ニライカナイの童達
第二部
第二十二話 民話
翌朝、ククルとユルは空港に向かった。
実はユルの調子が悪いので弓削についてきてもらおうかという案も出たのだが、弓削は実家でどうしても外せない用事があったらしく、同行できなかったのだ。
伽耶は心配そうだったが、琉球でならククルの力も増すから大丈夫だと、請け負った。
それに、弓削から余分にもらったヒトガタもちゃんとポケットに入れてある。
(だから、大丈夫だよね)
搭乗手続きを済ませて、飛行機に乗り込む。
里帰りするひとが多いのか、飛行機はほぼ満席だった。
「ユル、窓際に座りなよ」
ククルが促すと、ユルは頷いて窓側の席に座った。
彼の隣に座ったあとぐらいに、若い女性がククルの横に座る。
ほどなくして、飛行機が離陸する。
ふと隣を見ると、ユルは既に眠っていた。
(シュリで原因が突き止められるといいんだけど)
魂《マブイ》を落としたのだろうかとも考えたのだが、マブイを落としていたのなら、ククルにはすぐにわかる。
神女《ノロ》の仕事をしていたとき、マブイを落としたという相談はかなり多かった。
だから、マブイを落とした症状でないことはたしかだ。
あれこれ考えている内に、ククルも眠ってしまったらしい。
機内アナウンスで目を覚ました。
慌てて棚に入れていた荷物を取り出そうとしたが、背が足りなくてまごまごしていたら、ユルがふたり分の荷物を取ってくれた。
「ありがとう」
「ああ、行こう」
人混みに紛れて飛行機から降りて、ナハ空港に降り立つ。
今回は乗り継ぎではなくここで一泊するので、ククルたちは空港から出た。
伽耶が予約してくれているホテルのシャトルバス乗り場に行って、並ぶ。次のバスが来るまで、少し待たないといけないようだ。
やはり、大和よりずっと暖かかった。
「あ、そうだ。ねえ、ユル。私、昨日、雪を見たんだよ。初めて見たけど、きれいだった」
ふと思い出して報告したが、ユルは特に感動した様子も見せなかった。
「……ふうん」
「ユルは雪、見たの?」
「ああ。去年の一月や二月ぐらいに、降ってたから」
「そっか。感動した?」
「別に」
「んもー。情緒がないなあ」
笑いつつ、ククルは左腕にはめた腕輪を意識した。
昨日の雪にあれだけ感動したのは、クリスマスイヴという特別な日だったから、という理由もあるのだろう。
(プレゼントももらっちゃったし、いい日だったなあ)
そんなことを考えていると、バスが到着して、ククルたちはバスに乗り込んだ。
チェックインして荷物を置いてから、ふたりはナハを散策することにした。
まずは琉球そば屋で、遅い昼食を取る。
ククルが馴染んでいた八重山そばより、琉球そばはこってりしている。
これはこれでおいしいな、と思いながらそばを食べ終えた。
ユルは何も言わずにそばをすすっていたが、食べるのが遅いククルよりも時間がかかっていたので、ククルは心配になってしまった。
「大丈夫?」
「ああ」
端的に答えて、ユルは水を一気飲みする。
「行くか」
ユルに促されて、ククルも立ち上がった。
「そういえば、この時代に来て本島をちゃんと歩くのって初めてだよね。乗り継ぎで立ち寄ることが、ほとんどだったから」
ククルが呟くと、ユルは「そうだな」と応じた。
ふたりは携帯の地図を見ながら、城《ぐすく》のあった場所を目指した。
城があった、というより今も王城があるのだが、戦争で焼けてしまったので、今の城は再建されたものである。
ククルは門をくぐり、前の時代で門をくぐったときのような、ぴりっとしたものを感じないことに気づく。
(それはそうだよね。聞得大君はもう、いないんだもの)
改めて、時を超えた不思議さを思った。
ククルは石段を登っていって、再建された城を目前にする。
ちらほらと観光客がいて、ツアー客を引率するガイドの姿も目についた。
「ウイ、いないね。中に入ろっか」
「……ああ」
入場券を買って、中を歩く。城内は博物館になっていた。
どこにもウイはいない。
再建された城だからか、もう王族がいないからなのか、以前のような威圧感はなかった。
城を巡って出てきたあと、ユルが道端にしゃがみこんだ。
「ユル!? 大丈夫!?」
「……気分が悪い」
「しっかりして。立てる?」
ククルが背をさすると、ユルはよろよろと立ち上がる。
「ホテルに戻ろっか」
「だけど――まだ、ウイを見つけてないだろ」
「その体調じゃ、無理だよ。明日の出発までも時間があるから、行こう」
ククルが熱心に言い募ると、ようやくユルは頷いた。
ユルには先に部屋まで行ってて、と言って、ククルはホテル近くのコンビニで飲み物や食べ物を買い込んだ。
荷物を抱えて、ホテルの部屋に入る。
既にユルはベッドの上で眠っていた。
(大丈夫かなあ)
以前よりも、悪くなっている気がする。
(ううん、それより――ユルは隠していたのかもしれない)
冷蔵庫に飲み物を入れて、食べ物は袋に入れたままテーブルに置く。
ライソで、ユルに『ひとりでウイを探してきます』と伝言を残す。
本人がいるのに携帯で連絡を取るなんて変なの、と思いながら、ククルは小ぶりなバッグを肩にかけて部屋から出た。
(ユルが弱ったということは……やっぱり、お城あたりが怪しいかな)
ククルは城の前で、きょろきょろしていた。
ふと勘が働いて、城の裏側に回る。
そこには、ひっそりと御獄《うたき》があった。
この御獄では、斜めに重なり合った大きな岩を祀っているようだ。
地元のひとの信仰が盛んな場所なのか、岩の傍には供え物がたくさん置いてあった。
――観光地ではありません。撮影はご遠慮ください、という立て札が立っている。
観光客じゃないからいいよね、と呟いて御獄に近づいて祈る。
(あ……ここは)
重なった大岩の隙間から、空が見える。
きっと、空の神を祀っているのだろう。
(神様。ユルのお父さん。どうか、ユルを助けてください。力を貸してください。彼を弱らせているものの正体を、教えてください)
必死に祈っていると、太陽の光が差してきて、ククルを照らした。
体がぽかぽかする、と思って組んだ手を解く。
すると、急に閃いてククルは走った。
城の横にある庭に、彼女は佇んでいた。
「ウイ」
人気がないことを確認してから、呼びかける。
真っ白な琉装に身を包んだ彼女は、こちらを振り返って微笑む。
「見つけた。ユルに、何かしているでしょう。今すぐ、やめて」
『……別に、何もしていませんよ』
「嘘つき!」
ククルは命薬を顕現させて、構えた。
『癒しの刀では、私は斬れませんよ』
「…………」
なぜ、そのことをウイが知っているのだろうか。
ククルが祝詞を唱えかけたとき、ウイは飛んだ。
『あなたは私が何か知らない。だから捕らえられない』
「待って!」
手を伸ばしたときにはもう、ウイはどこかに消えてしまっていた。
(せっかくウイを見つけたのに、何もわからなかった。でも、“あなたは私が何か知らない”……? どういう意味?)
そこで気づく。ウイの気配が、以前のものと随分違っていたことを。
ククルがホテルの部屋に帰っても、ユルはまだ眠ったままだった。
ため息をついて、ククルは椅子に置かれていた二人分の荷物を荷物置き場に移動させる。
ユルの手鞄もそこに置いておこうと思って、枕元に置かれた鞄に手を伸ばし、持ち上げる。
つい逆さまにしてしまい、更に鞄が閉まっていなかったので、中身が床にぶちまけられる。
「わーっ! ごめんね!」
眠っているユルに謝って、ククルは中身を拾って入れていく。
あとでちゃんと謝らないと、と思いながらユルの携帯の表面に傷がないことを確認し、ホッとする。
折りたたまれた紙を見つけて、ククルはそれを拾って迷った結果――鞄を机に置いたあと、その紙を開いてみた。
本の写しのようだ。
琉球の昔の言葉で書かれている。
「琉球の、民話だ……。あれ、これってカジ兄様が言ってたやつ?」
カジが語っていた。神の血を引いていた巫女が父である神と交わり、腹を食い破られて死んだ話を。
(どうして、ユルがこれを写してまで持っているの?)
そこでククルは、ハッとして気づく。
(ユルは、この民話と自分を重ね合わせている?)
ユルの母親であった聞得大君は、祖先であった空の神と交わり、ユルを産んだ。
ある意味、血族婚だ。
(でも、この民話と重ね合わせてどうするんだろう?)
ククルが戸惑っていると、ユルはうめき声と共に目を覚まし、身を起こした。
慌てて、ククルはその写しをユルの鞄に入れる。
「今、何時だ?」
「もう夕方だよ。ユル、何か飲んだら? コンビニで、おにぎりとかも買ってきたよ」
「ああ……」
ククルは冷蔵庫からペットボトルのお茶を二本取り出して、一本をユルに渡した。
お茶を飲んで、どれだけ喉が渇いていたかを実感する。
(あれだけ走ったから、喉が渇いて当然だよね)
なんて思いながら、ククルは袋からおにぎりやサンドイッチを取り出す。
「お前、どこかに行ってたのか?」
「え? うん。知ってるの?」
「さっき、うっすらと目が覚めたんだ。お前がいないな、と思って――起きようとしたんだが起きられなくて、眠り込んでしまったらしい。どこに行ってたんだ?」
ユルはお茶をゆっくり飲みながら、ククルに尋ねてきた。
「ウイを捜しにいってたの。見つけたよ」
「見つけて、どうしたんだ」
「逃げられちゃった」
「おいおい……オレが一緒に行けば、退治できたかもしれないのに」
「うーん。あのね、ユル。あのウイは、前のウイと何かが違うの。それが何かわからないと、退治はできないんじゃないかな」
ククルの説明に、ユルは露骨に顔をしかめていた。
「わけがわからん」
「私も……うまく言えないんだけどね……。でも、あのウイは変だよ」
「変って何が変なんだよ」
「前のウイと違うんだもの」
「別の存在ってことか? でも、外側はウイで間違いないだろ」
「そうなんだよね。だから、多分――何かが擬態しているんだよ。ウイはね、私の持ってる刀を癒しの刀だと言ったの。どうしてウイが、そんなこと知ってるの?」
「そりゃ、魔物《マジムン》だからだろ」
「魔物だからって、力の本質を見抜くかな? ユルの天河なら、わかるの。あれは魔物を退治する霊剣だから。魔物は、本能的に恐怖するはず。でも、私の命薬はユルだけを治す特殊な刀だもの。元来、刀は武器だよ。攻撃する性質を持ってるの。普通の魔物なら、命薬にも警戒するはずだよ」
ククルは一気に言ってしまってから、命薬を召喚した。
「じゃあ、どういうことだ。その刀の機能を知っているやつが、ウイに化けているってことか?」
「多分ね」
「信覚島や神の島にいた魔物なら、お前がオレを治すところを見ているはず。そいつらか?」
ユルの推理も一理あったが、いまいちしっくり来なかった。
「よくわからないけど、あのウイもどきの本質を見抜かないと倒せないと思う。たとえ、天河でも」
「……七面倒くせえな。なら、またあいつを追っても無駄ってことか」
「そうだね。ユル、とりあえず夕ご飯にしようよ」
「ああ、わかった」
ユルは先ほどより顔色がよくなっていた。
ウイが近くにいたせい、というよりも場の空気に当てられたのかもしれない。
あそこはユルが生まれ育ったところで、大切なひとを亡くしたところでもあるのだから。