ニライカナイの童達

第二部

第二話 旅人 4

 ククルは目を覚まし、まだ暗い空を見上げた。
 重い、と思ったらユルがククルの上で倒れている。
「ユル、大丈夫?」
 問うも、返事がない。意識を失っているようだ。心臓は規則正しく打っているので、心配ないだろう。
 波に呑まれた時はどうしようかと思ったが、二人ともなんとか生きているようだ。
 あれからどのくらい時間が経ったのだろう、と思いながらククルはユルの背を撫でる。
(怪我、してないよね……)
 ふと、ユルの肩越しに海の方を見やる。光の玉が、いくつも海から昇っている。
 光の玉――その一つが、見知った姿を取った。昨日話した、女性だ。
 魔物が喰った魂《マブイ》が解放されたのだろう。
「ごめんなさい……」
 せっかく思い直したのに、魔物に喰われてしまった女性。彼女に向かって、ククルは謝った。あの時、魔物の気配を無視すべきではなかった。
 彼女は哀しそうに微笑んで、また光へと姿を変え、昇って行ってしまった。
 その幻想的ともいえる光景に、ククルは目をつむって祈った。
 せめて――彼女をはじめとする魔物に喰われた人たちの魂に平穏が訪れますように、と。

 どのぐらいそうしていたのか。次にククルが意識をはっきりさせた時にはもう、日が昇っていた。
 朝焼けが海を染める。潮騒が響く。島に、朝がやって来た。
「……ううん」
 ユルが呻いて、意識を取り戻した。自らの態勢に気付いたらしく、ぎょっとしてユルは手を付いて起き上がろうとする。
「悪い。――いってえ」
 退こうと思ったのだろうが、痛みでユルは顔をしかめた。
「大丈夫? どこか怪我した?」
「いや、怪我はしてないと思うんだが。変な液体浴びたせいか、腕と背中がひりひりする」
「ちょっと待ってね。――命薬」
 小刀を顕現させ、ユルの背中に当てる。青い光が弾けた。
「……治ったか」
「よかった」
 ククルが笑った時、砂を踏む音が聞こえた。
「うわ! カップルじゃん!」
「地元民、大胆!」
 突如現れた男性二人組は大和語ではやし立て、ひゅーひゅーと口笛を吹く。
 ユルは顔を赤くして、立ち上がった。
「――散れっ!」
 ついでにいつの間にか、彼の手には天河が握られていた。
「ひえっ! あいつ刀持ってる!」
「逃げろ!」
 二人は刀とユルの形相に恐れを為し、走って逃げて行ってしまった。
 ククルも立ち上がり、浴衣に付いた砂を払う。
「ユル。天河は、そういう使い方するものじゃないと思うんだけど……」
「うるせえ。緊急事態だからいいんだよ。……それより、魔物はあれで退治できたんだよな?」
 ユルはすかさず話題を変えて来た。
「うん。ちゃんと、魂が解放されていくところ見たよ」
 ククルはそこで、昨日の女性を思い出し眉をひそめた。
 名前も聞いていなかったから、昼食に来てくれた時にでも聞こうと思っていたのに。もっと、話したかった。おいしい琉球料理で、元気になってほしかった。
 ククルの哀しそうな顔に気付いたのか、ユルは鼻を鳴らしてククルの頭を小突いた。
「あんま気にするな。……戻るぞ」
「うん」
 ククルはもう一度だけ海に祈りを捧げてから、ユルと共に歩き出した。

 家に帰って二人はシャワーを浴び、着替えた。
 朝食の席で魔物は退治したと告げると、高良家の人々は大層驚いていた。
「さすが、神様だなあ……」
 それから二人はそれぞれ、自分の部屋に戻って仮眠を取った。
 ククルは目を覚まし、壁時計を仰いだ。時計の針は、十一時を示していた。
「ふあああ」
 起き出し、布団を畳んで服を整える。
 昼食まで時間もあるし、もう一度浜辺に行って祈ろうかと思案する。
「うん、そうしよう」
 ククルはちゃんと弔いもしようと思い、神女(ノロ)の装束とはいかないが琉装を纏った。

 浜辺に行くと、たくさんの観光客が遊んでいた。
 強い日差しに辟易しながら、ククルは海に近付いて行く。しかしいきなり腕を引かれて、転びそうになってしまった。
「あれー、さっきのカップルの子じゃん」
「朝から大胆だったねえ」
 にやにやしている水着姿の男性二人は――朝、ククルとユルを囃し立てた二人組だった。
「やっぱ南国の子って解放的なわけ? 俺ともどう?」
 早口の大和語でまくしたてられ、ククルは何も言い返せない。ようやく「腕を放してください」と言えたが、彼らは顔を見合わせ笑ってしまった。
「訛りすごいねえ」
 そう言われて、恥ずかしさで顔が熱くなってしまう。大和語を習って日が浅いし、訛りなしで大和語なんて話せない。
 なんとか彼らから離れようとするのだが、ククルの腕力では無理だった。他にも観光客はいたが、こちらに気付いていないか、気付いていても見ないふりをしている。
(自分で、何とかしなくちゃ)
 何か言おうと思うのに、さっき訛りを笑われたことを思い出すと、口を開くのが怖くなってしまう。
 その時――いきなり男たちの顔が強張った。
「うわっ、何だ今の!?」
「こいつ、何かしやがったな! 逃げろ!」
 彼らは何事か喚き、ぽかんとするククルを残して走り去ってしまった。
「……うん?」
 一体、何があったのだろう。ふと気付くと、足元に長い髪の毛の束が落ちていた。
(ひょっとして)
 疑問に思いながらも、ククルはその髪を手に取って祈りを捧げた。ノロやユタが使う弔いの言葉を口にして、髪を波に託す。
 すると、遠くの方であの女性が笑っているのが見えた。彼女は真昼の光に、すぐに消えてしまった。

 家に帰ると、もう高良夫人が昼食の支度をしているところだった。ユルも自室から出てきたようで、眠そうな顔で茶碗を並べている。
 準備を手伝いながら、ククルはユルにさっきあったことを話した。
「でも、どうしてあの人助けてくれたんだろ。私のせいであの人……魔物に……」
「そりゃあ、お前」
 ククルの言い分を聞いて、ユルは呆れたように鼻を鳴らした。
「お前は一度彼女を止めたし、魂《マブイ》も救ったじゃねえか。その恩返しってことだろ。別にあの人は、お前を恨んじゃいなかったってことだ」
「……そっか」
 ククルの中にはまだ、悔恨が残っている。だが、少しだけ心が楽になった。
「ってかお前、もう一人で出歩くな。観光客に絡まれてんじゃねえよ」
「うーん……昼だから平気だと思ったのに」
 ユルに注意されて、しょんぼりしてしまう。
「たまに羽目外す人がいるからねえ。ユルくん、なるべくククルちゃんに付いて行ってあげてね」
 盆を持ってやって来た高良夫人が、話に入って来る。
「……そうします。――おい、オレがいない時は家から出るなよ。漫画でも読んでろ」
 びしっとユルに言われて、ククルは「はあい」と返事をした。

 その夜、島でちょっとした騒ぎがあったそうだ。
 浜辺で花火をして騒いでいた男性二人組が通りすがりの少年に絡み、返り討ちにされたという事件だった。
 朝食の席で高良から報告を受け、ククルはとにかく驚いた。
「ええっ。その少年ってまさか――」
 ククルは思わず、隣で漬物を噛むユルを見やった。
「まあ、そのまさか。ユルくんだったんだけどね」
 高良は苦笑していた。
「私には一人で出歩くなって言っといて……。何でそんな夜中に一人で歩いてたのさ」
 問い詰めると、ユルはにやりと笑った。
「何でだろうな?」
「……」
 絶対わざと絡まれに行ったんだ、とククルは確信した。
「私が絡まれた仕返し?」
「己惚れんな。たまたま散歩に行ったら、勝手に絡んで来たんだよ」
 ユルは即座に一蹴する。
 だが――彼は、やけにすっきりした顔をしていた。
(怪しいなあ)
 とは思いつつ、ククルも悪い気はしなかった。暴力は良くないとは思うけど、向こうから絡まれたなら仕方ない。
 そしてこのユルの行動をどこかで見た――ないし読んだ、と考えてククルは、思い至った。
(あの、まんがだ!)
 比嘉薫が貸してくれた漫画のヒーローは、ヒロインを傷つけた男に自ら絡まれるように仕向け、決闘を申し込み――見事、敵を倒したのだった。
 夏休みが明けたら、「似てるところあったよ」と薫に報告しよう。そう決めて、ククルは思わずにやにや笑ってしまったのだった。