ニライカナイの童達
第二部
第十七話 困惑 2
結局、何をあげるか決められないまま、当日になってしまった。
琉球酒場の一角を貸し切り、ユルの誕生日を祝う会が行われた。
乾杯のあと、ククルはノンアルコールカクテルを口に含む。
一足先に着いたせいもあり、ククルは隅っこの席になったが、隣席が河東なので心強かった。
ユルは主役だから真ん中のほうで、当然のごとくエルザがべったり引っついている。
「和田津氏、隣でござるね! てか、久しぶりー」
河東はライソでも、こうやってたまに変な喋り方をするが、一体なぜなのだろう。
「河東さん、久しぶり」
「和田津さんは人見知りって聞いてたから、来ないかと思ってたよ」
「うん……。迷ったんだけどね。でも、ユルの誕生日会が開かれているのに、私が家でひとりって想像すると辛いし……」
「たしかに! ぼっち感、半端なし!」
「でしょう? ……でも、本当に賑やかだね」
長いテーブルは、知らない人たちでいっぱいだ。
エルザの呼びかけがあったとはいえ、こんなに集まっているのならユルは人望があるのだろう。
「ユル、私が思う以上に慕われてるのかな」
「ぐふふ。雨見くん、意外と面倒見いいからね」
「そうなんだ。河東さんとは、どうやって仲良くなったの? サークルで?」
「実はそれには、長い経緯が……。いや、短いか。大学の構内で僕が不良に絡まれていたところを、助けてもらったんだよ」
「えーっ!?」
実に意外な出会い方をしていた。祥子なら「少女漫画か!」と突っ込んでいたことだろう。
「何で絡まれてたの?」
「知らないよう。もしかしたら、大学生じゃなくて勝手に大学に入ってきた不良だったのかもしれないけど……。とにかく、ああいう奴らは弱そうだと思った人に絡むんだよ。ちょっと金をくれって言われて抵抗したら、殴る蹴るの暴行。僕が大事に持っていた古書もぶちまけられて、危うく踏まれるところだったんだよ。そこで雨見くん登場、ってわけ。雨見くんって、武道やってたみたいだね。全然、身のこなしが違ったもの」
「ああ……多分、そうだね」
王府で習っていたのは剣術のことしか聞いていないが、最低限の護身術は習っていたに違いない。
「不良が逃げていくのを見届けて、雨見くんが古書を拾って何でこんなものを持ってるんだ、って聞いてきたんだよね。で、古書研究会だって説明したら、自分も入れてくれって……」
そこで、ククルの胸がずきりと痛んだ。
ユルが古書研究会に入った理由の一つは、時戻りの方法が載っている古書を探すためだったのだろう。
他にも理由があったと、思いたいが……。
「和田津さん? どうかした?」
「う、ううん。酔っちゃったかな」
「ノンアルコールだけど、それ……」
河東はククルの言葉に呆れていた。
ククルがノンアルコールカクテルを一気飲みしたところで、店員が近づいてきた。
「ご注文、承りましょうか?」
「はい……。あっ!」
例の、カジの生まれ変わりらしい青年だった。
「どうかしましたか?」
「そのー。お名前聞いても、よろしいですか」
いきなり名前を尋ねると、青年はいぶかしげに眉をひそめながらも「知花颯人《ちばなはやと》です」と答えてくれた。ついでに、「苗字は知る花と書いて知花。颯爽の颯の人と書いて、颯人です」と漢字まで教えてくれる。
「あ、ありがとうございます。私は、和田津ククルです」
「はあ」
颯人はあまり興味がなさそうで、ククルは落胆した。
(やっぱり、前世は思い出してくれないか……)
「お客様。ご注文は?」
急かされ、ククルはオレンジジュースを注文した。
「和田津さん、意外に積極的なんだね。ていうか、ああいうのがタイプ?」
河東に問われて、ククルは赤くなる。
「違うよ……。私のよく知ってるひとに似てるから、つい聞いちゃって」
「へえー。あのお兄さん、名前からして琉球系かな? 知花って苗字、大和じゃ珍しいよね」
「うん、琉球系なのは前に話したときに聞いたの」
ククルは、店の前で会話したことを河東に教えた。
「雨見くんというイケメンがいるのに、和田津氏は他の男にも興味あり……と」
「言い方っ!」
赤くなったククルが河東を揺さぶったところで、ふたりの間にユルが来た。
「盛り上がってるな」
「おや、雨見くん。君こそ主役なのに、ここに来ていいのかい。まあ座りなよ」
河東は隣の空いている椅子を引っ張って、ユルに座るように促した。
「……エルザを筆頭に、留学生は酒癖の悪い奴らが多い。相手するの疲れた」
ユルの視線を辿ると、大笑いしている一団がいた。飛び交っている言語は、英語だろうか。
「わー、パリピいっぱい。僕や和田津さんとの温度差がすごい。……それより雨見くん。君も、イケメンだからって余裕かましてる場合じゃないと思うよ。和田津さんってば、イケメン店員さんに名前聞いてたんだよ」
河東がユルに教えてしまったので、ククルは慌てた。
途端に、ユルの鋭い視線が飛んでくる。
「カジの生まれ変わり?」
「……そ、そう」
「お前なあ。……あれだけ言っただろ。向こうからしたら、前世は前世だ。現世に前世を持ち込むな」
「わかってる」
そこで、河東が割って入った。
「待ったー! 前世とか現世とか、なになに? オカルト? 僕も話に混ぜなさいっ」
ユルは面倒くさそうに舌打ちをして、ぼかして答えていた。
「こいつが琉球の巫女だって知ってるだろ。だから、前世で縁のあったやつとかもわかるらしい」
「へーっ! それはそれは……。和田津さんて、前世のこと覚えてるの?」
河東に興味津々に問われて、ククルは「少し」と答えておいた。
ユルは河東に聞こえないように、ククルに耳打ちした。
「カジがお前のために尽力したことは、オレだって知ってる。だからこそ、今のオレたちに巻き込むのは間違ってると思う」
鋭い一言を残し、ユルは席を立って行ってしまった。
「和田津さん、どうかした?」
「ううん……」
河東が心配してきたが、ククルは生返事をして、ちょうど運ばれてきたジュースを口に運ぶ。
どうすれば、割り切れるのだろう。またユルに前の時代の未練を見せてしまったのではなかろうか。
ぐるぐる考えていると、余計にわからなくなってきてしまった。
二次会に行くという一行を見送って、ククルと河東は帰路についた。
なぜこのふたりかというと、ユルが河東にククルを送るよう頼んだからだ。
「雨見くんは、強制二次会かあ。大変だね。主役だから仕方なし、だけどさ。さっ、行きますか和田津氏! 雨見くんに頼まれた以上、しっかり送り届けるでござるよ!」
「あ、ありがとう河東さん」
「でも、途中から元気なくなったね。雨見くんに説教でもされた?」
「そんなところ……」
夜道を歩きながら、会話を交わす。
「あーあ、またお助けキャラみたいなこと言ってるなあ。でも、君たちってくっつくかくっつかないかハッキリしないから周囲が困るんだよね」
「困る?」
「僕はともかく、エルザとかは苦々しく思ってるんじゃないかな」
「…………そう言われても、難しい。私とユルの関係は、一言で言えるものじゃないし」
「んじゃ、エルザと雨見くんがくっついてもいいの?」
「それは――」
「ほーらね。今日見てても思ったけど、和田津さんは嫉妬してるんだよ。ただ、その嫉妬を見せたくないと思って隠しているだけで。うおう、僕マジでお助けキャラだな!」
嫉妬をしていると指摘されて、ククルはぎくりとした。
(当たってるのかも……)
「だーかーらー、そこで落ち込むんじゃなくて行動に出ればいいじゃんって話だよ。僕は三次元には詳しくないから、上手いアドバイスはできないけどね」
「行動って、どういう行動?」
「う、それを聞きますか。まあ、一番いいのは告白じゃないかな。多分、このまま待ってても雨見くんは君に手を出すとは思えないんだよね。雨見くんって、何か君にすごく遠慮がない?」
「遠慮……?」
あの傲岸不遜とも言えるユルが、ククルに遠慮なんてしているだろうか。
「よく、わからない。でも、私はこのままの関係を変えたくない」
「あー、それか。多分、雨見くんもそれを察しているんだ。君が一歩進まない以上、関係は変わらないよ。それがいいのか悪いのか、僕にはわからないけどね……。うわー、お助けキャラを通り越して恋愛神のようなアドバイスをしてしまった……。羽が生えちゃうかもね。――とにかく! さっきも言ったように、僕は三次元には疎いから、あんまり真に受けすぎないでね」
河東が喋っているうちに、アパートの前に着いた。
「送ってくれてありがとう、河東さん」
「どういたしまして。なんちゃって、僕は紳士だなあ……ぐふふ。またね」
「気をつけてねー!」
手を振って河東を見送り、ククルは階段を上がった。エレベーターもあるのだが、あの閉塞感が好きになれなくて、大荷物でないとき以外はいつも階段を使っていた。
階段を上り切って、息をついた瞬間――ククルは青ざめた。
目の前に、白い琉装をまとった女が立っていたからだ。
「……ウイ」
殺したはずの、毒蛾の魔物。なぜここに、いるのだろうか。
「お久しぶり」
「なぜ、ここにいるの! あなたは死んだはず!」
「ふふ。あれほど時が流れれば、残ったかけらが再生することもできましょう」
ウイは目を細め、艶やかに笑った。
「あなたは、何をしに来たの」
気圧されずに堂々と問いかけると、ウイは首を傾げた。
「何だと思います? それを教えるほど、親切ではありません。私は、あそこにいますよ。来るなら来なさい。それでは……」
ふっ、とウイの姿が消えた。
気が抜けて、膝をつきそうになる。
もう誰もいない空間を見つめて、ククルは唇を噛む。
ククルがひとりのところに来たのに、何も仕掛けてこなかった。
(「あそこにいる」って言ってたし、あれは分身? そもそもウイの気配って、あんなのだっけ……?)
ウイは、まるで手招いているかのようだった。やはり彼女は琉球にいるのだろうか。
いるなら、八重山ではなくて本島だろう。八重山ではククルの力が増すから、今までは手を出せなかったのかもしれない。
(ウイは、何を考えているかわからない。あの聞得大君でさえ、騙しきった魔物だもの。関わるのは、危険だ……)
ユルに言えば、退治すると言い出すだろう。いくらユルや天河が強くても、ウイに何か策があるなら、どうなるかわからない。危険だ。
ククルは考えた結果、今回の邂逅は黙っておくことにした。
夜中に物音がして、ククルは目を覚ました。
部屋から出て、居間に行く。ちょうど、ユルが帰ってきたところだった。
「何だ、お前。寝てたんじゃないのか」
「……うん。音がしたから、起きちゃった」
「悪い」
「ううん。少し、私が過敏になってたせいだと思うから。ユルは悪くないよ」
ククルの言葉を聞いて、不審そうにユルが眉を寄せる。
あれ、と気づいてククルは手を伸ばしてユルの額に触れる。
(霊力《セヂ》に、違和感がある)
しばらく琉球に戻っていないせいだろうか。
大和でも命薬で浄化は行っていたが、やはり琉球の海でないと完全に浄化はできないのだろう。しかし、それだけではない気がする。
「何やってるんだ?」
「……ううん。ユル、体の調子悪かったりしない?」
「別に。何か、変なのか?」
「うーん。少し、違和感があるんだよね。でも、もうすぐ琉球に戻るし、そこで完全に浄化すれば大丈夫だと思う。……じゃあ、おやすみ」
くるりと踵を返し、ククルは自室に戻るべく歩を進める。
背中にユルの視線を感じる、と思ったところで閃いた。
(……そうだ。濁りじゃない。まるで、霊力が削れているみたいだった……)
ようやく言語化できたところで、ククルは振り向く。もうユルはいなかった。
琉球に戻ればもっと詳しくわかるだろうと考え、ククルは一旦忘れることにした。