3. New Departure

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 降りしきる雨の中、ルビィはさまよっていた。両親は、子供を育てるには貧しすぎた。
『お前も、もう十二だ。自分の食べ物ぐらい調達してこい。それができなきゃ、帰ってくるんじゃねえ』
 酒びたりの父に殴られた挙句に外に放られ、ルビィは町を歩く人々に必死で物乞いをした。
 だが雨ということもあり人通りが少なく、通りかかる人も雨の中を走ることに精一杯で、ルビィに目を留めてくれる人はいなかった。
 夜になっても雨は止まず、民家の軒下で雨宿りをしていると、その家の人に怒鳴られてしまった。
 仕方なく、ルビィは屋根の下から離れ、人気のない通りのまっただ中で立ちすくんだ。
 降りしきる雨が骨まで冷やし、ルビィは雨と同じぐらい激しく泣いた。
 今までも何度か、同じことをされていた。しかし、今までは同情してくれた人が何かを恵んでくれた。
 今日は、何もない。このまま雨に凍えて死んでしまうのだ、とぬかるんだ大地に手をついたところで、近くで止まったブーツに気づいた。
「……何をしているんだい?」
 見上げると、背の高い青年がこちらを凝視していた。白金の髪は頬に張りつき、唇は寒さで青みを帯びていたが――それでも神々しいまでの美しさを持つ彼を見て、ルビィは静止した。
 天使が迎えに来てくれたのだ、と思ってルビィは手を伸ばした。
「死ぬんだね、あたし。連れていって……」
 戸惑ったように青年はルビィの手を見下ろし――そっと彼女の手を取った。
 そしてルビィは、そのまま気を失ってしまったのだった。

 ――目を覚ましたときには、知らない家の中にいた。
「……あれ?」
 てっきり死んだと思っていたが、炎が爆ぜる暖炉の温みも、肌を撫でる毛布の感触も、現実のものに違いなかった。
 ふかふかのソファや大きな暖炉は、ルビィの家にはないものだ。――なら、ここは一体どこなのだろう。
「目が覚めたかい?」
 声のした方に目を向けると、天使と間違えた青年がこちらに歩み寄ってくるところだった。優雅に、バスローブに身を包んでいる。
「あの、その……ここは……」
「家だよ。何の変哲もない民家だ」
 ということは、この人の家なのだろうと納得し、ルビィは身を起こしてぎょっとした。――毛布の下は、裸だったのだ。
「濡れてたから、脱がせたよ。君、女の子だったんだね。悪いと思ったけど……ちょっと待ってて」
 青年は家の奥に引っ込み、少ししてから戻って来た。手に、服一式を持っている。
「この家には男の子しかいなかったから少年の服だけど、ないよりましだろう。君の着ていた服は、当分乾かないよ」
「あ、はい」
 服を渡した後、青年はまたいずこへと姿を消してしまった。
 服を着て、ルビィはソファから足を下ろした。
「あの――ありがとう」
 お礼を言おうと思って、青年が姿を消した方向へと足を進める。そして――凍りついた。
 青年は暗い部屋の中で何やら引き出しを漁っており、その向こうで――寝台に血まみれで横たわる人たちがいた。
「あ、あ、あ……」
 衝撃で、叫び声すら出ない。壊れたおもちゃのように、ただ一音だけを繰り返し続ける。
 ルビィはとっさに逃げようとしたが、青年は見逃さなかった。青年はルビィが逃げる前に腕をつかみ、大きな手で口をふさいだ。
「おやおや、見ちゃったね。かわいそうに――」
 こめかみに冷たくて固いものが当てられる。撃鉄を起こす音で、それが銃だと悟る。
 ルビィはもがきもせず、抵抗もしなかった。それが不思議だったのか、青年は手を離した。
「……どうして、抵抗しない?」
「あなたこそ、どうして殺さないの?」
「私の質問が先だ。どうして、抵抗しない」
 ゆっくりと、青年は繰り返した。
「あたし、初めて見たとき、あなたが天使だと思った。迎えに来たんだって……。だから、今更殺そうとしてると知っても、驚かないの」
「――なるほど、面白い考え方だ」
 くすくす笑って青年は、ルビィの片腕をつかんだ。
「君の名前は?」
「ルビィ……」
「ああ、なるほど。真っ赤な髪だからか。私の好きな、血の色をした石だ」
 青年は一礼して、名乗り返した。
「私はアーサー。ブラッディ・レズリーの一員だ」
「ブラッディ……レズリー?」
 子供のルビィでも知っていた。悪名高きギャング、ブラッディ・レズリーの名前を耳にしても、ルビィは不思議と怖くなかった。この青年が、それほど危険に見えなかったせいかもしれない。
「なぜ、あんな雨の中、這いつくばっていたんだ?」
「父さんに追い出されたから。あたしには、家に居場所なんてないんだ……」
 ろくに働けもしない子供のルビィを、両親はただの無駄飯食らいだと何度も怒鳴った。
 家庭のことをぽつぽつ語ると、アーサーは微笑んだ。
「ならばその命、私に売りなさい。私は君が気に入った。――首領すら唸ってみせるような、残酷な男に変えてあげよう」
 今度は、アーサーが手を伸ばす番だった。そしてその手を取ったときから、ルビィの運命は血の色に染まったのだ。ルビィの髪の色がかすむほどに、赤く。



 ルビィは過去を思い返しながら、アーサーの残していったグラスに触れた。冷えたグラスは、かつて取った彼の手のように冷たい。
 アーサーは、ルビィにあらゆる武器の使い方を教えてくれた。そして、ルビィが才能を発揮したのが――ライフルだった。
『ここまで命中率が良いとは! すごいじゃないか、ルビィ!』
 手放しで絶賛され、もちろん悪い気はしなかった。
 そしてブラッディ・レズリーのスナイパーを務めるようになって、もう一年が立つ。
 もう一度しくじれば、アーサーはきっとルビィを見切る。
 どうしようもないのに哀しくて、また落ちそうになった涙を隠すために、ルビィは目を閉じて机に突っ伏した。



 ロビンは別の店のカウンターで、グラスを傾けていた。
「やあ、ロビン。捜したよ」
「――チッ。見つかったか」
 吐き捨てるように言って、ロビンは残りを飲み干した。
「まあまあ、穏やかにいこうじゃないか。おごるよ」
「当たり前だろ。おい、同じのもう一杯」
「私にはスコッチを。それから――個室があるなら、そこに通して欲しい」
 ロビンが注文してからアーサーも口を開き、カウンターに紙幣を何枚か置いた。
 紙幣を目にした途端に無愛想だった店の主人はにこにこと笑顔を浮かべ、二人を個室に案内してくれた。
「見たか、さっきの変わり様。世の中、金じゃないって言うけど、やっぱ金だよなあ」
 煙草をくわえてロビンが笑うと、アーサーは「そうだね」と相槌を打って微笑んだ。
「ルビィのことか」
 マッチを擦って火を付けた後、ロビンは机に足を載せて腕を組んだ。
「ああ。――今回は、見逃してやってくれないか」
「だが、顔を見られている」
「どうせ、その子供は病気で死ぬのだろう?」
「死ぬ前に、保安官に報告したらどうなるんだよ」
 ロビンは煙を吐き出しながら、顔をしかめた。
「そのときは責任を持って、私がルビィを殺すさ。一度目の失敗なのだから、今回は許してあげよう。あそこまで優秀なスナイパーは、なかなか育たない」
「狙撃の腕は確かにあるけどな……精神が弱いんじゃ、やっていけねえぞ。俺はしばらく、あいつとは組まない」
「だが、君の受け持っている指令がブラッディ・レズリーの最優先事項だ。スナイパーは必要だろう」
 アーサーが穏やかに切りだすと、ロビンは考える素振りを見せた。
「でもなあ……」
「ルビィには、よく言い聞かせたよ。次に会ったら必ず殺す、と約束した。あの子も、次がないことは、よくわかっている」
 はあ、っとロビンは煙と共にため息を吐いた。
「面倒くせえなあ。そういや、あいつって何でわざわざ男の振りしてんだ?」
「それはまあ、私の案だよ。元々少年らしいところのある子だし、男装してた方が良いのではないかと思ってね。女の子だと、他の団員に舐められないとも限らない」
 アーサーが淡々と説明すると、ロビンは机から足を下ろした。
「――わかったよ、許してやるよ。俺、優しすぎだろ。今度しくじったら、あんたに知らせりゃ良いのか? それとも、俺が撃っても良いのか?」
「私に知らせておくれ。きちんと、責任持って殺すよ」
 アーサーは心を痛める様子など全く見せずに、微笑んだ。



 体を横たえて休むだけのつもりだったのに、少し眠ってしまったらしい。
 ルースは体を起こして、大きく伸びをした。
 元々、レイノルズが買ったこの家は大きなものだった。農場を放棄寸前で売ってもらったものなので格安で買えたらしいが、それほど痛んでもいないし部屋数は多かった。
 おかげで自分だけの個室をあてがってもらい、有り難い。
「今、何時かしら……」
 窓の外を覗くと、日が傾き始めたところだった。
 夕食の手伝いをしなくては、とブーツを履いて部屋から出る。
 廊下は、しんとしていた。
(まさかみんな、寝てるのかしら?)
 コツコツ音を立てて歩いていくと、居間に出た。ソファでは、アーネストが大口を開けて眠っている。
「ルース」
 台所から、叔母が出て来た。
「イングリッド叔母さん。何だか家の中が静かね」
「みんな、農場を手伝いにいってくれたのさ」
「そうなの? あ、これから夕食よね。手伝うわよ」
「ありがとう。じゃあ、こちらにいらっしゃい」
 イングリッドに手招かれ、ルースは台所に入った。てっきり先に手伝っていると思ったエレンは、いなかった。
「エレンなら、寝てるよ。みんな疲れてるみたいだね」
「そう……」
 きっとエレンは、ジョナサンの看病で疲労が蓄積してしまったのだろう。ルースも手伝ってはいるが、それでもやはりエレンへの負担が重い。
「ルース、にんじんの皮をむいてくれるかい?」
「わかったわ」
 しばらく包丁の刃で恐る恐るにんじんをむくことに集中していると、イングリッドが口を開いた。
「元気でやってたのかい?」
 長身の叔母は少し屈んで、ルースの顔を覗き込んだ。
「……ええ。でもやっぱり、叔父さんと叔母さんとリッキーがいなくなって……淋しかったわ」
「すまないことをしたね。キャスリーンがいなくなって間を置かずに抜けちまったから――気にはしていたんだよ」
「気にしないで。あの機会を逃さなくて、良かったじゃない」
 ルースが明るくとりなすと、イングリッドは少し淋しそうに微笑んだ。
「レイノルズも言ってたけど、あんたは元気になったようで良かった。強くなったね」
「……そのことだけど、叔母さん。あたしって、そんなに元気なかったっけ……?」
「ん? ああ、自分ではわかってなかったのかい? まるで幽霊みたいだったよ。生気が抜けて、口も利かないしね。不思議なことに、フェリックスだったっけ――あの用心棒とは、よく話していたね」
 包丁を落としそうになるほど驚きながら、ルースは必死に記憶を探った。
(そうだわ、トゥルー・アイズさんも言っていた。記憶を失くす前のあたしの状態は、ひどかったと。そこの記憶を消したんだわ)
 わかるのは、叔父家族が抜ける直前であったこと――つまり姉の失踪後だ。
 度々、夢に出てくる、行方知れずになった姉のキャスリーン。
(あたしはもしかしたら、姉さんがなぜ消えたのか知っていたの……?)
 そして皆が口を揃えてその時期のルースは、フェリックスに頼っていたと言う。フェリックスが何かを知っていることは、間違いない。
 だが気になる点は、フェリックスがもしルースに聞かれても言わないと告げたことだ。記憶を失くす前のルースとの、約束だからと。
「……ルース、あんた!」
 叔母の鋭い声で我に返ると、目の前のにんじんが枯れ木のように痩せ細っていた。
「皮だけじゃなく、身もごっそりむいてるじゃないか! 気をつけて!」
「は、はい……」
 もう一度、と違うにんじんを手に取ったとき、急に家の中が、がやがやと騒がしくなった。皆が戻ってきたようだ。

「何だ? このにんじん」
 かわいそうなほど細いにんじんが丸ごとシチューに入っていたので、フェリックスは目を丸くしていた。
「ああ、それ当たったのね。あたしがむくの失敗したやつなの。いくつか入ってるわ」
 ルースが説明した途端、オーウェンも「げっ」と声を出してにんじんをすくいあげていた。
「半分くらい、シチューを手伝ってもらったんだよ」
「道理で、シチューだけ微妙な味なわけだ」
 イングリッドの説明にフェリックスが真面目な顔で頷いていたので、思わずルースは彼を睨んでしまった。
 大勢で囲む夕食は楽しかった。前にいた宿では寝室で食事を取っていたジョナサンも、今日は頑張って席に着いている。
「俺、久々にジョナサンと一緒に寝ようかな。良いだろ? エレン伯母さん」
「ああ、良いよ。でも、夜更かしはだめだよ」
「わかってるよ! やったなジョナサン!」
 リッキーに強く肩を叩かれ、ジョナサン「いてて」と呻いていた。