ニライカナイの童達

第二部

第十話 退治 2



 ククルはその部屋で座っている内に眠くなってしまって、横になって眠り込んでしまった。
「ククル」
 心地いい声と共に揺り動かされて、ククルはゆっくりと目を開ける。
「……ユル」
「大丈夫か?」
 ユルは首を傾げて、ククルの顔をのぞき込んだ。
 ククルは頷いて、身を起こす。
「うん。寝てただけ。もう、時間?」
「ああ」
 ククルは窓から差し込む光が、橙色になっていることに気づいた。
「これから早めの夕食取って、準備だ。ほら」
 ユルはククルに、弁当を差し出した。本人もここで食べるつもりだったらしく、ククルの傍に腰かけて自分の分の弁当を膝に置く。
「みんなは?」
「広い会議室で食べてる」
「ユルは行かなくていいの?」
「……別にいい」
 ユルは首を振って、弁当の蓋を開けた。ククルも食欲はなかったが、弁当の蓋を開けた。煮物や野菜が中心で、肉は煮物の鶏肉ぐらいだ。
 ちらりとユルの方を見る。弁当の内容は同じだった。
 ククルは元々、肉をあまり食べない。だからこれで十分だが、ユルには足りないのではなかろうか。
「ユル。そんな野菜ばっかりでいいの? お弁当、みんな共通なの?」
「いや。オレがこれ頼んだだけだ。なんか、肉や揚げ物を食う気しなくてな」
 ユルは淡々と答えて、箸を動かした。無理矢理詰め込んでいるような、機械的な食べ方だった。
「……具合、悪いの?」
「いや。緊張してるだけだ」
「ユルでも、緊張するんだ」
「お前、オレを何だと思ってるんだよ。大和に来てから、魔物退治はたくさんしたけど、ここまで大がかりな捕り物は初めてなんだ。それも、オレが作戦の中心だ。それに」
 ユルは何かを言いかけて、口をつぐんだ。
(きっと、「本調子じゃないのに」って言いかけたんだ)
 ククルは割り箸を割り、里芋を箸で掴んだ。
(私――結局、ユルを治せていない)
 物理的な傷なら、治せるのに。どうして、命薬はユルがまとう魔物の血を払ってはくれないのだろう。
(私、何しに来たんだろう)
 また、泣きたくなってきてしまった。

 食べ終えると、ククルは誘導されるままに所長の部屋に連れていかれた。
「ありがとう、雨見くん」
「いえ。では、オレは先に行ってます」
 一礼して、ユルが行ってしまう。心細くなって向き直るククルに構った様子もなく、伽耶はまた煙草を口にする。
「一本吸ってから、行くわね」
 許可を取るでもなく、報告のように呟いて伽耶はまた煙草をふかす。
 数分後、伽耶は灰皿に煙草を押しつけて火を消した。
「ねえ、名前で呼んでもいいかしら」
 いきなり伽耶に問われて戸惑ったが、ククルは小さく頷いた。
「そう、良かった。……ちょうど、そろそろ日が暮れるわね。さあ、行きましょう。ククルさん」
 促されて、ククルは伽耶と共に事務所を出た。見れば、事務所には自分たち以外のひとは、ほとんどいなくなっていた。ユルや弓削の姿は、もちろんなかった。

 ククルが連れていかれたのは、公園だった。猫の額、という言葉がぴったりな、かわいそうなぐらい小さな公園だ。並べてある遊具も、少し申し訳なさそうに見えてしまう。
 ククルの思考を見抜いたのか、伽耶は笑った。
「おかしい? でも、こんな都市部ならこんなものよ。この公園も、頑張ってるのよ」
「…………あの、はい」
 どう答えていいかわからず、妙な応答をしてしまった。
「さ、こっち。立ちっぱなしになるけど、我慢してね」
 伽耶に続いて、事前に誰かが描いていたのであろう結界に入ると、背筋が伸びた。
 ふと振り返ると、少し向こうがぼやけて見えた。
 空を見上げる。陽の落ちた空は、紺に変わろうとしていた。
 ぞわり。突如、ククルの背筋に悪寒が走った。
「…………来たわ。あなたも、感じるのね」
 伽耶は空を見上げて、スマホを取りだした。ボタンを押して、ぴんと張った声を出す。
「みんな、お出ましよ。場所は北北西。優雅に、空を滑空。雨見くんの気配には気づいていないでしょう。それに、まだ遠い。この付近に現れるのは、もう少しかかる」
 伽耶の指示に、次々と『了解』という返事が来る。
「ど、どういう仕組みなんです?」
 思わず尋ねると、伽耶は眉をひそめた。
「ん? グループ通話よ。便利でしょう。あれ? でも、あなた琉球で女子高生やってたんでしょ? それなら、別に不思議じゃないわよね?」
「はあ……」
 ククルは携帯電話を使うだけでも精一杯なのだが、なんとなくその旨は言わないことにした。
「夜になると、ここまで人気がなくなるんですか?」
 話題を変えるべく、ククルは伽耶に尋ねた。
「あー、それはね……。言ったでしょ、これは政府の依頼だって。一応、あの事務所は政府の下請けだと思って。だから、こういう風な大物が来たら特別措置を取るのよ。企業は社員を早く帰し、電車もストップ。国と都が制御してるの。だから今、都民はほとんど家の中のはずよ。ホームレスの人たちもシェルターの中」
「ええっ。そんな、大々的な措置が取られるんですか」
「そう。ここは魔都市の異名を持つ都よ。過去、何度も大妖怪が降臨しては人々を蹂躙したの。本来、この都は眠らない。夜中でも、仕事や遊びで歩くひとは後を絶たない。そういうひとたちは絶好の餌になる。だから、いつからかこういう措置が取られるようになったの」
 伽耶の話に、ククルは唖然としてしまった。
「どうして、そんなにトウキョウには大妖怪が?」
「さあね。ひとの集まるところには、妖怪も溜まると言うわ。そして、ここは瘴気が溜まりやすい」
 だからでしょうね、と続けかけた伽耶のスマホが甲高い音で着信を告げる。
 ボタンを押して、伽耶は「はい」と答える。
『所長。変です。使い魔を送っていたのですが、観測していた予定進路が…………』
 知らない所員の声だった。
「ええ。ちょっとおしゃべりをしていて、見るのが遅れたわ。明らかに、ずれてるわね」
 伽耶は空を睨み、舌打ちした。
「嘘でしょ。このままじゃ」
『ええ。所長のところに行きます』
 その応えに、ククルは自分を抱きしめた。
 しかし、たしかにさっき感じた嫌な気配はどんどん近づいてくる。ぞわぞわと、首の後ろの産毛が逆立つ。
「おかしいわ。なぜ、雨見くんに引き寄せられないの! 雨見くん!?」
『…………所長。多分、天河の力が弱ってる。だから、オレよりククルに引き寄せられるんだ。今から、急いで弓削とそっちに向かう。逃げてくれ』
 ユルの声も、緊張感をはらんでいた。
「わかったわ。といっても、ここを抜け出すとあっちから見える。この結界は多少は妖怪の攻撃を防ぐから、出た方が危険よ」
『違いありません。動かないでください。先に式神を送ります』
 今度は弓削の声が響いた。
「聞いた、ククルさん? ここで、待っていましょう。…………しまったわね。作戦ミスよ」
「所長さん。私が、ここに来なかった方がよかったんですね……」
「琉球からトウキョウに来てしまったことについては、イエス。この結界に来たことについては、ノー。雨見くんの家にいたら、もっと危なかったわ。対策が取れなかったもの」
 伽耶が喋っている内に、古めかしい白い着物に身を包んだ少年が飛んできた。髪を高く結った少年は、ククルと伽耶の前に舞い降りて一礼し、空を見上げた。
「この子は…………?」
「弓削くんの送ってくれた、式神。一応の護衛、ってところね」
 少年は背中に弓を背負い、腰に刀を帯びていた。武装しているというだけでも、頼もしく見える。
「結界が破られたら、この子が戦ってくれるわ。その前に、みんなが間に合ってくれることを願いましょう」
 気楽な声を出しながらも、伽耶の眉間には皺が刻まれていた。
 伽耶とククルは非戦闘員だ。だからか、他のペアとは離れた位置に陣取っていたのだ。安全のためだったのだろうが、今となっては裏目に出てしまった。
 彼らが駆けつけるまでには、時間がかかるだろう。
 ククルは、猛烈な寒気を覚えた。伽耶は、ククルを安心させるように手を握る。彼女も、顔に出さないだけで怖いのだろうか。
 音もなく、それは空から弧線を描いて降りてきた。翼もないのに、空を泳ぐように滑って、ククルと伽耶と式神の目の前に巨大な姿を現したそれは、蛇の形をしていた。
 叫びそうになったところで、伽耶がククルの口を手でふさぐ。
 蛇の妖怪は、結界に向けて首を伸ばした。その舌が、結界に触れた瞬間に結界がびりびりと震える。
 手応えを感じたのか、妖怪は首を振りかぶって結界にぶつかってきた。
 結界が揺れ、びしりと光の壁にひびが入る。
「これはもう、無理ね。走るわよ!」
 伽耶はククルの手を引き、走りだす。ふたりが結界から出た瞬間、結界は三度目の体当たりによって粉々に砕けてしまった。
 こちらに襲いかかろうとする妖怪に、式神の少年が刀を抜き放って飛びかかる。
 ククルは走りながら、その光景に釘付けになっていた。
「前を向いて、走るのよ! 式神も、そう長くは持たないわ!」
 伽耶に叱咤されて、ククルは前を向き、足を動かすことに集中した。
 いつの間にか、二人はビルの建ち並ぶオフィス街に出ていた。
 そしてふと、ククルは気配に気づく。真上から、何かが降ってきた。
「来たわっ!!」
 伽耶がつんざくような悲鳴をあげる。
 ククルは咄嗟に、首飾りに呼びかけた。
「命薬!」
 手に、光を放つ短刀が現れる。ユルの天河と違って、戦うためのものではないけれど。命薬を召喚せずには、いられなかった。
 伽耶はククルをかばうように走り、押し倒す。そして、近くにあの蛇の妖怪がずしゃりと落ちてきた。
 後ろから追ってきているとばかり、思っていた。走ることに気を取られて、気配の感知ができなかった。
 妖怪はあの式神を倒し、空を飛んで回り込んできたのだ。
 伽耶は、気を失っていた。妖怪が落ちてきた拍子に穿ったコンクリートの破片が、頭に当たったらしい。額から血を流している。
 ククルは怯えながらも立ち上がり、短刀を構えた。
 怖くて、震えた。
 魔物の大きさは、その力の大きさに比例する。この大妖怪は、祝詞ではまず祓えない。
 伽耶は倒れ、ククルには戦う力がない。絶体絶命だった。
 妖怪は、大きな口を開けて、ククルに襲いかかった。
 ククルは命薬を掲げて、目をつむった。
 飲み込まれるかと思った。だが、蛇は動きを止めていた。刀身が、口の裏に刺さっており、命薬は清浄な光を放っている。
「…………え?」
 命薬でも、戦える?
 そう、心の中で呟いたとき。命薬の刀身が黒く染まり始めた。その闇は、刀身を伝い、柄を伝い、ククルの白い腕にまで上ってきた。
(違う。これは)
 命薬は、妖気を吸っているだけだ。そして妖気は、ククルの中に流れ込もうとしている。
 このままでは、魔物の妖気という毒が回る。ククルはノロだ。体内に、神聖な気を持っている。神の血も流れている。しかし、そんなククルでさえこの大妖怪の妖気を吸い取って、平気ではいられないだろう。
 実際、腕が痛くて仕方がなかった。
「っ…………!」
 唇を噛みしめた時、白刃が閃いた。
「ククル! 命薬を放せ!」
 ユルが太刀と共に、降り立った。ユルに一閃された蛇の首は、ゆっくりと倒れようとしている。ククルは慌てて命薬を抜いた。
「下がってろ」
「う、うん」
 促されて、ククルは伽耶の元に向かった。ちょうど、彼女も呻いて目を覚ましたところのようだ。
 妖怪の一度切り離された首と胴体が、あっという間にくっつき、怒りの咆哮を放って、ユルに向かって飛びかかる。
 ユルは慌てた様子もなく、跳躍で攻撃を避け、天河を振るい続ける。
 明らかに、いつもより身体能力が上がっている。あれは弓削の術のおかげなのだろうか。
 呆然としていたところ、肩に手を置かれた。
「ククルちゃん、災難だったね。……所長も」
 弓削が、白いヒトガタを片手に立っていた。
「……弓削くん。面目ないわ。どう? 雨見くんはいけそう?」
「ええ。まもなく、他のペアも駆けつけるでしょうし。それまで、持たせます」
 弓削は呪文のような言葉を呟いて、三枚のヒトガタを放った。それぞれ、少年少女となってユルを援護すべく、跳んでいく。
 彼の言った通り、まもなく他の所員も駆けつけてきた。
 ユルの太刀だけでなく、年かさの女は長刀を振るい、凜とした青年は弓で妖怪を射る。
 総攻撃で、あっさりと妖怪は力尽き、その巨大な体を横たえた。
 あっという間に終わったことに驚いたククルは、ぐいっと手を引かれて顔を上げる。
「ククル。何だよ、それ」
 ユルは、ククルの腕を見下ろしていた。未だ、ククルの腕は黒く染まっていた。
「…………妖気だと、思う。どうしようもなくて、命薬を使っちゃったら妖気を吸い取ったみたいで」
「どうやったら、治るんだ」
「わからない」
 ククルは途方に暮れたが、ユルはククルの手を掴んで自身の腹に命薬の刀身を埋め込んだ。
「ユル! だめだよ、そんなことしたらっ!」
 たちまち、ククルの体から妖気が抜けていく。その代わりのように、ユルの体がぐらつく。
「何でっ! 何で、そんなことするの!」
 ただでさえ調子が悪いのに、なぜそんなことを。
 最後の方は、言葉にならなかった。泣きじゃくっていたからだ。
 ユルは青ざめた顔で目を閉じ、前に倒れ込んだ。彼を抱き留め、体重を抱えきれなくてククルは膝立ちになった。
 大泣きするククルを、伽耶も弓削も、他の所員も、真剣な表情で見ていた。

 伽耶の報告を受けて、都市に機能が戻る。
 早速開いたという救急病院から、救急車がやってきた。
 ククルはそれに乗り込んでから、気を失うようにして眠り込んでしまった。