ニライカナイの童達
第二部
第十三話 接触 2
その後もふたりで歩き回ったが、あの妖怪以外は見つからず、伽耶が帰ってくるようにと言っていた時刻――午後七時となり、事務所に帰ることとなった。
「おかえり、みんな。ご苦労様」
皆が続々と帰り、待機していた伽耶が出迎える。
ようやく弓削が帰ってきた、と思ったらユルがいなかった。
「弓削さん、ユルは?」
ククルの質問に、弓削は眉を寄せる。
「それが、途中ではぐれちゃったんだ。まだ帰っていないかい?」
そう聞いて、胸騒ぎに襲われる。
「捜しにいきます」
「私も!」
「ワタシも行くわ」
弓削にククルとエルザも続こうとしたが、伽耶が手で制して止めた。
「……もう少ししたら、帰ってくるわ。待っておいて」
千里眼の伽耶にそう言われては、待つしかない。ククルは手持ち無沙汰で、扉の近くに立っておくことにした。
すると十分もしないうちに、ユルが入ってきた。
「単独行動は関心しないわね、雨見くん」
伽耶に叱られ、ユルは目を伏せる。
「はぐれちまったんだよ。わざとじゃない」
しばらく伽耶はユルに厳しい視線を注いでいたが、何か見えたのか見えなかったのか、彼女はため息をついて視線を外した。
「みんな、お疲れ様。帰っていいわ。ククルさんには私からお礼があるから、雨見くんと残って。ペアの弓削くんとエルザはどうする?」
「ワタシは帰ります。用事あるし」
エルザは「じゃあね、ナハト」とユルに甘い声をかけてから、さっさと帰ってしまった。
「僕はせっかくだから、付き合いますよ」
弓削は笑顔で応じ、伽耶は「なら、行きましょうか」と告げた。
「ところで雨見くん。知性のある妖怪と、話していないでしょうね?」
伽耶に問われて、ユルは顔をしかめていた。
「本当に、はぐれただけだ」
「そう。それならいいの。そういう妖怪には、言葉は通じても話は通じない。覚えておきなさいね」
伽耶の警告で、ククルは蛾の化生――ウイを思い出したのだった。
連れて行かれた先は、三線の音と島唄が響き、琉球料理が並ぶ居酒屋だった。
「琉球酒場よ。雨見くんは、前に連れてきたわよね。ククルさん、初めてじゃない?」
「あ、はい。そうです。うわあ……大和なのに、琉球みたいなところがあるなんて」
ククルは思わず笑顔になって、店内を見渡した。何もかも懐かしい。琉球に帰ってきたようだ。
すぐに店員がやってきて、四人席に案内してくれた。
「私のおごりだから、好きなだけ飲んで食べて。雨見くんとククルさんはふたりとも未成年だから、ノンアルコールね」
そう言いながら、伽耶はドリンクのメニューが書かれたメニュー表をククルとユルに渡してくれた。
「私、パイナップルジュースで」
「オレはウーロン茶で」
ふたりが飲み物の希望を口にすると、伽耶はすぐに店員を呼んだ。伽耶も弓削も泡盛を頼んでいた。
その後、適当に好きな料理をめいめい注文する。
「海ぶどうだ!」
ぷちぷちした海ぶどうを食べて、ククルは息をつく。
思っている以上に、自分はホームシックになっているのかもしれない。
ふとククルは、厨房の中に見覚えのあるような人物がいることに気づいた。
(うそ……?)
間違いかもしれない。しかし、胸がどきどきする。
「わ。私ちょっとお手洗いに」
立ち上がって、ククルは手洗いの方に向かった。手洗いに続く道の近くに厨房があったので、思い切って顔を覗かせてみる。
(カジ兄様に、似てる?)
料理を作っているひとりが、どこかカジを思い出させたのだ、
カジなら、生まれ変わっていてもおかしくない。
顔立ちは全然違う。しかし、これだけ胸がざわつくということは……
「わっ! お客様、困りますよ!」
カジを思い出させる青年は、ククルに気づいて手を止め、こちらに近づいてきた。
「何かありましたか?」
「い、いえ。ただ……」
(カジ兄様。思い出して。私、ククルだよ)
心の中で必死に伝えたが、精悍な顔つきの青年には通じなかった。
「もしかして、お手洗いを捜しているんですか?」
「そ、そうなの……」
「それなら、あっちですよ。ここを出て、右手に曲がったらすぐにわかります」
「はい。ありがとうございました……」
すごすごと、ククルは厨房を出るしかなかった。
席に戻り、ちょこんと座る。ちょうど通りがかった店員に、メニューに載っていた青い飲み物の写真を指して注文する。
ふう、とため息をつくと隣席のユルが顔をしかめてこちらを見てきた。
「どうしたんだよ」
「……実はね」
カジの生まれ変わりと思しき青年を見た、と語るとユルはますます渋い顔になった。
「あのなあ、ククル。仮にお前の判断が正しいとしても、相手にとっては前世なんだ。お前にとって現世でも」
「…………関わるな、ってこと?」
「カジと思うな、ってことだよ」
はあ、と息をついてユルはウーロン茶を飲み干していた。
「お前は今も、あの時代に捕らわれている」
「そんな!」
「だから、帰りたいなんて言うんだ」
「……それは」
違う。戻りたいわけじゃない。ただ、カジやトゥチに会いたいだけだ。
言葉が喉に詰まったようになって、うまく言えない。だから代わりに、運ばれてきた青い飲み物をぐいっと飲んだ。
「おい待て。お前それ、酒じゃね?」
ユルが指摘したときにはもう、ククルは半分ほど飲んでしまっていた。
「そういえば……なんか、ちょっと苦いかも」
ククルがグラスを置くと、弓削が「あーあ」と苦笑していた。
それからは散々だった。酔っ払ったククルは、島唄に合わせて勝手に踊り出してしまい、伽耶の命令でユルに無理矢理引きずられるようにして帰る羽目になったのだ。
ようやく酔いがさめてきたが、まだ千鳥足だ。そんなククルは、ユルと手をつないでようよう歩いていた。
「ごめんね、ユル。ひくっ。もっと、いたかったよね」
「別にいい。それにしても、馬鹿やったな。ちゃんと確認して飲めよ。あれ、泡盛ブルーサワーって書いてあったぞ」
「はあい。つい、きれいだからって……」
夜だというのに、街には明かりが溢れているから、明るい。ククルがトウキョウで慣れないことのひとつが、これだ。
島では、夜はもっと暗いのが普通だったから、違和感がある。
「前世のこと、わかったか。向こうは前世だから、現世のつもりで接するなよ。それに、お前の勘が必ず当たるわけじゃないんだろ」
いきなりあの話題を出されて、ククルはおずおずと頷いた。
(でも、すごく近い魂を感じた……。カジ兄様だと思う)
だからこそ、あの戸惑った顔に傷ついた。カジの生まれ変わりなら、「ククル!」と叫んで喜んでくれると思ったから。
……しかし、違うのだ。カジの生まれ変わりは、カジではない。ククルのことも覚えていない。
泣きそうになって、ククルは目を伏せた。
帰って風呂に入ったあと、ユルはさっさと自室に引きあげていった。
酔いが残っていたククルはすぐに宿題をする気にはなれず、また、祥子と約束していたアニメがあったため、居間で冷たい茶をすすりながらテレビを観ていた。
テレビを観ながら、友達を作り損ねたことをぼやくと、祥子はぎょっとしていた。
『それはユルくんが正しいでしょ。明らかなナンパじゃない』
「ナンパ?」
『ククルちゃんを口説きたかったのよ、その子。友達にはなれないんじゃない? ククルちゃん世間知らずだもの。うっかり、どこにでもついていきそうで怖いわ。ユルくんに助けてもらってよかったわね』
「そうなのかな……」
あのときのユルは強引で、礼を言う間もなかった。明日の朝ぐらいに、ありがとうと言っておこうか。
そう思案したとき、もうひとつ祥子に気になったことを語った。
前世で知ってるひとを見た、という話だ。
『えええ? 前世なんてわかるの? いや待って。あなたはこうして、私と違和感なく喋れる巫女さんだものね。そりゃ前世ぐらいわかるか』
「絶対そう、ってわけじゃないけどね……。近いものを感じるの」
『どんなひとだったの?』
「うーん。爽やかな好青年、って感じ」
カジと顔立ちは全く異なっていた。だが、がっしりした体つきや朗らかな笑顔は似ていたように思う。
『あららら。なんだか、乙女ゲーみたいになってきたわね。同居して守ってくれるツンデレ幼なじみ、前世を知ってる爽やか青年、それと……もうひとりいたわよね。かっこいいひと』
「弓削さんのこと?」
『あーそうそう。ユルくんの相棒で陰陽師! 柔らかな物腰のイケメン! はー、誰から攻略しようか迷っちゃうわね』
「乙女ゲーって、そもそもなあに?」
『説明が難しいわね……』
祥子は言葉に窮していた。
『ま、私の一推しはユルくんよ。なんてったって、ずっと一緒にいるんでしょ? 大切にしなさいよ。そもそも、あなたたちって恋人じゃないんでしょ? それが謎なのよね』
「こ、恋人!?」
ククルは大慌てで、お茶を一気飲みした。
……考えたこともなかった。
「だってユルは、私のお兄さんみたいなものだもの」
向こうも思っているはずだ。ククルは妹だと。
そういう契約を交わし、力を行使してきた。もうふたりで使う力を持っていなくても、絆は残っている……。
『なんだかよくわからないけど、ククルちゃん。後悔のないようにね』
祥子にしみじみと諭されて、ククルはわけもわからず頷いた。
そういえば、とククルは弓削のことを思い出す。
弓削は、ティンの生まれ変わりなのだろうか。しかし、カジの生まれ変わりを見たときのように、ハッとすることはなかった。
本当なら、ティンの魂の方が半神ゆえにククルはすぐに気づくはずだ。
(ただ単に、仕草や笑顔が兄様を思わせるだけ……?)
うーん、と考えているうちにアニメのエンディングが終わり、バラエティ番組に切り替わっていた。
ふと、ユルが今日、つかの間行方不明だったことを思い出す。
(ユルらしくないなあ)
しかも伽耶に注意されていた。
(知性のある魔物《マジムン》と接触したってこと? しかも、それを報告しないって……。ユル、何を考えてるんだろ)
そういう高度な知性を持つ魔物が危険なことは、ユルも百も承知のはずだ。あのウイを相手にしていたのだから。
そっと、右手を開く。そこに鱗粉がなくて、ホッとする。
『あら、ミッチーランドだわ』
祥子の声で、ククルは顔を上げる。ミッチーランド特集が放送されていた。
『ククルちゃん、ミッチーランドに行った?』
「ううん、まだ。行きたいんだけど……」
ユルは多忙を極めている。学業にサークルに魔物退治。あとは休養に使っていて、時間がかつかつのようだ。
そんな彼に、ミッチーランドに行こうとはなかなか言い出せない。
そう語ると、祥子は大きなため息をついていた。
『んもー。そういうときは、ねだればいいのよ。ユルくんだって、ねだられれば悪い気はしないって。言ってみなさいよ』
「う、うーん」
ククルが煮え切らない返事をするうちに、色々ありすぎた一日の夜は更けていった。