7. A Stray Girl

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 トゥルー・アイズはフェリックスに頼まれ、連邦保安官の話を聞いていた。
「あいつが確実に通ったと思われるのは、宿の出口だろうな」
「ふむ。――では、宿の扉の記憶を手繰ろう。たくさんの者が出入りするところなので、絞るのが難しい。捜し人の特徴を言ってくれ」
 トゥルー・アイズの頼みに、フィービーは少し考え込んでから口を開いた。
「あいつは、南大陸の移民と先住民の間に生まれた子供だ。南大陸でも、西の山岳地帯出身だと言っていたが……」
「混血か。わかった」
「それだけで良いのか?」
「ああ。生まれの情報――特にここにあまりいないような生まれの情報は、とても役立つ」
 トゥルー・アイズは宿の扉に手を当て、しばし目を閉じた。
「誰か入ってきたらどうするの?」
「今は客の出入りが少ないから、大丈夫だろう。――多分」
 様子を見守っていたルースとフェリックスが、こそこそ話をする。
 トゥルー・アイズは十分ほどそこでじっとした後、扉から離れた。
「見えた。あなたの捜し人は、連れ去られている」
「――何だと!?」
「複数の男たちだ。そうだな――犯罪者の雰囲気ではなかった。だが、ひどく荒っぽい」
 トゥルー・アイズが情報を告げると、フィービーはハッとしたようだった。
「賞金稼ぎか!?」
「そんな気もするな」
「わかった! 礼を言う。いくら払えば良い?」
 フィービーの問いに、トゥルー・アイズは苦笑した。
「金は要らない。これはフェリックスの頼みだった。フェリックスに感謝して欲しい」
「ふむ、そうか」
 フィービーはフェリックスに向き直ったが、フェリックスは引きつった笑みを浮かべた。
「あ、俺もお代は結構だ。この前ルースを守ってもらったし、それでおあいこってことで」
「ふん。――感謝する」
 フィービーの、精一杯の礼だった。
「なら、私はもう行くぞ」
「今、出発するの?」
 フィービーの即断に、ルースはぎょっとしてしまった。
「当然だ。おい、あの賞金稼ぎはお前たちと一緒に農場に行ったんだろう?」
 フィービーに問われて、フェリックスもルースも眉をひそめた。
「ジェーンのことか? まさか、ジェーンがエウスタシオを捕らえたってのかよ?」
「そう考えてもおかしくあるまい。賞金稼ぎたちを動かせるのは、あいつぐらいだ」
 不思議なことに、フェリックスは否定はしなかった。
「ジェーンは確かに、ルースの叔父さんたちの農場にいるよ」
「わかった。では――少しだけ世話になったな」
 フィービーは荷物を取りに行くのか、それを別れの挨拶として二階に上がっていってしまった。
「ちょ、ちょっとフェリックス! 何でジェーンさんが、エウスタシオさんを捕らえるのよ?」
「さあな。でも、はっきり違うとは言い切れないんだ」
「どうして?」
「ジェーンは、ブラッディ・レズリー……クルーエル・キッドを捕まえるためなら、手段を選ばない。少しでも手がかりになると思ったんなら、保安官補を誘拐もするだろうさ」
 フェリックスの言葉に、ルースは益々驚いてしまった。
「でも、ジェーンさんはあたしたちには優しかったわ」
「お前が敵じゃないからさ。敵や、敵に関すると思える者には――ジェーンは、とても冷酷になれる。情なんて、敵にかける必要がないからさ」
 ルースは、にわかにフェリックスの言葉を信じられなかった。
 ルースの知っているジェーンは、優しくて面倒見の良い姉御肌の人だ。
 しかし、彼女を長年知っているであろうフェリックスが言うのなら……そうなのだろう。
「フィービーも、心当たりがあるようだった。おそらく、エウスタシオには賞金稼ぎに利用される何かがあるんだ」
「保安官補だから、何か情報をつかんでいるとか? でもそれなら、フィービーの方も捕らえるんじゃ」
 そのとき、フィービーが再び姿を現した。エウスタシオの分の荷物も持っているのか、両手に鞄を抱えて重そうだった。
「手伝ってやろうか?」
「結構だ。じゃあな」
 フィービーはせっかくの申し出も一蹴して、宿から出ていってしまう。
 相棒が行方不明なのだから当然ともいえるが、随分焦っているようだ。
「一体、何なのかしらね……。でも、仮によ? 仮にジェーンさんが犯人なら、農場にはもういないんじゃないかしら」
「いや、いるさ。俺との約束は違えないはず。ただ、農場から指示を飛ばしているんだろう。いつ、エウスタシオに目をつけたのかはわからないが……そういえば、フィービーは東部に向かう列車の中で途中下車したと言っていたな。東部に帰られるとしばらく手を出せないから、手段を講じたのか」
 フェリックスはぶつぶつ呟いていたが、ルースは何となく腑に落ちずに首をひねった。



 オーウェンはしたためた手紙を、ヴラドに渡した。
「ちゃんと届けてくれるんだろうな?」
「心配するな。早速出してくる」
 ヴラドはオーウェンから預かった手紙を小脇に抱えて、部屋から出た。すぐには外には出ずに、真正面の部屋をノックする。返事はなかった。
 面倒なことだ、と思いながらヴラドは直観を頼りに外へと出た。
 すると案の定、木々に紛れるようにして抱きしめ合っている男女がいた。
 くすくす、女の笑い声が耳をくすぐる。
「ロビン!」
 大きな声を出すと、男の方が動きを止めて林の外に出てきた。
「なーんだよ、ヴラド」
「口説き上手なのは良いことだ。だが、もう行くぞ」
「えーっ。良いところだったのになあ」
 ロビンはそこで、声をひそめた。
「殺した方が良いか?」
「お前の正体を知ったわけじゃないのなら、不必要な殺しは止めろ」
「そんなもんか?」
 あどけなく笑って、ロビンは女の元に引き返した。



「残念だけど、もう行かなくちゃ」
「あら。残念ね……。また会える?」
「どうかな」
 答えながら、ロビンは女の細い首にそっと手を伸ばした。
 簡単だ。今すぐここで、くびり殺せる。だけどヴラドは殺すなと言った。
 自分やアーサーに比べて、ヴラドはどうも甘い。ルビィほどではないが――もっともルビィは問題外だ。甘すぎて自滅するタイプだ。
 終わりが見えているあの女に、アーサーがどうしてチャンスをやるのかがロビンは不思議でたまらなかった。早く殺してやった方が、本人のためだろうに。
「ロビン。ふふっ、本当の名前じゃないんでしょう?」
 おや、とロビンは少しだけ手に力をこめる。やはり殺しておくべきだろうか。
「何で、そう思うの?」
「名前を呼んでも、あんまり感情が動かないんだもの。本当の名前じゃないのかなって」
「なるほどねえ」
 ロビンは肯定も否定もしないでおいた。
 勘の鋭い女だ。しかしロビンが名前を呼んでも感情を動かさないのは、この名前が本名でないという理由のためだけではなかった。
「またな。もう会うことはないだろうけど」
 ロビンは軽いキスを残して、彼女に手を振った。
 面倒なので、付き合う女は煩わしくなった時点で殺すことが多かった。このように短い時間だったら殺意も湧かなくて、ちょうど良いのかもしれないと思いながら――ロビンはとろけたような表情の女に最後の微笑みを投げかけた。
 無表情で腕を組むヴラドの元に辿り着くと、ヴラドは何も言わずに手紙を差し出した。
「何だこれ?」
「オーウェンが書いた手紙だ。使えるんじゃないか?」
「何に? ああ、そうか。この機会に、悪魔祓いをあの子から引き放せってんだな」
 ロビンはすぐに合点したようで、にっかり笑っていた。
「ああ。放した方が、確実性は上がるだろう?」
「まあな。あいつは――厄介だからな。色んな意味で」
 ロビンはため息をついて、オーウェンの手紙を開いた。封筒など、後でまた封をすれば良い話だ。
「これに書き加えるか」
 ロビンは無邪気にしか見えない笑顔を浮かべた。



 一旦宿のロビンが泊まっている部屋に帰って、ヴラドはロビンが手紙を書き加えるまで待った。
 ロビンは羽ペンをインクにつけて、手を放した。すると、ペンはひとりでに手紙に文章を綴っていく。
「これでどうだ?」
 渡された手紙の、ロビンが付け加えた文章を見てヴラドは眉をひそめた。
「これだと説得力がないんじゃないか? 悪魔祓いが末期の者を殺すのは、あの少女も知っているんじゃないのか」
「あーそっか。いや待てよ。あの子は、他の悪魔祓いに会ったことがないだろう? そこを――突くんだよ」
 口笛を吹きながら、ロビンは手を使わずに更に文章を付け足していく。
 更にオーウェンの署名は、ロビンが指で文字を操り、手紙の下の方に移動させていた。



 オーウェンから手紙が届いたのは、ルースが手紙を出した次の日のことだった。
「……返事にしちゃ、早いわね」
 そもそもどうして、ウォーターソンの町にいることがわかったのだろう。
 ルースは疑問を抱きながら、宿に届けられた手紙を開封した。
『ルースへ
 心配をかけてすまない。
 あの後、俺は行きずりの男に助けられた。
 ひどい頭痛を抱えてしまったこともあり、俺は一旦レイノルズ叔父貴の農場に戻ろうと思う。
 悪いが、旅を続けてくれ。
 最後に警告だ。あの悪魔祓いは危険だ。悪魔だけを祓うんじゃなくて、人を殺している。普通の悪魔祓いは、悪魔だけを祓うはずだろう? できれば、お前も農場に一度戻ってきた方が良い。俺は直接迎えに行けないが、ガンショップの主人に“L”という暗号を告げたら護衛を付けてくれる。もちろん有料だが、それは農場に帰ってから払えば良い』
 ルースはしばし、手紙を凝視したまま動きを止めていた。
 兄は、何を言っているのだろう。
(でも兄さんがこう言うってことは……何か、見たの?)
 オーウェンは確かにフェリックスを嫌ってはいるが、ここまでの嘘は言わないだろう。つまり、オーウェンは何らかの形で確信したのだ。
(どうしよう……)
 そもそもジョナサンの治療法は、どうすれば良いのか。いや、それは帰ってから家族に相談しても良い。
(でも……)
 どうしても、フェリックスが悪人だとは思えなかった。
 相容れない気持ちの葛藤に、ルースはうつむく。
 そこでルースは、フェリックスがジェーンについて言った言葉を思い出した。
『敵や、敵に関すると思える者には――ジェーンは、とても冷酷になれる。情なんて、敵に発揮する必要がないからさ』
 まさか、フェリックスもそうだと言うのか。
 ルースは恐怖に首を振り、まだ続く文章を追う。
「嘘――」
『あと、言おうかどうか迷ったが……キャスリーンは悪魔に取り憑かれて悪魔祓いによって殺されたそうだ』
「姉さん……」
 ルースは手紙を床に落としてしまったが、拾う気になれなかった。
(フェリックスが――殺した)
 優しい姉を。光り輝く姉を。
 だから――記憶を消した?
 ルースが望んで記憶を消したなんて、嘘で……フェリックスは都合が悪いから消したのではないか?
 そのとき、扉がノックされた。
「ルース? 入って良いか?」
 フェリックスの声だった。
 ルースは慌てて手紙を拾ってスカートのポケットに隠し、背筋を正して返事をした。
「え、ええ。良いわよ」
「お邪魔するよ。――これからのことなんだがな。情報をつかんできたぞ」
「情報?」
「ああ」
 フェリックスは椅子に座り、にっこり笑った。
「というか、情報屋の情報だな。ここから北に行った町に、新大陸で一番詳しい情報屋がいるらしい。そいつに、トゥルーの言う“善きもの”の存在の噂がないか聞いてみる」
「そう……」
 覇気のないルースに気づいたのか、フェリックスは顔を覗き込んでくる。
「気分でも悪いのか?」
「いいえ。その逆よ。ホッとして――。兄さんから手紙が届いたの」
「もう!? 早すぎないか? 昨日、送ったばかりだろ」
「ええ。多分、兄さんは兄さんで出してくれたんだと思うわ。手紙は入れ違いになっちゃうけど、兄さんが農場にいるのは間違いないわ」
「そうか。それは良かったな」
 フェリックスは、心底ホッとしたような笑みを浮かべた。
「何て書いてあったんだ?」
「えっと、行きずりの人に助けられて……頭が痛いから、仕方なく農場に戻るって書いてあったわ」
「――変だな」
 フェリックスはぽつりと呟いた。
「何が、変なの?」
「オーウェンの性格なら、農場に戻る前にリングヘッドに戻ってきそうだ。俺たちが捜してたことはわかっていただろうに。しかも、失踪のことについて何もないとか……。それほど、混乱していたのか?」
 言われてみれば、奇妙な話ではあった。
「ま、とにかくこれで手紙を待つ必要もなくなったし、明日には出発しようか」
「そうね。あ、あたし……一応、手紙もう一通出しておくわね。入れ違いのままだと、兄さん混乱するかもしれないし」
「ああ、わかった。俺はサルーンで情報を仕入れてくるよ。帰ってきたらまた、ここに来る」
「ええ、そうして」
 会話を終え、フェリックスが出ていくのを確認してから、ルースは泣きそうな顔で荷物の支度をした。
(どうして、聞かなかったの……)
 あなたが、姉さんを殺したのは本当か、と――。
(聞けるはずがないわ)
 とにかく、とルースは首を振る。
 オーウェンの言にしたがって、一度農場に戻ってみよう。オーウェンに直接、詳しく聞けば良い。
 ルースは震える手で、手紙をしたためた。オーウェンではなく、フェリックスに宛てて。