ニライカナイの童達
第二部
第十四話 古都
トウキョウに来てしばらく経ち、もうすぐ連休に入る頃合いのことだった。
ククルは予備校から出て、道を歩いていた。
結局、あれ以来、伊藤は声をかけてこなくなった。
(と、友達ができない……)
もう諦めた方がいいのだろうかと思いながら歩を進めていると、聞き覚えのある声が響いた。
「ククルちゃん」
「あっ、弓削さん! こんなところで、どうして」
「実は、君に話があってさ。あ、今日は夜勤だから仕事をさぼってるわけじゃないよ」
さらりと事情を説明しながら、弓削はにっこり笑った。
ククルをカフェに誘った弓削は、席に座るなりとんでもない話を切り出した。
「彼女の振りをして、実家に来て欲しい!?」
思わず大声を出してしまって、ククルは慌てて口をつぐむ。
「で、でも、どうして」
「うちは陰陽師の家だって説明したよね。代々続く旧家だから、結婚とかにもうるさいんだ。今度の連休に帰ってこい、って言われていてね。いつもは彼女連れで帰っていたんだ。もし彼女を連れていなかったら、すぐに見合いをセッティングするような両親だからね」
「はあ」
随分強引な話だ、という感想を持ちながらククルはカフェモカをすすった。
「でも今、僕には彼女がいないんだ。そういうわけで、ククルちゃんの都合がよければ頼もうかなって思いついたわけ。もちろん、旅費はこっちが持つしキョウトを案内するよ」
「キョウト!」
ククルにとっては、とても魅惑的な条件だった。キョウトといえば、行けなかった修学旅行の目的地のひとつだ。
「やります!」
だからこそ、すぐに応じてしまったのだった。
その帰りに、ククルは書店に寄った。祥子に今日発売の漫画を買って欲しいと頼まれていたのだ。
露出度の高い男性二人が見つめ合っている表紙に首を傾げながらも、ククルはそれをレジに持っていって無事に購入した。
家に戻るなり、祥子が飛んできた。
『ククルちゃん、おかえり! 例のブツは!?』
「買ってきたよ、祥子さん」
袋から漫画本を取り出すと、祥子は喜びのあまりのけぞっていた。
『ククルちゃん、ほんっとーにありがとう! つきましては、すぐに読みたいんだけど!』
「うん。少し待ってね」
『ええ、ええ。あ、あとね。この漫画、R指定表現があるの。ククルちゃん苦手だったら、目をつむってページをめくってね』
「ん? うん」
そもそもアール指定とは何だろう、と考えながらククルは靴を脱ぎ、祥子の横を通って自室へと向かった。
居間でくつろぎ、漫画をめくろうとしたときだった。ユルが、帰ってきたのは。
「おかえりー。あれ、ユル。今日は退魔事務所行く日じゃなかった?」
直接行くものだとばかり思っていたので、まさか帰ってくるとは。
「お前に話があって、一旦帰ってきたんだ。……ちょっと待て。お前、何を持ってるんだ」
ユルはリビングに入るなり、漫画本を取り上げてぱらぱらとめくり……青ざめた顔で本を閉じた。
「祥子――!」
ユルの怒声が、響き渡る。
「こういうR指定の漫画とかは、ククルに読ませるなっつったよな!?」
『きゃあああ! ごめんなさい! だって、どうしても読みたくて……。かたくりこ先生の新刊読みたくて!』
「……没収だ」
『そんな殺生な!』
「うるせえ。浄霊するぞ」
『脅さないでよー!』
ふたりのやりとりをぽかんとして眺めつつ、ククルはユルを仰ぐ。
「ユル。何か、まずかったの?」
「まあな。これは没収しとく。祥子が約束を破ったから悪い。お前は同情するな」
「……わかった。それで、話って?」
問うと、ユルの厳しくつりあがった目がますますつりあがった。
「ククル、お前! 弓削に、とんでもない約束しただろ?」
「代理彼女のこと? うん。キョウト行きたかったし」
「そんな理由で、ホイホイ引き受けるな!」
怒られたが、一度は引き受けてしまったのだ。ククルは頬をかいて、首を傾げた。
「でも、弓削さんにはお世話になったし……。恩返し、したいよ。代理彼女でできるなら、いいんじゃないかな」
ククルが静かに答えると、ユルは面食らったようだった。
去年のことを思い出しているのだろう。
「止める気はないようだな。……なら、条件がある。それには、オレもついていく」
「ついてくる!? ユルは、どういう役でついてくるの?」
「兄だよ。別に問題ないだろ。弓削にも、許可は取ってくる。……じゃあオレ、行くからな」
「あ、うん。いってらっしゃい」
本当に話だけして、行くつもりだったらしい。ユルは踵を返して、居間から出ていった。
そしてあとには、呆然としたククルとぐったり落ち込む祥子が残された。
宣言通り、ユルは弓削に許可を取ってきたらしく、翌朝に報告してくれた。
「別にひとりでも、大丈夫なのに。弓削さんいるし」
「うるせえ」
寝不足なのか、ユルはいつもより不機嫌だった。
天井近くに浮かぶ祥子が、大きなため息をついている。
朝食を終え、先にユルが行ってしまってから、祥子がククルの目の前に降りてきた。
『ククルちゃんってば、鈍いわね。ユルくんは、あなたが心配なのよ』
「心配する必要ないのに。弓削さんって、すごくいいひとだし。それに……」
『それに?』
「う、ううん。何でもない」
危うく、「兄様に似てる」と言うところであった。
『いいひと、ねえ。そういう問題じゃないと思うんだけど。代理彼女なんて、そりゃ心配するわよ。ま、ユルくんがついていくなら大丈夫か。なんだか乙女ゲー的展開ね。おいしいわね!』
「前も言ってたけど、乙女ゲーって何?」
『あ、しまった。説明が難しいから、いいわ。忘れて。それよりククルちゃんも、もう出ないと』
祥子に急かされ、ククルは支度をしてから玄関に向かう。
幽霊に見送られる生活は奇妙だが、慣れてくると、なんてことはなかった。
かくして、ククルとユルと弓削はキョウト行きの新幹線に乗っていた。
ククルとユルが隣り合わせ。ククルが窓側で、正面に弓削が座っている。
三人はちょうど、駅弁をつついているところだった。
駅弁も初体験のククルは、夢中になってシュウマイ弁当を食べていた。その傍らで、ゆったりと食事を進めるユルと弓削が、会話を交わしている。
「まさか、夜もついてくるなんてね」
「まさか、と言いたいのはこっちだ。よりによってククルに、代理彼女なんて頼みやがって」
「別にいいだろう。ククルちゃんには彼氏はいないと聞いていたし」
「そういう問題じゃねえんだよ」
「やれやれ。めんどくさい保護者だ」
保護者と言われて、ユルは不機嫌そうにそっぽを向いた。
「大体、お前なら昔の彼女がいっぱいいるんだろ。そいつらの誰かに声をかけりゃよかっただろ」
「それ、一番気まずいやつだから……。まだまだ青いな、君は」
「なら、エルザは?」
「エルザは君にぞっこんだし、引き受けてくれるように思えなくてね」
「それで、都合のよさそうなククルに声をかけたってか」
「語弊があるね。ククルちゃんが、キョウトに行きたいと言っていたことを思い出したんだよ。代理彼女といっても、親に挨拶して、家でくつろいでキョウトを観光してもらうだけだし。結婚相手じゃないから、そう堅苦しくないんだよ。ただ、今の僕に彼女がいるという事実が、親にわかればいいだけだから」
ふたりの会話をなんとなしに聞きながら、パートナーだというのに仲がいまいち良くないのはどうしてだろう、とククルは思う。
(兄様)
また、弓削の顔を見ると思い出してしまった。いけないとわかっているのに。
それは、カジの生まれ変わりと思しき青年を見てから、痛いほど実感したことだった。
彼はカジの魂を持っていても、別人だ。彼の記憶に、ククルやユルはいない。それは正しいことだ。
だからもし、弓削がティンの生まれ変わりでも……
(違うってば、私)
魂が削れていたため、今の時代でのティンの転生は無茶だ。わかっているのに、どうしても彼がティンの生まれ変わりだと思いたいようだ。
(弓削さんにも、失礼だよ)
ため息をついて、ククルは最後のシュウマイを口に放り込んだ。
「ククルちゃん、どうかした?」
めざとく弓削に問われて、ククルは首を横に振ってペットボトルのお茶を流し込む。
「早く食い過ぎだろ。駅弁初めてだからって……」
そういうユルは、修学旅行で食べていたらしい。
「え、えへへ」
照れ笑いをして、お茶を一口含む。
考え事をしていたことは悟られなかったらしい。ユルはまた、弓削と喧々諤々の会話を交わしている。よほど、代理彼女が気に食わないようだ。
(意外だなあ)
自分のことはさっさと決めてしまうくせに、ククルのことになるとこれほどまでに過保護心を発揮するとは。
少し嬉しいような、むずかゆい気分だった。
(悪い気がしないの、どうしてだろ?)
大事にされているように、思えるからだろうか。気のせいだとしても。ただの弓削への反抗心から、ユルが怒っているのだとしても。
「まあまあ、夜。君も早く駅弁食べなよ。僕も食べるからさ」
「…………」
弓削になだめられて、むすっとしながら、ユルは駅弁に目を落としていた。
そうして辿り着いたキョウト駅は、巨大な駅だった。
「ふああ。大きな駅……」
ククルがきょろきょろしていると、弓削が苦笑する。
「大和で一番の観光地だからね。夜は来たことあるんだっけ」
「ああ。修学旅行でな」
「修学旅行? あれ、それならククルちゃんも……」
「こいつは熱出して、修学旅行に行けなかったんだよ」
思わず涙ぐみそうになったククルの代わりに、ユルが答えてくれた。
「あれれ。それは残念。ま、その分、今回の観光を楽しんだらいいさ」
弓削の爽やかな笑顔で、少し心が軽くなる。
(兄様)
また、その言葉が胸をかすめてしまった。
「坊ちゃま」
と声をかけられて一同が振り向くと、そこにはロマンスグレーの紳士が立っていた。
「ああ、斉藤。迎えにきてくれたのか。ありがとう」
「当然のことにございます」
弓削が当たり前のように対応しているのを見て、ククルは目をぱちくりさせた。
「はじめまして。代々弓削家に仕えている、斉藤と申します」
折り目正しくお辞儀をされて、ククルもユルも頭を下げた。
「は、はじめまして。私は……」
「僕の彼女の和田津ククルさん。……と、彼女の兄だよ」
弓削がククルの肩を抱いて紹介したので、ククルは驚きすぎて声も出なかった。
(でも、これでいいんだ。私、代理彼女だもの)
思った以上に気恥ずかしい上に、ユルがどことなく不機嫌なのが気になった。
「どうぞ、よろしくお願いいたします。それでは皆様、参りましょうか」
斉藤に促されるまま、一同は歩き始めた。
そして長細い車に乗って、辿り着いた先は――
「ひ、広い……」
広大な、大和家屋だった。玄関の前で、ククルは思わずきょろきょろしてしまう。
「はは。ま、広いは広いね。古いけど。さあ、ククルちゃん、夜。入って入って」
玄関の戸を開き、足を踏み入れるなり、家の奥から品のある和服の老婦人が、足音を立てずに歩いてきた。
「春貴。おかえり」
「ただいま、母さん。予告通り、連れてきたよ。彼女の和田津ククルさんと、その兄の夜」
すると、弓削の母はククルを見て目を細めた。
「……今回は随分、幼げな子やね。おこしやす。ゆっくりしてっておくれやす」
笑いかけられ、ククルはぎこちなく笑顔を返す。
(何だろう? 弓削さんのお母さん、私を見て何か気づいたみたい?)
逆に、ククルが気づいたこともあった。
弓削の母には、霊力があるようだと……。
「斉藤、案内は任せますえ」
そう言い残して、弓削の母は家の奥に行ってしまった。
「あの、弓削さん」
弓削に声をかけると、彼は「うん?」と応じた。
「弓削さんのお母さんも、陰陽師なんですか? 霊力が、あるような気がして」
「母? 母は違うよ。でも、キョウトの古い神社の出身だからか、霊感はあるらしいよ」
なるほど、とククルは納得した。