ニライカナイの童達
第二部
第二十一話 聖夜
ククルを泣かせてしまった。
鈍いのだから、鈍いままでいてくれたらよかったのに。
どうせ、祥子あたりに何か言われたのだろう。
そんなことを考えながら、ユルは食堂のテーブルに頬杖をつく。
昨夜見た泣き顔を思い出せば、心が痛かった。
「雨見くん、大丈夫? あんまり食べてないじゃん」
正面に座る河東は、ランチセットをとっくの昔に平らげていて、デザートのプリンを味わっていた。
「ああ……」
半分ほど残ったランチセット見下ろし、ユルは箸をなんとか動かす。
最近、とみに食欲がない。
「ナハトー」
急に、エルザが後ろから抱きついてきた。
いつものように引き剥がすと、口を尖らせる。
「つれないわね。あ、そうだ。聞いたわよ、ナハト」
「何をだ?」
「あなた、ククルを振ったそうじゃない」
それを聞いて、河東がプリンを吹き出しそうになっていた。
「えーっ! 和田津さんを振ったの!? なんだかんだいって、幼なじみが本命ルートじゃないの!?」
河東は何を言っているのだろう。
どういう意味かを問うのも億劫で、ユルはエルザを見上げる。
「誰に聞いたんだよ」
「ククル本人によ。まあ、ワタシは別にいいというかラッキーなんだけど」
エルザはユルの隣の席に腰かけた。
「ワタシ、あなたがククルを振るとは思っていなかったわ」
「うるせえな。オレの勝手だろ」
「なら、ワタシと晴れて付き合う?」
「断る」
「なんでよーっ!」
エルザをいなして、ユルはなんとか箸を進めていく。
「そういえば、もうすぐクリスマスね。大和のクリスマスって恋人と過ごすことが多いらしいわね。ナハトは、誰と過ごすの?」
「さあな」
特に出かける用事もないし冬休みに入るから、荷造りしていたら終わっていそうだ。
「ワタシ、一時的に帰っちゃうわよ。淋しいでしょ」
エルザに限らず、欧州圏から来た留学生はほとんどがクリスマス前に帰省するらしい。
「カトウなんて、毎年淋しい思いしてるんじゃないのー?」
エルザにからかわれて、河東はむっとしていた。
「余計なお世話だよ。僕には新発売のギャルゲーが待ってるんだからね! ……あ、言っててむなしくなってきた……」
河東の返答に、エルザはますます笑っている。
「本当はワタシがあなたと過ごしたいところだけどね。実家に帰らないといけないから、ごめんなさい。それじゃあね」
エルザはユルの腕を撫でてから、立ち去った。
「くそー、パリピめ。ところで雨見くん。和田津さんを振ったって本当なのかい?」
河東に聞かれて、ユルはため息をついた。
(エルザ、余計なことを)
「そんな大げさなもんじゃねえよ。どう思うかって聞かれたから、なんとも思ってないって答えただけ」
「えーっ。言われたほうは、結構ショックだと思うけどなあ。大切にしてあげてると思っていたのに」
大切にしている、つもりだった。だからこそ、あのときはああ言うしかなかった。
ククルは朝早くにカレンダーを見て、かじかんだ手をこすり合わせた。
(そういえば、今日はクリスマスイブかあ)
琉球に帰るのは二十五日なので、荷造りをしないといけない。
一応クリスマスという文化は八重山にいたときにも知っていたが、大和ほど盛んではなかったし、住んでいた高良家では特に何もしなかった。
トウキョウでは、十二月に入った頃からイルミネーションや飾り付けが町を賑わせていたので、否が応でも意識せざるを得ない状況だった。
(大和では、恋人と過ごすことが多いんだっけ)
せっかくだしクリスマスケーキでも買ってこようかと思ったが、ユルは甘い物が好きではないし、喜ばないだろう。
『ククルちゃん、おはよう。何をカレンダーとにらめっこしてるの?』
「おはよう、祥子さん。今日、クリスマスイブっていう日なんだよね」
『ああ、そういえばもうそんな時期なのね。リア充のイベントよ。ふんっ』
祥子はクリスマスが嫌いなのか、鼻を鳴らしていた。
『今日はユルくんもいるし、一緒に過ごせるわね。よかったじゃない』
「よかった……のかな」
きっと、ユルはクリスマスにどう過ごすかなんて気にしないのだろうけれど。
(私が受験を失敗したら、これが最初で最後のクリスマスかも。治ったらまた元気に働いてほしいと、伽耶さんが言ってたし。ユルは大学を卒業したら、退魔事務所で働くのかも)
それなら、ユルはもう琉球に戻ってこない。
今は休みに帰ってきていたが、大学卒業後も大和にいるなら、そうはいかないだろう。
それに、ククルはユルが帰ってこない気がしていた。
(決めた。最後のクリスマスかもしれないんだし。私の自己満足だけど、クリスマスらしく過ごそう)
ククルは決心して、計画を練り始めた。
ククルが朝食を取ったあとも、ユルはまだ起きてこなかった。
休みだから、昼まで寝るつもりなのかもしれない。
祥子も、どこにいるのか姿が見当たらない。
(いつからだろう。祥子さん、ちょっと変だよね。明るいから忘れそうになるけど地縛霊だし、ゆううつになるときがあるのかな)
そんなことを考えながらククルは支度をして、外に出た。
店の建ち並ぶあたりを歩いていると、イルミネーションされた街路樹が青白く光っていた。
(夜に見たら、もっときれいなんだろうな)
ククルは大手チェーンのフライドチキンの店に入っていった。
朝早いからか客はいなかったが、店員たちはカウンターの向こうで忙しそうに立ち働いている。
「あのー、すみません」
「はいっ! いらっしゃいませ!」
女性店員が慌てて来て、応対してくれた。
「すみません、持ち帰りでチキンを……」
「ご予約はしていらっしゃいますか?」
「予約? してないです……」
「申し訳ございません、お客様。今日と明日は予約でいっぱいでして、当日に注文できないんです」
「えーっ!」
ククルは驚いたが、クリスマスならそういうこともあるのだろうと納得し、引き下がった。
「じゃ、いいです。すみませんでした」
「いえいえ。またの機会にお願いします」
頭を下げると、店員にも頭を下げられた。
とぼとぼと、ククルは店から出る。
寒い、と思ったら、空から何かが降ってきた。
手を出すと、それは冷たい感触を残してはかなく消えていった。
「これって、雪? うわー、すごい!」
南国育ちのククルは、雪を見たことがなかった。
(いいこともあるもんだね)
少し機嫌を直して、ククルは空を仰ぎながら歩いていった。
体が、だるい。
目が覚めたが、今日が休みなことを思い出して、また惰眠に戻る。
そのまま、ずっと眠っていると、いつまでも眠れそうな気がした。
しかし、さすがに起きて荷造りしないとまずい、と思って、重い体を起こす。
壁時計は、六時を指していた。
(午前、なわけねえよな)
舌打ちして、ユルは寝間着の浴衣から着替える。
喉がからからだった。何か飲もうと部屋から出て、リビングに顔を出すとククルが赤い帽子をかぶって座っていた。
「……お前、何してるんだ」
「あっ、ユル。おはよう。もう夕方だけどね。よく寝てたから、起こさなかったの。さすがに、もうすぐ起こすつもりだったけど」
そんなことを言って笑い、ククルは立ち上がった。
「ユル、今日は何の日か知ってる?」
「ああ……クリスマスイヴだっけ」
「そうだよ。私、初めて大和で過ごすクリスマスだから、色々準備したんだよ。一緒に祝ってくれるよね?」
「別にいいけど……」
祝うといっても、欧米の宗教行事なのに一体何を祝うつもりなのか、とユルは疑問を抱いた。
ユルがぼんやりしているうちに、ククルはテーブルに料理を並べていく。
骨付きチキンの唐揚げを指さして、ククルは照れたように笑う。
「本当はね、フライドチキンを買いにいったの。あの有名なところの。でも、予約してないとだめだったの。だから、スーパーで鶏肉を買ってきて料理したんだよ。味見したけど、おいしかったよ。食べてね」
「ああ――」
ユルも配膳を手伝おうとしたが、ククルに「座ってていいよ」と言われたので、座って頬杖をつく。
長時間寝ていたせいか、寝起きだからか、いつも以上に体がだるい。
ククルは料理を並べ終えたあと、大きな瓶も持ってきた。その中身を、ふたつのグラスに注ぐ。
「それ、酒か?」
「ううん。アルコールの入ってない、ワインっぽい飲み物。私はお酒弱いし、ユルは今あんまり具合よくないから、アルコールは止めておいたの。でも、乾杯の雰囲気は出るでしょ?」
説明して、ククルは瓶をテーブルの上に置く。
「祥子さーん! 乾杯するよー!」
『はいはーい』
祥子がどこからか飛んできた。
「えっと、なんて言うんだっけ?」
『メリークリスマスよ、メリークリスマス』
ククルは祥子に尋ねてから、
「メリークリスマス!」
と叫んでグラスを掲げた。
ユルが無言でグラスを合わせると祥子から恐ろしいほど鋭い視線が飛んできたので、渋々
「メリークリスマス……」
と呟く。
それだけで、ククルはとても嬉しそうだった。
あまり面白くないバラエティ番組を見ながら、ふたりで料理を食べてワイン風味の飲み物を飲んだ。
あまり会話はなかったが、ククルはこれが自分たちらしいのかもしれないと思って、満足だった。
「なあ、ククル」
「うん?」
いきなり顔を覗き込まれて、どきりとする。
「その帽子、どうしたんだ?」
「あ、これ? これ、百円ショップで買ったの。かわいいでしょ」
「へえ」
ユルの素っ気ない返事に少々不満を覚えながらも、ククルは帽子を触る。
「本当は、ユルの分も買おうかと思ったんだけど、きっとかぶってくれないと思ったから止めたんだよ」
「正解だな。オレは絶対かぶらない」
「だよね」
苦笑したあと、ククルは
「プレゼントも用意したかったんだけど、何も思いつかなかったや。ごめんね」
と謝った。
「別に、謝ることないだろ。オレも準備してなかったし」
「うん……」
誕生日から、思っていた。何かをあげたいと思うのに、どうしても思いつかなくて。
「あーそうだ。そろそろ荷造りしないとな。お前はもう、終わったのか?」
「うん。片付けは私がするから、ユルは荷造りしてきなよ」
促すと、ユルは「悪い。頼んだ」と言い残して、立ち去った。
ククルは祥子にお願いされて、テレビのチャンネルを変える。
クリスマススペシャルのアニメが放映されていた。
片付けたあと、テレビを観ていて、そのまま少しうたたねしてしまっていたらしい。
気がついたら、ユルが隣にいた。
「ユル、荷造り終わったの?」
「ああ。ついでに、ちょっと買い物してきた」
「買い物?」
戸惑うククルに、ユルはビニール製の袋を押しつける。
「なあに、これ?」
「……開けてみろよ」
なんだか高級そうな黒い箱が入っていた。
ククルは驚き、箱を取り出して開ける。
細い、銀の腕輪だった。
「えええっ! た、高そうな装飾品! なんで、私に……? 私、ユルに何もあげてないよ?」
「今日、色々と準備してくれたんだろ。それの礼だ。取っとけ。お前、ペンダントは命薬をしているから、腕輪にしておいた。銀は魔除けになるとも言うし、身を守ってくれそうだろ」
「あ、ありがとう……」
思わず目頭が熱くなって、ククルはこらえた。
少し離れたところに浮いている祥子は、『ユルくん、いいところあるじゃない……』と呟いて、感極まったように目元を拭っていた。
「じゃあな。オレ、もう寝るから。お前も風呂入れよ」
ユルは立ち上がって、背を向けてしまう。
「うん。あの――本当に、ありがとね」
ククルが声をかけるとユルは手をひらりと振って、去っていった。
早速、腕輪を左腕につけてみる。
「うわあ――きれい」
腕輪には、花や波のような模様が刻まれていた。
「いつ、買いにいったんだろ」
ククルがいぶかしんで顔を上げると、壁時計はもう午後十一時を指していた。
「えっ、もうこんな時間!?」
『ククルちゃん、結構長いこと寝てたのよ。ユルくんが出ていったの、七時ぐらいだったわ。とにかく、よかったわね」
「うん……」
嬉しいけれど、こんなことをされたら、また期待してしまいそうになる。
自覚なんて、しなければよかった。
――君が一歩進まない以上、関係は変わらないよ。
――ククルちゃん、ユルくんのこと好きなんでしょ?
――一度聞いてみなよ。自分のことをどう思ってるのか、って。
河東や祥子や薫に何を言われても、一蹴して気づかないままでいたら。
そうしたら、こんなにも辛い気持ちにならなかっただろうに。
涙が頬を伝って、腕輪に落ちた。
『ククルちゃん、大丈夫?』
「うん、平気」
(私は、馬鹿だ。あの心地よい距離を、自分で壊してしまった)
ぎゅっと腕輪を右手で握って、うずくまる。
嬉しくて幸せなのに苦い、クリスマスイヴになった。
荷造りも終えて、あとは寝るだけという段階で、ユルは机に置いてあった紙を見下ろした。
琉球の民話が集められた本の、コピーだった。
――漁師が語り継いでいたという。神の血を引いていた巫女《ユタ》は父でもある神と交わり、子供を産んだ。しかしそんな禁じられた婚姻のせいか濃すぎる血のせいか、子供はきちんと産まれず、母を食い破って出てきた。
この民話はユルが写しを取った本の他にも、何冊かに載っていた。
だが、「この子供」がどうなったかが書かれている本は一冊もない。
(やはり、死んだのか)
ある程度は有名な話のようだし、これが真実だとしたら神の子が生きて更なる伝説となっていてもおかしくない。
だが、この神の子は母を食い破ったことについてだけ言及されている。
すぐに死んだと考えるのが、妥当だろう。
次いで、ユルは自分の手を見下ろした。
ある程度は薄まった血とはいえ。それでも、ユルの母親は祖先でもある空の神と交わったのだ。
「…………」
生まれつき短命だったのなら、もう自分にできることはないし、ククルにも何もできない。
今もなお、生きたいという渇望は湧いてこない。
ただ、むなしいだけだった。