ニライカナイの童達
第二部
第十二話 住居 2
翌日、朝食を取った後、ククルとユルは羽前事務所に向かった。
入るなり、弓削が立ち上がる。
「ククルちゃん」
「弓削さん!」
「……あら、いらっしゃい」
いつもは所長室にいるはずの伽耶が、いつの間にか出てきていた。千里眼で見通したのだろうか。
「久しぶりね。ふたりとも、所長室に。弓削くんも」
「はい」
弓削は返事をしてから、ククルに爽やかな笑顔を向けた。
所長室に入るなり、ククルは弓削と伽耶にお土産を渡した。
「去年は本当に、お世話になりました。あと、手配も色々とありがとうございます」
深々と頭を下げると、伽耶は苦笑していた。
「ふふ。気にしなくていいのに。こっちも迷惑かけたからね。でも、ありがとう。受け取っておくわ」
「僕も、遠慮なくもらうね」
ふたりとも喜んでくれて、ククルはひとまずホッとする。
「……さて。実は今日、ふたりに紹介したいひとがいるのよ。弓削くん、悪いけど」
「ああ、はい」
弓削はユルに意味深な視線を投げかけた後、出ていってしまった。
心当たりがあるのかないのか、ユルはむっつりとしている。
三分ほど待っただろうか。ばん、と音がしてきらきらしいものが入ってきた。
ククルは一瞬、それが何か――理解することができなかった。外国人との接点なんてなかったし、観光客としての彼らとすれ違うことぐらいしか、なかったからだ。
それほど、金色の髪とはククルにとってなじみのないものだった。
「ナハト!」
そんな金の髪を持つ彼女は叫び、ユルに抱きついた。
「エルザ?」
「会いたかったわー」
「おい待て。どうして、エルザが……。所長!」
「それは本人に聞いてね」
伽耶は煙草をふかしながら、艶然と笑った。
「だってー。ワタシって身内の不幸で帰らないといけなかったでしょ? いくら何でも気の毒だってことで、今年の留学生枠に振り替えてもらったの。だから一年また一緒よ、ナハト!」
ククルはまじまじと、目を潤ませる彼女を見つめる。
豊満な肢体に、ゆるく波打つ金髪。宝石のような、碧眼。鼻は高く目は大きく、口は薔薇色に艶めいている。
まるで、CMで見かけるモデルのようだった。
「あ……」
そこでククルはようやく、河東が見せてくれた画像を思い出した。エリカ、というアニメキャラだった。たしかに似ているといえば似ている。
「そういうわけね。去年と同じく、シュテルンベルクさんには事務所を手伝ってもらうわ。政府間で約束済み」
「政府で? 彼女も、退魔の……?」
ククルが思わず伽耶に問うと、彼女は軽く頷いた。
「ええ。エルザ・シュテルンベルクは魔女の末裔で、魔女の力を持つの」
「ま、魔女?」
アニメで観たので、魔女という存在は知っている。ホウキで空を飛んで、魔法を使うのだ。
「魔女って、どちらかというと退治される方って言いたいの?」
いきなり、エルザがぐいっと話に入ってきた。
「い、いえ」
「ふふん。魔女にはかつてシャーマン的な役割もあったのよ。少なくともワタシの家は、代々悪いものを退治する役目を負っていた。アンダースタン?」
「ははは、はい」
ククルが慌てていると、ユルが間に入ってくれた。
「あんまり威圧するな」
「……優しいのね。あなたが誰かをそんなに大事にしてるところなんて、初めて見た。気に入らないわ。……誰、この子」
エルザの大和語は、少し訛りがあるものの見事なものだった。
「こいつはククル、琉球のノロ……大和の巫女みたいなもので、オレの親戚だ」
紹介されたので、ククルは慌てて頭を下げた。
「ふうん、シャーマンね。ワタシはエルザ・シュテルンベルクよ。よろしく」
手を差し出され、ククルはその手をおずおずと握った。ふわふわしていて、温かい手だった。
「……じゃあ、自己紹介はそのぐらいでいいかしら。エルザは去年、母国に帰るまでここを手伝ってくれていたの」
「そうなんだ……」
それでユルと接点が生まれたのか、と納得する。留学生交流会で一緒だっただけ、ではなかったのだ。
「エルザは攻守ともに長けているから、本来はペアを組む必要がない。でも、この子、感知能力だけはいまいちなの」
「カヤ! ワタシはどうせ大雑把ですよ!」
エルザはふくれて、腕を組んでいた。
「そこで、ククルさんに組んでほしいと思ってるの」
突然の申し出に、ククルより先にエルザが反応した。
「どーして、ワタシが今日会ったばかりのよくわかんない子とペアなんですか! それなら、ナハトと組ませてください!」
言いたいことは、エルザが代わりに言ってくれていた。
「いつも、とは言わないわ。ククルさんも忙しいでしょうし。気配のわかりにくい妖怪に対抗するとき、ククルさんに同行してほしいの。雨見くんは、もうパートナーが決まってるでしょ。それに、雨見くんはガチガチの攻撃タイプじゃない。あなたと組ませるのは、相性的に良くないのよ。あなたは補助もできるとはいえ、攻撃に向いているタイプだし」
伽耶がつらつら語ると、エルザは悔しそうにククルを睨みつけてきた。
睨まれても困る。ククルにとっても、寝耳に水なのだから。
「ククルさん。当然、給与は払うわ。お願いしてもいい?」
「……………………」
ククルはたっぷり考え込んだ後、エルザを見た。彼女からは、明らかな敵意が滲んでいる。
「か、考えさせてください……」
事務所を後にし、物件を見にいく前に昼食を取ることになった。
事務所近くの、やたらおしゃれなカフェに入る。ククルはメニュー写真を見てもよくわからないのでランチAを頼んだら、キッシュという未知の食べ物がやってきた。
キッシュを切り分けて口に運ぶ。甘いのかと思ったら、少し塩辛い。美味ではあったので、満足してククルは微笑む。
「……悪かったな」
正面のユルが、大ぶりのサンドイッチを手にしながら、ククルに謝る。
「ううん。びっくりしたけど、ユルのせいじゃないし……。あのひと、ユルのことナハトって呼んでたよね。どうして?」
「ナハトは、独逸《ドイツ》語で『夜』って意味なんだ。だから、ナハト」
「へえ……」
ヨルにナハトに。ユルは好きに呼ばせているらしい。
(私だったら、ココロさんとかハートさんとか呼ばれたら嫌だけどなあ)
そんなことを思いながら、紅茶をすすった。
ユルは、音より漢字のイメージが先行するのかもしれない。
「……エルザさんって、ユルに懐いてたんだね」
「ああ。英語も教わってたし」
端的に答えて、ユルはアイスコーヒーのストローを口に含む。
(河東さんが言ってた通り……か。あの様子見る限り、恋人じゃなかったんだろうな)
そこでホッとしている自分に気づいて、ククルはにわかに慌てた。
「……どうした?」
「え? あ? ううん。この紅茶、おいしいなーって思って」
ごまかすべく、まだ熱い紅茶をがぶ飲みすると、舌を少しやけどしてしまった。
「所長の申し出は、断っていい。オレから言っておく」
「でも」
「お前、去年オレたちの戦いを見ただろ。あれができるか?」
「…………無理、だね」
ククルの力はそもそも、魔物退治には向いていないのだ。
「でも、所長さんがあそこまで言うってことは……必要な場面があるのかも。もし、どうしても私の力が必要なら協力するって、伝えておいてくれる?」
ククルの意見に呆れたらしいユルは、大きなため息をついていた。
「所長も、何を考えてるんだか」
呟き、ユルは付け合わせのフライドポテトにフォークを突き刺していた。
「そもそも、どうしてエルザさんは私に敵意を?」
「さあな。オレのこと気に入ってるって言ってたから、嫉妬じゃねえか?」
原因になっているにも関わらず、ユルは淡々としていた。
「私に、嫉妬」
そう思うと、なんだか面はゆかった。
「家に遊びに来てた友達って、エルザさんのことだったんだね」
「ああ。押しの強いやつでな」
「たまに泊まったり、したの?」
そこで微妙な沈黙が流れた。
「勝手に酔っ払って来て、眠り込んでいったことはあった」
嘘をついている様子は、なかった。
「ごはんも、食べたり?」
「ああ。琉球料理食べさせろって、押しかけてきたから……一度食べさせてやったら、気に入ったらしくてな。英語を習う代金みたいな感じで、作ってやってた」
「……なあんだ」
思わず、声が漏れて心に安堵が広がった。
本当に、ユルとエルザは友達以上の関係ではないらしい。
さっきのような接触ばかりしていれば、恋人と勘違いされても不思議ではないだろう。
しかし、実際に会うまでにエルザの話を一切しなかったのは、面白くない。
(まあでも、ユルならそんなことは言わないか)
先ほどはエルザの対応に衝撃を受けて元気をなくしてしまったが、嫉妬と思えば彼女への恐怖は少し消えた。
(協力できるときは、しよう)
そう決めて頷き、ククルはまたキッシュを一切れ口に放り込んだ。
店を出た後に不動産屋に行って、営業の男性とともに候補の下見に向かった。
一軒目はやや手狭そうで、二軒目はユルの大学から距離があった。どちらもいまいちだな、と思いながら三軒目に向かう。
場所はユルの大学に近く、ククルの行く予備校にもそこそこ近い。
ククルは建物の外観を見て、驚いた。随分、きれいなアパートだ。いや、これはアパートとは言えまい。マンションに入るのではなかろうか。
「ユル。ここだけ高いんじゃない?」
「いや、値段は前二つと同じだ」
「へ?」
「安さには理由がある。察しろ」
そう言い捨てて、ユルは営業の男性に続いてマンションの入り口をくぐっていく。ククルも、慌てて続いた。
ククルは入った瞬間、寒気を感じた。営業の説明も耳に入ってこなくて、ふらふらと奥の部屋に向かう。
「あっ! だめですよ!」
止められたときにはもう、扉を開いていた。
がらんとした白い部屋に浮かんでいたのは、ククルよりも年上の女性だった。
(死霊《シニマブイ》だ)
これが安さの理由かと納得したとき、ユルが後ろから入ってきた。
「あれ、営業さんは?」
「この部屋には入りたくないらしい。あからさまだよな。……どうする? オレならこいつを斬れるけど」
さらりとユルが口にすると、幽霊は『いやーっ!』と叫んだ。
『あなたたち、霊媒師!? やめて!」
「ノロ……巫女みたいなものだけど、霊媒師ではないよ。この世に未練があるの?」
『ええ……ええ……それはもう』
幽霊は祥子《しょうこ》と名乗り、事情を語り始めた。
なんでも祥子はブラック企業に就職して、過労死してしまったらしい。
『未練は、たくさんあるわ。私、オタクだったの。観たいアニメが溜まっていたし、出したい同人誌もたくさんあった。買いたい同人誌も山ほど……っていうか、イベント行きたかったあああ! 晩年は全然行けなくって……』
ククルにはいまいち事情がわからなかったが、なんとなしに同情を覚えた。
『悪さはしないわ。約束する。その代わり、私の未練を晴らすのを手伝ってほしいの』
「それで、オレたちに得があるのか?」
『うっ。そ、そうね。この部屋が格安で借りられる。それだけ、だけど……』
祥子はユルを恐ろしそうに見やった後、ククルに近づいてきた。
「未練を晴らすって、どうすればいいの?」
『一緒にアニメを観てくれたり、漫画を読んでくれたりすればいいわ。この体じゃ、もう無理だし。地縛霊だから、本屋にも行けないし』
「それだけでいいのなら、いいんじゃないかなあ」
ククルは祥子の条件を呑んでもいいと思ったが、ユルは渋い顔をしていた。
「未練をなくして消えるのが一番いいんだよ。無理矢理の浄霊は、よくない」
ククルが説得すると、ユルはため息をついて頷いた。
「わかった。でも、少しでも悪さをしようとするなら、叩っ斬るからな」
ユルの脅しに祥子は『ひい!』と叫んで、ククルの後ろに回っていた。
そういうわけで、ククルとユルの新しい住まいが決まったのであった。――奇妙な同居人付きで。