ニライカナイの童達
第二部
第十話 退治 4
病室に帰ると、弓削が椅子に座っていた。入れ違いになっていたらしい。
「あ、ククルちゃん」
彼は爽やかに笑って、手を挙げる。
「どうしたの? 電話してたの?」
弓削はめざとく、ククルが手に持った携帯電話に気づいたようだ。
「はい。ユルが、代わりに話聞いておいてくれって言ったから」
ククルは自分が寝ていたベッドの上に腰かけた。改めて、ユルの携帯を見る。電池が残り十五パーセントとなっていた。
「充電しないと…………」
「充電? ああ、それなら僕の充電器を使えばいい。機種が一緒だからね」
「はあ」
弓削は持っていた鞄から、充電器を取りだして、病室のコンセントに刺して、それをユルの携帯につないだ。
(ど、どうなってるんだろう)
何とか電話やメールぐらいはできるようになったが、やはりククルにとって機械は摩訶不思議だ。機種が同じ、という意味さえわからない。
「さっき、ユルの目が覚めたんですよ」
弓削の背に声をかけると、彼は「おや」という声と共に振り返った。
充電器につないだ携帯をテーブルに置いて、弓削はまた座った。
「それはよかった。調子はどうだった?」
「意識は、はっきりしていました。でも、腕も動かせなくて。こんなので、琉球まで行けるのかな」
「そうか……。さっき、所長と電話で話していたんだけどね。なんとか、チケットをもう一枚取れたらしい。なにせ、夏休みでオンシーズンだろう? 大和から琉球への里帰りするひとも多いし。だから、君たち二人のチケットを取るのも大変だったそうだ」
弓削の話を聞いて、ククルは大和から琉球へのチケットについて全く考えずに来てしまったことに思い至り、青ざめた。
政府とつながりのある伽耶が手配してくれて、ようやく取れるような難易度だったのかと、ククルは目をぱちぱちさせた。
「そうだったんですか。……ん? でも、もう一枚って?」
「僕が付き添うよ。君だけだと、不安だろう」
「弓削さんが? たしかに、助かりますけど」
ククルでは、ユルを抱えることも無理だ。肩を貸しても、ふらふらになってしまう。
「でも、いいんですか?」
「もちろん。所長命令だし、送り届けたらすぐに帰るけどね。君の故郷、神の島は民宿が数えるほどしかないから、僕は信覚島に泊まることにするよ」
既に、手配を終えているような口ぶりだった。
(弓削さんが付いてきてくれるなら、安心だ)
ククルは心から安堵して、息をついた。
その後、ククルを何とか浄化しようと命薬を体に滑らせて、祝詞を唱えた。弓削は準備があるからと、一旦帰っていった。
ユルは夕方頃に、目を覚ました。
「おはよう、ユル。もう夕方だけど」
「…………ああ」
呻いて、ユルは腕をゆっくりと上げた。
「動いた!」
「大きな声出すな。…………多分、立てるとも、思う」
ユルは身を起こし、ベッドから降りようとした。よろめくこともなく、案外しっかりとした足取りで、病院のスリッパを履いて立ち上がる。
だが、すぐにベッドに座りこんでしまった。
「まだ、辛い?」
「…………何て言えばいいんだ。すげえ、体が重い」
舌打ちして、ユルは腕を組んだ。
妖気が体内に満ちているのだから、その感覚は不思議ではなかった。
「ユル。明日、弓削さんが付き添ってくれるって。心強いね」
「弓削が? …………ふうん」
ユルは嬉しそうな表情も見せずに、疲れたようにベッドに倒れ込んでいた。
その後もユルは、苦労しながらも立ち上がって、歩く練習をしていた。
病室内を歩くのは問題なくなったところで、病室の戸が開く。
「あら、雨見くん。動いていいの?」
伽耶が、目を丸くして立っていた。その後ろで、弓削が苦く笑っている。
「明日、飛行機に乗らないといけないんだから、練習しないと」
「それは、ごもっともね。どう? 弓削くんの補助があれば、いけそう?」
「…………ああ。本当は補助なんていらねえ、って言いたいけど」
ユルは、ちらりとククルを見た。
ククルだけでは、頼りないと言いたいのだろうか。
「素直に甘えなさい」
伽耶の一言を受け、ユルは素直に頷いていた。
「まあとりあえず、二人とも座って。少し話があるわ」
伽耶に促され、ククルとユルはそれぞれのベッドに座った。
「まず、謝罪ね。今回は作戦ミスがあった。それは私の責任よ」
「……所長だけが悪いんじゃない。オレは、天河で魔物……妖怪を引きつけられるって、豪語した」
「ええ。私にとっても、あなたにとっても誤算だったわね。あなたが弱ったことによって、天河も弱っていた。更に、同じように妖怪を引きつける体質のククルさんのところに行ってしまった」
伽耶に見すえられて、ククルはうつむいた。
「質問なんですけど。どうして、ククルちゃんはそんな体質なんです? 夜は自分じゃなくて刀が引き寄せるという話でしたが、彼女も刀が引き寄せるんです?」
弓削の質問に、伽耶は答えるか迷ったようだった。
おそらく、弓削はユルの出自を知らないのだろう。
「…………言ってもいいかしら、雨見くん。弓削くんは、信頼できるでしょう。何より、相棒なんだから」
伽耶に問われて、ユルはしばらく黙り込んでいた。
ユルはククルに、視線を向ける。
「どう思う」
「言っても、いいと思うけど」
ククルの許可を取ると、ユルは伽耶に向かって頷きかけた。
「そう。――弓削くん。これは他言無用よ。二人は、琉球の神の血を引くの」
「神の血統?」
「ええ。神の血肉なんて、妖怪にはご馳走でしょう? それで、どういうわけかククルさんの方が妖怪を引きつけやすいみたい」
伽耶は全ては語らず、弓削に説明していた。
「なるほど。普通の巫女とは違うわけだ」
「そういうこと。とにかく弓削くん、明日は頼んだわよ」
「はいはい」
弓削はあくまで軽い調子で、請け負っていた。
「ところで、夜は今夜も入院するんですか?」
「どうかしら。用意もあるだろうし、問題ないなら家に帰ってもいいと思うわ。どうせ、病院では癒やせない症状だしね」
弓削と伽耶の会話に、ククルは首を傾げた。
(ああ、でも私の荷物もあるし。一度は帰らないと)
「雨見くん、どう? 移動に耐えられそう? もちろん車であなたの家まで送るし、明日は迎えに行くわ」
「……大丈夫だと、思います。病院はあんまり好きじゃないし」
「そう。わかった。なら、車を手配するわ。ククルさん、あなたもあんまり無理しないでね。いつでも私か弓削くんに電話して。明日は朝八時に迎えに行くから、そのつもりで」
「は、はい!」
話が決まり、ククルは緊張しながらも返事をした。
ユルがほとんど動けないのだから、自分がしっかりせねばと拳を握りしめるククルであった。
家に帰ると、なぜか懐かしさを覚えた。窓から、赤光が差し込んでいる。
「じゃ、僕はこれで。明日、迎えに来るから。夜、お大事に」
「ああ、悪いな」
弓削は、ユルに肩を貸して玄関口まで連れてきてくれたのだ。
「ありがとうございます、弓削さん」
「うん。ククルちゃんも、本調子じゃないだろうから気をつけて。また明日」
弓削は慌ただしく、出ていってしまった。
食事を作る元気はないでしょう、と伽耶が持たせてくれた弁当の入ったビニール袋を、ククルは台所まで持っていく。その後ろを、ユルがゆっくりと歩く。
「ユル、座ってていいよ」
「んー」
生返事をして、ユルは居間にあるテーブルに突っ伏していた。
一緒にごはんを食べた後、ククルは荷造りを始めた。ユルも荷物を鞄に入れていたが、思ったより少ない荷物だった。着がえは向こうにも置いているから、最小限にしたいのだろう。
ユルはさっとシャワーを浴びた後、寝支度をしてさっさとベッドに行ってしまった。
さすがのユルも、今日はベッドを譲る元気はなかったようだ。
(もちろん、それでいいんだけどね)
ククルも全ての支度を終えてから、居間の片隅に置いてあった毛布と布団を寝室に持っていった。
許可は取っていないが、今日は一緒の部屋で眠ろうと思ったのだ。何かあったら、大変だから。
薄明かりの中で、ククルはユルの顔をのぞき込む。苦しげ、ではなかった。ただ、死んだように静かだ。
ぞっとして、ククルは耳を彼の胸に当てる。規則正しい心臓の音を聞いていると、少しホッとする。
「命薬」
短刀を呼び出して、ユルの体を撫でる。祝詞は優しく、子守歌を歌うように。少しでも彼が癒えるように祈りながら、ククルはその行為を続けた。
ぱたっ、とククルの目から零れた雫が、ユルの浴衣を濡らした。
「…………ごめんね」
祝詞が途絶え、声が漏れる。
ここに来れば、ユルを助けられると思ったのに。何もできないどころか、こんな状態にしてしまった。
しゃくりあげながら、ククルはまた祝詞を再開した。