7. A Stray Girl
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その頃、オーウェンはトゥルー・アイズが突き止めた通り、確かに血縁者と共にいた。ただ、それはエレンではなく――今まで会ったこともない父親だったが。
サウザンド・クロスの丘で経験したことのせいなのか、オーウェンはひどい頭痛に苛まれていた。
父親と名乗った男に問い詰めたい気持ちはあったのに、頭痛のせいで会話すらままならなかった。
ようやく少し治まった頭の痛みを意識しながらも、オーウェンはベッドの上に起き上がる。
苦しむ自分を冷笑するように見下ろしていた、あの男を父親だと信じたくはなかった。
母のエレンは正しかった。確かに、あの男は“ろくでなし”に違いない。
「治まったか」
いつの間に傍にいたのか、またあの喰えない笑顔を浮かべて椅子に座っている。
「ああ……」
「力を吸われたんだな」
「何だと?」
「悪魔に、力を吸われたと言ったんだ。オーウェン、お前は悪魔に力を与えやすいらしいな」
一体、この男は何を言っているのだろう。
ぼんやりとそう思いながら、オーウェンは男を睨みつけた。
「そう睨むな。親子だろう」
「黙れ。俺の父親の名前は、アーネストだ。間違っても、お前のようなろくでなしじゃない」
「エレンに何て聞いて育ったんだ? ――想像はつくが」
男は肩をすくめて、水差しから水を注いだグラスをオーウェンに渡した。警戒しながらも、喉が極限まで渇いていたオーウェンはそれを一気に飲み干した。
「お前は、私の名前すら知らないんだろうな。今の名前は、ヴラドだ。ヴラドと呼ぶが良い」
「……」
オーウェンは答えなかった。
「あんた、俺を助けて何がしたいんだ」
「――誘おうと、思ったんだ」
「何にだ?」
「言ったろう。悪魔に力を与えやすいと。その素質を利用しないか?」
全く意味がわからず、オーウェンは立ち上がろうとした。だが、すぐにふらつく。
「無理はするな。お前は弱っている。あの悪魔は、お前の力をすすりすぎた」
「だから、何の話だと言っている!」
「焦るな。お前も、あの悪魔祓いと一緒にいたなら、悪魔の存在は認識したんじゃないのか?」
問われ、オーウェンは嫌な記憶を掘り起こしてしまった。
自分が嫉妬に付けこまれ、悪魔に取り憑かれたこと――。
「くわえて、あのティナという少女」
「なぜ、ティナの名前を?」
「私が、あの子に悪魔の種を与えたからさ」
衝撃の事実に、オーウェンは目を見張った。
「何だと!?」
「落ち着け。とにかく、あの少女の悪魔の力はもう尽きる予定だった。だが、お前を得て力をあれだけ奮えたのさ」
「……あんたは、人間に悪魔を与えるのか」
ろくでなしどころではなかった。この男は、とんでもない悪人だ。
「私、ではない。私の属する組織が今、壮大な実験をしているんだ」
「誰が、そんなことに力を貸すかっ!」
悪魔に取り憑かれ、死んでしまったというキャスリーンの顔が脳裏に浮かぶ。
「お前が誰のことを考えているか、当ててやろうか」
「何だと?」
「キャスリーン。そうだろう」
オーウェンは否定せずに、ヴラドを睨みつけた。
「その、キャスリーンを生き返らせることができると言ったら、どうする?」
「そんな、馬鹿なことができるはずがないだろう!」
「悪魔の力は、この世の摂理を捻じ曲げる。神の作った世界など、悪魔の知ったことではないからな」
ヴラドは慈愛に満ちた、という表現がふさわしいような笑顔を浮かべた。
「お前が力を貸せば、キャスリーンを生き返らせてやろう。どうだ?」
オーウェンはとっさに、答えられなかった。
嘘に決まっている。嘘でなくても、これは望んではいけないことだと心のどこかが警鐘を鳴らしていた。
(だが……待てよ)
キャスリーンが死んだ理由は、事故死でも病死でも無論自然死でもなかった。悪魔に取り憑かれ、悪魔祓いの手によって死んだのだ。
(それなら、可能性はあるのかもしれない……?)
考え込むオーウェンを見て、ヴラドは彼の肩を叩いた。
「ゆっくり考えてくれ。食事を運んでこよう」
扉の近くに立っていたロビンは、出てきたヴラドを見るなり皮肉気味に笑った。
「ひっでえ親父」
「――そうか?」
「しかも、お前あんなに喋るんだ? やっぱり息子にはトクベツなんだ?」
からかいたかったようだが、ヴラドが特に反応しなかったので、すぐに興味を失くしたように鼻を鳴らしていた。
「食堂まで、食事を取りにいく。あっちに行ってから詳しく話す」
「へいへい」
ヴラドとロビンは食堂に行き、客のざわめきに紛れて素早く言葉を交わした。
「で、どうするんだ? 引き込むのか?」
「そうしたいところだが、思った以上に善良だ。私がブラッディ・レズリーだということを知れば、絶対に協力しないだろう」
「ということは、隠すのか?」
「それしかあるまい。一応、説得するために条件を出してみた。通じるかどうかはわからんが、妹の蘇生に心を揺さぶられていることは事実だ」
ロビンが返事をする前にヴラドは食堂のウェイトレスを呼び止め、三人分の食事を頼んだ。
「畏まりました。こちらでお食べになりますか?」
「いや、部屋で食べる」
「あ、俺はこっちで食べる。二人分だけ、部屋用にしてくれ」
ヴラドの言葉にかぶせるようにしてロビンが付け加えると、ウェイトレスは微笑みながら頷いた。
「畏まりました。すぐにお持ちしますね」
彼女が行ってしまってから、ロビンは口笛を吹いた。
「あの子、かわいいじゃん」
「おい、ロビン。口説いてる時間はないぞ」
「うるせえ。息子の説得は、お前の仕事だろ。俺は、あいつの前には姿見せない方が良いし。前に、覆面とはいえ会ってるからな」
ロビンは面倒臭そうに、肩をすくめた。
「ああ、そういえば――一度捕らえたのに、失敗したんだったな」
「その話を蒸し返すな。別に急がないって言ってたから、良いだろ。いつか捕まえるって」
「しっかりしろ。お前、本当は捕らえる気ないんじゃないか?」
「ないわけじゃない。けど……ぶっちゃけ、あの子がどう影響をもたらすか見守りたい気持ちもあるんだなあ」
ロビンは無邪気な子供のように笑った。
「……アーサーに切られても、知らんぞ」
「それはないさ。アーサーもわかってて、見逃してる。アーサーも、俺の報告を嬉々として聞いてるんだからな。あの子を捕まえるのは、もっとエデンが広がってからでも良いんだよ。とはいえもう手段を講じたから、秒読みだ。――あの息子も捕まえておけよ。チャンスなんだし」
ロビンが指を突きつけると、ヴラドは微かに頷いた。
「わかっている」
「しかしあの家族、どうなってんだ? こっちとしてはおいしいけどさあ」
「血のせいだろうな」
ヴラドが簡潔に答えたとき、ウェイトレスがトレイを二つ運んできた。
「お待たせしました! こちら二つ――部屋までお運びしましょうか?」
「いや、良い。自分で持っていく。悪いな」
ヴラドはトレイを受け取り、礼を言った。
「俺の分はまだかい?」
「すぐにお持ちしますので、おかけになってお待ちください」
「はいはいっと」
ロビンがウェイトレスの指示に従って椅子に座るのを確認してから、ヴラドは食堂から出た。
オーウェンは、先ほどと同じ体勢だった。
頭痛が収まらないのか、右手で額を抑えている。
「待たせたな。今、お前は燃料切れの状態なんだ。食べれば少しはましになるだろう」
「ああ……」
ヴラドが室内の小さなテーブルにトレイを二つ置くと、オーウェンはのろのろとそこに近寄り椅子に座った。
空腹を感じたのか、あっという間に食事を平らげる。
ゆっくりとスープを飲みながら、ヴラドはもう一度話を切り出した。
「さっきの話だ。どうだ、力を貸してくれないか。父親として、頼むよ」
「――俺は、悪魔なんかに力を貸す気はない」
「それほど悪いことをするわけではない。私は、苦しんでいる人に悪魔の力を与えているだけだ」
「それが、悪いことだろう!」
「本当に、そうか?」
ヴラドがやんわりと聞き返すと、オーウェンは鼻白んだ。
「悪魔が本当に、悪なのか? 悪魔は、ある意味当然のことを要求するだけだ。望みを叶える代わりに、命をもらう」
「それが悪だろ?」
「本当か? どうしようもなく絶望し、自殺するまで思い詰めた者に差し出す悪魔の誘惑は――むしろ救いではないのか?」
ヴラドの理論に、オーウェンは顔をしかめた。
「私は何も、誰でも彼でも悪魔を与えているわけではないよ。ちゃんと、選別している」
「だが、キャスリーンは……!」
「キャスリーンに悪魔を与えたのは私ではない。その点は、不幸だった。だから、蘇生を提案している」
「……悪魔は代償なしに願いを叶えないんだろう。蘇生にも、別の命が必要なんじゃないのか?」
「――ああ。だから、私の命でどうだ?」
予想もしていなかったのか、オーウェンは目を見開いた。
「お前たちには迷惑をかけた。悪いと思ってはいたんだ。約束しよう。お前が協力してくれたら、私の命と引き換えにキャスリーンを蘇らせると」
「……それは、間違っている。確かにあんたは、とんでもないろくでなしなんだろう。だからといって、あんたの命の代わりにキャスリーンを蘇らせる? それは……おかしいだろう」
オーウェンの顔は、僅かに青ざめていた。
「私の命はもう長くはない。病気だ」
「え?」
「本当だ。だからお前が気に病む必要はないのだよ。最後に良いことをして、死ぬんだ」
ヴラドが微笑むと、オーウェンは複雑そうな表情で腕を組んだのだった。
「協力って……そもそも、どうすれば良いんだ?」
「簡単だ。用件があるときには、私が迎えにいく。そのため、お前は一つのところに留まってもらった方が良いな。そうだ、レイノルズの農場に滞在しているんだろう? そこにいてくれ」
「だが――」
「妹のことが心配か。それなら、ここで手紙を出せば良い。すぐに届く。農場に戻っているとでも書けば、心配しないだろう」
「ああ。あと、弟のことが……」
そこまで言いかけたところで、オーウェンはうつむいた。
いや、ジョナサンの治療法探索にはフェリックスとルースがいれば充分だ。心配といえば心配だが、あの用心棒を信じるしかないだろう。
「わかった……」
「ありがとう、オーウェン。エレンが怒り狂うだろうから、私の名前は言うなよ。誰にも、だ――。みんな、私は死んだと思っているのだからな」
ヴラドは最後に、警告にも似た忠告を告げた。