ニライカナイの童達

第二部

第十話 退治



 翌日、ククルとユルは昼頃に羽前事務所に向かった。
 午前中に観光するか、とユルに提案されたのだが、ククルは疲労を意識して断ったのだった。
(私はともかく、ユルは今日戦わないといけないんだし……)
 そう考えたので、午前中はふたりで家の中でのんびり過ごしていた。
 ユルの背を追って事務所に入ると、背の高いひとが立ち上がってふたりを迎えてくれた。
「やあ、いらっしゃい。ククルちゃんは、どうする? 連れてきたってことは彼女にも協力を?」
 弓削の質問に、ユルは露骨に眉をひそめた。
「まさか。ただ……こいつは、魔物《マジムン》……妖怪を引きつける体質なんだ。所長に保護を頼みたい」
「ふうん。そういうことなら、会議にも出てもらったほうがいいかな」
「他のペアはもう、話終わったんだな?」
「ああ」
 ユルと弓削の会話に戸惑いながら、ククルは首を傾げることしかできなかった。
「ククル、行くぞ」
 ユルに促されて、ククルは尚も話し続けるユルと弓削の後ろをついていく。
 今朝聞いたばかりだが、なんとユルと弓削はペアを組んでいるらしい。
 この事務所では、攻撃系と補助系を組み合わせてペアとするらしい。言うまでもなく、天河を使うユルが攻撃役で、弓削が補助役だ。
 その割にあまり親しそうでないのは、彼らの付き合いがまだ浅いからだろうか。
 会議室に三人が入ると、退屈そうに煙草をふかしていた羽前伽耶が艶美に微笑んだ。
「よく来てくれたわ。弓削くん、雨見くん……そして、和田津さん?」
「あのー。私、よくわからないんですけど、ここにいていいんでしょうか」
「ええ。あなたの配置を決めないといけないから。ま、とにかく座ってちょうだい」
 促されて、三人は席に着いた。
「手順は、前に言っていた通り。今日、トウキョウに巨大妖怪が接近すると見通した。並大抵の攻撃では、倒れないでしょう。だからこそ雨見くん、悪いけどその刀を存分に使ってもらうわよ。弓削くんは、彼のサポートをしっかりと」
 伽耶の言に、ユルは黙って頷いていた。
「あなたたちは主力として、昨日結界を敷いたビルの屋上で待機。それぞれの力を増幅させてくれるわ。隣のビルの屋上に、サポート班が待機してるわ。地上にもね。仕留め損ねた時は、深追いしないこと。それで、和田津さんは妖怪を引き寄せる体質らしいわね。でも、雨見くんの方が引きつける力が強いそうだから、心配せずに。地上に敷いた結界で私と一緒に待機しましょう」
「所長さんと?」
「ええ。私は千里眼持ちだけど、戦う力はほぼないの。だから、私の入る結界は妖怪から姿を消すものよ。それなら、あなたも安心でしょう?」
 にっこり笑われたが、ククルは笑い返せなかった。
「私も、手伝いたいんです」
「はい?」
「隠れてるだけってのは、性に合いません。私は、琉球でユルと一緒に魔物退治をしてました。だから、一緒に戦います。私は、ユルの傷を治せます」
「傷を治すだけ?」
 紫煙と共に、伽耶は冷淡な言葉を吐き出す。
「簡単な応急措置なら、弓削くんがすぐにできるわ。陽動も、雨見くんの動きを一瞬高めることも。それに、私は千里眼で妖怪の動きをある程度予測し、雨見くんに伝えられる。他スタッフの補助もあるわ」
 言外にあなたは必要ないと言われて、ククルは詰まって視線を落とした。
 ここでは、ククルは役に立たないのだ。
 その後も、伽耶はユルと弓削に作戦について伝えていった。
 ククルは衝撃のあまり、ろくに話に耳を傾けられなかった。

「おい、ククル。休憩に行こう」
 立ち上がったユルに手を引っ張られて、顔を上げる。
「……話、終わったの?」
「聞いてなかったのか?」
「…………」
 ククルは黙り込んだが、ユルは無理に答えを引きだそうとはしなかった。
「いいから、行こう」
 気がつけば、伽耶の姿がなかった。もう出ていってしまったらしい。
「下のカフェに行くなら、僕も行こう」
 弓削が手を上にぐん、と伸ばしながらそう言うと、ユルは面倒そうに鼻を鳴らしていた。
「好きにしろ。ほら、ククル」
「うん」
 ククルはようやく、腰を上げた。

 先日事務所を訪れた時にも来た、あのカフェで三人はテーブルを囲んだ。
 ククルは気力がなかったので、ユルに注文をお願いした。彼は、温かいカフェモカを運んできてくれた。
 店内に寒いほど冷房が効いているからか、弓削は熱いコーヒーを啜っていた。ユルは無表情で、アイスコーヒーのストローをくわえている。
「あのさ、ククルちゃん。そんなに落ち込まなくても。君が来る前から、決まっていた計画なんだし。所長もはっきり言うだけで、悪意はないんだよ」
 弓削は優しい声で慰めてくれた。対するユルは、困ったように腕を組んでいる。
「……弓削さんはどうして、そんな補助みたいなのが、できるんですか?」
 ククルの突然の問いに弓削は一瞬驚いたようだったが、すぐに相好を崩した。
「ああ、実は僕は陰陽師の家系なんだよ」
「お、陰陽師?」
 漫画で見たことがある、と言い添えると弓削は苦笑していた。
「まだ、陰陽師の家系って存続しているからね。実家は京都なんだけど、大学で東京に来てさ。そのまま、この事務所に就職したんだ。とはいえ、僕は跡継ぎだからいずれ京都に戻るつもり」
「そう……なんですか」
 陰陽師の家の跡継ぎということは、幼い頃から修行をしていたのだろう。
「変に落ち込まないようにね。所長はただ、夜に頼まれたから君を安全なところに……と思っているだけだから」
「はい」
 ククルは頷き、カフェモカを一口飲んだ。ほろ苦い甘さが、今の心情にぴったりだった。
 あっという間にアイスコーヒーを飲み干したユルが「オレ、ちょっと」と言って席に立つ。
 お代わりを注文してくるつもりなのだろう。カフェは先ほどから混み始めた。今からレジに並ぶと時間がかかりそうだ。
 ぼんやりと彼の背を見送っているククルに、弓削が声をかける。
「ククルちゃん、大丈夫? 顔色、悪いよ」
「はい、平気です。ただ、自己嫌悪してるだけで」
「自己嫌悪?」
「私はもっと、ユルにとって必要な存在だと思い込んでいたんです」
 力は分離した。されど彼が戦う時には、自分が傍にいなければと思っていた。魔物の気配を感知し、ユルの補助をして傷を癒す。
 でも、もうユルはククルなしでも戦えるのだ。
 それが、辛かった。
 更に、ユルはもう自分の世界を構築している。ククルは異分子でしかない。
 弓削は、ククルの存在を聞いたこともなかったと言っていた。河東もそうだという。
(いらない、存在なのかもしれない)
 ククルが泣きそうになってうつむくと、弓削がそっと肩に手を置いた。
 零れ落ちそうになる涙をこらえて、弓削の白い顔を見つめる。
「僕は夜とはまだ数ヶ月の付き合いだけど、わかることもある。あいつは、大切なことほど言わなかったりする。夜には君が必要に決まってる。ククルちゃんにはわかりにくいのかもしれないけど、君を大切にしてるのは傍から見ればわかる」
「……でも」
「大丈夫。あいつがあんなに心配した顔見たの、初めてだったし。気にすることないよ。ただ、夜は言葉が足りない。君は思い込んで考えすぎてしまう。きちんと、話し合うんだよ」
 ククルに言い聞かせるように心地よい声で語って、弓削はククルの肩から手を放す。
 その時ちょうど、ユルがアイスコーヒー片手に帰ってきたので、二人はどちらともなく口をつぐんだのだった。

 夜まで休んでおくといいと言われて、ククルは休憩室に通された。
 ユルと弓削は細かい打ち合わせをしないといけないらしく、ここにはククル一人だけだった。
 休憩室といっても、ソファと自動販売機があるだけだ。先ほど飲んだカフェモカの甘さが口に残っていたので、ククルは自動販売機でペットボトルの冷たい緑茶を買った。
 ソファの端に座ってちびちび茶を飲んでいると、扉が開いた。
「どうも。お邪魔するわね」
 微笑んで入ってきたのは、伽耶だった。
「いえ……その」
 ここは彼女の事務所なのだから、お邪魔しているのはククルの方なのだが。
「煙草吸っていい?」
 問われて、ククルは頷いた。休憩室の片隅には背の高い灰皿がいくつもある。元々、喫煙所でもあるのだろう。部屋中に、煙草のにおいが染みついていた。
「ありがと。もし煙草が苦手なら、違うところに行っても大丈夫よ。今は会議室も空いてるし、仮眠室もあるから」
「いえ、平気です」
「そう。……ね。なんだか、あなた。私が苦手みたいね」
 伽耶は笑って、煙草にライターで火を灯した。
「いえ。違うんです。あなたは、私を見抜いてしまうから、怖いだけです」
「怖い?」
「私は、ユルに必要とされてない。ユルはここでしっかりと、自分の世界を作っていた。ユルが困っているんだと思って、ここに来たはいいけど…………何も、役に立てない」
 ククルはうつむいて、ペットボトルを両手で握り込んだ。
「要は、淋しいのでしょう?」
 伽耶は煙草の煙を吐き出した後に、問う。
「…………そうです。私だけ、淋しい」
「ま、野暮なことは言わないけどね。覚えておきなさい。雨見くんは、大切なものほど遠ざけるのよ」
「遠ざける? どうして」
「雨見くんは、自分が嫌いだから」
 伽耶の一言に、ククルは虚を突かれた。
「それに、私の千里眼もまあ……大したものだと自負はしているけど。あなたの方が、すごいじゃない。私、雨見くんに初めて会った時、驚いたわ。まなうらに、青い海と空が見えた。手をつないだ、少年と少女も。今もあなたに、見えるわ。その体に流れる琉球の神の血が」
 じっと見つめられて、ククルは落ち着かない気持ちになる。
「ポテンシャルは、あなたの方が高そう。ただ、使い方を知らないだけ。雨見くんを助ける方法も、まだわからないんでしょう?」
「……はい」
「急いでね」
「少し、マシにはなってると思います。でも……今日、ユルを戦わせないというのは、できませんか」
「計画が台無しになるじゃない。無理。雨見くんを要として置いた以上、変更はできないわ。私だって、普段なら調子の悪い子に無理させるような鬼じゃない。でも、先日の戦いで結構な怪我人が出ちゃってね。しかも、今度の大物はトウキョウを直撃する。取り逃がすわけにはいかない。お偉方への面子もあるのよ」
 伽耶は、灰皿に灰を落として赤い唇の端を上げた。
「実はこの事務所に依頼をしているのは、大和政府よ」
「えっ!?」
「それだけ、大和には害なす妖怪が多いの。特に、トウキョウはね。琉球はそれほどでもないと聞いたわ。羨ましい」
「琉球は大和より、狭いですから。でも、魔物は出ますよ。ユルが琉球にいた時は、一緒に退治していたんです」
 実際に、被害も出ていた。しかし、伽耶の口ぶりからすると大和に現れる魔物――妖怪は桁違いに多く、強いようだ。
「ま、それもそうね。あなたは、ずっと昔の琉球を知っているんでしょう? やっぱり、現在よりも海と空は美しかった?」
 突然とも言える問いに、ククルは昔の景色を思い描こうとした。だが、上手く思いだせない。
「多分。でも、大きくは変わっていないかもしれません」
 今も、琉球の海と空は美しい。たしかに、昔はもっと澄んでいた気もするけれど。
「そう。いきなり、ごめんなさいね。雨見くんや、あなた越しに見る青があまりにも美しいから」
「…………それは」
 もしかすると、伽耶は自分たちを通して実際の琉球ではなく、ニライカナイを見ているのかもしれない。
 そう言いかけたところで、ジュッと音を立てて伽耶が煙草を消した。
「それじゃあ、またあとで。ごゆっくり」
 伽耶は手を振って、あっという間に出ていき、後には紫煙だけが残された。