ニライカナイの童達

第二部

第十八話 欠片



 八月。ククルとユルが空港に行くと、先に弓削が着いていた。
「やあ。ククルちゃん、久しぶり」
 待ち合わせ場所の空港内のゲート前で、爽やかに笑って弓削は手を振る。
「弓削さん、お久しぶりです。すみません、待ちましたか?」
「いや、そんなことないよ。空港に来るのも久しぶりだし、色々見て回ってたんだよ。いいね、空港って。良い意味での落ち着かなさがあって」
 弓削の言うことは、ククルにもわかるような気がした。
 最初は緊張で楽しむどころではなかったが、何回か行き来するようになって、空港の持つ独特な雰囲気も嫌いじゃないと思えるようになってきた。
「琉球、楽しみだな」
「ふふ。キョウト案内のお返しに、案内しますからね。……といっても、八重山諸島だけだし信覚島はともかく、他の島の案内は難しいかも……」
「ああ、いいよ。ちゃんと事前に聞いてたからね。お祭りがあるから、忙しいんだろう?」
「はい」
 短い帰省の間に、ククルは神事をこなし、舞の練習もしなければならない。ユルも同様だ。くわえて、ククルは神女《ノロ》としての務めも一時的にミエと代わることになっている。相談しにくる島人に対応するため、あまり出かけられないだろう。
 それに、故郷である神の島や下宿して高校に通っていた信覚島以外の島には詳しくない。
「他の島には、僕ひとりで見学に行ってもいいし」
「それがいい。オレが同行すると、天河が魔物を呼ぶからな。お前も休みの日に退魔の仕事したくないだろう」
 ユルに後押しされたように、弓削は「うん、離島巡りするならひとりで行くよ」と頷いていた。
「さて。話はあとにして、行こうか」
 弓削は腕時計を見てから、キャリーケースを引いて歩き始める。ククルたちも、彼に続いた。

 無事にナハ経由で、降り立ったのは信覚島。
 一旦、休憩にしようと弓削に誘われて一行は空港近くにあるカフェへと入った。
「いやー。前も来たときにも思ったけど、ほんっとにきれいな海だね」
 弓削が、感心したように呟く。
 カフェのガラス張りの壁からは、八重山の誇る蒼海がよく見えた。
 故郷を褒められて、悪い気はしない。
 ククルは眩しい海に、目を細めた。随分離れていたから、懐かしくてたまらない。
「それで? 弓削。なんですぐに神の島に行かずに、ここに留まろうとしたんだ?」
 ユルの突然の問いに弓削は戸惑っていたが、ククルも眉をひそめた。
「ユル。どういう意味?」
「弓削の性格的に、真相を知りたいから早く神の島に行きたがると思ってたんだ。だが、逆に……ここに留まりたいような口ぶりだっただろう。それに、ククル。こいつが三線を弾いたのは、この島だ」
「……あ」
 そこで、ククルも気づいた。
 ティンの生まれは、信覚島だ。弓削とティンにつながりがあるから、神の島ではなく信覚島に留まりたがった……とユルは言いたいのだろう。
「そういえば、弓削さんが溺れた海は八重山のどこなんですか?」
 ククルの問いに、弓削は「母さんに聞いておいた。信覚島らしいよ」と答えた。
「……それなら、神の島に行くよりここで手がかりを探した方がいいのかな」
 ククルは考え込み、ストローでパインジュースをすすった。
「おい、ククル。探すといっても、どうやるんだ? ティンの昔の家に行くのか? 残ってないと思うが……」
「ううん、違うよ。弓削さんの溺れたあたりの海に潜るの。私が海の記憶を拾えるかもしれない」
 ククルの発言に、ユルも弓削も相当驚いたようで沈黙していた。
「えっと、ククルちゃん。服のままで潜るの? 水着、持ってきてないんだけど」
「大丈夫。私だけが潜ればいいと思うので。私は濡れてもいい、薄物の着物を持ってますから。ここで下宿してたときにお世話になってた伊波さんの家で、着替えさせてもらおうかと」
 ククルの答えに、弓削は苦笑していた。
「わかったよ。僕は潜らなくていいの?」
「多分……。私だけで見つけられなかったら、潜ってもらうかも」
 ククルの曖昧な返答に、弓削は戸惑ったようだった。
「参ったな。やっぱり水着を持ってくるんだったよ。海は見るだけでいいか、と思って持ってこなかったんだよね」
「伊波家で、いらない服を借りるといい。今は真夏で、太陽が強すぎる。真夏の琉球で水着で泳ごうものなら、真っ赤になって泣く羽目になるぞ」
 ユルが、ぼそりと助言をする。
「あ、やっぱり? 夏の琉球で泳ぐのは大体観光客、って噂は本当だったんだ。……夜の言うとおり、服を借りたほうがいいな。余分の着替えは持ってきてないし」
「ごめんなさい、弓削さん。事前に言っておくべきでした……。でも、ここで手がかりを探す方法はさっき閃いて。私はとにかく一度、神の島の御獄に連れていくつもりだったから……」
「さっき!? はあ、ククルちゃんってかなりシャーマン気質なんだね」
 シャーマン気質とはいかなるものか、と考えたところで二人が席を立とうとしたので、ククルも慌てて残りのパインジュースを飲み干した。

 レンタカーを借り、弓削が運転することになった。助手席にはユルが座り、伊波家への道を口頭で案内する。
 伊波家の近くにあった空き地に車を止めて、三人は降りる。伊波家に行って、ククルが門のところに設えられた呼び鈴を鳴らした。
 そういえばここに来るのは、高校卒業して以来だ……と思った瞬間、家から誰かが出てきた。
「窓から見えたのよ! まあまあ、ククルちゃんにユルくん。元気だった?」
 伊波夫人が走り寄り、ククルの手を握る。
「おばさん。お久しぶりです。……実は、お願いがあって。海に行って、この方のお祓いをすることになったんです。それで、濡れても構わない服があれば貸していただきたくて」
 ククルがおずおずとお願いすると、伊波夫人は「もちろんよ! うちの主人の古着でいい?」と言ってくれた。
 
 弓削は伊波家で、伊波のお古の服を借りて着替え、ついでにサンダルも借りていた。ククルもそこで白い琉装に着替えた。バスタオルも借りて、一行は海へと向かった。
 幸い、弓削が溺れたという海辺は伊波家から歩いていける距離だった。
 海辺には、水着の観光客が溢れていた。
 当然、白い着物姿のククルは浮いた。視線を集めていることに気づきながらも、ククルはサンダルを脱ぎ、「しばらく待ってて」と二人に言い残して、海に入っていった。
 
 目を閉じて、ぬるい水の中にどぷんと潜る。
 手を組んで、ククルはティンのことを考えた。
(兄様、教えて。兄様は……弓削春貴さんに、どうやって関わったの)
 脳裏に、映像が浮かぶ。
 しかし、浮かんだ映像が断片的すぎてわからない。
 沈む少年。誰かが交わす会話。……ひとつは、ティンの声だとはわかった。
 ククルは泳いで、海面にあがった。足がつく浅さのところまで泳いでいき、心配そうに待っていた弓削に声をかける。
「弓削さん。やっぱり、私ひとりじゃだめです。来てくれますか」
「え? ああ、うん……」
 弓削は若干怯えたように答えて、サンダルを脱いで砂浜を歩いてきた。
 やはり、一度溺れた経験が無意識の記憶に残っているのだろうか。
 服のまま入っていく弓削を見て、観光客の注目が益々集まった。
 弓削はためらいなく、ククルのところまでやってきた。
「弓削さん、泳げます?」
「そんな上手じゃないけど、一応ね」
 溺れた経験のせいで泳げない、ということはなかったらしい。ホッとして、ククルは弓削の手を引き、泳ぎ始める。
「人気のないところがいいので、もう少しいったところで潜りますね」
 予告して、ククルは弓削の手を放して泳いだ。しばらく泳いでいって振り返ると、弓削が追いついたところだった。
「ここで潜ります。深く息を吸ってください」
 ククルは一足先に息を吸って、海に潜った。命薬が――海の色をした宝石が漂い、輝きを増す。
 続いて潜ってきた弓削の手を取り、ククルは彼の両手を挟み込むようにして手を組み、目を閉じた。
(神様。兄様。お願い、教えて。縁を)
 次の瞬間、ククルの脳裏に鮮やかに景色が蘇った。
 
 
 
 これは、誰の視点だろう。溺れて、沈んでいく少年をやるせなさそうに見守っている。
 ――何とか、できないのか。
 ティンの声だ、と認識する。次に響いたのは、とどろくような声。ひとにあらざる者――神の声だった。
 ――無理だ。あの少年は魂《マブイ》の一部を魔物に食われた。魂が欠けた状態では、どうせ生きられまい。
 海神の答えを聞いて、傍にいたティンは提案する。
 ――僕が、彼の欠けた部分を埋められないだろうか。今は彼らが戻る時代と、近いのだろう?
 ――正気か。お前の意識は残らないぞ。あのふたりとも、せいぜい運命が引き合う程度だ。
 ――ああ、それで十分だ。彼が死ぬときに、また魂は分離するのだろう? なら、私に損はない。
 ――そうだ。それに彼が寿命を全うするときには、彼の魂も回復することだろう。お前がそう望むのならば、埋めてやろう。
 そして視界が暗転した。
 
 
 
 目を開いたとき、弓削が苦しそうに首を振った。
 息が続かないのだろう。それはククルも同じだった。ふたりは同時に、海面にあがった。
「ぶはっ……。ククルちゃん、何か見えた? 僕は何もわからなかったんだけど……。えっ、どうして泣いてるの」
「ごめんなさい、弓削さん。一旦、帰りましょう」
「ああ……」
 戸惑う弓削をよそに、ククルはぐるぐると考えながら泳いでいった。泳ぎついたところで、ユルが迎えてくれる。
「何か、わかったのか」
「うん……。でも、少し整理させてほしいの」
「……わかった」
 ユルが短く答えると同時に、弓削が砂浜にあがっていた。

 ククルたちは伊波家でシャワーを借り、着替えた。伊波夫人に少し休憩していったら、と言われたので、お言葉に甘えて客間を借りることにした。
 出された冷たいさんぴん茶を一口飲んで、ククルはようやく口を開いた。
「結論から言うと……弓削さんは、私の兄様だったひとに欠けた魂を埋めてもらっている状況です」
「……え?」
 ククルの説明が信じられなかったのか、すぐには飲み込めなかったのか、弓削はしばらく沈黙していた。
 代わりのように、ユルが問う。
「欠けた魂って、どういうことだ?」
「弓削さんは、海の魔物に魂を食べられてしまったみたいなの。そのままだったら、死ぬはずだった。でも、兄様が海神に頼んで欠けた部分を兄様の魂で埋めてもらった」
「ふたりの魂は、融合してるってことか」
「そういうこと。でも、兄様はあくまで欠片を埋めたかたちだから、意志はないみたい。でも、私たちと運命が引き合うことはあるだろう……って海神が」
 そこまで話して、ククルは弓削の様子をうかがった。
 彼はすっかり、青ざめている。
「君たちと僕が出逢ったのも、偶然ではないんだね。僕の内にいる君の兄の魂が、引き合わせたと?」
「おそらく」
「――あー、なるほど。それで、僕の霊力が上がったのか。ククルちゃんのお兄さんなら、海神の血統だよね」
「はい。しかも、兄様は半神です。詳しく言うとややこしいんですけど、兄様と私は本当の兄妹じゃなかったんです。でも、どちらも海神の血を引きます。私は先祖返りで神の血が濃く出て、兄様は半神だから当然神の血が濃かったんです」
 ククルが説明を付け足すと、弓削は「そうか……」と呟いてさんぴん茶をすすっていた。
「納得だな。削られていたティンの魂の状態でも、他人の魂を埋めることはできたってわけか」
 ユルは深く頷いて、隣の弓削をまじまじと見ていた。
「しかし、思ったより早く真実がわかったな。……ま、どうせだし、お祭りを堪能していこうかな。ふたり共、舞うんだよね。楽しみだな」
 もっと衝撃を受けるかと思っていたが、弓削は案外早く立ち直っていた。