ニライカナイの童達

第二部

第十七話 困惑



 ククルは出かけるとき、弓削にもらったヒトガタを使った。
 ヒトガタは、時代がかった着物をまとった少年か少女の式神に変化する。
 式神は普通のひとには見えないので、式神の隣で授業を受ける……というなんとも言えない構図になっていたが、ククルは特に気にしなかった。
 家に帰れば、力が尽きたように式神は消えて紙に戻った。
 ヒトガタは毎週、ユルが弓削から預かってきてくれた。
(最近、事務所にも行ってないなあ)
 予備校で授業を受けながら、ククルはふと考えごとをする。窓際に座ったので、晴れ渡った空がよく見える。
 もう、七月だ。
 八月には、八重山に帰らなくてはならない。
 四ヶ月ほど琉球を留守にしているなんて、自分でも信じがたかった。
 式神の護衛を続けてもらっているが、あれから鬼の襲撃がある……ということはなかった。
 伽耶からの要請もないので、事務所にも行っていない。弓削やエルザとも久しく顔を合わせていない。
(そういえば、弓削さんは今回同行するんだよね)
 弓削とティンにつながりがあるのかないのか、やっとわかるかもしれない。
 早く、故郷に帰りたくなってきた。
 
 帰り道、式神と一緒に歩いていると、見覚えのあるひとが居酒屋の前で瓶のケースを重ねているところだった。
「……あ」
 カジの生まれ変わり……だとククルが思っている青年だ。
 そういえば、琉球酒場はこのあたりだったと思い出す。
 ククルが思わず足を止めて見ていると、青年は気づいたらしく眉を上げた。
「何か御用ですか? 夜の開店まで、まだ時間がありますよ」
「いえ……。その、何でもないんですけど。あのー、変なこと聞いてもいいですか?」
 ククルの問いに、青年は眉をひそめる。
「はい?」
「……琉球の方ですか?」
「ああ、いや。俺は大和育ちですよ。でも、親が大和に移住してきたんで琉球系大和人……になるのかな」
「やっぱり!」
 琉球にルーツがあったのだ。
 ククルの喜びに戸惑ったらしく、青年は首を傾げていた。
「お客さんも、琉球の子ですよね」
「わかりますか?」
「訛りでね」
「あ、そっか……」
「あれから、来てないですよね。また来てください」
 どうやら、彼はククルを覚えていたらしい。不審な行動を取ったから、かもしれないが。
「はい。うかがいます。あのー、ずっとここで働かれているんですか?」
「そうですね。ここは、うちの親父の店なんで。近いうちに、俺がこの店を継ぐことになってます」
(次の店長さんだったとは)
「それじゃあ、また……」
 驚きながらも、ククルは一礼して彼の横を通り過ぎた。
 名前を聞くのを忘れた、と思ったのは家に着いてからだった。

『あらまあ。前世を知ってる彼に、話を聞けたの? よかったじゃない』
 料理をしながら祥子に報告すると、彼女は手を叩いて喜んでいた。
『ユルくんには言うの?』
「それが、どうもね……。ユルは、前の時代の縁を持ち込むのはよくない、って言ってて……。魂は一緒でも、別人なんだからって」
『うーん、たしかに。向こうは覚えてないわけだしね』
「あんなことがあったわけだし……私も、怖くなっちゃって」
 少しでも前の時代に執着を見せようものなら、またユルが無茶なことをして時戻りの方法を探してしまう気がした。約束したから、それはないとわかっていても怖かった。
『ユルくんは、自分がククルちゃんを留める理由にならないと思っているのかしら。琉球から大和に来たのだって、そりゃ大学入るためでもあるけど、ユルくんの傍にいたいからなんでしょう?』
「うん……。ユルは、自分のことをすごく軽く見るの。ユルの境遇を思えば、仕方ないのかもしれないけど……」
『自分のせいで大切なひとを亡くしたんだっけ? ……難しいところね』
 祥子には、ユルの詳しい境遇は打ち明けていなかった。本人が嫌がると思ったからだ。
「多分、私の『帰りたい』って言葉は何があっても言っちゃだめだったんだと思う。あれで一度、距離が離れたし……。ユルはずっと、その言葉に傷ついていた」
『ぽろっと言っちゃったんでしょ? 仕方ない、って言ってあげたいところだけど……口に出したら終わり、って言葉もあるわけだし。これから気をつけるしかないんじゃない?』
 祥子の助言を受け、ククルはゆっくり頷いた。
(……あ。そういえば、もうすぐユルの誕生日だっけ)
 七月四日。もう明後日に迫っている。
 今までユルに何か贈るということをしたことがなかったが、今年は何かあげようか……と思案する。
(でも、ユルの欲しいものって何だろ)
『ククルちゃーん。ククルちゃん! 鍋が噴きこぼれているわよ!』
 祥子に教えられて、ククルは慌てて弱火に切り替えた。

 料理ができたところで、ちょうどユルが帰ってきた。
 今日は退魔の仕事はなく、サークルで少し遅くなるという連絡をもらっていたので、今日の料理当番はククルが代わったのだ。
「ユル、おかえりー。ちょうど、ごはんできたよ」
「ああ……」
 台所から顔を覗かせたところで、ユルが居間にかけてあるカレンダーを見やる。
「ククル。お前、四日の夜、用事あるか?」
「四日? ないけど……」
「そうか。実は、エルザがオレの誕生日を祝いたいって言ってきてな。留学生同好会の仲間で集まることになったんだ。ついでに古書研究会のメンバーも加わるらしいから、河東も来る。お前も来るか?」
「ええっと……」
 河東はともかくエルザはまだ少し苦手だし、他は全員知らないひと……。
 人見知りのククルには、辛い状況かもしれない。なのに、意識しないままに「行く」と言っていた。
「わかった。場所は、お前も行ったことのある琉球酒場だ」
「わあい」
 ついでに、あのカジの生まれ変わりらしい青年にも会える。これも何かの縁だろう。
「みんなプレゼントもってくるのかな」
「ただ飲み食いするだけだろ」
 ユルは素っ気なく答えて、自室に行ってしまった。

 夕食のときに、ククルはユルに率直に尋ねた。
「ユルって、何か欲しいものないの?」
「…………思いつかない」
「欲がないなあ。せっかく、何かあげようと思ったのに」
「誕生日プレゼントのことか? ああ、いらないから気にするな。オレたちの時代の頃は、祝う風習なかっただろ。オレもお前に何かやったことないし」
「……そう」
 ククルは引き下がり、炒め物に箸をのばした。
 たしかに、ユルはククルにものをくれたことはないが……。
(現代に来てから、すっごくお世話になってるし。何かあげたいな)
 何かあげて驚かせようかな、と計画を練るククルであった。