
ようやく、馬車は農場に到着した。
馬車から降りる前に、家から少年が飛び出してくる。
「いやっほお、来た来た!」
聞き覚えのある明るい声を耳にして、ルースは眠りこんだジョナサンを揺り起した。
「ジョナサン、起きて。着いたわよ」
ジョナサンが目を覚ます前に、ひょいっと少年が顔を覗かせた。
「ルース、久しぶり!」
明るい茶色の髪に、ルースとよく似た灰色の目。少し背が伸びた以外は変わらない、懐かしい姿にルースの口元が綻んだ。
「リッキー!」
ルースは馬車を降り、久方ぶりに会った従兄弟と抱擁を交わした。
「元気だったか、リッキー」
オーウェンが未だ目覚めないジョナサンを抱きかかえて、馬車から降りてきた。
「いよーっす、オーウェン兄ちゃん。うんまあ、元気だけど。……ジョナサン、大丈夫かよ?」
明らかに顔色が悪く、眠りこんだままのジョナサンを見て、リッキーは首を傾げた。
「……あまり、大丈夫じゃないな」
「そっか。ま、ここでゆっくりしなよ。父さんと母さんも、お待ちかねだぜ。さあ、入った入った」
リッキーに手招きされて、ルースは荷物を抱えた。
「あ、フェリックスじゃん!」
馬から降りたフェリックスを認めて、リッキーが叫んだ。
「よう、元気だったか」
叔父一家が抜ける前からフェリックスはウィンドワード一座の用心棒をしていたため、もちろん二人はお互いを知っている。
「もちろん。――あれ、誰? その、色っぽい姉ちゃん」
フェリックスの隣に並んだ美女を見て、リッキーは顔を赤くしていた。
「あら、かわいい坊やね。私はジェーンよ。本業は賞金稼ぎだけど、臨時で用心棒してるの。よろしくね?」
すっと手を差し出され、リッキーはでれでれしながらジェーンの手を握っていた。
「さーて、行くぞみんな。リッキー、出迎えありがとな」
アーネストに肩を叩かれて、リッキーはやっと我に返る。
「あ、はいはい。じゃあ行こうぜ!」
リッキーに先導され、一家と用心棒二人は家に向かった。
ジョナサンは客室に寝かされ、他の者たちは居間に集った。
「ジョナサンは一体、どうしたんだい?」
ルースの叔父レイノルズは、コーヒーの湯気で曇った眼鏡を外しながらアーネストに尋ねた。
「どうもこうも……ただの病気じゃないらしいんだ。医者も、お手上げでな。悪いが、しばらくここで療養させてくれ」
「もちろん、いいよ。ちょっと距離はあるが、南に町もある。悪くない環境だから、しばらくゆっくり休んで行きなよ」
「無論、仕事は手伝うぞ」
「はは、それは有り難い。案外、農場ってやることだらけでね。人手が足りないんだ」
レイノルズはコーヒーをすすり、ルースに優しい視線を向けた。
「ルースは随分、元気になったようだね。良かった」
「……え?」
「別れる直前は相当、落ち込んでいたからね。キャスリーンの失踪が応えたんだと思うが――そういえば、キャスリーンはまだ見つからないのかい」
レイノルズは途中で、アーネストに向き直った。
「ああ……」
一気に室内の温度が下がった気がして、ルースは腕をさすった。
「オレ、ジョナサンの様子を見にいってくる」
「あ、あたしも」
リッキーの申し出に便乗して、ルースはその場を後にした。
ちょうどジョナサンは目覚めたところだったらしく、ベッドに座ってきょろきょろしていた。
「ジョナサン!」
「リッキー!」
二人は、がばっと抱き合っていた。
「うわー、本当にリッキーだ」
「偽者だったら、どうすんだよ。おいおいジョナサン、本気で顔色悪いな。大丈夫か?」
「……へへ」
ジョナサンは、力なく笑った。移動中にも、どんどん体力が失われていったことを知っているルースは、胸が締めつけられるような気がした。
「ま、しばらくここでゆっくりしろよ」
「うん。リッキー、ここの暮らしはどう?」
「そうだなあ、オレも定住って初めてだから不安だったんだけど――結構、気楽にやってるよ。だけど、旅芸人の暮らしも懐かしいなあ。しばらく音楽は、やってないし」
リッキーが笑顔で答えると、ジョナサンもつられて笑った。
「僕もフィドル、しばらく弾いてないや。下手になってそう。毎日弾け、って叔父さんに言われてたのに」
「だーいじょうぶだって。フィドルに関しちゃ鬼教師な父さんが、手放しでお前のことは天才だって褒めたんだぜ? ちょっとやそっとじゃ、下手にならねえよ」
レイノルズ叔父は、ジョナサンにとってのフィドルの師でもあった。
「本当よ。あたしのときは、ちっとも褒めてくれなかったのよ」
ジョナサンだけではなく――一通りの楽器をこなせるように――レイノルズはリッキーにはもちろん、ルースやオーウェンにもフィドルを教えたのだが、絶賛したのはジョナサンだけだった。
「そうだ、ジョナサン! 腹減らないか? 母さんが、今日のためにアップルパイ焼いてくれたんだ。食うだろ?」
「うん。食べる」
「じゃあ、持ってくるぜ!」
リッキーは、あっという間に部屋から出ていってしまった。
「リッキー、相変わらずねえ」
「本当。楽しいなあ」
ジョナサンに自然な笑顔が戻っているのを見て、ルースはホッとした。
(ここに来て良かった)
昔から、リッキーとジョナサンは仲が良かった。ここに留まることは、きっとジョナサンの体だけでなく精神にも良い影響を及ぼしてくれるだろう。
どたばたと足音がして、扉が開いた。
「どうぞ?」
ジェーンがにこやかに笑って、扉を押さえている。盆を持って両手が塞がっているリッキーは、「ありがとうございます」と上ずった声で礼を述べて中に入ってきた。
「ごゆっくり」
と言ってジェーンは扉を閉めた。遠ざかる足音を聞きながら、リッキーはボーッとしている。
「やっべえ美女だな……」
それを聞いて、ルースとジョナサンは顔を見合わせ笑った。
「ほら、アップルパイと紅茶だ」
「あら、ありがとうリッキー」
リッキーはテーブルに盆を置き、二人に皿を渡した。
「超美人じゃん、どうしよう。あのジェーンさんて一体、何?」
「落ち着きなさいよリッキー。本人が説明してた通り、臨時の用心棒やってくれてるんだけど、本当は賞金稼ぎで……」
「じゃなくて。フェリックスの彼女だったりするのか?」
リッキーの質問に、ルースは頬張ったアップルパイを思わず噴き出しそうになった。
「違うと思うよ」
アップルパイをもぐもぐ食べながら、ジョナサンが否定する。
「フェリックス、恋人いないって言ってたもん」
「あ、あんた……そんな情報まで、聞いてたの!?」
「だって、僕ら仲良しだもん」
ジョナサンが誇らしげに胸を張ると、ルースは呆れてため息をついた。
「へえ、もてるのにな。――待てジョナサン。“今は”恋人いない、とか言ってなかったか?」
「あ、そう言ってたかも……?」
リッキーの指摘にジョナサンは上を向いて、何かを思い出すように視線を泳がせた。
「それだったらさ、もしや元カノって可能性も有り得んじゃね?」
「そういえば……ジェーンさんが、昔フェリックスに色々教えてあげたのは自分だって言ってたような……」
「やっべ。何それ超やらしい」
ルースが記憶を辿って言うと、リッキーは紅茶をがぶ飲みして力説を続けた。
「別に、やらしくないわよ。あの二人は、師匠が同じだったらしいの。だから、ジェーンさんが色々教えてあげたんじゃない?」
「いやいや、ただの師匠が同じって関係には見えないな。あの二人、なんか怪しい!」
「リッキー、妄想しすぎだよ」
「ジョナサン。お前、馬鹿か。これは当然の推測だ。疑わないお前たちが、おかしいんだよ」
「はいはい。たとえ元恋人同士でも、どうでも良いじゃない」
ルースが言い切ると、リッキーは驚いたようにルースを見た。
「え、嘘。ルース今、マジで言った?」
「どういうことよ」
「ルース、前はフェリックスにべったりだったじゃん。てっきり惚れてるのかと思った」
「あ、あたしがフェリックスに、べったりですって!? 何を言ってるのよ! べったりだったときなんて、ないわよ!」
ルースは激しく反論したが、リッキーは益々驚いていた。
「覚えてないとか言うわけ? ――超べったりだったよなー、ジョナサン」
「うん。僕もびっくりしたもん。ちょうど、お姉ちゃんが具合悪かったときだよ」
ルースは必死に記憶を探ったが、そんな覚えはなかった。
(――もしかして、消された記憶のところ?)
「まあ良いや。――あれ、ジョナサン。アップルパイ半分しか食べてないじゃん。お前、好きだったろ?」
「……うん」
ジョナサンはもうアップルパイを食べられないようで、皿をおずおずと見下ろしていた。
「リッキー。ジョナサン、食欲もあんまりないの。残りは、食べてあげて?」
「――あ、ああ。良いけど……大丈夫かよ、お前」
眉をひそめたリッキーはジョナサンの残したアップルパイを、さくりという音と共に口に入れた。
サルーンの個室で男は一人、酒を飲んでいた。白金の長い髪を自分の指でもてあそびながら、氷の解ける音を聞く。
「アーサー」
かけられた声に振り向くと、ロビンとルビィが立っていた。
「ああ。用事は終わったのか」
「まあな。だが――問題がある」
ロビンはルビィの腕をつかみ、前に押しやった。
「乱暴に扱うな」
「うるせえ。こいつは、使い物にならねえ!」
怒りの表情を見て取ったアーサーはため息をつき、席から立った。
「どういうことだ」
「頼んだ獲物を仕留めなかった。その上、一般人に顔を見られたんだぞ? なのに、そいつを殺さなかった!」
ロビンの主張を聞いて、アーサーはルビィに目をやった。
「本当なのか?」
「……はい」
ルビィは力なくうなだれた。
「ここまで役に立たないスナイパーなんか、いらねえ。首領にも報告しろよ」
「ああ、わかっている。――ロビン、どこに行くんだ」
踵を返したロビンを呼び止めると、振り返って睨まれた。
「別のところに飲みにいく。しばらく、そいつの顔は見たくない」
舌打ちの音を残して、ロビンは去った。
残されたルビィは、恐る恐るアーサーと目を合わせた。透き通るような薄青い目が、ルビィを真っ直ぐに見つめている。
「ごめんなさい、アーサー……。処刑……かな」
「――おいで、ルビィ」
腕を広げられ、ルビィが恐る恐る近づくと、アーサーはふわりとルビィを抱き締めた。
「……どうして、そんなことをした?」
「獲物の一人は、確実に仕留めたんだ。もう一人はしくじったけど、そっちは別に構わないって、ロビンが――」
「それを聞いてるんじゃない。顔を見た者を、殺さなかったらしいじゃないか?」
回された腕は優しかったが、声は氷のように冷たかった。
「病気だったんだ。その子供は病気で――もう、死ぬ寸前だった。顔を見たと言っても、そのときあたしはライフルを持ってなかったし……ちゃんと口止めはした」
少し話を大袈裟にして語り、ルビィは身を震わせた。
「ならば、その命を早くに終わらせてやれば良かっただろう?」
「ああ……そう思ったんだけど、どうしても……あたしは撃てなかったんだ」
話し方が素に戻ってしまっていたが、そのことに気づかないままルビィは続けた。
「アーサー、あたしを殺さないわけにはいかないよね……。ごめんなさい、せっかく拾ってもらったのに……」
ルビィの目から、涙がはらはらと落ちる。
必要とあらば、アーサーはルビィの命をたやすく手折るとわかっていた。
「――馬鹿なことをしたね。ロビンが怒るはずだ。愚かなルビィ」
ルビィから腕を解いて、アーサーは囁いた。
「首領に報告するのが普通だが……私のところで、留めておくこともできる。どうする、ルビィ。もしその少年がまだ生きていたら、今度こそ殺せるかい?」
「……はい」
いいえ、とは言えなかった。アーサーの目が否定の言葉を許さなかったからだ。彼はこういう人だ。優しさの中に、絶対的な強さを隠している。誰にも抗えない、力を。
「よし、良い子だ。もうためらってはいけないよ。ロビンは私から取りなしておこう」
あやすように言い聞かされて、ルビィは頷いた。
「ごめんなさい、アーサー。あたしは……」
「もう良いよ。ただ、覚えておいて……ルビィ」
間を空けて、アーサーは告げた。
「優しいスナイパーは、ブラッディ・レズリーには要らない、ということをね。わかったかい?」
「……はい」
こんなにも優しくてこんなにも穏やかなのに、震えそうになる。
それは、アーサーが人を殺しても何とも思わないことを、ルビィは知っているからだ。
「それでは、私はロビンと話してくるよ。お前は、ここにいなさい」
アーサーはルビィを椅子に座らせて、その場から去ってしまった。
ルビィは机に突っ伏し、目をつむった。ロビンに蹴られたところは、まだしくしくと痛む。
ロビンと違って、アーサーは手を上げなかった。怒鳴りもしなかった。だけどルビィは、ロビンよりアーサーの方が怖かった。
それは、期待を裏切ってしまったせいもあるのだろう。
(あたしはアーサーに見切られたら死ぬしかないって、知ってるから……)
ルビィを生かすも殺すも、アーサー次第。それは、あの日から決まったこと。涙が落ちそうになった目を閉じて、ルビィは出逢いの日を思い返した。